最終話 追放令嬢は決意しました
季節は変わり、思わず身を縮めてしまうような凍える北風が時折吹くようになった。
「ディアナ様。こちらでいかがでしょう」
自信満々のハンナの声に、ドレッサーの前に座っていたわたくしはゆっくりと顔を上げた。
「わあ……」
銀の髪はいつもよりも艶やかで、それでいて華やかに結い上げられている。そして鎖骨のあたりには、紫水晶が連なったネックレス。
耳には同じ意匠のイヤリングを付ければ、とても煌びやかだ。
「それにしても……とても珍しいデザインのドレスですね。黒糸の刺繍に黒のレースだなんて」
「ええ。でもとってもかわいいわ。娼館の主にはぴったりのミステリアスな雰囲気もあるもの!」
わたくしは自分の胸元に目をやる。
トップのデザインは、オフショルダーの淡いオフホワイトを基調としたしなやかな絹生地に黒い刺繍が施されたものだ。華やかな薔薇の花をかたどった刺繍が胸元から花開くように肩口まで広がる。
それからプリンセスラインのスカート部分は、同色の生地ではあるのだけれど、その上に薄い黒色のレースが重ねられて裾口にむけてまた黒糸の刺繍が施されていていて遠くから見たら色彩の重なりで茶色にも見えることだろう。
「なんというか、まさに! というお色ですね。そろそろお約束のお時間ですね。こちらを」
「ありがとう」
最後に黒いレースの手袋をはめる。ドレスアップしたディア・ヴォルターはもう、どこから見ても貴族のお姫様だ。
今日は学院の創立記念パーティーが行われる日だ。
毎年年末付近に行われる盛大なパーティーで、もちろんこれも乙女ゲームのイベントの舞台でもあった。
ここまでヒロインが順調に愛を育んでいれば、悪役令嬢の婚約破棄イベントがあって、それからヒロインのハッピーエンドとなるそうだから。
タウンハウスの階段を降りると、ちょうどエントランスに馬車が停まった。
約束の時間より少し早いだろうか。
馬車から降りて来た彼と目が合う。それから彼はどこか惚けたような顔をした。
「綺麗だな、ディアナ。君のエスコートが出来るこの光栄な機会を神に感謝しなければ」
「あ、ありがとう……」
盛装したバートに賛辞をうけて、わたくしはつい照れてしまう。
こうして正式にバートとパーティーに出席するのは初めてのことだ。
「ディアナ、手を」
「はい」
差し出された手に、自らのそれを重ねる。
すると大きな手のひらにギュッと包み込まれて、そのまま手の甲に口付けを落とされた。心臓が痛い。
――ユエールでの最後のパーティーは、あの断罪された日のことだった。
予定通りに断罪され、事前に準備していた娼館に連れて行かれた。その時に一緒にいたのもバートだ。
「ふふ」
「どうかしたのか?」
急に思い出し笑いをしたわたくしを、バートが不思議そうに覗き込む。
「いえ……。あの日のことを思い出していたの。ユエールの娼館に連れていかれた日」
「私としては、全くもって楽しい話題ではないんだが」
「ふふ、ごめんなさい。でもいつも、わたくしの傍にいてくれたなって、思ったの」
あの時のことを思い出したのか、バートは少しバツの悪そうな顔をした。
馬車は会場となる学院へと向かってゆく。落陽が遠くに見える。橙色の空と青紫色の夜空が混じり合って、幻想的だ。
これで最後。そう思うと、自然と気が引き締まる。
煌びやかに飾り付けられた大広間は、いつもの学院ではないようだった。
貴族クラスの生徒はもちろん、経営学クラスの同級生もドレスアップをしている。
スワロー男爵の企みで一度は分断されていたけれど、また元に戻ったことに安堵する。
やはりというかなんというか、学院長も多大な寄付をしてくれたスワロー男爵と癒着をしてサマーパーティや音楽祭で言いなりになっていたそうだ。賄賂も確認されている。
殿下たち生徒会の告発で、学院長も交代となった。だからか分からないけれど、みな晴れ晴れと楽しそうにしている。
わたくしとバートが並んで入場すると、賑やかだった会場がざわめいた。
「あの方はどなたかしら……?」
「経営学クラスの子にご執心かと思ったけれど、火遊びだったのかしら」
まあ、なんてこと!
そんな声まで拾ってしまって、わたくしはつい笑いそうになる口元を懸命にキープする。
「……なんて言われようだ」
「まあ、聞こえていたのね」
「君の美しさに虜になっている者たちもいるな。あまり見せないようにしよう」
そんなことを真面目な顔で言うバートがおかしくて、わたくしは今度こそ笑ってしまった。
会場を進むと、水色の髪の女生徒が目に入る。隣には騎士服の男子生徒がいる。
「ローザさん!」
そう声をかけると、大きな瞳がこちらを見てパチパチと瞬きをした。
「えっ……ディアさん、なのかな? 普段と雰囲気が違うから一瞬分からなかったよ〜」
「紛れもなくディアよ。ふふ」
ふわりと微笑むローザさんに癒される。隣にいたハンスさんから会釈をされたから、わたくしもドレスの裾を摘んでお辞儀をする。
あの後、ローザさんは目を覚まし、傷が癒える頃には後遺症もなくすっかり元気になった。
献身的な看病をしたハンスさんとローザさんはお互いに気持ちを伝え合い、そのあと婚約者になったのだと聞いた。
彼女の幸せそうな笑顔に、わたくしも嬉しくなる。続編のヒロインは、自らの手で幸せを掴み取ったのだ。
「ええ〜っ、ディアさんなの!? いい所のお嬢様だとは思ってたけど!!」
この元気な声はロミルダさんだ。振り向けばやはり緑色の髪の彼女がいて、その隣にはローザさんに似た男性が佇んでいる。
このパーティーには同行者を校外から連れてくることを許されている。ロミルダさんのパートナーは、サシャさんだ。
エクハルト商会はかつての苦境が嘘のように立ち直った。借金で首が回らなくなっていたガラス工房も、今では毎月かなりの利益を叩き出している。
ガラス製品の可能性は無限大。そう言って、二人は毎日のように顔を突合せて議論しているのだとか。
「ごきげんよう、ロミルダさん」
「美しすぎるんだけど……! ひゃーっ、なんだか光が差してる! 後光が!」
「うるさいぞ、ロミルダ。それよりほら、あっちに美味そうな肉がある。行こうぜ」
「はいはい分かったわよ。じゃね、ディアさん、あとでまた話そ」
サシャさんに慌ててついてゆくロミルダさんに、わたくしは頷きながら手を振り返す。
彼女の頬と耳の先が桃色に色付いていて、彼女も幸せなのだと感じた。
わたくしはゆっくりと会場を見渡す。見知った生徒もいれば、クラスや学年が異なり知らない人たちもいる。
だけれどここに、ユリアーネさんの姿はない。
爵位を失った彼女は、そのまま学院を退学した。そして時を同じくして、クイーヴもわたくしの護衛騎士を辞した。
『ユリアーネとふたりで、新天地でやり直そうと思ってます。かわいい妹を嫁入りさせる為には、新しい職を探さねーとな!』
クイーヴはそう言って笑っていた。このまま護衛を続けたらと言ったけれど、すっかり固辞されてしまった。
今は兄妹ふたりで頑張って暮らしているはずだ。タウンハウスには、時折 手紙が届いている。
金銭的に豊かとはいえないけれど、これまでのしがらみがなく、兄妹ふたりで強くたくましく助け合っている様子がありありと綴られていた。
「ディアナ、飲み物を」
「ありがとう」
給仕からさっとグラスワインに似た飲み物を受け取ったバートが手渡してくれる。豊潤な香りの白ぶどうのジュースで喉の渇きを潤せば、楽団が演奏を始めた。
あちらこちらで、パートナーと踊り出す生徒たちが見える。
「ディアナ、行こうか」
その手に誘われるまま、わたくしはグラスを置いてバートと共にホールへと足を進めた。
音楽に乗って、わたくしは足を動かす。バートのリードは相変わらずと踊りやすくて、時折ぎゅうと密着することもあって以前よりもドキドキもしてしまう。
ゆるやかな曲調の楽曲が終わり、わたくしは一度お辞儀をした。
会場がまた、ざわりと空気を変える。
フリードリヒ殿下とエレオノーラ様が入場したのだ。美しく装った二人はもうすでに次期国王とその妃のような貫禄があった。
あの断罪劇で、殿下はスワロー男爵とともに悪事を働いていた者たちも粛清した。今後の国政を担う新しいリーダーとして、きっと素晴らしい王になるのだろう。
……ローザさんの件は、ローザさん本人が許していたから、わたくしも仕方がないとやむなく受け入れた。
彼らの後ろにアレクが控えている。
これまでの働きが認められ、異例ではあるが司法長官の元でも日々研鑽を積んでいるらしい。
あの偏屈な人を――と、フリードリヒ殿下本人が驚いていたというのだから少し笑ってしまった。
壇上を見ていたら、一瞬、アレクと目が合った気がした。にこりと微笑めば、目を閉じて会釈される。
才覚のある人だ。この国でも、羽ばたいて欲しいと心から思う。
「――では皆。パーティーを楽しんでくれ」
殿下の話が終わったところで、また会場は歓談の雰囲気になった。
ゆるやかに音楽がかかっており、ダンスに興じる人たちもいる。
もちろんここで悪役令嬢が断罪されることも、ヒロインがバッドエンドを迎えることもない。
ローザさんとハンスさんが楽しそうに踊っている。殿下とエレオノーラ様も、お互いを信頼し合って微笑みあっている。
終わったのだわ。本当に。
「ディアナ? どうかしたか?」
あまりにも幸福な風景にわたくしは足が縫いとめられたように動かなくなった。それをバートが心配してくれる。
この優しい鳶色の瞳の人は、いつだってわたくしのことを最優先でいてくれた。
殿下の従者だった頃も、こちらで友人になってからも。
「ねえ、バート。庭園に出たいのだけれど」
「庭園? いいけど……」
わたくしの申し出に、バートは不思議そうな顔をしている。それでも近くの扉から、庭園の方へとエスコートしてくれる。
夜の庭園はやはり冷えている。けれど、火照った身体にはその冷たい風さえも心地よく感じた。
外から見るパーティー会場は光に包まれていて、楽しそうな笑い声や楽曲が漏れ聞こえてくる。
「ディアナ、冷えるからこれを」
庭園にある東屋に到着したところで、バートが肩からジャケットをかけてくれる。わたくしは彼のことをそっと見上げた。
「バート。ずっとお礼を言いたかったの。いつも助けてくれてありがとう」
味方が、理解者がいるということが、こんなにも心強いものだとは思わなかった。独りだと思っていたあの頃でさえ、味方でいてくれたことだって、遅ればせながら嬉しく思う。
「どういたしまして……と言いたいところだけど、君は自分で解決してしまうからなぁ」
「そんなことないわ。いつも背中を押してもらっているんだから」
「そうあれたなら、良かった」
バートが柔らかく微笑む。それにつられるようにわたくしも微笑んだ。
「バートに、あの……大切な話があって」
「……っ」
言うなら今日しかないと思ったからこそ、こうしてパーティー会場から出たのだ。
わたくしがそう切り出すと、バートの顔が引き攣った。どうしてだか、泣きそうな顔をする。
口を開こうとしたところで、わたくしはバートから不意に抱き寄せられた。
「あの……バート?」
わたくしは戸惑いの声をあげる。
ぎゅうぎゅうと力を込められ、少し苦しい。肩にぽすりと彼の頭が載せられた感覚をジャケット越しに感じた。
「……別れの挨拶なら聞きたくない」
「え?」
「全て終わったから、君はユエールに戻るんだろう?」
「ちょっと待って、バート!」
腕に力を込めて突っ張ると、二人の間に少しだけ空間が出来た。
それでようやく、彼の顔を見た。
――まあ、なんでそんな顔をしているの?
バートは憔悴した顔でわたくしを見下ろしている。
「……心からの笑顔で送り出せそうもない。ごめん。でもディアナの選択を尊重したい気持ちは本当だから」
無理したように笑うバートに、彼は本当にわたくしが帰ろうと思っているのだと知る。
無理もない。だってずっとわたくしの態度は曖昧で、自分の気持ちに気が付いたのだって最近だ。
伝えなければ、と思う。この驚いた顔をした人に。わたくしの気持ちを。
「わたくしは、卒業後もユエールには戻らないと決めているわ。お兄様とも話したもの」
「え?」
心臓が飛び出しそうな程痛い。この緊張を、皆乗り越えているなんて。
冷たい空気を吸い込んで、一度吐き出す。意を決して、彼の瞳を見つめた。
「バートのことが好きだから、近くにいたいと思っているの……!」
冬の澄んだ空気に、わたくしの振り絞った勇気が溶けてゆく。
ああダメ。顔を見られない。
わたくしはバートの表情を見るのが怖くて、急いで顔を伏せた。さっきよりもずっと心臓がうるさい。
でも言った。言えた。
「え……なん……? え?」
狼狽した声が聞こえてくる。それから何も声が聞こえなくなってしまったから、わたくしは不思議に思って顔をあげた。
木々のざわめきしか聞こえない。
そうしたら、鳶色の瞳は真っ直ぐにわたくしを見ていた。ハッとするような、熱をはらんだ色で。それでもどこか不安げに揺れている。
「……ディアナ。本当に?」
前は『ユエールに帰さない』とまで言っていたのに、切実な表情のままだ。
「本当よ。経営学クラスを卒業しても、エンブルクに残って事業を続けるつもりでいます。ユエールの事業は全て、義姉になるセドナに引き継ぐことになっているの」
伯爵令嬢に戻ったセドナだったけれど、彼女たちはもう領地を望まなかった。そしてユエール王国のアメティス侯爵――兄のシルヴィオに望まれて、婚約をした。
「それで……っ」
話している途中だったけれど、もう言葉が続かなかった。
さっきよりもずっと強く、バートに抱きしめられたからだ。
「こんなに嬉しいことがあっていいのだろうか……! 夢じゃないよな、まさか」
「夢のようだけど、現実だわ」
「そうだよな、うん……そうだ」
噛み締めるようにそう言ったあと、バートはわたくしをじっと見下ろす。抱きしめあっているから、より近くに彼を感じる。
それからゆっくりと左手をとられ、彼の口元へと手を引かれる。
「ディアナ・アメティス侯爵令嬢。ずっとお慕いしていました。私と結婚してくださいませんか?」
左手の薬指に優しく唇が落とされる。
胸がいっぱいで、上手く呼吸ができない。
それでも、答えは決まっている。
「もちろんです。ランベルト・アドルフ様。娼館を経営しているような、わたくしでよろしければ」
「最高だな、それは」
「ふふ」
こつりと額を合わせて、ふたりでクスクスと笑い合う。令嬢としては変わりものの自信があるけれど、どうやら丸ごと受け入れてくれるみたいだ。
どちらかともなく視線が絡む。ゆっくりとバートの顔が近付いてきて、わたくしの唇にそっと触れた。
少し離れて、また笑い合って。
漏れ聞こえる音楽に合わせて二人で踊ったり、ベンチに腰掛けてたくさん話をした。寒いはずなのに、不思議とそれを感じない。
ボーン、と時計台の鐘が三度鳴る。
パーティーもまもなく終わりだ。
「……そろそろ戻ろうか」
「そうね」
そう返事をしつつ、わたくしはもうひとつ大切な話をし損ねていたことに気が付いた。
「バート。もうひとつ、あなたにずっと黙っていたことがあるわ」
背伸びをしたわたくしは、立ち上がったバートの耳に顔を寄せた。
「わたくし、前世の記憶というものがあるの」
「え……?」
「ふふ。続きはまた今度話しましょう! さ、殿下たちに挨拶しないと」
最初よりもずっと困惑の表情を浮かべるバートをよそに、わたくしは足を進める。
これからゆっくりと話していこう。時間はたっぷりあるのだから。
乙女ゲームに巻き込まれた悪役令嬢のお話はここでおしまい。それでもこれからの新しい生活も、全力で満喫していくのだ。
おわり
ついに!!!完結!!しました!!!
最初から読んでくださっている読者の方がいらっしゃいましたら、5年間もお待ちいただきありがとうございました。そして、お待たせしてしまい本当に申し訳ありません。
最後は怒涛の断罪になりましたが、追放令嬢ディアナの物語を少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
コミカライズも続いておりますので、是非そちらもよろしくお願いします。ここまで支えてくださり、本当にありがとうございました。
2024.8.31 ミズメ




