◇紺色眼鏡の青年は落ち込みました
紺色眼鏡サイド
「いない?ここには彼女がもういないと言うのですか?」
王都から馬車で半日ほどかかる商業都市。
夜も明るさを失わない歓楽街は、王都のものと比べてもひけをとらず、花街エリアに至っては規制が厳しい王都のものよりも格段に煌びやかで、王国随一でもある。
そしてその中でもさらに一際存在感のある建物のエントランスで、僕は戸惑いの声を上げた。
この高級娼館には30分ほど前に到着していたが、なかなか建物の中に入ることが出来ず、無駄に周辺をうろうろと彷徨い歩いてしまった。
ようやく中に入り、客として招き入れられた際に探しにきた少女のことを尋ねたところ、先程の返答を得たのだ。
「はい。ディアナ様、でしたか?確かに1週間ほど前にこちらにいらっしゃいまして、店主である私が対応致しましたが……」
僕の目の前にいるのは、品のいいドレスに身を包み、ハニーブラウンの豊かな髪を揺らす20代ほどの美女。
眉を下げ、申し訳なさそうにこちらを見て説明を続けている。しかしその内容は、僕にとって信じがたいものだった。
「だったらどうして彼女はここにいないのですか?」
「……本来であれば、娼婦の個人情報をいち客人にお伝えする訳にはいかないのですが……ディアナ様もラズライト様も何か事情がおありのようなので正直に申し上げますね。昨日、ちょうど異国の貴人がわが娼館にいらっしゃいまして、ディアナ様を見初めて、身請けされたのです」
「身請けですか……!」
「ええ。ですから、そこからの足取りは、私どもにも分からないのです」
(彼女を、見初めて……その後のことは分からないだって……?)
バクバクと心臓が痛いくらいに跳ねる。
何故だ?どうしてこんなことに―――
僕が王都からはるばるこの街の高級娼館にきたのは、先日の学園の卒業パーティで殿下に断罪され婚約破棄された彼の元婚約者を探してのことだ。
殿下が溺愛する男爵令嬢を虐めたとかなんとか理由をつけられて、彼女――ディアナは婚約破棄の上、庶民として娼館送りとなった。
―――――
僕が彼女に初めて出会ったのは、自らが側近を務める殿下の10歳の誕生日パーティでのことであった。
パーティ、という名目ではあったが、内実は殿下の側近と婚約者候補の顔合わせのようなもの。
もともと殿下と幼馴染として育ってきた僕にとっては、今更のような催しであったが、いつもどおり殿下の側に控えて会場の様子を伺っていた。
パーティが始まり、殿下が開催の挨拶と共に名乗りをあげる。着飾った令嬢たちが殿下を見てきゃあきゃあと黄色い声をあげる中、彼女は菫色の瞳をまん丸にして固まっていた。
ちらり、と自分のことも見られたような気がする。
ディアナ=アメティス。
アメティス侯爵家の長女で、煌めく銀髪と長い睫毛に縁どられたパッチリとした目、透き通るように白い肌。
伯爵家以上の数多くの貴族令嬢が集う中、彼女の美しさは群を抜いていた。
家柄も見目もよい彼女は殿下だけでなく陛下や王妃の目に留まり、殿下の婚約者としてあっという間に正式決定がなされた。
僕も側近として何度か彼女と話したが、侯爵令嬢であることや殿下の婚約者である事を鼻にかけることもなく、こざっぱりとした物言いだったことが印象的だった。
(ただ、彼女にとって僕が印象に残っているかというと、そうでもないだろうが……)
端的に言うと、まったく僕に興味がなさそうだった。
何とか自分と繋がりを持とうとして媚を売る他の令嬢と比較しても、彼女は本当にあっさりとしていて、僕と話していても随分と自然体で過ごすものだから、思わず苦笑したものだ。
分かっている。彼女は主君の婚約者。
それ以上の感情は、持ってはいけない。
僕は殿下の側近として、ゆくゆくは父の背中を追って、宰相となるべく邁進するしか道はない。
そう、思っていたのに。
学園に入ってしばらくしてから、殿下がどこぞの男爵令嬢に入れあげている事は知っていた。何度も諫めたが、ただの友人だと言われればそれまで。
殿下とディアナはこれまで表立って不仲ではなかったが、殿下の様子が明らかに変わっていったため、このことが噂になるまで時間はかからなかった。
ピンクブロンドの少女は殿下と過ごすことが多くなり、必然的に側近である僕や他のメンバーとの絡みも増える。
他の側近たちが何故か全て男爵令嬢を擁護し、ディアナを非難するような物言いをするようになるまでそう時間はかからなかった。
――そして、先日の断罪劇に至るわけだが。
(僕は、間に合わなかったのか?)
目の前が真っ暗になる。
ぎゅ、と握った拳の中で、爪が食い込むのが分かる。
(……僕が、殿下たちを止められなかったから?)
殿下たちがディアナに婚約破棄を告げようとしていることはパーティの当日に聞いた。
尤も、他の側近たちは前もって殿下たちと準備をしていたようだが。
なぜわざわざパーティで?そんな話は王家と侯爵家で話し合って決めればいい。
僕の言葉は彼らに一蹴された。
パーティの場で、公の場で断罪することに意味があるのだと言って憚らない。
大体ディアナが嫉妬に狂っていじめなんかするわけないことも僕は知っている。
彼女は殿下にだって執着していないのだから。
一度だけ、ディアナと学園の裏庭で偶然出会った時、さらに偶然にも木陰できゃっきゃうふふする殿下と男爵令嬢を見かけたが……その時の彼女の表情は"無"だった。
あらあらまあまあとか言いながら、何故か僕の方が憐れんだ表情の彼女に慰めるような言葉をかけられた。「あなたも辛いわね……元気出して。メイン攻略は殿下のようだけど、もしかしたら逆ハーエンドかもしれないから、頑張ったらなんとかなると思うわ!大丈夫よ」とか言っていた気がする。
ぎゃくはーえんど、って何だろう。家に帰って調べたけど良く分からなかった。
「あの……お客さま?顔色が優れないようですが……」
店主の言葉に、深い思考の渦から意識を戻す。
女主人は、心配そうに僕の顔色を伺っている。
僕が殿下を本気で止めなかった理由は、自分が良く分かっている。婚約破棄を望んでいたからだ。
彼女が殿下のもので無くなることを望んでいたからだ。
だけど。
婚約破棄のほかに、貴族籍の剥奪や娼館への追放まで彼女に課すと思っていなかった。驚いて眼鏡がずり落ちてしまった。
他の側近たちは驚いた様子も無かったから始めから知っていたんだろう。
僕だけが知らなかったわけだ。
つまり、僕はディアナの味方をするということが殿下に気付かれていたってことか。俺様のくせに案外抜け目がない。
彼女は本当にあのパーティの後すぐに娼館に連れて行かれたらしく、何とかして彼女を助け出そうと奔走してようやく今日ここまで来られたわけだが……
ディアナはここにはもういない。僕は間に合わなかった。
ただ、それだけだ。
僕はどうにもならない後悔の念に苛まれながら、踵を返して店を後にした。