5 作戦会議をいたします
週末になり、いつものように外套を被ったわたくしはセドナと共に娼館のある地区へと来ていた。
早朝ということもあり、辺りはひっそりとしている。
でも、それにしてもなんだか妙な雰囲気だ。
違和感を胸に抱きながら、わたくしはいつもの通用口から百花楼の中へと足を踏み入れた。
「ディアナ様! お会いできて嬉しいわっ」
マダムに案内された部屋には、娼婦のカーラがいた。飛びつくようにぎゅうっと抱きしめられ、豊満な肉体の柔らかさにドギマギしてしまう。ふふ……
「失礼致します。今日は私も同席しますね。お話の邪魔になりますので、カーラ様は離れていただけますか」
隣にいたセドナがニコニコと微笑みながら、わたくしからカーラを引き剥がした。スッと間に入り、それに対してカーラは不満げな様子を隠そうともしない。
「また来たの? なんだかいけすかないのよねえ、あなた」
「まあ! 私もです〜」
「なんですって!」
にこやかな口調のままセドナが答えると、カーラも負けじと対抗する。
最初こそディアナに対して敵意剥き出しだったカーラだが、百花楼が目に見えて良くなったことで態度が軟化し、今ではディアナに好意的。だが、セドナとはどうにも相性が悪いらしく、いつも喧嘩をしている。
──何かしら。こういう構図、現代ではなんと言ったっけ……そうだわ、ハブとマングース!
見えない火花をばちばちと散らす二人を尻目に、わたくしはそんな感想を抱いている。
どちらも強そうであり、水と油のような反発加減だ。
「ほらほらカーラ、お座りなさい。ディアナ様、ご来店いただきありがとうございます。おかげさまで、私どもの商いは問題ありません」
カーラを押し除けるようにして座らせると、マダムはにっこりと微笑んだ。数ヶ月前、初めて会った時とは違う落ち着いた表情に、わたくしもほっと胸を撫で下ろす。
「ディアナ様もセドナ様もどうぞおかけください」
「ありがとう。マダム、あれから、店の周辺では異常はないでしょうか。騎士の方を派遣していただいているから、よほどのことがない限りは問題にはならないと思うけれど……」
経営状況の他に、気になることがあったわたくしはマダムにそう質問をした。
フリードリヒ殿下からの指示による騎士の見回りは続いており、今のところ悪い報告は受けていない。
それでも、直接マダムの口から状況を知りたいのだ。
「あっ、ディアナ様。定期的な騎士様の供給、本当にありがたいです〜〜」
横からそう話に入ってきたのはカーラだ。艶々とした笑顔で嬉しそうにしている。
同様に、マダムのとてもいい笑みを浮かべた。
「オホホ、おかげさまで騎士様たちがよく来てくださるようになって、金払いも……あら失礼、治安もいいし大変助かっておりますわ」
マダムは本当に満足そうにしている。話を聞いている感じでは巡回の日でもないのに常連になっている騎士もいるようだ。この店の治安が保たれているのであれば、とわたくしも安心する。
「トラブルはないということですね」
「はい。こちらは問題ありません。酔客のトラブルにも対応していただいたりして、おかげさまで店の子たちも安心しております」
「ええ! この娼館がつぶれそうだったのが嘘みたい!」
「これ、カーラ!」
マダムに嗜められながらもカーラは大きく頷いている。人身売買の拠点となっている可能性が高い黒楼亭によって、かなり経営が危うかったことをわたくしも覚えている。
隣に座るセドナと目が合い、目線で合図をする。セドナには昨日相談していた“本題”に入るタイミングだと思ったからだ。
「──ところで、向かいの黒楼亭について、何か新しい情報があったりしないかしら。傍目にも随分と寂れているような気がするけれど」
わたくしは本題を切り出す。
定期的にこうして足を運んではいたが、黒楼亭の前には馬車は一台も停まっておらず、今日は特に静まり返っているような印象を受けた。
キュプカー家がかなり厳しい状況であることは聞いているが、スワロー男爵の息がかかっているとすれば油断はできない。
かなりの資産家であり、学院にマーヤを送り込むことができるほどの横のつながりもあるのだ。どのような運営状況か逐一確認をしているところ。
「なんか、経営がいよいよマズいみたいですよ〜女の子の話だと」
テーブルにあるお菓子に手を伸ばしながら、カーラが答える。ハンナお手製のクッキーからはバターが香って、サクリとした気持ちのいい音を立てた。
「お客さんに出すお酒とかも大分質が落ちてるらしくて。客は離れるから余計に売り上げも落ちてるし、新しい女の子も前みたいに入らない感じ。昨晩はもう誰も来てないかも?」
娼婦間での情報なのか、カーラが状況を教えてくれる。それを聞いて、わたくしはセドナと顔を見合わせた。本当に、かなり状況が悪化しているようだ。
女の子が入らない、ということは、人身売買は完全に行われなくなったということじゃないかしら!
カーラの隣に座るマダムも、彼女の意見に同意するように頷いている。
「……理由はわかりませんが、キュプカー商会の経営がかなり悪化していて、不渡間近ではないかと噂されています。黒楼亭の経営権も、近々譲渡される可能性があると」
「まあ、それは本当? 売り出されるとしたら、どんな風になるのかしら」
「実は、競合店であったウチにも買収しないかという話を持ちかけてきてくるほどです。まだ返事はしていませんが」
新しい情報だ。わたくしが身を乗り出すようにしてマダムに尋ねると、そんな回答が返ってきた。
キュプカー家の困窮は、殿下たちが尻尾を掴んだおかげね。人身売買のルートを摘発したと言っていたもの。
娼館に流れてくる女性の中には、他国から売られてきたものもいるという話だった。
ソフィアだって、元を辿ればそうやってユエールから違法にこの国に連れてこられている。
キュプカー家が動けないということは、そうした違法なルートが潰えて、さらにはそれらの犯罪についても尻尾を掴まれている状態を意味するのでは?
経営難に陥っても資金が潤沢にあれば対応できそうだけれど、そうではないと言うことは……
「スワロー男爵は、もうキュプカー家をすでに見放したのかも知れないわね」
わたくしは考えられる結論を呟いた。このような追い込まれた状況下で、スワロー男爵が人身売買を率先して行っていた家に助け舟を出すはずがない。
「──マダム。そのお話、お受けすることは可能ですか」
一つ息を吸って、わたくしは真っ直ぐにマダムを見据えた。
「ディアナ様は、黒楼亭の買収も考えておられるんですか?」
マダムが少し驚いたような顔をする。
経営難だった百花楼を買収したわたくしが、再び娼館の買収を視野に入れていることに驚いたようだ。
「詳細を聞いてからになりますけれど。幸い、この百花楼の経営が持ち直してくれたのと、別事業での収益もあります。……劣悪な環境であるという黒楼亭のことも、ずっと気になっていましたから」
これもわたくしの本音だ。
ソフィアがあの娼館に来たのも、人身売買の流れからだ。幸いにもそのルートは潰えることになったが、まだ働いている子たちもいるだろう。
このまま見ていても、彼女たちの環境は改善しない。
「ただし、買収にあたってわたくしにも条件があります。“今いる娼婦たちも全て引き取ること”を絶対として、マダムには交渉をお願いしたいと思っています」
「……わかりました」
「金額面についてももう少し話をしたいわね。あとで、向こうが提示している金額を教えてくれますか?」
「はい、もちろんです」
わたくしがそう言うと、マダムは神妙な表情で頷いた。
「うまく行くといいですね、オーナー」
セドナがそう囁く。わたくしはそんなセドナを真っ直ぐに見た。
先日彼女と話をした時には、事情があって黒楼亭を買収できたらという旨の話をしていた。
キュプカー家の財政難についてはセドナが掴んでいる情報通りだったが、まさか先方から直々に身売りの話が来ていたとは願ってもないことだ。
「セドナ! 買収が無事に済んだら、あちらの店舗は娼館経営をやめてユエールと同様の趣向にしようと思うのだけれどどうかしら。オーナーとして、取り仕切って欲しいわ」
ユエールでは娼館を取り潰すことになり、その跡地に和風の飲食店を開設し、娼婦たちも従業員としてそのまま雇い入れた。
その形態をこちらにも持ち込もうと考えている。幸いにも日本の記憶というものがあるから、珍しい菓子や料理で客の興味を引くこともできるだろう。
そう思ってのお願いだったのだが、セドナはわたくしをじっと見つめたあと、やんわりと笑顔になった。
「……承知いたしました。謹んでお受けいたします」
「ありがとう! あなたがいてくれたら心強いわ!」
セドナが頷いてくれて、黒楼亭の買収にはこの百花楼が手をあげるという方針が無事に決定した。カーラがどこか不服そうにしていたが、彼女には今後の百花楼を支えてもらいたいという気持ちを伝えると、満更でもなさそうだった。
動きがあったらすぐに教えて欲しいとマダムにお願いをしてから、わたくしとセドナは帰路に着く。
──そしてその一週間後。
いよいよ財政難となったキュプカー家が黒楼停を手放すという一報がわたくしの元に舞い込んだ。
「来たわね! もちろん買いよ買い!」
マダムからの封書を手に、わたくしはガタリと立ち上がる。
絶対に買いだ。報告によれば、キュプカー家は黒楼亭はこちらからの要求を呑み、売買が成立すればすぐにでも店舗と女の子たちを手放すとのことだ。
大金がかかるけれども、予算の範囲内。向こうも負債が立て込んでいるらしい。
「分かりました。シルヴィオ様にはどう報告されます?」
「うっ……あとでまとめて話すわ」
「大丈夫です?」
「……だ、大丈夫よ。兄様ならわかってくれるわ、うん」
セドナにじっとりと見つめられながら、わたくしは急いで百花楼へ向かう準備をするのだった。




