42 あの人に遭遇しました②
ユリアーネさんが去った後、なんとなくわたくしたちも時計台を離れることにした。
随分と晴れやかな気持ちになっているのはどうしてだろう。
「ディアナは午後はどうするんだ?」
バートに尋ねられ、わたくしは制服の裾を払っていた手を止めて、そちらを見た。
「わたくしは、ロミルダさんと一緒に校内を回ろうと思っているのだけれど……あの調子だと、もしかしたら午後もお店に立つかもしれないわ」
わたくしは、張り切って売り子をしていたロミルダさんのことを思い出す。
ガラス工房との共同事業だもの。わたくしだって上手くいって欲しいと思っている。
「ガラスペンの売り込みをしているのだったな。最近はエクハルト商会も業績が戻ってきているらしいから、追い風になればいいな」
「ええ。……あ、そうだわ。わたくし、あなたに聞きたいことがあったの」
バートの言葉に、わたくしはあることを思い出した。
だがここでは、誰が聞いているか分からない。きょろきょろと辺りを見渡して人気のないことを確認した後、ぐっとバートの腕を引いて、彼の耳元へと極限まで近づく。
「っ、な、ディアナ……!」
「ちょっと耳を貸してほしいの。そういえば、例の……キュプカー商会はどうなったのかと思って」
それだけ言うと、わたくしはパッとバートから離れる。極力声を顰めたし、バートにだけ聞こえるように近づいたから問題ないだろう。
聞きたいことが言えて大満足のわたくしだけど、バートの様子がおかしい。
右耳を押さえて座り込んでしまった。
「は~~~~~~~~~~」
「な、なに、どうしたの」
とても大きいため息だ。それから、どこか恨みがましいような顔をしてわたくしを見上げている。どうしたのかしら、本当に。
不思議に思って見ていると、バートにちょいちょいと手招きをされる。座ったままということは、わたくしもその隣に座るということで良いのだろう。さっと移動する。
「ここは人払いをしているが、一応。以前、殿下と話をしただろう。例の娼館がらみのことで」
「ええ。覚えているわ」
バートも小さな声で話しだし、わたくしはこくりと頷いた。
確か、わたくしが百花楼を購入したすぐ後にフリードリヒ殿下に呼び出されたのだったか。人身売買などについて話をしていたように思う。
「あの件については、概ね解決をした。殿下とアレクが尽力し、キュプカー家は現在取り調べ中だ」
「え!?」
「資金繰りも悪化しているから、キュプカー商会はもう長くは持たないだろう」
「えええ」
わたくしが知らないうちに、事態が大きく動いていた。確かにあの時、第三国との境界で違法な越境と人身売買が多発していることは掴んでいるようだったけれど。
でもまあ、納得もする。
フリードリヒ殿下は元々知略に長けた人という印象があるし、そこにアレクの全力対応が加われば百人力でしょうね。
働きすぎて目が死んでいたユエール時代と比べたら、きっとのびのびと真価を発揮できている。
「さて」
わたくしがウンウンと頷いていると、隣のバートがすっくと立ち上がる。その影がわたくしにかかり、ふと見上げるとこちらに手を差し伸べていた。
「行こうか、ディアナ。残念だがそろそろ時間だ」
「ええ。でも、後で今の話も詳しく教えてちょうだいね? 聞きたいことばかりだわ」
迷いなくその手を取りながら立ち上がる。
わたくしの言葉に、バートは「御意」とやけに従者のように改まった仕草で微笑んだ。
*****
バザーに戻ると、また賑やかになってきた。
先ほどよりもますます人が増えて、盛況であることが窺える。
「大盛り上がりね。毎年こうなのかしら……あちらではこういったイベントも楽しむ余裕がなかったから、とても楽しいわ」
「この学院、秋には音楽祭というものもあるらしい」
「それは楽しみね!」
音楽祭もあるだなんて、また気楽に楽しめそうでいいわ……!
きっと演奏会に参加するのはまた貴族クラスなのだろうから。
バートと他愛もない会話をしながら、元々いたガラスペン売りのテントを目指す。
もう少しで着いてしまうと思うと、わたくしは少しだけ寂しい気持ちになる。
「ね~お義父さま~これ、とっても可愛いわ」
ふと、喧騒の中から猫撫で声が聞こえてきた。
ざわざわといろんな人の声がするのに、わたくしの耳はその声だけをしっかりと拾ってしまう。
聞いたことのある声だ。
「マーヤ、今日はこのくらいにしておこう? 後でまたドレスを買ってあげるから」
「ええ〜でもぉ」
聞こえてくる羽振りの良さそうな話に足を止めてしまったわたくしを、バートが不思議そうに見下ろしている。
――あの声は。
忘れるはずもない。あの学園にいる間、ずっと近くで聞いていたもの。
ばくばくとする心臓の音を抑えるように、胸に手をあてる。
他人のものだと思って安心したい。
そう思ったわたくしは、浅く呼吸を繰り返した後、声のする方を振り向くことにした。
「……っ!」
後ろの出店テントの前にいる男女。どちらも見覚えがある。
装飾のごちゃついた趣味の悪いジャケットを着ている壮年の男性は、ユエールの娼館を出禁にした男――つまり、スワロー男爵だった。
そしてその隣にいる、茶色の髪の令嬢。
わたくしが知っている者とは髪色こそ違うが、声や顔の造りまでは変えることが出来ない。
「……ディア、どうかしたか?」
わたくしの呼び名をディアに変えたバートが、心配そうに見下ろしている。
それが視界の端でわかるけれど、わたくしの視線はあの令嬢に釘付けになったままだ。
隣にいるスワロー男爵と笑顔で話し、時折むくれた顔をしながら何かをねだっている。
――嘘……あれって、ソフィアよね……!?
「ねえ、お義父さま〜……あっ」
スワロー男爵を父と呼ぶその人が、わたくしがいる方を見て、何かに気が付いた顔をした。
にこにことした愛らしい笑顔が、突然真顔に変わる。
「? ……あれは、まさか」
隣に立つバートもわたくしの視線の先に気が付いたらしく、訝しげな顔をしながらそう零した。
わたくしは咄嗟に肯定するように彼の制服の袖を掴む。
……どうして、ここに?
黒楼亭にいたはずのソフィアが、こうしてここにいる。学院の制服を着て、義父と呼ぶスワロー男爵と共に。
「やあやあ、これはアドルフ侯爵のご子息ではありませんか〜。ご機嫌いかがですかな」
バートの存在に気がついたのは、スワロー男爵も同じだったらしい。にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべつつ、揉み手をしながら近付いてくる。
バートはスッとわたくしの前に立ち、姿を隠してしまった。
「こんにちは。スワロー男爵」
「ははは、今挨拶回りをしておりましてねぇ〜。実は養女を取りましたので、来週から学院に通わせようかと思っておりまして! ほら、マーヤ。アドルフ様にご挨拶なさい」
「わたし、スワロー男爵家のマーヤと言いますぅ。ランベルト様、よろしくお願いしますっ」
愛らしい笑顔を浮かべて、マーヤと自己紹介をする少女。バートの背中に覆われているわたくしは、どこか目眩がしてきた。
バートが名乗ってもいないのに、名前を知っている。その上、どこか親しげでまるで以前のままだもの。
「……へえ、そうなんですね。ご令嬢、学院は自由な校風ではありますが、王子殿下も在籍していますので、最低限の礼節は保っていただきますようお願いします。男爵も」
「わ、わかっていますよ。ほらマーヤ、帰るぞ」
バートのどこか冷たい物言いに圧倒されるようにして、スワロー男爵は慌てて引き上げようとする。
「ええ〜もうですかあ」
マーヤと名乗る謎の令嬢も、不満そうではあるがそれに従って去るのだろうと思って、ひとまず安堵しようとした時だった。
「じゃあ、ランベルト様の後ろにいらっしゃるご令嬢にもきちんとご挨拶差し上げたいですう! 同じ学院の生徒になるわけですし」
「こ、これ、マーヤ」
「でもお義父さま、わたしお友達も欲しいですもんっ」
「!」
ニコニコと愛嬌のある笑顔を浮かべながら、マーヤの視線は鋭くわたくしの方を向いている。
──やはり、気付いていたらしい。
わたくしは観念してバートの後ろから一歩前に踏み出した。
「ディア・ヴォルターと申します」
それだけ言って、わたくしは頭を軽く下げる。
彼女も偽名だけれど、こちらだってそうである。
「ヴォルター……あまり聞かん名だ」と男爵が訝しげにしている呟きも聞こえたが、無視することにする。
顔を上げると、マーヤと名乗るソフィア──ややこしいのでもうマーヤにするけれど──がにっこりとした笑顔を向けてきた。
「ディアさんって言うんですね! どこかで聞いた名前〜」
「奇遇ですね、わたくしも貴女のことはどこかで見たことがある気がします」
「失礼ですけど、すっごい嫌いな女にそっくりで! あはは!」
「まあ、それも奇遇ですわね、わたくしもです」
「っ!」
マーヤの可憐な顔が、みるみるうちに怒りに満ちてゆく。言われたので言い返してみたのだけれど、あちらではそういった行動を取らなかったために想定外だったのだろう。
メガネをかけて、三つ編み姿にしていても、彼女はわたくしのことは認識している。
本当に。ユエールの時も、断罪などに怯えずにいたら良かった。
言いたいことを飲み込まずに、こうして言い返せたなら。
「……ほんっとうに、ムカつく女……!!」
「こ、これ、マーヤ。ははは、どうやら人違いをしているようですなあ。では、失礼!」
沸々と怒りの表情を見せるマーヤを、これはまずいと思ったのか男爵が強引に手を引いて立ち去ってゆく。
その間も、マーヤはぶつぶつと何かを呟いていた。
""あの人""が現れた!
▶たたかう




