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「違うでしょ! もう一回やって!」
イスと机を後ろに下げて作られたスペースで、濱野太志が切羽詰まった様子で先ほどと同じセリフを吐く。声変わりをしていない可愛らしい声とは対照的な大げさな抑揚と身振り手振りは、舞台映えを狙っているものだと理解はしていても、教室内で聞く限りではむしろ滑稽に思えてしまう。演技力というよりはむしろその特徴的な声、声変わりがまだ訪れていない、かわいらしい声を理由に抜擢された濱野は、クラス全体の期待に応えようとなんとか努力していると言うことだけはわかる。しかし、だからといってその努力が演技の質にすぐさま直結するというわけでもなく、監督兼脚本を務めるクラスのボス、佐々木麻衣はむしろ彼の至らなさに絶えず苛立っていた。
「濱野君も可哀そうだよね。本人だって乗り気じゃなかったのに、その声が必要だからってむりやり主役にさせられちゃうんだもん」
小道具の帽子にペンで色をつけながら、滝川すみれがそう昭人に同意を求めてくる。昭人は二メートル以上の横幅がある背景画の原画の上に乗り、鉛筆で薄く下書きをしながら適当に相槌をうった。滝川はそんなつれない返事が気に食わなかったのか、昭人の制服の袖を引っ張り、どう思うのかとわざわざもう一度問いただす。昭人は「作業の邪魔だろ」と適当に滝川をいなしつつも、教室の前方、演劇の練習風景を一瞥した。そこではまだ佐々木の怒りが収まっていないらしく、佐々木はヒステリックに叫びながら、丸めた台本で近くの机をバシバシ叩いている。それはまるで目に見えない周囲の敵に対し、自分を強く見せようと威嚇しているかのようだった。役者勢は怒りの矛先を直接向けられている濱野以外、全員がそんな佐々木の様子に辟易としている雰囲気が伝わってくる。そんな中、エキストラ役の男子一人が二人の間に割って入り、何とか場を取り繕おうとしていた。
中学に入って初めての文化祭がこれか。昭人は冷めた目でその様子を見ながら思った。自分が言えることではないが、文化祭というのはたとえ拙くとも、もっとクラス全体が楽しんでやるものなのではないだろうか。少なくとも中学にあがる前の自分はそう考えていた。
いつの間にか、制作係を含めた裏方勢全員が教室前方の佐々木と濱野を注視していた。それでも、佐々木はそのさげすむような視線を感じることもなく、ただただ感情に任せて怒りをぶちまけていた。そして、黙って説教を受け入れていた濱野はとうとう耐え切れなくなったのか、顔を右腕で隠しながらその場を離れていく。濱野は入口そばの自分の机の上に置いていた鞄をつかみ、そのまま教室の外へと飛び出していく。
少しだけ間が空いた後、仲裁に入っていた男子が濱野を追いかけて教室を出ていく。しかし、佐々木は悪びれた様子もなく、ただ腕を組んだまま椅子にどっと腰かけ、そのまま貧乏ゆすりをし始めた。そして、自分を見つめるクラスメイトをぎらりとにらみ返した。
「あーあ。やっちゃった」
滝川が小声でつぶやく。しかし、言葉とは裏腹にどこか口調が調子いい。滝川は同じく背景画の下書きを担当している女子と目を合わせると、声を押し殺して笑った。いくら佐々木が悪いとはいえ、よくもそんな影で笑えるな。昭人が滝川を見て思ったその時だった。
「滝川さん、人の喧嘩を見て楽しむのもいいけど、ちゃんと自分の仕事をやってるの?」