4 音楽祭があるそうです②
ガラスペンの企画会議を終えたわたくしは、タウンハウスに帰宅して部屋で着替えを済ませているところだった。
こんこん、とノックの音がする。
「お嬢様、お着替えはお済みでしょうか」
ハンナからの問いかけに、ちょうど着替え終わったわたくしはくるりと身だしなみを確認する。よし、大丈夫そうだ。
「ちょうど終わったところよ。どうかした?」
「お手紙が届いております。お持ちしてもよろしいでしょうか?」
ちょうど兄たちに手紙を書こうとしていたところだったわたくしは、ひょっとして兄からの手紙ではないかと思う。
「ハンナ、すぐに読むわ。持ってきてくれる?」
「はい、失礼いたします」
声と共に入室してきたハンナが持つトレーの上には、ぎっしりとした巻物のようなやけに重量感のある手紙が載せられている。
「これ、お手紙……?」
あまりにもいつもとかけ離れた手紙の姿にわたくしは恐る恐るハンナに確認を取る。だって本当に、すごい厚みだ。
「はい。こちらに届いた時は木箱に入っていたため何事かと思いましたが、お手紙のようでした。他にも箱の中を検分いたしましたが、これ以外は入っていませんでしたので……」
どでかい手紙にハンナも困惑の表情を浮かべている。
このタウンハウスに届いたものは一度全てハンナが検分することになっているため、この手紙についても検査はしたはずだ。
彼女の侍女人生の中でも、こんなにも分厚い私書を確認したことなどなかっただろう。
その上で問題ないという判断であれば、とわたくしは巻物に手を伸ばす。
「これは……どなたからかしら?」
「こちら、ユリアーネ・エイミス様からのお荷物でした。問題ないかと思いましたが、不都合がありましたらこちらで処分いたします」
わたくしの問いにハンナが腰を折りながら答える。
「まあ、ユリアーネさんから!? 大丈夫、問題ないわ。ありがとう」
文字がびっしりと書かれた謎の巻物の差出人がユリアーネさんからだと聞いて、わたくしは重ね重ね驚いた。最近お話しする機会は全くなく、この前ソフィアの後ろで居心地悪そうにしているところを見たばかりだ。
「承知いたしました。ええと、大変長いお手紙のようなので、私はお茶などをご用意いたしますね」
「お願いするわ」
ハンナが部屋から下がる。
わたくしは何事かと思いながら、この壮大な手紙を読み始めることにした。
“親愛なるディアナ様。”
“不躾ながら、こうして書をお送りすることをお許しください”
“事情があり、今後あなた様とお話しすることが難しいため、私のもつ乙女ゲームに関する知識をすべて記載したものをお送りいたします”
“早速ですが、マーヤ・スワローさんにご注意ください。前作のヒロインによく似ていらっしゃるこの方も、どうしたことかローザさんを先回りする形で乙女ゲームのシナリオに沿って動いていらっしゃいます。”
“貴族クラスではエレオノーラ様のご指摘にも全く耳を貸さず、悲劇のヒロインかのように振る舞っています”
“これは、偶然ではないのではと思っています”
“先日お会いした際にお見苦しい姿をお見せしました。”
“願わくば、この書物がなんらかの助けになりますように……”
“ユリアーネ・エイミス”
冒頭に添えてあった文にはそう書かれていた。
貴族クラスの現状を知り、わたくしは頭が痛くなる。やはりマーヤはストーリーを重視しているようだ。ユエールでの悪夢が頭に蘇りつつ、あのクラスにはバートたちがいるから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
少し陽に焼けたような色味もある巻物とすると、添えられていたこの便箋は比較的新しい。もしかしたら、巻物についてはユリアーネさんがずっと書き溜めていたものかもしれない。
「つまりこの巻物は、わたくしの知らない乙女ゲーム続編のストーリーが書かれていると言うこと……?」
巻物を手に、わたくしは目を見開く。
以前お互いの出自を明らかにした際、続編ストーリーの大まかな流れについてはユリアーネさんから話を聞くことができた。
だが、一瞥するにこの巻物の内容はもっと事細かに書かれているようだ。
「冒頭の出会いイベント……それから、ダンス講義については前に話を聞いていた部分ね。サマーパーティーでのダンスの相手については好感度による……あら、これってローザさんのことかしら?」
巻物にびっしりと書き込まれたとおりのイベントは、これまで少し改変はあるものの確実に起きている。時折その対象がわたくしだったりローザさんだったりするのは達成条件によるのだろうか。
《どうしてだか、経営学クラスの女の子がイベント達成。なんで?》
少しだけ乱れた筆致で、出会いイベントとダンス授業イベントのところに走り書きがしてある。ユリアーネさんの疑問ももっともだ。うん……。
「でも、ユエールでもそうだったもの。どんなに回避しようとしても、イベントだけは起きていたわ。あら?」
断罪までの道のりを変えられなかった経験があるわたくしは、色々と納得しながら読み込み、そこでとある一文を見つけた。
「“時計台イベント”……?」
この前、バートと時計台に行ったばかりだ。妙に気持ちが逸る。わたくしはドキドキとした気持ちになりながら文章を目で追う。
「“時計台の下で想いを伝えると叶うというジンクスがある。サマーパーティーの日の特別イベントで、最も好感度の高い攻略対象者と共に訪れる”……えっ、これって!?」
読み終えた途端に、驚きのあまり思わず立ち上がってしまう。
あの日、時計台でユリアーネさんは朝からずっとここにいたと言っていた。それで、わたくしとバートはそこに行って、妙に嬉しそうな彼女と遭遇したのだった。
あわあわしながらスチルがどうとか言っていたから、乙女ゲームのイベント関連だとは思っていたけれど、詳細については知らなかったところだ。
あの時、わたくしが初めて時計台を訪れたということにバートは嬉しそうな顔をしていた。そんなジンクスがあったなんて、微塵も知らなかったのだもの。
巻物によれば、その後のダンスパーティーも好感度イベントで、ヒロインのパートナーになるのもその人だと書かれている。
ローザさんのパートナーはバートではなく、ハンスという人だった。それにあの時、バートはわたくし以外とは踊らないとはっきりと言っていた。
「……」
じわりじわりと、身体の中から湧き上がるこの嬉しく恥ずかしい気持ち。
こんな時になってようやく、わたくしは自分の気持ちを自覚した。
彼に、他の誰とも踊ってほしくなかったのだ、わたくしは。
わたくし以外と踊らないと言ってくれて、とても嬉しかった。
それから、自然の溢れる時計台の前で心落ち着く時間が過ごせて、別れ際の手の甲への口付けには心の中でひどく狼狽して。
「好き……なんだわ、わたくし、あの人のことが」
口に出してしまえば、その言葉はスッと自らの心に沁みた。
ユエールの時、陰で支えてくれた従者のバート。それから、エンブルクでもわたくしのことを見守ってくれているランベルト・アドルフという人。
──今度会ったら、ちゃんと話せるかしら。
あれからぎこちない態度をとってしまっていることは自覚している。なんだか気恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくて、うまく彼のことを見ることができなかったのだ。
一拍置いて、わたくしは一度深呼吸をする。
それからまだドキドキが収まらないながら、ユリアーネさんが託してくれた巻物を読み始めた。
「これは……キャラクター表ね」
攻略対象者の欄に名前を連ねるのは、フリードリヒ殿下、バート、騎士のハンスとそれから知らない人が二人。
きっとキャラが被らないように、この人たちは大人っぽい色気キャラとワンコ枠でしょうね。
かつてこのゲームの本編で全クリを目指した前世の記憶を元に、わたくしはそう判断する。属性は大切だ。
「サマーパーティーの次のイベントは音楽祭。これにも……やはりイベントはあるのね。あら、この記載は……」
どんどんと読み進めていきながら、わたくしは、『このイベントでも好感度が低いままだとバッドエンドの可能性あり』の文字を見つけた。
おどろおどろしい書体でそこに強調して書かれているのは、今後起こるイベントでヒロインが迎えるバッドエンドについてだった。
以前彼女と話をした時は、最後の断罪劇の際に設けられているバッドエンドについての話だったが、途中のイベントでも状況によってヒロインバッドエンドの分岐点があるらしい。
「ええと……“音楽祭後の誘拐イベントの時にヒロインの魅力が足りなければ、ヒーローが誰も助けに来ずそのまま娼館送りでバッドエンド”……このゲーム、前作でも思ったけどバッド展開に躊躇がないわね……?」
そもそも自分も娼館送りされた悪役令嬢なのだけれど、続編版のバッドエンド判定のエグさには驚く。少なくとも本編では、ヒロインサイドに途中終了なんてなかったのだ。
絶対に娼館設定が好きな人が運営にいたに違いない。
──さあ、どうしましょうか。
対策を考えているところで、また扉がノックされる。ハンナが来てくれたのだ。
「お嬢様、失礼いたします。お茶とお菓子をお持ちしました。こちらに置いておきますね」
「ありがとう、ハンナ。お願いがあるのだけれど、セドナをここに呼んでくれる?」
「はい。お呼びいたします」
わたくしは部屋に来たハンナにそう依頼をして、セドナを呼んでもらうことにする。
どんな些細な可能性でも、ローザさんのバッドエンドは絶対に阻止するわ。
借金についてはもう解決しているはずだから、残る可能性は……
ヒロインバッドエンドの分岐点を改めて読み直したわたくしは、打開策を相談するべくセドナが来るのを待った。




