青空売り
最近、雨ばっかだなぁ…そんなこと思ってたら生まれた作品です。どうぞ暖かい目で見てください。
今日も、雨。
昔から、雨が嫌いだった。下駄箱はじめじめするし、傘とか無駄な荷物が増えるし、濡れるし…。
何より、雨が嫌いな理由。それは…
「私って、母親失格。」
母がうつ病だからだ。何でも、雨の日は気が気じゃない。晴れの日より、雨の日に自殺する例が多いという話をテレビで聞いて、「母もいつしかそうなるのでは?」と考えるようになってしまった。
それから僕は、雨を嫌った。恨んだ。憎んだ。雨は災害だと思うようになり、自分でそう結論付けた。
「雨は敵だ。」
何を言おうが、雨は降ってくる。車のバンパーがいくら避けても、濡れているのは一緒だ。
そんな時、あの店を見つけたんだ。
『青空売り』
最初は、変な店だと思った。都内でこんなボロい店を見るのは初めてだった。実際、店の名前もよく見なければ分からなかった。
気になったのは、マジックで書かれた雑な張り紙。
『青空、只今セール中』
小学生の好奇心とは恐ろしいもので、ノコノコとこのボロ屋に入ってしまった。
「…らっしゃっせー…」
態度のなってないオッサンが、レジらしき台にどっかり腰かけていた。ポカンとしていると、「さっさと用件を言え。」と急かされた。
「あの…表の張り紙を見て来たんですけど…」
「あー…あれか。セールっていう単語に本当弱いよな、人って。」馬鹿にしたように言うもんだから、ついカッとなってしまった。
「オッサンだって人間だろ!?僕は真面目に話しているんだぞ!」
が、彼は全く相手にせず、「用がないなら帰れ。ガキ」と言った。
「よ、用がないわけじゃ…」
「ならさっさとしろ。俺は忙しい。」
レジに座ってダラダラしているのに忙しい、というのは気に食わなかったが、話を続けた。
「青空がセール中って、どういう意味?」
「まんまだよ。そのままの意味。」
「青空って、買えるものなのか?」
面倒くさくなったのか、深いため息をつかれた。
「…買えるが、お前みたいなガキにはムリだろ。諦めて帰れ。」
ここで引き下がるわけにはいかない。ここまでバカにされて、帰るだけなんて、納得がいかなかった。
「買うまで僕は、ここに居座ってやるからな!」
その返答が意外だったのか、はたまたただ面倒が増えるのが嫌だったのか、カタログを投げ渡してきた。そして淡々と説明をする。
「1日が1000円、1週間1万、1カ月10万。1年百万。10年1千万だ。お前みたいなのならせいぜい1日が限界だろう。…買いたいなら買って帰れ。」
「それ以上は?」
「は?」
「10年以上は売っていないのか?」
「お前バカだろ。確かにあるが、どうなっても責任はとらん。」
拳をぎゅっと握りしめ、要望を言った。
「僕は…」
あれから20年、正確には19年と9カ月。俺は今では大手企業に勤めている。
でも、裕福ではない。借金があるから。
『100年分の、青空がほしい。』
『…そんな金、ないだろう?』
『借金でもなんでもする。だから僕に青空をくれ。』
『…9000万だ。セール中だから1000万値引き。感謝しろ。そして働きまくって金を返せ、一円たりとも残さずに、だ。』
『わかった。絶対だ。』
これは後々から分かったことだが、彼の言う『青空』とは、幻覚のような物らしい。契約者とその家族のみ、この青空が見えるという仕組みだ。
だから俺は、あの日から青空以外は見ていない。周りが傘をさしたとしても、俺はただ普通に歩くだけだ。
「こんなに愚かな人間を見たのは、久しぶりだな。」
いつのまにか、後ろに彼が立っていた。皺一つ増えていない。まるで彼だけ、時間が止まっているようだった。
「あんたには関係ない。これが俺の幸せだ。それに、母も喜んでいる。」
突然彼は、クックッと笑いだした、目頭を押さえている。
「それが愚かだと言うんだ。バカが。大人にもなって、なぜそれが分からない?」
「…何を言ってる。俺は忙しい。」
「俺と同じこという前に、己がしていることがどんなことか、考えるべきだと思うがな。」
もう関わるべきではない、金を早く返せば、この変人ともおさらばなのだから。そう思って立ち去ろうとした。
「教えてやるよ。お前のしていることは、ただの自己満足だ。」
ばっと振り返る。
「…何が言いたい。」
「そのままの意味だが?」
俺は間違っていない。母だって、雨より晴れが好きなのだ。これほど親孝行なことがあろうか。俺以外、こんな素晴らしいこと思い付きもしないだろう。
「『俺は間違っていない』…か。めでたい考え方だな。」
一瞬、ドキッとしたが、すぐに言い返した。
「とにかく、お前には関係ない。」
「確かに関係ないが、個人的に気になったんだよ。お前の母親。」
「は?」
「お前は知らなかった。見ようともしなかった。母親の本当の思いを。」
「?何をー」
「『私、雨が好きなのよ、和也。』」
急に彼の声色が変わった。それは紛れもない、母の声だった。
『でも、あなたはいつも必死で…こんなこと、言えないわ』
「母…さん?」
『本当は、晴れよりも雨よりも、あなたが笑っていれば、それで私は幸せなのよ。』
「でも…!母さんは…!」
『嘘なのよ。うつ病なのは。あなたが、これを期に、何かに夢中になれるかと思って…ごめんなさい。』
「そんな…。」
「ようやく分かったか。母の声。心の声が。もちろんこれは、ただ俺がお前の母の心の声をこの体を媒介にして、話させていただけだ。」
がくりと、膝の力が抜けた。
(そんなことを思っていたなんて…)
「今なら、契約解除してやるが?今までの分は、既に支払い終わっているし。」
涙目になりながら、頷く。
「はい…そうします……。」
彼はニッと笑いかけた。
「母親のこと、もっときちんと考えろよ。」
「…はい。」
店に帰ろうとする彼の背中に言った。
「ありがとうございました!」
彼は何も言わなかったが、「頑張れ」と言っているような気がした。
そして二度と、彼の姿を見ることはなかった。
あの店もなくなっていて、代わりに理髪店が立っていた。店の人に聞いてみたが、誰も彼の行方を知る人はおらず、彼のことを知る人すらいなかった。
彼の名前も知らない。聞いたことがない。それでも、俺を救った恩人は、あのオッサンである。
「…らっしゃっせー…」