13 続きは城で
しばらくして、バートが部屋に戻ってきた。
彼であることを確認して、わたくしは扉の施錠を外す。従者然としていた彼は、襟元のボタンを外してぴっちりとしていた髪型もぐしゃぐしゃと崩した。
なんというか、相変わらず従者の擬態が完璧だ。
「バート、おかえりなさい」
「ぐっ……」
あの男たちを誘き出したバートの身が変わりないことに安心したわたくしは、心から安堵して笑みをこぼした。のだけれど、なんだかバートの反応がおかしい。
顔は右手で覆い隠してしまって見えないが、耳の先が赤くなっているような──?
「……ただいま、ディアナ。あの男たちは無事に騎士団に引き渡した。すぐに尋問されるだろう」
「そうなの、良かった……」
わたくしはほっと胸をなでおろす。時間稼ぎをした甲斐があったというものだ。
「君に危害がなくてよかった」
「あ、ありがとう……わたくしも、あなたに怪我がなくて良かったわ」
するりとバートの手が伸び、わたくしの頬に触れる。
それから、心から愛しいものを見つめるような柔らかな笑みでわたくしを見下ろしている。その表情にどきりとした。
そして、先ほどまでの怖さや心細さはいつの間にか消え去っていることに気がついた。
「あの人たちは……やっぱり以前からの人身売買グループの一部、なのよね」
「そのようだったな」
バートはやれやれと言った様子で肩をすくめる。
「これからフリードリヒ殿下からこってり搾り取られることだろう。ディアナ、グラーツ嬢の様子はどうだろうか」
「そうね……時折苦しそうに眉を寄せることはあっても、目を覚まさないままだわ。一度ここに医師を呼んで診てもらいたいと思っているのだけれど」
「それがいいだろうな」
「ええ。ではクイーヴ。そこにいるのでしょう? ローザさんを百花楼に運んでもらいたいのだけれど」
黒楼亭は現在営業もしておらず、施設の状況も万全とは言えない。ここよりは、百花楼の方が格段に綺麗だし、ローザさんのためにもいいだろう。
わたくしは扉の外に向かってそう呼びかける。
姿は見えないが、クイーヴはそこにいると言う確信があった。
「へ〜い。よく分かりましたね」
間延びした声で返事があったかと思えば、クイーヴが扉の向こうからすぐに馳せ参じる。
「さすがにわたくしもわかるわ」
「そうですかあ。では、嬢ちゃんが坊ちゃんとイチャコラしてたのもしっかり見てしまったことは、お咎めなしでお願いしますね〜。ただならぬ雰囲気で、オレどうしたらいいかなってちょっと焦りましたもん」
「な……!」
イチャコラなんてしていないわ、断じて……!
そんなことを飄々と言ってのけたクイーヴは、スタスタとローザさんの元へと向かうとくたりと眠る彼女の背中と足裏に手を差し入れるとひょいと持ち上げた。
「あ〜。オレの見立てでは薬品をちょっと嗅がされた程度かなとは思います」
「そう……」
スンスンと鼻を鳴らしたクイーヴは、彼女に残る香りから文字通り何か嗅ぎつけたようだった。セドナもそうだけれど、情報屋というものの持っている知識は膨大で、本当にいつも助けられる。
「とはいえ心配なので、ちゃちゃっと診てもらいましょ。運び先は百花楼の医務室でいいですかね? 嬢ちゃん」
「ええ、お願い」
「りょーかい!」
わたくしの護衛を務めているクイーヴは施設のことにも詳しい。
ローザさんを抱えたまま裏口へと足を進めるクイーヴにわたくしとパートもてくてくとついてゆく。
廊下を出てしばらく歩いたところで、
「……ローザっ!!??」
バタバタとした足音を立てながら、青い顔をした若い騎士がこちらへ一直線に駆けてきた。
クイーヴに抱かれたローザさんの姿を認めると、その瞳に剣呑な光が宿る。鋭い眼光でクイーヴを睨みつけたまま、走りながら腰に下げている剣らしきもののグリップに手をかけている。
「わあ! っと、待って待ってお兄さん、オレらじゃねぇから!!」
クイーヴはそう言うと、彼が手にした剣の柄頭に即座に右足を置いた。ぐっと力を入れたことで、その騎士さまは剣を抜けなくなった。
……あら、この方は。
わたくしはふと思い当たる。この騎士に見覚えがあったのだ。そうだ、あの時ローザさんに花束を渡していたあの人。確かハンスという名の騎士だ。
「ハンス・アイゼンシュミット。グラーツ嬢は無事だ。安心してくれ。その物騒な手を下ろすように」
力と力が拮抗する中でバートが泰然と前に出ると、その若い騎士は目をまるくして彼を見た。
「その声は、アドルフ殿……?」
どうやら興奮で周りがよく見えていなかったらしい。ハンスさんはバートの声かけにより少しだけ冷静になったようで、バートの顔とクイーヴに抱かれたローザさんとを交互に見た。
「どういうことだ。アドルフ殿がロー……グラーツさんを誘拐したのか!?」
「……なんでそうなる」
「だがしかし、ここは娼館で、どうして君はそのような格好を。私はグラーツさんが誘拐されたと聞いて、情報を集めながらようやくここに辿り着いたんだが……」
思ったよりも冷静ではなかったわ。
ハンスさんは疑わしげにわたくしの方を見る。目元のレースを外しているとは言え、現在のわたくしは、黒いローブを身に纏う怪しげな娼館の主だ。
ローザさんの後を追ってここに来た彼が、色々と訝しく思うのも仕方がない。
「ええと……安心してくださいませ、ハンス様。確かにローザさんは誘拐されてこの娼館に売りにこられたようですが、わたくしたちはローザさんを買ったわけではありません」
「その声、どこかで聞いたことがあるような……。学園だったか」
どうやら動物的な直感とやらで、わたくしの声を判別しているらしい。声で判断するとはなかなか鋭い。
「すまない、ハンス。今は色々と立て込んでいて、説明は後でするから、この辺で優秀な医師を呼んできてくれないだろうか。グラーツ嬢の診察が必要なんだ」
バートはさらりとハンスさんに頼み事をする。
「もちろんだ!」
「これから向かいの娼館に移動するから、百花楼の名を出してくれ」
「???? わかった!!」
「?」がたくさん浮かんだ顔をしながら、それを快諾したハンスさんはまた疾風のように駆けて行った。まるで台風のような人だったわ。
街中をかなり走り回ったのか、靴から背中のマントにまで土が跳ねたりしている。もしかしなくても、彼は彼の方法でローザさんの誘拐の一報を聞き街を走り回っていたのだと容易に想像がついた。
彼女が誘拐されてから、まだそんなに時間は経っていない。一派はすぐにいつもの売買ルートに乗ってここに来ただろうから。
不可解なことに誘拐イベントは起きてしまったけれど、彼女のことをこうして探してくれるヒーローがいたことに、わたくしは安心する。きっともう、ゲームのようなバッドエンドはローザさんの身には降りかからない。そうであってほしいと心から願う。
それから、ローザさんは無事に百花楼で医師の診察を受けることとなった。
その結果はやはり誘眠剤で眠らされているだけで、外傷も多少の擦り傷がある程度。ゆっくり休んで自然に目を覚ますだろうとのこと。
医務室から出てその結果をハンスさんやバートたちに告げる。全員の顔が安堵でほころんだのを見て、わたくしも同様に胸を撫で下ろす。
良かった。本当に。
ずっと半信半疑だったけれど、こうして娼館を買収したことがまた役に立ったのならば、それは本望だと言える。
「ディアナ。……私も聞きたいことがあるが、今はやめておく。がんばったな」
バートがそう言って柔らかに微笑む。それからぎゅうと抱きしめられて、背中をトントンと赤子をあやすように優しく叩かれる。その温もりが心地よくて、わたくしもそっと彼の胸板に頬を寄せる。
バートの聞きたいことって、何かしら。
そういえば、クイーヴとハンスさんが見ているのではないかしら。
そんな疑問や恥じらいの気持ちも去来するけれど、今はただこの優しい気持ちに浸りたい。
──リリリリリ!
百花楼の裏口にある呼び鈴が突如として鳴る。
驚いて身を離すと、先にクイーヴが対応に出てくれたようだった。戸口で誰かと話をしている。
わたくしはその間に急いで身なりを整える。
「……えーと、嬢ちゃん?」
「は、はい! 何かしら!?」
「王子様からの遣いが来てて、今から城に来てほしいんだと」
クイーヴがポリポリと頭を掻く。その背中越しに、その遣いと思しき人の姿が見えた。
紺色の髪に、眼鏡のスラリとした長身の青年──アレクだ。
「ディアナ様。申し訳ありませんが、至急城に来てください。ああ、ランベルト様もいたんですね。ご一緒にお願いします」
どこか他人行儀な言い回しで、アレクはゆっくりと腰を折る。
その姿に顔を見合わせたわたくしとバートは、そのまま城へと向かうことになった。




