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「じつにぼくは、二千四百円(注1)の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼を、ちょっとかえしてみて(注2)言いました。
「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。
はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして(注3)、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。
「ぼくはもう戻ろうとおもう。」
「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」
「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買って帰ればいい(注4)。」
「兎もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」
ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました(注5)。
風がどうと吹ふいてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました(注6)。
「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。
その時ふとうしろを見ます(注7)と、立派な一軒の西洋(注8)造りの家がありました。
そして玄関には
RESTAURANT(注9)
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒(注10)
という札がでていました。
注1 <二千四百円>
円というのは当時の貨幣単位。硬貨(後述)が円形をしていたからと思われる。
この時代は金属でできている「硬貨」と紙でできている「紙幣」の二つの物理的通貨があり、使用するために普段から持ち運んでいた。
また国によって通貨単位が異なり、通貨間の交換が行われていた。これを両替という。
固有の脳内微弱電気信号で決済する現代の我々からすると凄まじいばかりの手間である。牧歌的な時代だったといえよう。
なお二千四百円は現在の貨幣価値に置き換えると50万テラを超える大金になり、いざという時は食糧になるとしても犬一個にこれほどの金を払うのは信じがたい。おそらくは童話につきものの誇張であろう。
注2 <その犬の……かえしてみて>
ここは伏線。紳士は死亡確認のつもりだったのだろうが、睫毛反射(睫に触れると反射的にまばたきをする)と対光反射の確認のみで胸部聴診、橈骨動脈・頸動脈の触診を怠っていることに留意。
意外なミステリー要素もこの童話の評価が高い原因の一つ。
注3 <すこし顔いろを悪くして>
高山病の症状が出ている。
注4 <山鳥を拾円も買って帰ればいい>
ここも理解が難しいところ。なぜ簡単に買えるものをわざわざ山に入ってまで獲ろうというのだろうか?
答えは苦労してまで殺戮をしたい、ということだ。
実に恐るべき思考であり、明記されてはいないものの、犯罪者の可能性もある。若くして大金を持っているのも犯罪で稼いだものと考えれば納得がいく。
現代であれば思想矯正される種の人間。
注5 <見当がつかなくなっていました>
高山病の症状が出ている。
注6 <風がどうと……鳴りました>
どう、ざわざわ、かさかさ、ごとんごとん……擬音語である。日本語は擬音語・擬態語の豊富な言語として知られていた。
現代では幼稚な表現として規制されているが、この生き生きした表現を読めば、実に馬鹿げたことと分かるだろう。
注7 <ふとうしろを見>
前方、横ではなくうしろにあるというのはいかにも不自然。高山病の症状がかなり進んでいると考えられる。
注8 <西洋>
現代の我々からすると信じがたいほど単純な区分であるが、この時代は世界を東洋と西洋の二種類に分けて考えていたらしい。
注9 <RESTAURANT>
見慣れない帝国語であるが、RESRANのこと。
なお帝国語はこの時代は英語と呼称されていた。ながらくこの<英>はすぐれている、ひいでているの意味ととらえ、英語=「優れた言葉」と考えられてきたが、これは単に前述のイギリスの頭文字ではないか。イギリスは漢字で英吉利と書くのである。
もっとも学会では異端の説であり、公には認められていない。
注10 <山猫軒>
山猫とはノラネコ、あるいは野生の小型ネコ科動物の総称。これも伏線であり、童話にしては高度な技法を使用している。