3 音楽祭があるそうです①
週が明けて、わたくしは今日も今日とて王都下町の工房にいる。ガラスペンや他のガラス製品について話をしながら、ローザさんの報告を聞いているところだ。
「まあ、すごいわローザさん!」
わたくしは笑顔で手を叩いた。隣にいるロミルダさんに、向かいにいるサシャさん、それから護衛のクイーヴもみな笑顔を浮かべている。
「……えへへ、恥ずかしいです」
ローザさんは照れ照れとしながら誇らしそうにしている。なんでも彼女は、今度開催される音楽祭の声楽部門で代表者に選出されたという。
音楽祭では経営学クラスは観客。貴族クラスからは声楽、ピアノ、ヴァイオリン、フルートなどで生徒が若干名選ばれることになっているそうだ。
その名誉ある大役を仰せつかったのがローザさんというわけだ。すごいことである。
「ローザ、本当にすごいじゃない! サマーパーティーだけじゃなくて音楽祭もだなんて。去年のあたし達は見てるだけだったのに」
ロミルダさんも大興奮でローザさんの肩をバシバシと叩いている。おめでたい報告にみんなで祝福を送るのは、とても友人らしくてニマニマしてしまう。
「ローザさんの他には、誰か声楽部門で出場するのかしら?」
わたくしは音楽祭について気になったことをローザさんに聞いてみることにした。以前から感じていたことだが、この学院のイベントの基準は貴族クラス準拠となっている。
今回ももちろん経営学クラスは観覧要員である。
「マーヤさんです。あっ、新しく来られた編入生の方なんですが、とても可愛らしい人なんですよ」
「あっ……そうなのね」
ローザが純度百パーセントの曇りなき眼でそう言うので、わたくしは遠い目になった。隣でクイーヴも死んだ魚のような目になっている。わかるわ、その気持ち。
そういえば、ソフィアの歌ってどんなものなのかしら。
ユエールの学院では音楽祭のようなイベントは無かったため、彼女の歌を聞く機会は無かった。それでもこうして選出されるということは、実力があるのだろう。
ただ、編入からかなり日が浅い。何か他の力が働いた可能性もかなり高そうだが、それでもその大きな舞台に臨もうというのだ。やはり度胸はあると思う。
そのガッツを、もっと別のところで発揮して欲しいものだけれど……
廊下で対峙した時のソフィアのことを思い出しながら、わたくしは漠然とそんなことを思う。
「ところで、次はこんなデザインにしようと思うんだが、皆の意見を聞かせてほしい」
そう言って、サシャさんが紙に書いた新しいガラスペンの素案を見せてくれる。秋らしい鮮やかな橙色がペン先から持ち手のところまで花びらのように色づいているものと、一方は全体的にコックリとした茶色で少しねじったようなデザインになっている。華やかなものと普段使いもしやすそうなデザインの二つだ。
ガラスペン作りにおいて最初の成形こそ試行錯誤していたようだったけれど、一度その作り方を習得してからは、職人たちの作業効率はぐんぐんと上がっていた。
「まあ、とっても素敵だわ! この茶色の渋い色味は男性にも使いやすそう」
現在販売されているガラスペンは、通常のガラス工芸品によく使われていた青色が主流だ。
『溶融製造段階で着色剤と呼ばれる金属酸化物を加えることで色が付く』と一度サシャさんが説明してくれた。
正直、原理などを完全に理解することは難しいのだけれどサシャさんが言うことには比較的入手しやすい銅を使うと、ガラスは青色になるそうだ。
新色を発明するのはサシャさんの役割だそうなので、今回もきっと、素敵な配合を発見したのだろう。
「ねえロミルダさん、このガラスペンをどう思う?」
「わ、私⁉︎ き、綺麗なんじゃないかしら! 確かに、男性も使えそう……よし、ますます販路が広がりそうね! よし、サシャ、もっと詰めましょう!!」
急に水を向けられて驚いた顔をするロミルダさんだったけれど、最後は商機を感じ取ってメラメラと燃える顔をしている。さすが商家の跡取りだ。
「今受注しているものについては、年内に納品できるようにしましょう。急いで質を落としてしまっては元も子もないので、職人の皆さんには十分な福利厚生を徹底してください」
わたくしはそう主張する。利益ばかり追求して職人を酷使し、彼らが辞めていくことでどんどん製品が粗悪化する例を現代でたくさん見てきた。
工芸分の出来栄えは全て職人の腕にかかっているもの。無理をさせることはできないわ。
「分かりました。いつもありがとうございます」
サシャさんが姿勢を正して頭を下げる。ローザさんと揃いの水色の髪がふわりと揺れる。彼の瞳には当初のような警戒心が感じられない。
取り立ての時に現れて借金を急に肩代わりするなんて、きっとわたくしも大層胡散臭かったことだろう。
工房はエクハルト商会との連携によるガラスペン事業が軌道に乗り始め、素晴らしいことに借金についても今後の返済の見通しがきっちり立っているのだ。
「……うし、やるか! 今度もすごいもの作ってやる」
「ええ、やるわよ! うちの商会の命運もかかってるんだからっ!」
「あ、あのっ。わたしも少し考えたんだけど、せっかくの綺麗なガラスペンだから、包装にもこだわってみるのはどうかなあ。木箱に焼印をするとか……ちょっといい布を箱に敷いてみるとか」
サシャさんとロミルダさんが、顔を突き合わせるようにして気合を入れ直すと、ローザさんがどこか緊張の面持ちで意見を出した。
なるほど。包装に付加価値をつけるというのね。
「まあローザさん、それはとても素敵な発想です。サシャさん、確かこの町には木製品の加工を取り扱う職人ギルドもありましたよね? そこにも声かけをして、特別な木箱を発注するのはどうかしら」
楽しくなってきて、わたくしも積極的にその議論に参加する。付加価値をつけ、ブランド性を高めるのは大切だと経営学の先生も言っていた。
「グラーツ工房の売りとして独自のロゴや刻印を作っていると、特別感が高まりそうですもの。季節ごとに新色をだして、限定商品などを売り出す方法もいいと思うわ」
この商品がこれだけ爆発的に売れれば、近いうちに類似品が世に出回る。それは仕方のないことだ。
その時に戦えるように準備をしておく必要がある。ビロードのクッションに包まれた特別なガラスペン。贈り物としての需要も高まりそうだ。
わたくしが未来のことに思いを馳せて楽しくなってきていると、三人が驚いたような顔でこちらを見ていた。揃いも揃って、目を丸くしている。
「どうかしましたか……?」
何かまずいことを言っただろうかと不安になっていると、ローザさんがパンと自らの胸の前で両手を合わせる。そしてその瞳はきらきらと眩しいものを見るようにしてわたくしを見ていた。
「っ、すごいです、ディアさん!」
「本当。貴族のお嬢様なのに、なんでそんなに詳しいの!? うちの商会の顧問になってもらいたいくらい!」
「季節限定商品……そうか、それなら少し精巧な作りにして値を上げても行けるな」
ロミルダさんはずいと身を乗り出してわたくしの手を掴み、サシャさんは何やら呟きながら考え込んでいる。三者三様、反応はそれぞれだが好意的に受け止めてもらっていることにわたくしは胸を撫で下ろす。
限定品に惹かれるのは現代でも同じだった。季節限定のケーキやコーヒー飲料についつい手が伸びてしまったり。そうしたことが再現できればと思っての提案だった。
──楽しい。
この事業に前向きに取り組みながら漠然と思う。
断罪後の生活を満喫する、と息巻いていたが、こうした身近なことからコツコツと積み上げることに喜びを感じる。
「……嬢ちゃん、楽しそうですね」
後ろに控えているクイーヴも、わたくしの表情の変化を読み取ったらしく、優しく微笑んでいる。
「ええ、とっても。こうやって、一から作り上げていくのってとっても楽しいわ」
「そーかそーか、でも無理は禁物ですよ」
「ありがとう」
優しく諭してくれるクイーヴに、わたくしはふと兄シルヴィオの面影を感じた。顔立ちは全く違うのに、妹に対するような柔らかな眼差しが共通している。
──兄様と……それからジュラルは元気にしているかしら。
そのままわたくしは、もう一人の兄弟である弟のことを思い出してしまった。
ソフィアはこうしてこの国にいる。弟は元気に過ごしているだろうか。考えると気持ちが沈んでしまうので、無意識に考えないようにしていたのに。
「ディアさん、どうかしましたか?」
急に黙り込んでしまったわたくしを、ローザさんが心配そうに覗き込む。わたくしは慌てて首を横に振った。
「いえ、なんでもありませんわ。素敵なものができそうでワクワクしますわね」
「はい、本当に! 一時はどうなることかと思っていたから……お父さんもみんなも元気になってすごく嬉しいです。全部ディアさんのおかげです、ありがとうございます」
そう言うローザさんの屈託のない笑顔に、今度はわたくしが救われる。
変な顔をしていただろうに、こうして謝意まで伝えてくれるのだもの。
「こちらこそ、こうして関わらせていただきありがとうございます」
「えっ! いえ、お礼を言うのはわたしの方で!」
わたくしもお礼を言うと、ローザさんが慌てて両手を左右に振る。その仕草が小動物みたいでとても可愛らしい。
「「ふふっ」」
このままではお互いにお礼合戦になってしまう。ローザさんも同じことを思ったのか、わたくしたちは顔を見合わせて笑ってしまった。
──帰ったら、お兄様とジュラルに手紙を書こう。
わたくしはそう心を決めて、残りの時間を過ごした。
誤字報告たくさんありがとうございました&申し訳ありません…!!!
いつでもよろしくお願いします!!




