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「正直、半々だろうなって思ってた。田辺から連絡が来るかどうか」
待ち合わせ場所に遅れて到着した昭人への第一声はそのような言葉だった。羽田は嫌悪感を示すでも、昭人を軽蔑するでもない気だるそうな表情で微笑む。それは昔から変わらない羽田らしい表情だった。昭人はその表情を見るたびに、本当に彼女が自分と同い年なのかと疑ってしまう。その表情の裏には、自分には想像もできないほどに入り組んだ何かが潜んでいるような気がしてならなかった。
昭人の詫びの言葉を聞き終える間もなく、羽田は昭人の横に歩み寄り、昭人の右手を握った。昭人は突然の行為に驚き、思わず握られている方の手に力が入ってしまう。
「なんだよ、急に」
「別にいいでしょ。会った瞬間から、援交は始まってんだよ?」
同い年の男女カップルには似つかわしくない言葉に昭人は眉をひそめる。それでも、羽田はそんなことなどお構いなしに、昭人の手を引っ張り繁華街がある方角へ向かって歩き出した。
「こういうことやってるとね、色んな男と会うの」
二人は手をつなぎ、並んで歩く。じめじめとしたガード下に入ると、二人に暗い影がさす。ちょうどそのタイミングで列車がけたたましい音を立てながら、二人の頭上を通過した。
「大半はどこにでもいるような普通のサラリーマンなんだけどさ、中には今まで誰ともそういう関係になったことがないっていう男もいるわけ。三十過ぎとかじゃなくてさ、四、五十歳のおじさんで童貞なんだよ。信じられる?」
「へえ」
羽田は茶化すように笑った。昭人は笑っていいのかわからず、当たり障りのない相槌をうつことしかできなかった。
「でも会話とかしてると、童貞でも仕方ないなって性格をしてるんだよね。変に自意識過剰だし、プライド高いし。お金の支払絡みでいざこざを起こすのも大体そういうやつ。一回やっただけで、変に彼氏面してくるし、平気で君は運命の人だ、なんてことを言ったりするの。そういうやつらから何度もストーカーまがいのこともされた。まあ、今ではあしらい方もうまくなったけど」
「だったら、そう奴らとはそんなことしなければいいだろ」
しかし、昭人の言葉を羽田は同意することもなく適当な言葉で受け流す。何かもっと他の言葉を言うべきかと昭人が考えたその時、羽田は不意に立ち止まった。昭人が羽田の視線の先を追うと、そこにはビジネスビルのように小奇麗としたラブホテルがあった。
「いつも私が使ってる場所。入ろっか」
羽田に手を引かれるがままに、昭人は生まれて初めて、ラブホテルの中へと入っていった。エントランスを通り、自動支払機でホテル代を前払いする。部屋の鍵を取り、エレベーターに乗って、二人は目的の場所へと向かう。それは機械化された動作のように淡々とこなされ、その間中、昭人と羽田は一言も言葉を発さなかった。ホテルの部屋に入り、羽田が手慣れた動作で照明の明かりをつける。若干薄暗い薄白色の明かりで照らされた室内は、中央にある大きめのツインベッドの存在を除けば、一般的なビジネスホテルと見間違うような内装をしていた。
「なんで、俺と援交しようって持ち掛けてきたんだ」
羽田は手に持っていたバッグを机の上に置き、ベッドの上へと仰向けに倒れ込む。
「田辺ってさ、そういう人たちと似てんだよ」
「そういう人たちって、誰だよ」
羽田はうつぶせの状態のまま顔だけ昭人の方へと向けた。しかし、その目は昭人ではなく、昭人の向こうにある何かを見つめているかのようだった。
「さっき言ったでしょ。私が今まで会ってきたしょうもない童貞たちのこと」
昭人の反応を待つこともせず、羽田はその言葉と同時に身体を起こし、昭人の右腕をつかんで自分の方向へと引っ張った。昭人は抵抗することもできず、柔らかいベッドの上で二人の身体は密着しあう。昭人は柔らかい羽田の身体に動揺しつつも、自然と腕を羽田の背中に回し、ぎこちなく抱きしめた。
「別に田辺が嫌な奴だとか、プライドの高いいけ好かないやつだって言いたいわけじゃないの。たださ、そういう人たち特有のにおいがあるの」
「においって、雰囲気とかオーラとか?」
羽田はかぶりをふった。
「そんな抽象的なものじゃない。本当ににおいがするの。そういう人たちを会うたびに、そのにおいをかぎ分けられるようになったんだけどさ、なんだかずっと前に嗅いだことのあるにおいだなって漠然と考えてた。でさ、つい最近まで、それが何の匂いと似てるかってずっと疑問だったんだけど、田辺に私が援交してるところを見られた時に、ふっと思い出したんだ。同じクラスの男子が殺された日、一緒に並んで帰った時に嗅いだ田辺のにおいだったってこと」
羽田は顔を上げ、昭人の顔を見つめた。
「ねえ、田辺はちゃんと自分がここにいるってことを理解できてる?」
昭人は羽田から目をそらし、目を伏せる。羽田の服の胸元から骨ばった鎖骨の骨がのぞき、それを囲むように、広い範囲に渡って火傷の痕が見えた。そこは見ないで。羽田が冷たい口調で昭人を注意する。昭人はハッと顔を上げ、視線と視線が近距離でぶつかりあう。茶色い瞳に、ぽつんと浮かぶ黒い瞳孔の表面に、自分と瓜二つの人間の姿が写っていた。
田辺は羽田の華奢な体をもう一度抱きしめ直した。最初は弱く、それから徐々に力を入れていく。羽田は自分の顔を田辺の左肩にうずめ、ささやくように田辺の耳にささやきかけた。
「よかったね、田辺は。私みたいな都合のいい女が身近にいてさ」