35 ヒロインを守りましょう①
拍子抜けするほど何事もないまま、ひと月が過ぎようとしていた。
百花楼には騎士たちが巡回してくれているため、ひとまずは安心だ。今のところ、黒楼亭にいるであろうソフィアに目立った動きもない。
「……平和ね」
わたくしは空を見上げて、思わずそう呟いていた。嵐の前の静けさというかなんというか。とにかく平穏なのだ。逆に怖い。
学院での午前の授業を終え、今はロミルダさんたちと昼食を取っている。
鮮やかな緑が風に揺れ、さわさわと心地の良い音をたてる。こうして外で食べるのもいいものだわ。
「ふふっ、どうしたのディアさんったら。まあでも確かに、あの人たちがいなくなって平和にはなってるけど」
ロミルダさんはころころと笑う。
その隣で、柔らかに微笑むローザさんの顔に陰があるように思えた。
「ローザさん、どうかしました?」
「……えっ!」
わたくしが尋ねると、かなり驚いた顔をする。ローザさんという人は基本的に穏やかで朗らかだ。
さすがはヒロイン、というところなのだけど今日はどこか様子がおかしい。
「え、あの……あっ、来月はサマーパーティですよね。私、初めてなのでどのように参加したらいいかわからなくて」
「ああ〜。特別クラスはダンスがあるんだもんね」
「うん、そうなの」
ローザさんは貴族の中に混ざって参加しなければならないことが億劫だという。
でもなんだか、その事じゃないような気がするのだけれど……。
「わたくしたちのクラスはどうするの?」
それ以上踏み込めない空気を感じて、わたくしはロミルダさんに話を振った。
特別クラスがダンスパーティーに参加ということは、経営学クラスにも何か役割があるのだろうか。
そう思って尋ねると、彼女は胸を張る。
「私たち経営クラスは学年ごとに出店してバザーをやるの。経営の学習にもなるからって。去年は花屋さんの真似事をしたわ」
「そうなのね。どういったお客さんが来るのかしら」
「基本的には保護者ね。もちろん貴族クラスの親たちもくるし、外部からの入場も可能だから割と賑わうのよ」
「保護者の方と、外部の人」
……なるほど。高校の文化祭のようなものかしら。
わたくしは頭の中の思い出に置き換えて、そんな事を思った。
◇◇◇◇
「――グラーツ嬢の様子がおかしい?」
「そうなの。バートなら何か知っているかと思って」
放課後になり、タウンハウスに帰ろうとした所でバートと遭遇したわたくしは、馬車に揺られながら彼に話を聞いてみることにした。
あのあとバザーの話で盛り上がったけれど、それでもローザさんはどこか心ここにあらずといった状態だったように思う。
「特に変わりはなかったと思うが」
きょとんとした顔でわたくしを見下ろす彼は、本当に心当たりがないようだ。
「……というか、グラーツ嬢の様子を注視している訳ではないから、正確にはよく分からないというのが正しいな」
「そうなのね」
「ああ。気になるようであれば、明日から手を打とう」
ローザさんはサマーパーティのことが気がかりだと言っていた。でも、そんなことではないような気がする。
「――バッドエンド」
「ん?」
「ううん、なんでもないわ!」
不意に、先日ユリアーネさんから聞いたヒロインの末路が頭に浮かんでしまった。
不思議そうにこちらを見るバートに手を振って、誤魔化してみる。
「……」
それにしても、気がかりだ。
虫の知らせとでも言うのだろうか、嫌な胸騒ぎがする。
「そんなに気になるなら、確認したらどうだ?」
「え?」
バートの言葉に、わたくしは床面と睨めっこしていた顔を上げる。
すると、彼は悪戯っぽく笑っていた。
「君の話しぶりからすると、グラーツ嬢も重要な人物なのだろう。この前の質問のこともある」
そうだ、わたくしはこの前バートにローザさんとの関係について聞いたのだ。
そんなことも覚えてくれているなんて。
「ではバート、目的地を変えてもいいかしら」
「どこへでも」
「では、下町の硝子工房へ。なんだかローザさんと今日お話した方がいい気がするの」
大きく頷いたバートは、背面の御者席と繋がっている窓をコンコンと叩いた。それから緩やかに馬車が止まり、バートは目的地の変更を告げる。
ゲーム上でヒロインのバッドエンドを解消するために必要なのは、攻略対象者との恋愛だ。
王子やら貴族子息やらとの繋がりが、平民の彼女を守ってくれるに違いない。
だが、現状を聞いた限りではそのような様子は見られない。
――大丈夫。きっと何事もないわよね。
工房を訪ねたら、この前のようにサシャさんが出てきて、ローザさんもそこにいるはず。
その普段の姿を確認できればそれでいい。
妙な胸騒ぎを抱えながら、わたくしは馬車に揺られたのだった。
すいません、ローザの家名がしばらく「エクハルト」になっていましたが、それはロミルダの名前でした!
修正しています。
ローザ・グラーツ(続編ヒロイン 水色髪)
ロミルダ・エクハルト(経営学クラスの友人 緑髪)
ユリアーネ・エイミス伯爵令嬢(続編の記憶がある転生者)




