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窓ガラスがはめ込まれていない窓枠に手を駆け、昭人はぼんやりと外の景色を眺めていた。302号室から見えるのは、廃マンション裏手にうっそうと茂る私有林と、その奥にある近所では一番広い自然公園だった。密集した緑色の海の隙間からは力強いこげ茶色の梢がのぞいている。大きく息を吸い込むと、夏らしい湿った空気と一緒に、ほのかな木の香りがした。昭人は景色を眺めるのに飽き、誰もいない部屋を見渡す。中央に置かれたテーブルとそれを囲む形状も色もバラバラな四つの椅子。こまごまとしたものが整理整頓されないまま突っ込まれている収納棚。そして、マンションの一室に置くには少し場違いな、昭人の背丈ほどもある大きな床置き時計。昭人は何気なくその時計へと近づき、手で触ってみる。柊がきちんと手入れをしているのか、内側にほこりが積もっているわけでもなく、針も正しい時刻を指している。かがみこんで規則正しく左右へ揺れる振り子を観察してみると、銀色に塗られた円盤の縁に文字が刻まれていることに気がついた。
「卒業おめでとう」
昭人が振り返ると、そこには部屋の入口の側壁にもたれかかった新藤がいた。上にバーバリーチェック柄の長袖のYシャツを着て、下にはベージュのチノパンを履いていた。新藤はうっすらと微笑み、部屋の中央まで進んで、一番手前にあった椅子へと腰かける。
「卒業したのなんて、もう二ヶ月も前だよ」
昭人がそう返事をすると、新藤は「そうだったっけ」ととぼけたようにつぶやいた。昭人は呆れたようにため息をつき、もう一度円盤に刻まれた文字へと視線を戻した。最初は英語だろうと思っていたが、アルファベットに混じって見慣れない文字がある。フランス語とかドイツ語なのだろうか。そう思って、意味を理解することをあきらめようとしたその時。
「Dubitando ad veritatem venimus」
新藤の言葉に昭人は振り返る。新藤は同じ姿勢のまま、窓枠の向こうの景色をぼんやりと眺めていた。
「その時計の円盤に刻まれている文字の意味だよ。ラテン語だね。ちなみに和訳すると、『真実に達したかどうかを疑うことが必要である』」
「ふーん」
昭人は適当な相槌を打ちながら床置時計から離れ、中央に置かれた椅子へと腰かける。しんとした雰囲気の中でも新藤は飄々としていた。この人はいったい何を考えているのだろうかと、昭人はいつも疑問に思う。そして、納得のいく答えにたどりついたことは一度としてなかった。
「あの事件からもうそろそろ三年が経つね」