0.神隠し
俺は変わった経験をしたことがある。いわゆる神隠しというやつだ。
親には心配をかけたし、いろんな人たちに迷惑をかけた。それでもそれは俺にとってかけがえのないたった一日の思い出だった。誰言っても信じてもらえなかったそのことを、俺は今でも偶に思い出す。
日が暮れて夜になってもなお緑に輝く山々とそこを流れる川のせせらぎ、波紋一つない泉は中天に輝く月の姿を映し出していた。
幼い俺は泉の畔に建てられている小さな社の前に立っていた。
「そろそろじゃな。家に帰れるぞ」
そう言ってニッコリと笑うのは白い少年。髪も肌も着ている光沢のある服も白く清浄で色彩はともかくごく普通の少年に見えるのだが、そこだけ赤い瞳が妖しさを漂わせていた。
「……ありがとう」
初めて少年に声をかけられたときは状況もあって怖かったのだが、今ではもう少年のことを信頼し友達だと思っていた俺は帰れる嬉しさと少年と別れる寂しさがないまぜになったまま、それでもお礼を言った。
「なに、ワシも社を綺麗にしてもらったのだ。こちらこそありがとうじゃな」
そう言って少年は背後の社を見て笑った。その社はよほど長い間放っておかれていたのだろうボロボロだった。日本で言うところのお地蔵さま位の大きさの蛇と馬掛け合わせたような姿の神像とただ雨露をしのぐ程度の屋根と壁をもつその社は破損している場所も多く、けして状態が良いと言えなかった。
だが、俺が昼間に奮闘したおかげで周囲に生え放題だった雑草は抜かれ、つもりにつもった汚れも落とされていたので、多少は見られるものになっていた。
「うん」
言いたいことは色々あるのに言葉にすることが出来ない。もっと勉強しておけばよかったともどかしく思う幼い俺の手を引き、少年はゆっくりと泉へ進む。
呪文のような言葉はほんの一言二言だった。
気がつくと目の前には光の柱が立っていた。
「今のワシの力ではそう長くは持たん。早く行くんじゃ」
その声にいざなわれるように光の柱に入ると不思議な温かさに包まれた。
そして、ここまでずっと握っていた手がゆっくりと離れて行った。
「さようならじゃな、達者で暮らせよリーン」
「……違うよ」
いつの間にかにじんでいた涙をぬぐい、俺は少年に笑いかけた。
「またね、だよ。また会おうね。誰が忘れても僕は忘れない。ずっとずっと覚えてる。助けてくれてありがとう! 僕は君の一番の信者だよ、ラージャ!」
「……リーン」
その言葉がはたして少年に聞こえていたのか俺に確かめる術はない。だけどきっと届いたのだと思っている。だって、最後に俺を呼んだ少年は本当に嬉しそうに笑っていた。
これが俺、鈴木鈴ことリーンと異界の神ラージャの出会いだった。