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邪魔するのも悪いし、水を置いたまま黙って出ていこうとした昭人に、新藤が目をつぶったまま話しかける。昭人はどうして目をつぶったまま俺だとわかったのだろうと不思議に思ったが、新藤が得体のしれない人間だと言うことは今に始まったことではないと自分を自分で納得させた。そして、その得体の知れなさが、昭人がいまいち新道を好きになれない理由だった。
「水、ここに置いとくから。柊から頼まれたんだ。お礼とか言っとけよな」
「まさか、小学生から礼儀を説かれるとはね」
新藤はそこでようやく目を開け、じっと昭人を見据えた。茶色く澄んだ瞳は、どこか人を居心地悪さを感じさせた。二人の間に沈黙が流れ、オーディオから流れる音楽が部屋を包んでいた。
「昭人君はさ、ヤドカリのお話って聞いたことある?」
ここにいてもつまらないし、さっさと出ていこう。昭人がそう思って、新藤に背を向けようと身体を動かした時、新藤が脈略もない質問をぶつける。
「なんだよ、急に」
「いや、この音楽を聴いてたらなんとなく思い出しちゃってね。聞いたことある?」
昭人は首を横に振った。別にアニメや漫画が好きというわけでもなく、新藤の言うお話にも全く関心がなかった。しかし、新藤はそんな昭人の気持ちを察することもなく、ただ一方的に話し始める。
「あるところにね、目の見えないヤドカリさんがいたんだ。彼はみんなからいじめられていてね、みんなが寝静まった夜にしか行動しないんだ。ある日ね、彼はあまりにもやることがないんで、月の光がある方向へ旅を始めたんだ。そして、何年も何十年もかけて、ようやくそのヤドカリは真ん丸のお月様に到着することができた」
昭人は退屈さを感じながらも、新藤の話に耳を傾けた。
「へー、で、その後は?」
「その後?」
昭人の質問に新藤は皮肉っぽく笑った。
「ヤドカリが月面に降り立った瞬間、月が大きな口を開けて、そのヤドカリを食べちゃったのさ。それでこのお話はお終い」
「はあ」
あっけない物語の終わり方に昭人は気のない相槌を打つことしかできなかった。そのお話が子供向けに作られた童話なのか、それとも何らかの皮肉を込めたブラックジョークなのかは昭人にはわからなかった。けれども、彼が感じたのは、新藤が楽しそうに話すそのお話が、自分にとっては何の面白みもないお話だと言うことだけだった。麗香さんの言う通り、自分には何が楽しいのかわからないや。昭人は強引に、なつみが待ってるからとだけ新藤に告げ、さっさと301号室の外へと出ていった。