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ある昼、東奔して西走する⑦

 そんな! まだ合図してないのに!

 歩兵たちの指さす方向を振り返ると、確かに対面の丘に陣取っていた軍が移動している。しかも飛竜もいるのか、相当に速い。

 その先頭にいるのは――クローゼ。


「竜ちゃん、止めてって言ったのに!」


 砂煙を上げ、あるいは飛竜と火竜が吹く炎による黒煙をまき散らし、クローゼの軍がどんどんこちらへ近づいてきた。離れていても感じる強い殺気に、冷や汗が背を濡らした。

 歩兵たちはハチの巣をつついたような騒ぎに陥った。無秩序に武器を構えたり、逃げだそうともがいたり、明らかに統率を欠いた動きとなって軍は乱れた。歩兵の合間にいる騎士たちも、兵の動揺が伝染した馬の制御で手間取っている。

 これではクローゼが到達して戦闘が始まったら、戦にすらならないで全滅する。どうして、という言葉は飲み込んだ。

 さっきまでフラフラしていたランスの鋭い穂先が、私の喉元にぴたりと突き付けられていたからだ。


「やはりか……」

「え……」

「やはり罠か。貴様で時間を稼ぎ、奴らがこちらを一斉に叩くつもりだったのだな」

「違う! そうじゃなくて、ヴェンディは本当に戦を回避するつもりで!」

「うるさい! もはや問答無用だ。まずは貴様から血祭りにあげてやる!」

「そうじゃない! 待って、クローゼに止まるように言うから! 話を聞いて、王様に取り次いで!」


 必死の願いは馬上の騎士には届かない。いや、もう彼の目の焦点は定まっていなかった。英雄と呼ばれる騎士、その命を贄として勇者を誕生させる者、彼もその一人なのか。最前線に立つ彼はこのままではクローゼの軍に飲み込まれて真っ先に命を落とすだろう。

 覚悟の上と豪語していたけれど、自分がその一人になることが現実身を帯びてきたとたんにタガが外れたのか。直近に迫る死の恐怖に理性を失っているのかもしれない。この人も止めて、クローゼを止めて――だめだ、考えがまとまらない。

 ランスで圧迫される喉から、私自身にも死が間近な感覚として恐怖が湧き上がってくる。このままぐいっと一突きされたら、私も……。


「下がって! 私があの軍を止めるから!」

「止められるわけがない……騎士団長クローゼ……どうせ、みんな、死ぬ。貴様も……道連れだ……!」


 リナ殿、とクローゼが叫ぶ声が背後で、遠く? いや、近く? で聞こえた気がした。振り返って、ダメだ来るなと伝えたかったけど、もはや理性を失ったかのようにぶつぶつ呟く騎士から目が離せなかった。目を離したら突かれる。いや、目を離さなくてもこのままなら。

 どうする、どうする、どうしたらいい。

 がちゃり、と騎士は馬に付けた装備から一振りの斧を引き出した。重たそうな、とても大きな刃がついた斧だった。よく研がれているんだろう、太陽の光を鮮やかなほど反射させたそれが振り上げられた。


 ――ああ、これ振り下ろされたら終わる。


 恐怖で身が竦みながら、不思議なほど冷静にその光景を「私」は見ていた。

 あれで首をスパッとやられたら、一瞬で終わるな、と。苦しまないかも、痛みもないかも、だったらいいな、と。

 変に一度死んでる身からすれば、死ぬときは苦しみが少ないほうが楽だと知っている。もがいて抗って、そんな時間を費やしたとしてもどうせ死ぬんだ。楽なほうがいい。

 であればあの斧で首を落とされるならフェードアウトじゃなくてカットアウトだろうから、楽かもしれないな。


 でも。


 最後に見た涙でぼろぼろのヴェンディの顔が浮かんだ。

 平手でひっぱたかれて呆然とするヴェンディ。その平手をかましたのは、間違いなく自分だ。

 彼を守りたくて、彼を元気にしたくて、身の程もわきまえずに前線まで来てこれだ。バカみたい。結局のところ王様にも会えず、竜ちゃんの口の中であんなに練ったプレゼンも披露できず、無駄に戦闘を煽っただけじゃないか。

 こんなんだったら、たとえ勇者が出現するとしてもヴェンディのそばにいればよかった。そして勇者撃退の作戦でも考えとけばよかったんだ。子どもの頃にやったテレビゲームで、勇者と魔王の戦いなんて見慣れてる。あの裏をかけば勝てるんじゃないかな。そんなことを笑いながらヴェンディと話しておけばよかった。


 湯水のように金を使う尊大な態度の魔王。

 人間が怖くてべそべそ泣くヘタレな魔王。

 甘い声音で唯一の愛を囁いてくれる魔王。

 

 そのどれもがこの上なく可愛くて、愛しくて。

 実のところ、この世界にきて良かったって思ってた。そんな人を悲しませる結果になるなんて。

 でもせめて最後に顔を見たい。それも叶わないなら声だけでも。


 騎士の斧がゆっくりと振り下ろされたのが、視界の隅に見えた。


「ごめん、ヴェンディ……」


 私は目を閉じた。


 刹那。


 耳元で凄まじい炸裂音が響き渡った。一瞬聴覚を奪われ平衡感覚がおかしくなる。しかし首を堕とされたんだったらそれどころではない。私は思わず目を開けた。

 すると地面へ転がっていると思った自分の頭はまだしっかり体の一部であり、その代わり振り下ろされたはずの戦斧は騎士の手元からぽっきりと折れて刃の部分が見当たらない。そして私の前に黒いマントが翻っていた。高級なヴェルベットの生地には見覚えがあるどころの話じゃない。これは。


「……た……の……ものに、手を出すな……」


 徐々に戻る聴覚で拾った音声は、まさに今、一番聞きたかった人のものだった。


「ヴェンディ!」


 私を背にかばうように立ちはだかる魔王は、こちらを振り返ると優しく微笑んだ。その両頬にうっすらと涙の跡がある。反射的に私はヴェンディに抱きついていた。


「なんで、どうやってここに!」

「だってリナ。昨晩教えたろう? 君のネックレスには細工がしてあると。君が私を呼べば、いつでも、どこでも駆けつける。たとえそれが戦の最前線であろうとも」


 その言葉にはっとする。確かにさっき彼の名前を呼んだ。このネックレスのストーキング機能は相当な遠距離でも働くということなのか。えぇぇ、とほんの少し再会の喜びが目減りしたが、まずは命が助かったのでヨシとしよう。

 ほっと胸をなでおろした私と反対に、斧を振り上げていた騎士は自分の身に起こったことが理解しきれていないようだった。目を白黒させながら、折れた斧の柄を握った腕を振り下ろせず棒立ちだ。


「な……、あ……!」


 言葉にならない声だけが半開きの口から漏れ出ている。斧の先の行方は分からないが、きっとヴェンディが来たときに弾き飛ばしてしまったのだろう。二次被害が出ていないといいが。

 ヴェンディは私の髪や頬にそっと唇を寄せた。顔の近くで漏れる吐息がくすぐったい。


「私の大切なリナ。君に何かあったら夜も眠れず食事ものどを通らないだろう。私を殺すのは簡単だ。勇者を待つまでもない。リナ……間に合ってよかったよ……」


 しかし、と魔王の口調が変わった。氷のように冷たい、しかしものすごい圧力のオーラが漂い始める。それまで私に微笑んでいてくれた優しい目ではなく、ひどく冷酷な、そしてどす黒い炎のような色の瞳で立ち尽くす騎士をにらみ上げた。


「私は確かに争いを好まない。だがリナの身に危険が及ぶとなれば別だ。私の大切な者に刃を向けた罪は万死に値する……」


 ひっと騎士が悲鳴を上げた。魔王の怒りを一身に浴びガタガタ震え始める。背後に控えていた歩兵たちはクローゼ達の進軍の知らせとさっきの衝撃で、すっかり後方へ下がってしまっていた。騎士を守るものは誰もいない。怯えて竦む彼に、漆黒のオーラをまとわせたヴェンディの右手が振り上げられた。


「だめぇえええ!!」


 騎士に向かってそれが振り下ろされる瞬間、私はヴェンディの右手の前に立ちはだかった。一瞬ぎょっとした魔王は即座に右腕を地面に突き立てる。まとわせたオーラとともに腕を土にめり込ませたまま、驚愕した表情の魔王が私を見上げた。


「だめです、ヴェンディさま! この人やっつけたら人間の王と話す機会もなくなります! 怒りにまかせて人間と戦ってはダメ!」

「しかし……リナ」

「戦って勇者が出てきたらヴェンディさまの身にも危険が及びます。まずは停戦の話し合いを……え……?」


 ぴしっという地鳴りが聞こえた気がして地面へ視線を落とす。ヴェンディが腕を突き立てたそこから、四方八方に地割れの線が走り始めていた。線はどんどん増えていき、軽い音色だった地鳴りはどんどんと音を下げていき、徐々にゴゴゴという地響きに変わっていく。


「ヴェンディさま!」

 逃げてください、と叫ぶのと地面が割れるのはほぼ同時だった。

 ぐしゃっと足元の地面が割れた。――崩落だ、と分かっても体勢を立て直す余裕なんてない。ぱっくりと口を開けた地面へ飲み込まれながら、何か掴まるものをと両手が空を切る。


「リナ!!」

「ヴェンディ!」


 頭上で彼の声がした。土埃と撒きあがる土砂で視界を奪われながら必死に手を伸ばした。もがいて、もがいて腕を伸ばしきったときだった。

 ずんっという音と共に突き上げる衝撃を食らい、私の体は宙に放り出された。何が起こったのかも分からない、ただ自由の利かない体は、一瞬ののち何か温かなモノで包まれた。心地よい浮遊感に意識が混濁していく。

 

 あれ、またこれ死んだ?


 そう自問したのが最後の記憶だった。

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