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「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」
「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう(注1)」
二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。
「うん、これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういうことだ。」
「そうだろう。早くどこか室の中にはいりたいもんだな。」
「そしてテーブルに座りたいもんだな。」
ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあったのです。
扉には赤い字で、
「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を(注2)落してください。」
と書いてありました。
「これはどうも尤だ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」
「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」
そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。
そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。
二人はびっくりして、互によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。
扉の内側に、また変なことが書いてありました。
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
見るとすぐ横に黒い台がありました。
「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」
「いや、よほど偉いひと(注3)が始終来ているんだ。」
二人は鉄砲をはずし、帯皮(注4)を解いて、それを台の上に置きました。
また黒い扉がありました。
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「どうだ、とるか。」
「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは」
二人は帽子とオーバーコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。
先日とある筋から私の活動が政府の不興を買っていると聞き、非常に驚いている。
私は反体制派でもテロリストでもなく、政府に異を唱えるつもりはまったくない。
ただ日本語という美しい言語の行く末を心配しているだけなのである。
まさか政府が日本語をこの世から抹殺するつもりでもあるまい。
私の注釈にどこか不適切な表現があったのだろうか? そうだとしたらぜひご指導いただきたい。
私は常に総統と党の忠実なしもべである。
大総統閣下万歳!
注1 <東京の……すくないだろう>
論理の飛躍。東京と山の中は関係ない。
注2 <それからはきものの泥を>
それからは「着物」の、ではない。それから「履物」の、である。
どうも昔の日本人は着物を着ているという先入観から「着物」派が散見されるが、すぐ後に「靴の泥を落しました」の記述がある。履物が死語になったのも誤解が生まれる理由だろう。
注3 <よほど偉い人が>
偉い人に固執してる。権威に弱い人間なのだろう。
むろん本当の権威には膝をついて従うのは当然である。
仮に総統閣下がいらっしゃっているのなら私も帽子や外套、靴まで脱いでお出迎えする所存である。
大総統閣下に栄光あれ!
注4 <帯皮>
ベルトのこと。
注5 <外套>
主に防寒のために衣服の上に着るゆったりした外衣。オーバーコートは同じ意味。
そういえば総統閣下の着るオーバーコート姿は実に颯爽としておられる。