7 音楽祭が始まります②
バートの鳶色の瞳にまじまじと見つめられて、わたくしは首を傾げる。何かいいたそうにしているのはわかるのだけれど。
「……ディアナに言っておくことがある」
「何かしら?」
なぜだか少し言い淀むバートを不思議に思い、わたくしは首を傾げた。
「今日の声楽部門の出場者に……その、グラーツ嬢以外にも出場者がいるんだが」
「ええ。マーヤ……というか、ソフィアでしょう。聞いているわ」
「知っていたのか」
「ええ。ローザさんから聞いているわ」
驚いた顔のバートを見上げながら、わたくしはこくりと頷く。どうやら、わたくしはそのことを知らないと思っていたらしい。
確かにマーヤのことは気がかりではあるけれど、それよりもローザさんを精一杯応援すると決めたのだ。
前の学園で彼女に辛酸を舐めさせられたのは事実だけれど、それを逆手にとってこうして自由に生活もできているし、悪いことばかりではなかったと思う。
何より、孤独だと思い込んでいたあの時の自分の周りにも、信頼できる人は確かにいたのだと改めて思うもの。
「本当はもっと早くにこうして君と二人の時間が欲しかったのだが、色々と片付けることもあって。それに他にも聞きたいことがあったんだ、黒楼亭のこととか──」
バートがゆっくりとわたくしの手を取る。
少し照明の落ちたうす暗い部屋に、舞台からの光を背にしたバートの瞳が怪しくギラリと光った。
なんだかどきりとしてしまう。
「やはりこうして一緒にいるだけで、憂いなどなくなってしまうな」
言いながら、バートがわたくしの指先に唇を落とす。
わたくしは驚いて目を丸くするばかりだ。
──甘い……やっぱり甘いわ!? 思い違いではないのではないかしら!!??
「そ、それはよかったわ。わたくしもあなたといたら落ち着くし……」
「本当か」
しどろもどろになりながら、わたくしは思うままにそんなことを言ってしまった。
落ち着くどころか脳内は大混乱しているのに、なんとか表情だけでも一生懸命いつものように冷静を装おうとしてしまっている。
緊張するのに落ち着くし、そわそわするのに安心してしまう。
二つの相反する気持ちを抱えていて、キャパオーバーだ。
ふたりで見つめあっていると、不意に扉がノックされた。遠慮がちに「ランベルト様、お時間です」と言っているのは、音楽祭の関係者だろうか。
「……チッ」
バートから舌打ちが聞こえた気がするが気のせいだろうか。
彼は観念したようにゆっくりと手を離し、立ち上がって身支度を整える。
「もう少しこうしていたかったが、時間のようだ。では、行ってくる」
「あっ、行ってらっしゃい、バート。頑張って……?」
慌ててそう言ったところ、立ち上がったはずのバートが「はあああ〜」と息を吐いてまたその場にしゃがみ込んだ。
「ど、どうしたの? お腹でも痛い?」
発表会前に緊張する気持ちはよくわかる。小学生くらいのことだけれど。心配してワタワタとしていると、頭を抱えているような仕草をしていたバートからくつくつと笑い声が聞こえてきた。
「ふー、何でもない。だがまあ、元気は出た」
「?」
不思議そうなわたくしをよそに、バートはどこか清々しい顔で部屋を出てゆく。
「絶対にここから動かないでくれ」と十分に念を押して。
誰もいなくなった観覧席から、どこかポワポワとした気持ちのまま階下のステージを見下ろす。
さっき別れたロミルダさんたちがいた場所、来賓席と見渡していくとそこに男爵の姿もみつけた。重鎮のような人の隣に座り、楽しそうに観覧している。
キュプカー家と共に甘い汁を吸っていたはずなのに、トカゲの尻尾切りのようにスッと手を引いたスワロー男爵。養女であるマーヤの保護者であるのだから、来るのは当たり前と言えるが……。
思わず険しい顔になっていたところで、会場にアナウンスが響いた。
音楽会が始まる。歓談していた生徒や保護者たちも一斉に静かになり、会場には心地よい緊張感が降りてくる。
『──では、ピアノ部門から。ランベルト・アドルフ侯爵子息です』
学院長の挨拶が終わり、ドキドキしながら眺めているとバートの名前が呼ばれた。
どうやら一番手だったようだ。
舞台の真ん中で優雅に礼をすると、ピアノの前に座る。
そこからはもう、会場中が彼の美しい演奏に聴き惚れていた。流れるような旋律が耳に心地よく、あっという間に会場の空気を掴んでしまった。
すごいわ、やっぱり。
圧巻の演奏を最後まで聴き終わると、盛大な拍手が送られる。
椅子から立ちあがり礼をするバートに、わたくしもバルコニーから一生懸命に拍手を送る。
見つめていると、不意にバートがこちら側を見て微笑んだ。どきりとしてしまったわたくしは、ふと斜め前のバルコニー席の様子が目に入る。
薄暗い中だけれど、フリードリヒ殿下らしき人の影が立ち上がって賞賛の拍手を送っている。
──なるほど、そちらに挨拶をしたのね。
拍手が鳴り止まない中、バートは舞台から消えてゆく。そして次の演奏者らしき令嬢が呼び込まれたようだった。
声楽部門まではもう少しあるのね。
興奮冷めやらぬわたくしは椅子に腰掛けて、舞台の演奏を眺める。
そうしていると、すぐにバタバタと足音が聞こえてきて、この部屋にバートが戻ってきた。
「バート。お疲れ様。とっても素敵な演奏だったわ」
演奏中のため、わたくしは声を顰めながらバートに感想を伝えた。本当に急いで戻ってきたようで、少し息が上がっている。
「ありがとう。緊張してしまったが、ミスなく弾けてよかった」
「まあ、緊張? 全然そうは見えなかったわ」
「ディアナが見てくれているからな。拍手をたくさんしてくれていたのが見えて、とても嬉しかった。ありがとう」
どこかあどけない笑顔で、バートが照れくさそうに笑う。
わたくしのことも見えていたのだ。そう思うと、じわじわとわたくしの中にも嬉しい気持ちが満たされてゆくのを感じた。
音楽祭は次まで続きます!バートとディアナのターンっ




