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階段を一段上がるたび、カツッカツっという靴音が廃マンションにこだまする。教科書の入ったランドセルが背中で弾み、時々中がそとに飛び出すんじゃないかと無駄に心配してしまう。一階から二階の廊下へ出てふと右へと視線を向けると、扉が設置されずに中が筒抜けになった部屋の内部が見え、その中で背中が曲がったおばあさんがこのマンションで唯一使用可能な水道を守るようにして腰かけていた。固いコンクリートの上に薄いブルーシートが一枚敷いてあるだけで、そんな長時間座って痛くないのだろうかといつも疑問に思う。おばあさんの向こうには、窓のない窓枠からすぐそばにある雑木林の葉の茂みを見ることができる。窓枠にはカーキのジャンパーを羽織ったおじさんが腰掛けていて、物憂げに外の景色を眺めていた。
「あれ、今日は早いね」
階段の方へと顔を向けると、そこには高校の制服に身を包んだ柊が三階から降りてくるところだった。吹き抜けから踊場へと風が吹き込み、チェックのスカートの端がかすかにそよぐ。右手には青いバケツが握られていた。柊は二階の廊下へと降りてきて、まるで子供をあやすように俺の頭の上に手を乗せた。俺はしかめっ面をしたまま、その手を振り払う。いくら相手が高校生だとしても、このように子ども扱いされることに我慢がならなかった。
柊はその子供らしい反応を茶化すように微笑む。俺は恥ずかしさをごまかそうと小さく顔をうつむけながら話題を振った。
「水を汲みに来たの?」
「そうそう、ちょっと喉が渇いちゃってね。あ、そうそう、もうなつみちゃんが上に来てるよ」
「ふーん、あっそ」
なつみ。その単語に少しだけ身体が反応してしまう。しかし、柊に感づかれたら何を言われるかわからない。俺は何でもないような表情を浮かべて見せる。しかし、それを見て、柊は思わず吹き出してしまう。
「もう、可愛くないなぁ。小学生なら小学生らしく振る舞いな」
そういうと、柊は俺の頭をわしゃわしゃと撫で、俺の嫌がる反応を存分に楽しんだ後、軽い足取りで水道のある部屋へと入っていった。廊下から中の様子を見ていると、柊は水くみ場のおばあさんと何かを談笑し始めた。柊を待っていようかと考えたが、どうやら長くなりそうな気配だったので、先に三階へと行くことにした。
302号室に入ると、右奥に設置された大きめのテーブルを三人の住人が囲んでいるのが見えた。弦巻さん、麗香さん、そしてなつみ。大人二人と子供一人が各々トランプを持ち、何やらゲームをしているらしかった。椅子に足をぶらぶらさせながら、自分の番を待っていたなつみが一番最初に俺に気がついた。
「あ、昭人だ。もう学校終わったの?」