2 編入生がやってきます②
馬車に向かう最後の門を曲がろうとした時、何やら話し声が聞こえてきた。ここはあまり人がいないため、よく使っていたのだけれど……
「そんなっ、わたし、そんなつもりじゃ……」
聞こえてきた弱々しい声にどきりとしてしまう。
……とっても聞き覚えがある。これはソフィアの声だわ。
泣き真似に似たそれを、何十、何百回と聞いた記憶がある。
「貴女にどういうつもりがあろうとなかろうと、周囲からはそのように見えるという話をしているのです。あなたも貴族令嬢となったからには、礼節をわきまえて……」
これは明らかに何らかの修羅場だ。わたくしは建物の影からそっと声のする方の様子を覗き込んだ。
そこにはやはりソフィアがいて、その後ろには数名の取り巻き、それからそれに対峙するエレオノーラ様の姿がある。
ソフィアはグスグスと鼻を鳴らしながら俯いていて、それを周りにいる令嬢たちがどうしたものかと焦っている様子が見えた。
これはあれだ。
ヒロインをいじめる悪役令嬢の図。わたくしもこの状況になったことがあって、その都度遠い目になった。
彼女の周りにいた取り巻きたちはものすごくこっちを睨みつけてきたし、そもそもソフィアとも会話にならなくてただただ時間が過ぎるのを待った。
ソフィアのことをいじめたり、彼女のものを隠すことなんてするわけないのに、気付けばいつもわたくしがやったことになっていたっけ。
自分のアリバイを証明しても、他の人に指示をしたと言われ。もう何が何だかわからないまま、ゲーム展開だなと思って受け入れたわけだけれど。
「あなた方も。そうやってその方に付き従っているだけでよろしいの? 同じように見られてしまいますわよ」
エレオノーラ様の凛とした声に、取り巻きの人たちもどこか気まずそうにしている。ただ、わたくしの時と違うのは、彼女たちが言い返さないこと。
しゅんと萎れてしまっている。
「うっうっ、エレオノーラ様、ごめんなさあい〜」
その横で、ソフィアがまだ目元を拭って泣いたような仕草をしている。
外から見ると、まるでエレオノーラが彼女をひどく叱責しているかのようだが、至極当たり前のことしか言われていない。
ソフィアの振る舞いはローザさんを通じて聞いていた。『何だかすごい人だと思いました』と圧倒されてしまっていた。
「……では、失礼いたしますわ」
エレオノーラ様が踵を返して、背筋を伸ばしたまま廊下の向こう側へと消えてゆく。どうやら終わったようだ。
これでようやく馬車に向かえるわね。
思いもよらない遭遇に驚いたけれど、どうやら終わったらしい。ほっと胸を撫で下ろしたわたくしは、この廊下ではない違うルートで行こうと体の向きを変えた。
「──やっと見つけたわ、ディアナ!」
そう思っていたのも束の間。
後ろから声をかけられて、わたくしは足を止める。泣いていたように振舞っていたというのに、どすの利いた声で呼びかけてくるのは振り向かなくてもソフィアだとわかる。
わたくしの前では取り繕うのをやめたのだろう。
はあ、とため息をついて振り向くと、やっぱりソフィアが勝ち誇ったような顔でこちらを見ていた。
「……何の御用でしょう? わたくしはあなたに用はないのですけれど」
振り向きざまに、心底嫌そうにそう言ってみる。本当にどうしてここまで因縁が続いてしまっているのかわからないけれど。
「っ、わたしだって、アンタの顔なんてできれば一生見たくないわよ!」
顔を赤くしたソフィアが怒った口調でそう言うと、周りの令嬢たちは困惑の表情でソフィアとわたくしを見比べているようだった。
……ユリアーネさんだわ。
その中に、見知った顔を見つけた。茶色の瞳と確かにパチリと目があったというのに、彼女はスッと顔を逸らしてしまう。
「ディアナ、あなたあのクラスにいないのはどうして? 学力足りないの? それに……フフッ、そのメガネと三つ編みは何なのよ、笑える! ねえ、みんなもそう思うでしょう」
「え⁉︎ えっと……」
「我が校ではクラスの選択や髪型は自由ですから……」
わたくしのことを嘲笑するソフィアが取り巻きたちに同意を求めると、彼女たちは目を泳がせながら小さな声でそんなことを言っている。
そんな彼女たちに焦れるように、ソフィアは小さく舌打ちをした。
「わたくしは違うクラスにいますので、ご心配いただかなくても結構です。それに、メガネも三つ編みも気に入っていますから。これからも、スワロー男爵令嬢に気にしていただく必要はありませんわ」
わたくしとあなたは無関係。そう伝えるように、わたくしはソフィアを真っ直ぐに見つめる。
ぐ、と彼女の眉の間に力が入り、怒りの表情を隠せていない。
「だったら! 今度こそ邪魔しないでよね! あんたのせいで、散々だったんだから!」
「マーヤさん、その言葉遣いはおやめになった方がよろしいような……」
「あのお方も、実は貴族の方らしいですし」
エレオノーラの忠告が聞いているのか、令嬢たちがソフィアに恐る恐る忠告をしている。
それを聞いて、ますますムッとした顔をしてしまっているソフィアは、あの頃としたら全然取り繕えていないように思う。
周りの方たちは、好きでソフィアに付き従っているわけではないのかしら……?
困惑している皆を見ていると、そんな違和感が私の中に浮かび上がる。なにより、ユリアーネさんの表情が暗く固いままで、彼女はずっと無言を貫き通しているのだ。
「以前から、邪魔をした覚えはありません。わたくしもこの学院を満喫したいと思っていますので、ソフィ……マーヤさんとお会いすることはほとんどないでしょう。ではわたくし、帰りの時間がありますので失礼します」
「待っ……まあいいわ」
にっこりと微笑んで、わたくしは帰路につくことにした。今度はソフィアに呼び止められることもなく、何事もなく門まで到着する。
──ソフィアは、何を言いたかったのかしら。
今度こそ邪魔するな、とは。散々だったのは、自分の行いのせいなのではないか、とか言いたいことはあるけれど、それをあの場でいうことも憚られた。
馬車に乗り込み、家へと進む。
「お帰りなさい、オーナー。……あら、どうされたんですか、ふふ」
帰り着いて、出迎えてくれたセドナに思わず抱きつく。華やかな香りに包まれて、とても安心できた。
「セドナって、いつもいい香り。お姉ちゃんになるの嬉しいな」
「っ! そうやって、大人を揶揄ってはいけませんよ」
「ふふ。本当の気持ちだもの!」
荒んだ心が洗われていくような気持ちになりながら、わたくしはセドナにぎゅうぎゅうとくっつく。お兄様が見たら怒られそうだ。
◇◇◇
ディアナが帰路についた頃、廊下では困惑した令嬢たちが俯いているマーヤに声をかけていた。
「……マーヤさん、そろそろ私たちも帰りましょう?」
「ふふふ」
近寄った令嬢は、マーヤの不気味な笑い声に差し伸べた手を一度引っ込める。肩を揺らしているからまた泣いているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「あの感じ……エレオノーラもディアナも関係ないんじゃない……? だったら、今度こそわたしの勝ちだ……ふふふふっ」
ブツブツと呟いているマーヤに恐怖すら感じる。エレオノーラの名が聞こえた気がするが、先ほど叱責されたことを考えるとそのことなのかとも邪推する。
「マーヤさん……?」
もう一人の令嬢がそっと声をかけると、マーヤは呟くのをやめて顔を上げた。
「ごめんなさい、皆さんまでわたしのせいで怒られてしまって……明日からきちんとがんばりますから、よろしくおねがいします」
ウルウルとした瞳に、元々の愛らしい顔立ち。それからいつものように明るい声色だ。令嬢はどこかほっとした表情を浮かべる。
「エレオノーラ様も、少し厳しすぎる気もいたしますね。マーヤさんはこれから淑女になれますわ」
「ええ、そうです」
「そうですかあ〜? 嬉しいですっ」
「……」
元気を取り戻した一行が、そんな会話に花を咲かせるその後ろで、ユリアーネだけはずっと無言でいたのだった。




