36 ヒロインを守りましょう②
何も無ければそれでいい。
そう思って向かったはずだったのだけれど――
「明後日までに耳を揃えて返せなかったら、この工房は差し押さえだからな!」
「そんな……! 約束が違うではありませんか、既にお借りした金額は返済しました」
「何を言ってんだ。アンタもサインしただろう。利息がついてるんだよ、今まで払った分はその十分の一にも満たねえな」
「……っ、騙したな……!」
ローザさんの自宅も兼ねている下町の工房からは、男たちの怒号が聞こえてくる。
どう見てもならず者たちが数人で押しかけ、借金の返済を迫っているようだ。
ガシャン、とひときわ大きな音がした後、男たちはふんぞり返ったままわたくしたちと反対の方向へと消えていった。
……ええっと。これってもしかしなくとも事案なのではないかしら。
チラリとバートの方を見ると、彼的にも想像以上だったらしく、険しい顔をしていた。
「……運がいいのか悪いのか……」
「ご、ごめんね、バート」
どう考えてもわたくしは巻き込まれ体質のようだ。行く先々で事件を目にするだなんて、どこの世界の天才小学生だろうか。
バートは護衛騎士のひとりに何か指示をしたかと思えば、わたくしの前に立った。
「間もなく町の警ら隊がやってくる。ひとまずあいつらの根城をうちの者に探らせることにする」
「分かったわ」
こくりと頷くと、バートは安心したように息を吐いた。
「……君に付いて来てよかった」
「わ、わたくしもこんなことになるとは思っていなかったのよ、本当に」
わたくしは慌てて身振り手振りで否定する。
言ってしまえばユエールの頃からそうなのだけれど、本当にどうしてこうなってしまうのか分からないのよ……!
悪役令嬢転生特典なのかしら? 本気でいらない機能ですわ。
少しだけいじけた気持ちになったわたくしの肩に、バートが優しく触れる。
顔を上げると、とってもいい笑顔だった。
「これで、これからも君と行動を共にする口実ができた。一人にするとなにが起きるか分からないから仕方ないな、ディアナ」
それはまるで『観念しろ』と言っているかのようだった。何も反論できない。
この国に来てからも、ユリアーネさんが言うところの""乙女ゲームイベント""に巻きこまれているし。
「……よろしくお願いします」と頭を下げると、一瞬驚いた顔になったバートがまた破顔したのだった。
それから、警ら隊が到着する前にわたくしたちは工房を覗き込んだ。
あの破落戸たちが大層暴れたらしく、中はひどく散らかっている。
ガラス工房の工芸品のうちいくつかは、地面に落ちて割れてしまっていた。
それを黙々と片付けているのが工房主であるローザさんの父親と先日会った兄のサシャだ。
「……ディアさん……?」
奥の方からおずおずとした声がする。
ローザさんが憔悴しきった様子でわたくしの方を見ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――そう、では、あの者たちから金を借りたという事実はあるのですね」
「はい、面目ない……」
工房の奥の居住空間に招かれたわたくしたちは、ローザさんの父から話を聞いているところだ。
ローザさんと同じ水色の髪に、少し白髪が混じっている。苦労のあとが表情の随所に現れるのも無理はない。
最初借りた額の十倍以上の額面について返済を求められており、来る度にこうして店を荒らされてはたまったものではないだろう。
いわゆる闇金だ。
父親の隣で、サシャさんとローザさんもすっかり焦燥してしまっている。
……ここで、わたくしがそのお金を払うことは可能だけれど、それでは何の解決にもならないわよね。
ちらりと隣のバートを見上げると、わたくしの考えることなどお見通しのようで、首を横に振った。そうよね。
「……投資」
「え?」
「そうだわ、わたくしこの工房に投資いたします。金額はそうね……このくらい」
「えええっ」
目の前にあった筆記用具でさらさらと金額を書き上げると、工房主は目を白黒とさせている。
「は、なんだこの金額……またオレたちをカモろうって訳じゃないよな!?」
サシャさんの疑いの眼差しは尤もだ。こんな目に遭ったあとに都合よく現れて、金を貸そうという話をするのだもの。怪しいが過ぎる。
「わたくし、作っていただきたいものがありますの。先日こちらで工芸品を見た時から気になっていて」
「作ってほしいもの……?」
この工房に陳列されていたのは、それこそ日用品の食器類だ。かなり手が混んでいる彫刻品もあったが、この立地ではなかなか買い手はつかないに違いない。
技術力は確かにある。あとはマーケティングにおけるターゲットの層を改める必要がある。
「これまでの商品ラインとは別に、貴族に向けた品を作って、貴族に売る。そうした商売には興味はありませんか?」
「それは……そうだが……」
「では早速! 具体的なお話をいたしましょう。それで可能だと思いましたら、わたくしの投資の話に乗ってくださいね」
「あ、ああ」
困惑するローザさんの父親とサシャさんを前に、わたくしは現代で見たガラス工芸品――まずは特にお気に入りだったガラスペンについてのプレゼンを始めることにした。
その間、ローザさんとバートはどこか呆気に取られたような顔をしていた。
どうせよく分からないイベントに巻き込まれる運命なのであれば、前向きに掻き回す他ない。
「――ああ。なるほど。ディアの考えは分かった。商品が完成すれば確かに売れそうだ」
勢いよく話し終えたわたくしの言葉を、バートがそう咀嚼する。
「これはやってみる価値はあると思いますよ。販路はあとで拡大したらいいとして、まずは流行りものが好きな貴族子息たちを中心に流行りを生み出せば――」
「ふむ……技術的にも、少し修行させてもらえば可能な範囲です」
「俺もやりたい!」
いつの間にか議論は白熱し、職人たちはもう実際の作成方法についてあれやこれやと構想を練り始めている。
――理解されるって、嬉しいことなのね。
議論に交じるバートの真剣な横顔を見ながら、わたくしは、なんともいえない気持ちになったのだった。
経営学っぽい単語を使いたかった、と作者は供述しており……




