14 知らない令嬢が来ました
眼鏡までは少し距離があるため、今さらばたばたと慌てて眼鏡を装着するのは逆に変だろうと思い、その場で様子を窺う。
(彼女……わたくしの名を呼んだわね)
ディアナ。
確かにそう言った。この国に来てから誰にも明かしていないわたくしの本当の名前。
それに、アレクのことも『アレクシス』とそう呼んだ。
わたくしたちの事を知っているということは、ユエール王国から何か情報が漏れているということなのだろうか。
わたくしの名と、自分の元の名を呼ばれたことにアレクも警戒したのか、彼はわたくしを庇うように一歩前に出た。
得体の知れない不安から逃れるように、前に立つアレクの制服の裾を無意識に掴んでしまう。
「あなたは……エイミス伯爵令嬢ですね。午前中は教室にいなかったようですが」
「ふお……、私の名前……? どうしてアレクシス様が私の名前を知ってるんだろ? 夢でも見てるのかな」
「……顔が赤いですが、熱があるのですか」
「あーはい、ちょっと熱っぽくて、午前中は部屋で寝ていたんですけど、医務室で薬をもらおうと思ったんです」
「学院の者に頼めば良かったのでは?」
「みんな忙しそうだったので、まあいっかーと思いまして」
ふわふわと微笑みながら、令嬢は医務室の中に入ってくる。
エイミス伯爵令嬢。初めて聞いた名前だわ。
アレクの言葉から察するに、同じ特進クラスのご学友ということなのだろうか。
ゆるく結い上げられた茶色の髪に、少し灰色がかった青い瞳。どこかで見たような組み合わせのような気がするのは気のせいかしら。
確かに足取りはふらふらとしていて、目の焦点もどこか合っておらず虚ろだ。寮からここまでひとりで来たのだとすると、大変そうだ。
そんな事を思いながら目で令嬢を追う。すると、その令嬢は医務室の中の手近なベッドに腰掛けると、そのままパタリと横になってしまった。
しっかりと瞳を閉じて、すーすーと寝息までたて始めた。
「……寝て、しまったわね」
「はい。どうして僕たちの名前を知っているのか、聞き出したかったのですが」
ふ、と手元に視線を落とす。
そこにはぎゅうっと握られたアレクの制服の裾がある。
「あ……! ごめんなさい、アレク。皺になってしまったわ。わたくしの――」
言葉の途中で、わたくしの手を覆うようにアレクの掌が被さる。綺麗な手だとは思っていたけれど、近くで見てみると、やはりそれは女性のものとは違って骨張っている。
「……僕は、頼ってもらえて嬉しかったです」
見上げると、微笑を浮かべる彼がそこにいた。
「この方は、ユリアーネ=エイミス伯爵令嬢で、特進クラスのクラスメイトです。例の令嬢たちのように攻撃的な派閥ではなく、クラスでも控えめなグループに属していますので特に問題はないかと。ただ、どうしてこの国の伯爵令嬢が僕たちの名を知っているのか……」
自国の貴族について学ぶ機会があったとしても、他国であるユエール王国の貴族、それも当主でなく子供であるわたくしたちの顔と名前が一致しているなんて稀有なことだ。
そしてわたくしは、この方のことを知らない。
幸せそうに眠る令嬢のそばに近づく。
それでも彼女は起きることなく、瞳も閉じたままだ。
「まあ、すごい熱だわ……! 先生はどちらに行かれたのかしら? 早く診てもらった方がいいわ」
眠る彼女の額に触れてみると、かなり熱かった。
「僕が来たときに、ちょうど所用で出て行きました。すぐに戻るかと思います」
「そう……」
彼女の制服を整えて、上から布団をかける。
すやすやと寝息を立てる姿は幼くも見え、悪い子のようには思えない。
(どうしてかしら、この見慣れた気分は……)
「ディア様」
改めてアレクに名を呼ばれて、わたくしは思考を戻して振り返る。
優しげに微笑みながら、それでもどこか決意の色を浮かべている。
「――体調が戻るようでしたら、明日。お話したいことがあります」
「明日? 別に今日でもいいのよ」
「しかし――」
「ただの寝不足なだけなの。朝から随分ぐっすり眠ってしまったからもうすっかり楽になったわ。それに、もう今日の講義はほとんど終わってしまっているもの」
もしかしたら、先日バートに聞いた話と関係しているのかもしれない。
何より、どこか思い詰めたような表情をされると、直ぐにでも話を聞いた方がいい気がする。
うっかり病名がただの寝不足であることを自ら明かしてしまったけれど、もうこうなったら仕方がない。
彼の群青色の瞳をじっと見つめる。
しばらくどうしたものか思案げにしていたアレクは、観念したように「分かりました」と頷いてくれた。
そうしている内に、ぱたぱたと駆けるような足音が複数この部屋に近づいてくる。
急いで眼鏡を取り、前髪をもっさりと整えたところでまた新たな人物の入室があった。
「はあ、は……あれ? お嬢、意外と元気そうじゃないですか。倒れたって聞いたんでみんな心配してますよ」
息を切らしながらそう言うのはわたくしの護衛であるクイーヴで、その後ろには校医の姿が見える。
……どうやら、ぐっすり眠りこけていたわたくしは家の者を呼ばれるという事態を引き起こしていたらしい。
お読みいただきありがとうございます。
このとあるモブ令嬢につきまして、以前『マルガレーテ』という名前だったのですが、『ユリアーネ』に変更しました。
理由は、別のお話に同名の女の子を出してしまったからです……_φ(・_・ 気付いた人がいませんように!笑
今後ともよろしくお願いします!




