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タイム・タイド・レトログラード

「腕時計が欲しいんだ」

 誕生日プレゼントのリクエストを聞いたら、ヨシヤスは少し恥ずかしそうに言った。

「先輩がさ、就活に腕時計は必要だろって五月蝿くてさ」

 確かにそうかもしれない。当時の私は両親が専門学校の入学祝にくれたものをつけてスーツで走り回っていた覚えがある。

「確かにケータイで時間見るのはどうかなって思うしさ、でもあれって値段ピンキリなんだな」

 ベッド脇のサイドテーブルにある私の腕時計は去年に五万円くらいで買ったはずだ。それなりに悩んで分割払いで支払ったのに、店の中にはそれより高いものが数多くあった。

 コマーシャルで見て一目惚れして、色々な店を探したのだ。とはいっても有名国産メーカーの物だったから大概どこの店にも置いてあって、どちらかというと価格の比較の意味合いが強かったけれど。確か定価なら八万円くらいするのだ、事務職のOLが払うには少し、高い。

 運良くセールで割引している店があったものの、それでも買うか悩んで、後日出直したら売れてしまっていた。それが凄く悲しくて、勢いもあったのだろうけどその場で取り寄せのお願いをして、手持ちがなく滅多に使わないクレジットカードで払ったのだ。ボーナスなんて当てに出来ないので、金利がつかない分割払いの回数を確認して買ったのはよく覚えている。

「さすがに千円の安物はどうかと思うけど、上を見たらきりがないしな。金もあんまないし。というわけで俺は腕時計をリクエストする」

「わかった、考えとく」

 そう言って私は甘えるように彼の胸板に顔を埋めた。



 ヨシヤスは遅刻魔だ。

 十分、二十分の遅刻は当たり前で、ひどいときは一時間以上待ち合わせ場所に現れない。

 とはいっても高校時代からの長い付き合いのわけで、映画を見る場合は待ち合わせを極端に早くしたり、座って本を読めるよう喫茶店を指定したり、対策さえしておけばそうイライラすることもない。

 付き合い始めの頃こそ、怒ったりしていたものの彼が誰にたいしてもそうだと気付いたら、なんだかどうでもよくなってしまった。

 私は多分、待つ時間が好きなのだ。

 彼のことで満たされていく気がする。

 腕時計の秒針が刻むたび、デートへの期待や彼の甘い言葉が私の心を占めていく。

 鞄に潜ませた恋愛小説の頁を捲る毎に、彼への気持ちが溢れていく。

 私はヨシヤスのことが大好きなのだ。

 そして彼は走りながら待ち合わせ場所に現れて、「待たせてごめんな」といって私の頭を大きな手で撫でてくれる。

「犬じゃないんだから止めてよ」

 そういって彼の手をいつも振り払っているけれど、物凄く嬉しそうに笑っている私は間違いなく犬っぽいと思う。

 とはいっても彼ももうすぐ大学の四年生、就職活動もそろそろ始める頃だ。遅刻対策としても腕時計をつけろ、という彼の先輩の言葉は正しいのかもしれない。



 彼とのデートは大抵、映画かカラオケだ。

 就職している私と、大学生のヨシヤスとの財布ではどうしても私が彼に合わせる形になる。そして私の都合に彼の予定を合わせてもらう。けれど、彼にも彼ではずせないバイトなどがある。

 そうなるとデートは月に二回がいいところで、予算の都合で手近な場所で済ませてしまう。そんなパターンがもう何年も続いていて、新鮮味こそないけれど、この暖かくて穏やかな時間が好きだった。

 話題の映画の午後の回を見て、喫茶店で感想を言い合い、学生向けの居酒屋で食事、そのあとに彼の家に寄ったり時々ホテル。

 同じことを繰り返す。

 同じことを繰り返す。

 彼は大きな手で私の頭を撫でてくれるし、私は彼の胸に顔を埋める。

 私は彼と会うときはいつも素っ気無いジーンズにシャツだ。そう、まるで学生が着るような。

 化粧も簡単にしかしない。

 少しずつ高い化粧品が溜まっていく。香水はつけない。彼が嫌がるから。

 私とヨシヤスが付き合って、もう六年になる。



 仕事帰り、店がまだ開いている時間だったら紳士物の時計を見るようにしている。

 もちろんヨシヤスへの誕生日プレゼントを探すためだ。

 男性はどんなものを喜ぶのだろうか、就活に使うということは落ち着いたデザインのほうがいいのだろうか。いっそ店員に聞いたほうが早いのだろうけれど、女性の私が男性物の時計を選んでいるのを知られるのがなんとなく恥ずかしい。

 明確に決めたルールではないけれど、ヨシヤスへのプレゼントの金額は二万円までにしている。ヨシヤスが貰っても重く感じないように、そして彼が同じくらいの物を返せるように。

 でも色々なお店を見て回ってヨシヤスの好みと私があげたいと思えるデザインを擦り合わせて考えると、足りない。

 どうしてもどこか安っぽい感じがするものか、時間だけわかればいいと極端にシンプルなものかになってしまう。カジュアルなデザインならいくつかいい物もあったけれど、就活に使える物という前提がある以上それはダメだろう。



 貴重な残業が少ない日はそうやって過ごし、少しずつヨシヤスの誕生日が近くなる。

 内心、まだプレゼントが用意できていないことを焦りながら表面上は穏やかにヨシヤスとのデートを重ねる。

 今日はまっすぐにヨシヤスの部屋へ。彼のバイトの給料日直前だから、あまりお金を使わないコースだ。

 少し古い洋画のDVDを借りて二人で見る。相変わらずの彼の部屋は雑多に物が転がっていて、でもそれが不思議と居心地がいい。

 彼がトイレに行ってる間、手持ち無沙汰で床に置いてある男性物のファッション雑誌を手に取る。癖がついていたのか、自然と真ん中のあたりの頁が開いた。

 私はそれを見たことが気づかれないようそっと元にあった場所に戻し、代わりにその近くにあったサッカーの雑誌を見る振りをして彼が戻るのを待つ。

 その開き癖がついた頁にはヨシヤスが普段からファンと公言しているサッカー選手のコラボモデルの腕時計が載っていた。



 雑誌にはオープン価格としか書かれてなく、実際に値段を調べてみたら、やはりというか予算を超えていた。お店によって多少差はあるもののおよそ四万円。予算の倍だ。

 買えない値段ではない。私は働いているのだから。カードもある。でも今までそれを避けるような付き合い方をしてきたのに、それをしていいのだろうか。実物が展示されたケースの前で悩む。

 とりあえず保留にして他の店で予算内の物を探すことにしたけれど、ヨシヤスが気になっている物がわかった以上、どれを見ても味気ない。残業のある日は店にいけないことも多いし、焦りだけが募る。

 けれど悩んでる間に数量限定だったその腕時計はどんどん数を減らしていき、先週まであった家電量販店からなくなり、別の専門店でも売れてしまい、職場からも自宅からも離れた駅にある百貨店のテナントでようやく在庫を見つけることができた。

 正直なところ、この店は高い。家電量販店で見かけた時のほうが随分安かった。でもこれから別の店で同じ物が見つかるかわからない、他にいい物がある保証もない。仕事とプレゼント探しで私は疲れていた。

「カード二回払いで、お願いします」

 お金で解決できるのならそうしたほうがいいこともある、という身も蓋もない考えは働きはじめてから身に付いたものだ。

 今日はゆっくりとお風呂に入って体を休めよう。連日の残業と時計探しでふくらはぎがパンパンだ。

 ヨシヤスはプレゼントを喜んでくれるだろうか、綺麗にラッピングされた袋を片手にそんなことを考える。彼のことを思うと少しだけ胸が暖まったような気がした。



 結論からいうとヨシヤスはとても喜んでくれた。まるで子供のようにはしゃいでいる彼を見るのは嬉しかった。

「ごめんな、高かっただろ、これ」

 申し訳なさそうに、でも喜びが隠しきれない表情で何度も聞いてくる彼は、まるでいたずらが見つかった大型犬のようでもあって普段は犬みたいと言われてる私と逆転していて少しおかしい。

「大丈夫、私社会人だから」

 少しだけ、少しだけ心に棘が刺さったような。

「でもそんなに言うなら今度の私の誕生日は奮発してもらおうかなぁ」

 おどけたようにそうは言うものの、こんなのは本心ではない。彼の負担を軽くするための演技だ。

 こんなのを避けたかったからルールを作ったのに、それを破ったのは自分だ。

 私はバカだ。

 その夜のヨシヤスはいつもより情熱的で、でも私はどこか冷めた目で天井を見ていた。



 彼の誕生日が過ぎてから最初のデートはヨシヤスの希望で映画になった。彼の遅刻癖を考慮して、上映時間の一時間前に映画館の近くの喫茶店で待ち合わせをする。

 待ち合わせよりさらに十分早く着く。これはもう私の癖のようなものだ。ヨシヤス相手にも変わらない。新作のラテを持ってカウンターで恋愛小説を広げる。彼を待つ、ささやかだけれど私の幸せな時間。

 けれどそれは意外な形で終わってしまった。

「よっ」

 ほんの数頁も読み進めないうちに彼が私の方を軽く叩いて現れたのだ。

 驚きながら隣のスツールに置いた鞄をどかし、ヨシヤスに座ってもらう。

「どうしたの、随分早いじゃない?」

「いや、お前に貰った時計が嬉しくてつい見ちゃうんだよね。そうすると遅刻出来なくてさ」

 彼は嬉しそうに、愛しそうに腕につけた時計に視線を向ける。そんな彼を見るとつい私まで微笑んでしまう。

「そっかぁ、なら贈った甲斐があったかな」

 映画の上映時間にはまだ一時間ある。



 それからというもののヨシヤスは全然遅刻をしなくなった。はじめの方こそ警戒して待ち合わせ時間を早めに設定していたけれど、二ヶ月も経つとそんなこともしなくなった。

 彼も本格的に就活を始め、中々会えなくなったけれど、その分時間を有意義に使えるようになったのは単純に嬉しい。

 彼の就職が決まれば、この負い目のようなものも消えるはずだ。あの時に感じた棘のようなものも溶けて無くなってしまうだろう。

 恋愛小説は読み進められず、私の部屋に何冊も積まれていく。

 彼はもう遅刻はしない。あのお気に入りの時計さえあれば。

 それでも私は恋愛小説を買うことを止められない。一冊、また一冊と積まれていく。

 私は多分、待つ時間が好きなのだ。

 ヨシヤスのことで満たされていく気がする。

 彼は私を待たせていた。そんな彼でも好きなのだ。

 ただ、時計を見る、それだけのことで彼が遅れなくなったことが、心に刺さった棘が育っていくようで。

 私は。



 私の誕生日までにこの思いに決着をつけよう。

 振り出しに戻るのか、色褪せるのかまだわからないけれど。


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