25 本当にそうでした
――どうしてこんなことになっているのかしら。
心の中でそう問うてみても、当然そこに答えはない。いつもならば授業が終わって帰るだけなのだが、今日は少し様子が違っていた。
「急にお呼び立てして、申し訳ありません」
「いえ……あの、ご用件とはなんですか?」
わたくしは、目の前にいるご令嬢――ユリアーネ・エイミス伯爵令嬢に、そう質問した。
朝、わたくしを呼び止めたのはこのご令嬢だった。午後に話をする時間が欲しいとの事。
色々なことがあったために警戒して返事に迷っていると、彼女はさらに続けた。いつも一緒の護衛の方も同席して欲しい、と。
わたくしはちらりと部屋の入り口の方を見る。
そこには腕組みをしたクイーヴが、どこか所在なさげな顔をして立っている。
「……あの、今からお話することは、本当に頭がおかしいと思われても仕方がない事なんですけど……」
そう前置きをして、彼女の灰青の瞳にはぐっと光がこもった。真剣な眼差しでわたくしを見ている。
「ディア様って、ユエール王国のディアナ・アメティス侯爵令嬢ですよね? ……悪役令嬢の」
「!」
悪役令嬢。その響きは、通常使わないものだ。
誰がご令嬢に対して「悪役」だなんて修飾語を付けた単語を使うのか。
それは――
「……ここは、乙女ゲームの世界です。なんて、急に言われても困りますよね。決して、ディアナ様を貶める意図があって言っている訳ではないのです」
恐る恐るといった顔で、ユリアーネ嬢はわたくしを見上げた。
その瞳には、あのモルガナ嬢のような濁った色はなく、ただ純粋に真っ直ぐだ。
「あの……乙女ゲーム、というのは?」
どくどくと心臓が早鐘を打つ。
わたくしは慎重に、相手の出方を窺った。
なぜこの場にクイーヴが同席しているのかも気になるが、ユリアーネ嬢の発言内容も気になりすぎる。
まさか、転生者なのかしら……?
「お嬢。ユリアーネは、前世の記憶とかいうものがあるらしい。幼い頃、俺もそういう空想話をよく聞かされていた」
わたくしたちの会話に割って入ってきたのは、他でもないクイーヴだ。
飄々とした顔で、そんなことをさらりと告げる。
「え、クイーヴあなた、ユリアーネって」
「ちょっと! 勝手に話さないでよお兄ちゃん!!!」
わたくしがそう言うのと、ユリアーネ嬢が立ち上がるのはほとんど同時だった。
前世の記憶。貴族令嬢を呼び捨て。気になることがあり過ぎて、クイーヴにもの申したかったのだけれど。
「お、お兄ちゃん……?」
そんなことより、もっと重大な発言が飛び出したように思う。
わたくしは、思わずふたりを見比べる。
茶色の髪に、灰色がかった青い瞳。顔立ちがそっくりとまではいかないが、持っている色味は同じだ。
「えっ、クイーヴあなた、妹がいたの……?」
「あー、はい」
「エイミス伯爵家の……生まれなの?」
「まあ家名はもう捨ててるし、戻るつもりはないので関係ないんですけどね。一応ユリアーネは俺の妹です」
いつもどおりにカラッと笑うクイーヴに、わたくしは言葉を失った。
クイーヴはセドナが繋いだ縁だ。実は情報屋が運営するあの娼館で、外部からの情報を仕入れていた男。(全部後から知りました)
この国の文化にやけに詳しいなとは思っていたが、まさか元貴族令息だったとは思いもしなかった。セドナと親しいのも、何か関係があるのだろうか。
「取り乱して申し訳ありません。そうなんです。幼い頃に家を飛び出してずっと音信不通だった兄が、ディアナ様と一緒にいたのでとても驚きました。あの熱に浮かされた日に、会いに来てくれたんです」
「熱の……」
「はい。アレクシス様とディアナ様がご一緒だった時です」
ユリアーネ嬢が話すあの日のことを思い返す。
確かに、あの時医務室で熱にうなされていたご令嬢がいた。
わたくしはアレクと一緒にいて、そして彼女は、わたくしを「ディアナ」と呼び、アレクを「アレクシス」と呼んだ。
ユエール王国での出来事も身分も何もかも伏せられていたはずのわたくしたちを、ひと目見て自然とそう言ったのだ。
なるほど。
彼女もまた、知っているのだわ。
腑に落ちたわたくしが真っ直ぐに見つめると、彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返して、照れたように頬を赤らめた。
「うっ……やっぱり本物は隠しきれない輝きがありますね……! まさか続編の舞台にディアナ様が現れるなんて思ってもみませんでした」
頬に手をあてながら、ユリアーネ嬢は恥じらうような仕草を見せる。やはり彼女は転生者で間違いがないようだ。
「続編? 続編があるの、あのゲーム」
「そうなんです〜! ユエール王国編の後は、陰謀渦巻くエンブルク編なんです。バッドエンドありで……って、やっぱり、ディアナ様、ご存知なんですね! わーーー! 嬉しすぎますーーー!!!」
がたりと立ち上がったユリアーネ嬢は、心から嬉しそうに笑っている。
……わたくし、続編も知らないのだけれど。
心の中で、思わずぼやいてしまう。
バート加入の大型アップデートの後は、続編もしっかり作られていたらしい。
「あ、あの、エイミス伯爵令嬢」
「や! あの、ユリアーネと呼び捨てにしてください恐れ多すぎますので! 私はただのモブですし、色々眺めていたいだけだったのです」
「じゃあ……ユリアーネ嬢。ひとつ聞いてもいいかしら」
「なんなりと! ここにまとめたものもありますよ!!」
どこから取り出したのか、ユリアーネ嬢はばさりと紙の塊をわたくしの前に差し出した。
文字や記号がびっしりと書かれたそれを、思わず手に取る。
「続編の……ヒロインって……」
誰なの、と問おうとしたわたくしは、その紙に書かれた文字を見て言葉を止めた。
大きく丸がついたそこに記された名前。それは。
「ローザさんです。ディアナ様もご存知ですよね」
ユリアーネ嬢は律儀にそう返してくれる。
彼女を取り巻く環境が乙女ゲームのヒロインみたい、と思っていたのは今朝のこと。
本当に、そうだとは思わなかった。




