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神獣と王(2)

 出立は昼過ぎ。


 夜間には、街道から少し離れた場所で休憩を取ることになる。


 キャンプ地の左手には深い森があり、時折不気味に揺れる。


 夜道はクリスタルがあっても、グラスコの速さでは危険だ。


 適当に食事を摂り、それが入っていた箱を燃やして暖にする。夜でも寒いというわけではないが、魔物や動物が近寄るのを防ぐためだ。


 一部の魔物はともかく、基本的に動物や魔物は好戦的ではない。人間が魔法を使い、強力な力を持っていることは知っているのだ。


 クロトとセイラ、そしてコサックが交代で見張りをする。


 グラスコは疲労もあるのか、寝てしまっていた。


 「魔物が寝るってのも、何か変な話だよな」


 クロトは興味深そうに、グラスコの寝顔を見ている。


 「魔物と動物の分類がそもそもあやふやだから、仕方ないよ。グラスコも一応魔物って扱いだけれど、動物に近いほうなんだと思う」


 動物と魔物の分類は、セイラの言う通り非常に曖昧だ。


 魔法を使って、人を襲う。


 増え方の原理が胎生、卵胎生、卵生のどれにも当てはまらない。


 その他、どうしても動物と呼べないような特徴がある事。


 この三つのうち、どれか一つでも当てはまれば、魔物と呼ばれることになる。


 逆に魔物が動物と認定されたからと言って何があるわけではないが、魔物という存在は基本的に恐ろしい生物だ、と認識されている。


 「なんつーか、聞いてた話とは違うよな。魔物は人を食べるだとか、血を啜るとかさ。今この状況なら、森から動物が出て来る方が余程怖いぜ」


 クロトは森に目を向ける。


 この森は動物の宝庫。魔物はこの地方に少なく、環境が厳しいところほど魔物の数は増える。


 「子供にそう言い聞かせて、迂闊に街から出ないようにってことかもしれないね」


 セイラはクスクスと笑う。


 魔物の少ないこの地方こそ、効果は絶大だったのかもしれない。


 「スライムも、こんな広いところで出てきても全然怖くないし――」


 クロトがそう言った時、森から激しい音が聞こえる。


 まるで、何か大きな力が地面に衝突したような、そんな音。


 「な、何だ!?」


 クロトは驚いて森の方向を改めて見る。セイラも大いに驚いたのか、身を縮こまらせている。


 しかし、森になんら異変はない。相変わらず静まり返ったままだ。


 「き、気のせいなのか?」


 クロトがセイラを見ると、セイラは首を横に振る。


 「私もびっくりしたもの。コサックさんは起きてないみたいだけど……。クロト、ほら、見て。グラ

スコが怯えてる」


 グラスコは確かに先程まで寝ていたはずだが、今は体を震わせ、怯えているように確かに見える。


 「グラスコが魔物と呼ばれる一番の特徴はね。魔力を感知できることなんだよ。つまり、今のは魔法で起きた音。それも、強力な魔法でね」


 これが、グラスコが魔物と呼ばれる決め手でもある。


 このように魔法を感知する魔物は他にもいるが、グラスコのように穏便な性格をしている魔物は希だ。ほかの魔物は有無を言わず襲いかかることが殆どである。


 「魔法?じゃあ、魔物がいるってことか?この森に」


 帝国軍の可能性は消えた。他に魔法を使うなら、魔物か帝国以外の人間しか可能性はない。が、あんな強力と思われる魔法を、いったい誰が使うのだろうか。


 「だと思う。あんな音だったもの、きっと危険な魔物よ。早くここを離れた方がいいかもしれないわ」


 森の静けさは、他の動物が逃げ出した後の静けさなのかもしれなかった。


 次の瞬間に、光が走る。


 それは、白い雷と、黒い雷。


 互いに交わるようにそれらは衝突し、そのまま地面に落ちる。


 そして、また大気を揺らす。


 勿論、天気は快晴。雲の欠片すらない、満天の星空。


 もう疑う余地もない、これは、魔法だ。


 流石のコサックも、二回目の音には跳び起きる。


 「なんだ!?この音は!?」


 二人が事情を話し、すぐにこの場を離れようとする、が、


 「ダメだ……。怯えて走り出しやしねぇ」


 しかし、グラスコは余りの恐怖にその自慢の足を前に出すことも叶わない。


 「もしかしたら、まだ来ない人もこんな感じなんじゃ……」


 ここからヘイリルガーデンまでは、歩きでは余りに遠い。


 「そうかもしれねぇ……。あれが収まらなぇ限り、ここから動けねぇぞ」


 「歩いて助けを呼びに来てるんじゃないか?」


 クロトの問いに、コサックは首を振る。


 「俺達に取って、コイツ等は飯の種じゃねぇ。相棒なんだ。置いていく奴なんか絶対にいねぇな」


 コサックはグラスコを宥めるように撫でるが、グラスコの震えは止まらない。


 残る方法は、魔物の魔力が切れるのを待つしかない。だが、先程まで音がなかったことを考えると、まだ魔力は余裕があるように思える。


 「俺が少し見てこようか?」


 どうしようもない雰囲気を、クロトの軽い声が遮る。


 「おいおい、あれだぜ?タダじゃあ済まない、辞めておいたほうがいい」


 コサックが止める。当然だ。下手な素人が見ても、近寄ったら怪我では済まないことが理解できるだろう。


 「いや、大丈夫さ。今の俺は少し魔法が効き難いんだ。それに、どんな魔物なのか興味もあるしな……。倒せそうなら倒してくるし、無理そうでも最低追っ払う位なら出来るさ」


 クロトはそう言って、革靴の紐を締め直す。


 「ちょ、ちょっと、ダメだって!危ないよ!」


 セイラも止める。


 「大丈夫だって。こんな所で足止めを食ったら、明日帰れなくなる。俺、一泊だけって伝言しちゃったからさ……。それに、あいつが荷馬車を襲った可能性だってあるんだ。戦わなくっても、一応見ておく必要はあるだろ?」


 確かに、クロトには魔法が効きにくい。


 確かに、あの魔物が荷馬車を襲った可能性も否定できない。


 だが、それを確かめるのは兵士の役目で、ここから街に戻って、依頼を出すのが普通の対処法だ。


 少なくとも、セイラはその気でいた。


 それでも、クロトが行く方が犠牲は少ないだろうし、きっと彼もそれに名乗り出るだろう。


 結果として、今やるか、後でやるか。そんな違いしかないのかもしれない。


 「じゃあ、ちょっと見てくる。直ぐに戻るけど、セイラとおっさんは危ないから来るなよ!」


 そう言って、革靴のクリスタルの、魔法を、使用する。


 「あ、ちょ――」


 セイラがそれを忠告する前に、クロトの姿はもう其処に無かった。


 「うぉぉぉぉぉぉお!!??」


 すぐ前を見ると、不安定な格好のまま何かに飛ばされる、クロトの姿があった。


 「アイリスさんの魔法だもの、慣れない内はそうなるって言おうと思ったのに……」


 クロトはすごい速さで飛んでいき、やがて森の中に文字通り突撃する。


 「コサックさん、私も行きますね。コサックさんはここで待っててください。戻ってきたとき、コサックさんが居なかったら私達帰れないので」


 セイラもそう言って、森へと駆け出す。


 「お、おい!嬢ちゃん!行っちまった……。どうしろってんだよ……」


 コサックは二人の後を追うことは出来ずに、グラスコを眺めていた。


 「ちょ、ちょっと……!これは、洒落にならん!」


 クロトは飛びながら叫ぶ。


 自分の魔法とは全く違う――。


 クロトの魔法は風に乗る感覚だったが、これは暴風に飛ばされているだけだ。


 魔法は感覚的なもの。


 クロトが魔法にしていた感覚をいくら言葉でアイリスに伝えようと、全く同じ魔法が出来る訳が無い。


 加えて、アイリスの魔力はクロトより強い。中々に強力な移動魔法が完成していた。


 「これどうやって止めるんだ!?」


 簡単だ。魔法を切ればいい。


 しかし、今の速度で魔法を切ったら、それこそ地面に激突、擦り傷や打ち身が大量に出来上がるだろう。


 それは余りにも情けない――。


 それに何より、これから魔物と対面しようという時にである。下手な怪我は出来ない。


 「せめて、なんとか制御を――」


 出来る訳が無い。これは他人の魔法。できるのはスイッチを入れることと、切ることだけだ。


 魔法の制御はできなくとも、姿勢を持ち直そう。


 クロトはなんとか、進行方向に顔を向ける。


 魔法は森に入ってからも、器用に木々や枝を避けながら進んでいる。一応、魔法としての完成度は高いようだ。


 「どうやって曲がる!?」


 曲がれれば、止められる。


 とっさの判断だが、あながち的はずれではない。


 試しに、風を受けて直立不動の状態から、跳ぶ。


 「うぉっ!?」


 すると、移動はそのまま垂直に上へ。


 どうやら、移動方向は普通と同じ。足を出した方向に飛ぶようだ。


 「なら、こうか!?」


 素早く体の上下を入れ替え、何もない空を蹴ると、地面へ向けて飛ぶ・


 「よっし、分かってきたぞ!」


 体で覚えるというのも、ひとつの立派な学問なのかもしれない。


 クロトは、教わらずしてこの魔法の使い方を学んだ。


 体を地面と水平にして、足を少しだけ蹴るように動かすと、微調整が可能。


 基本的にターンをするのは難しく、直角、またはそれ以内の角度に曲がっていくのが基本の動き方のようだ。


 「なんか、これもおもしろいかも……とか言ってる場合じゃない、止まる方法は!?」


 横に移動してるから不味いんだ。なら、この加速を上方向にしてから切ればいいじゃないか。


 クロトは地面すれすれに飛び、体を屈めて地面に足を付ける。それ自体でもスピードを殺すことはできたが、止まることはない。


 「行くぞ!」


 そう自分に言い聞かせ、上に飛ぶと同時に、魔法を切る。


 横への移動の力も加わり、実際やや斜めに飛んだクロトの体。


 大ジャンプ。そんな言葉がよく似合う、素晴らしい跳躍だった。


 が、大きな木の枝に腹を打ち付け、変なうめき声を上げて、地面に生還する。


 「……二度と使うもんか……」


 早くセイラに魔法を作ってもらおう。もっと安全な魔法を。そう心から思うクロトだった。


 「さて、と……。だいぶ滅茶苦茶に飛び回ったからな……。ここはどの当たりだ?」


 森は星明りこそ通る物の、やはりどこか暗い。


 星読みの技能はクロトにはないので、現状況では情けないが迷子というに等しい。


 もう一度あの魔法を使えば早いが、それでも目的の場所に辿り着く事ができるかどうかは不明である。森を出る分には役に立つだろうが。


 何度目かの大気の揺れる音。随分近くなったようで、クロトは耳を抑える。


 「……こっちか……。さて、どんな魔物かな?」


 クロトはその音の残響を頼りに、暗い森を歩き始めた。


 「全く……。クロトったら……」


 忠告も聞かずに飛び出していった、もとい飛んでいったクロトに文句を言いながら、セイラもその場所を目指す。


 「魔物っていっても、魔法だけが危険って訳じゃないんだから。もう少し私の話を聞いてから行動してもいいのに……」


 気に食わない。なにより、彼に置いていかれたことが。


 だから、彼女は決して彼の帰りを待ってなどやらない。


 「……次からは、絶対に一緒に行こうって言わせるんだから」


 その思いだけで、セイラも進む。


 魔物など恐れるに足るものか。


 本当に怖いのは、何も知らず、そしていつの間にか一人にされている事だと、彼女はもう知っている。


 あの魔物が暴れているので森に生き物の気配はやはりなく、そんなに気を配る必要なく進めることが救いでもあった。


 こんな夜の森で、あまりにも場違いな制服の少女は進む。


 「これは……」


 先にその痕跡を見つけたのは、クロトだった。


 地面に、何かを抉り取ったような不自然な跡。それは地面を黒く焦がし、土の焼ける変な匂いがし

た。


 「雷の落ちた痕……か。しかしこりゃまた、派手にやらかしてるな」


 それはあちらこちらで見られ、幾つもの木々をなぎ倒し、破壊活動と見紛う程。


 「なんでこんなに暴れてるんだ?」


 獲物を狩るためなら、もっとスマートな方法が幾らでもあるだろう。その力をやたらに誇示して、結局この森はがら空きになったのだから。


 「おっと……」


 魔物の鳴き声らしき物音が聞こえ、クロトは焼け落ちた木に体を隠す。


 これなら匂いも誤魔化せるだろう。


 「……なんだ、あれは……」


 クロトが見たそれは、美しい馬だった。


 白い皮膚に銀の鬣。尾は帯電し、降るたびに音が鳴る。


 その蹄の音すらもどこか優雅に佇むその魔物、いや、魔物と呼ぶには似つかわしくない美しさと逞しさを持ち合わせた、そんな馬だった。


 その馬は苦しげにひと鳴きすると、周囲に雷が迸り、そしてその馬の体を黒い雷が苛む。


 「黒い、雷……。黒い、クリスタル!?」


 よくよく見れば、馬の腹部に幾つか黒い破片が刺さっている。


 不思議なことに血は出ていないが、クロトにはそれが黒いクリスタルだと直ぐにわかった。魔法を使うことに対する痛み。それがあると、クロトは知っている。


 どこでそれが刺さったのかはわからない。


 ただ、クロトにはその馬がどうしても魔物には見えなかったし、黒いクリスタルが刺さっているのなら、他人事でもないような気がした。


 「お、おい……!」


 クロトは、その一歩を踏み出していた。


 言葉が通じるはずないと知りつつも、その馬に向かって声を掛ける。


 その馬は、クロトに気づくと、明らかに敵意を持った目でクロトを見ていた。


 「それ、抜けるなら抜いてやろうか……?」


 クロトが、そうして馬に一歩近づいた時。


 頭上に光が差し、何かが落ちてくるのをクロトは感じ、咄嗟に転がり避ける。


 クロトが見れば、明らかに自分の立っていた場所に、新しいクレーターができている。


 「ちょ、敵じゃねぇって!むしろ味方!仲間!」


 黒い雷に耐えながらも、その馬は敵意を微塵も衰えさせない。


 「まあ、無理か……。つっても、このまま逃げるわけにもな……」


 あの黒いクリスタルは、あの馬を蝕んでいる。


 腹部に刺さったクリスタルの破片を見て、俺もあんな風に刺さってるのか?と思う。

が、クロトの場合は体内に埋め込まれ、それが傷を隠すかのように皮膚まで大きくなったのだ。あの馬

のように引っ張れば取れそうなどということはない。


 「荒療治になるけど、覚悟しろよ!」


 クロトは、なれない治療を敢行する事に決めた。


 武器はダガー一つだが、クリスタルを抜くだけだ。必要はないだろう。


 装備は足のクリスタルと、魔法を軽減する背中のクリスタルのみ。


 勝算はあるか?と聞かれれば、あると言えよう。


 それはどの程度あの雷を無効化できるか、何の因果かこの背中のクリスタルに係っている。あれほどの雷でも無効化できるのなら、近づくことは簡単だが、それを試そうという気にはなれない。無効化できなければ死が待っている。


 「クロト!やっと見つけた!」


 その時、息を切らせてセイラがクロトに追いつく。


 「セイラ!?待ってろって言ったろ!?」


 クロトが焦る。不味い、今セイラに雷を打たれたら――


 しかし、その心配はなく、不思議にセイラに雷は落なかった。


 セイラが近づこうとするのを、クロトが手で遮る。


 「こいつの雷は強力だ。俺には容赦なく打ってきたぞ。近づかないほうがいい」


 すると、流石のセイラの足も止まる。


 「わぁ、なにあの馬……綺麗……」


 セイラがつい見とれる。クロトも、雷さえ飛んでこなければそう出来ただろう。


 「俺と同じだ、黒いクリスタルが刺さってる。だから、それを抜いてやろうと思うんだ」


 「出来るの?」


 「多分ね」


 そう簡潔に言葉を交わし、クロトは馬に向けて走り出す


 勿論、雷がクロトめがけて落ち始める。


 「すごい……」


 クロトはクリスタルの魔法を駆使し、体制を崩しながらもそれを避ける。


 セイラの感嘆の声は、その動きにではない。


 雷の魔法というのは、火や水と違い高度な魔法に位置づけされている。


 それは、雷という物を魔力で再現するのが非常に難しいからだ。


 火に触れれば熱く、水をかぶれば寒いし濡れる。


 このような感覚は比較的簡単に経験出来、故に水や火を生み出すのは容易だ。


 だが、雷は?


 雷に打たれて平気な人間などいない。


 その威力は?性質は?光の速さは?


 完全に魔法で雷を再現することは不可能だ。


 故に、この馬が使用する雷も、本物ではない。


 本物であるなら、人間の反射速度で避けきることは出来ないし、必ず狙ったところに落ちるという事もないだろう。


 セイラも今まで、この雷の魔法に挑んできた人たちを知っているし、その魔法も見てきた。


 その中でも、この馬が使用する雷の魔法は、最も雷魔法、と呼ぶのに相応しかった。


 セイラは分析をはじめる。


 「最初に雷の球体を上空に生んで、そこから地面に落とすのね……。それに、この熱。すごい再現率だわ」


 魔法としての完成度は高い。まともに当たれば立っていることは難しいだろう。


 だが、セイラにはその光景が、なんだか見たことのある景色のような気がした。


 それに思い当たる前に、魔法がクロトを捉える。


 「あぶな――」


 警告する前に、雷はクロトに着弾する。


 「―――あちぃ!」


 光に包まれたクロトはしかし、服に火が付いただけで、それを消すために地面を転がる。


 「大丈夫!?」


 「平気さ!まぁ、ちょっと痛かったけどね……」


 服についた火が消えると、体の痺れがあるのか少し確認するかのように、クロトは手や足を動かす。


 「さて、魔法が効かないのがわかったろ?大人しくしてな」


 クロトは馬にそう言うが、大人しくなる気配はやはりない。


 「元々治療は得意じゃないんだ。ちょっと痛いかもしれないが、自業自得って事で!」


 クロトは魔法を一瞬だけ、細かに使用する。


 これにより、急加速が可能になるが、連続しての使用は魔力を流し続ける事になるため、クロト自身にも痛みを伴う。


 体で覚えた魔法の使い方だった。


 幾度の雷を掻い潜り、ようやくその体躯に触れられる位置にまで来たとき。


 「うぉっ!?」


 馬の後ろ足がクロトを襲う。これはたまらず、クロトも後ろに避ける。


 続けざまそこに襲うは雷。だが、これも服を燃やすだけ。急いで消火するが、クロトの服は半分ほど焼け焦げてしまっていた。


 「あぶね……。魔法だけが取り柄ってわけじゃないんだな」


 そうだった、それを忠告しに来たんだった。セイラは己の目的を思い出す。


 「むしろ、普通なら魔法がおまけみたいな感じだけど……」


 魔物も、ただ闇雲に人を襲うわけではない。


 それは縄張り意識だったり、捕食の為だったり、明確な目的がある。


 魔物にとっての魔法とは、それを補う役割が大半だ。


 この馬のように魔法を駆使するタイプも存在することはするのだが、それにしてもこの馬はどうも例外のような気がしてならなかった。


 馬は魔法が効かないことと、黒いクリスタルの反発でだいぶイラついている。怒っているといっても

いい。だがまあ、クロトの所為ではないので、正直八つ当たりに近い。


 一瞬視線を合わせる時に、クロトは馬の瞳を見た。


 何処か血走ったような瞳。


 そして、次の嘶きで、数え切れない程の雷の魔力の塊が上空、及び、クロトの周囲に浮遊し始める。


 「いや、これは流石に……」


 クロトは辺りを見回し、冷や汗を浮かべる。


 クロトに逃げ場なし。


 おそらく直接的な被害はなくとも、セイラの場所まで被害は及ぶ。


 クリスタルから迸る激痛に耐え、それは、発動する。


 言葉をも飲み込む魔力の嵐。それは地面を砕き、焼き、木々を完膚無きまでに燃やし尽くす。


 その光を見て、セイラは思い出す。


 あぁ。これでオレザノは滅んだんだ、と。


 そして、この美しい馬の正体も。


 そして、セイラも、その光に飲み込まれていく。


 魔力の放出は数秒のこと。


 それだけだが、クロトが立っていたであろう場所には隕石でも落ちたのかと思うほどの焼け焦げた窪

地が出来、木々は須らく炭と化していた。


 苦しそうに呼吸をするその馬に、赤い目が急速に近付く。


 それは異常な瞬発力で馬の懐に入り、そして首を両手で抱える。


 それがクロトだと、その馬に認識できただろうか?


 恐らくは出来なかっただろう。もうクロトの姿は彼には見えない。


 馬は残る魔力を使用して、体から放電をはじめるが、それもクロトには効かない。首はロックされたままだ。


 「……やってくれるじゃん」


 その声を聞けば、馬も首を絞めているのが誰か理解できたかもしれない。人の声を聞き分けることができたのなら、の話だが。


 赤い瞳が、宙を彷徨う。


 その馬に理解できたのは、クロトの肩から、鈍い光が漏れていることだけ。


 黒のクリスタルの、発動でもあった。


 「人が助けてやろうってのに、それはねぇだろ?こんな魔法じゃなくて、礼でもするのが道理だろうが!!」


 その道理は人間ならともかく、馬にも適用されるのかどうかは不明だが、クロトはその首を持ったまま、後ろに海老反りになり、そのまま手に持ったそれの体を地面に思い切り打ち付ける。


 例えようのない音が響き、横たわったその馬はもう起き上がる力も無いようだった。


 「全く……。手間掛けさせやがって」


 そう呟くクロトの瞳は、徐々に元の薄い緑の瞳に戻っていく。


 「セイラは無事かな?おっと、その前に……」


 クロトは馬の腹部の、クリスタルを探す。


 「あった。ん?これって、帝国軍の鎧の一部か?」


 腹部の黒いクリスタルは、明らかに人工的な曲線を描いていたし、普通のクリスタルでは有り得ない形をしていた。


 おそらくオレガノ崩壊の際に、砕けた鎧の破片が飛んだのだろう。


 「魔物にも効果があるのか……。一応、持ち帰ろうかな」


 手に収め、全力で引っ張る。破片の鋭い箇所でクロトの手にも血が流れるが、何とか抜けそうである。


 「クロトー?無事なのー?」


 咳混じりのその声は、間違いなくセイラだった。


 「セイラ、こっちこっち」


 その声を辿り、セイラもクロトと合流する。


 そこには、手を血だらけにしたクロトと、横たわる馬が一頭。


 「……殺しちゃったとか?」


 念の為、確認を。


 「いや、大人しくさせただけだよ。助けるつもりだったんだ、殺すわけ無いだろ?それよりセイラ、

少し手伝ってよ、もう少しで抜けそうなんだ」


 クロトは焦げた自分の服を強引に破り、手に巻きつける。


 「わかった。せーので引っ張るよ?」


 セイラはクロトの腰に手を回す。


 次の掛け声で、二人は全力でそれを引っ張る。


 すると、ずるり、という感触とともに、それが引き抜かれる。


 「おー、抜けた抜けた!って、あれ?」


 クロトが手にした黒いクリスタルには血も何もついていない。そして、ボロボロとその形を崩してい

く。


 「壊れていく……?これが、黒いクリスタルを壊す方法なのか?」


 完全に消え去り、風に舞って散っていくクリスタルだった物の欠片。


 クロトはそれを少し見ていたが、やがて馬の方に目を走らせる。


 「どれ、クリスタルが無くなったから、もう大丈夫だろ。セイラ、傷を治してやってくれないか?」

 自らに治癒魔法がきかないことを知っているクロトは、馬の治療を優先させる。


 しかし、セイラは首を振る。


 「クロト、見て。傷なんて何処にもないわ」


 クリスタルが抜けたと思わしき箇所には、もう何もない。


 傷口も、何も。まるでその部分だけぽっかりと穴があいたような、そんな不気味な空間が広がっていた。


 「な、なんだこれ……。どういうことだよ?」


 動揺するクロトに、セイラは答える。


 「これは魔物でも動物でもないの。神獣、幻獣、神の使い魔。私たちはそう呼んでるけれど、実際は生き物でもない。これは、意思のある魔法なのよ」


 使い主を選ぶ、実体に限りなく近い魔法


 それが神獣と言われる存在である。


 「この馬が魔法……?良くわからないけれど、助けられないのか?」


 「うん、それは大丈夫。魔力が切れかけてるだけだから、魔力を分けてあげればいいだけ。問題は、うまくできるかどうかだけど……」


 神獣も魔法も、例外なく魔力で存在している。


 つまり、魔力が無くなれば消えるし、逆を言えば魔力が残っている限り決して消えない。


 オレザノ崩壊の最中、クルツ王が全魔力を注ぎ込んだが、それも尽きかけているのだろう。


 問題なのはここで、この魔法は、自らを構成する魔力を選別するのだ。


 そして、一度受け入れたのなら、今後はその術者以外の魔力を拒む。


 これが神獣。今現在、世界で八種類しか確認されていない、魔法の最高峰。


 そんな仕組みを、セイラは知らない。


 ただ、今は動けるだけの魔力を補給しようとする。そして、動けるようになったら、次の所有者を探

しに行くだろうと、少なくとも今は思っている。


 セイラがその魔力を神獣に流すと、神獣に空いた穴はじわじわと塞がっていく。


 「おぉ、埋まっていく……。不思議な光景だ」


 クロトはそれを実に不思議そうな目で見ていた。


 「……ダメ、傷は塞げたけど、魔力が全然足りないよ……。さっき全力で魔法障壁張っちゃったからかな……」


 セイラの魔力はもう尽きてしまったが、神獣の欠損を塞ぐので精一杯。


 アイリスの本で覚えた魔法障壁はまだ不完全で、自分にしか掛けることができない事がネックだが、物理、魔法共々それなりの防御力を兼ね揃えていた。


 お陰で先ほどの大魔法の影響もセイラにはあまりない。防御壁とそのクリスタルは砕け散ったが、その本懐を果たした。


 そうしていると、神獣の体が輝き、光に包まれて消える。


 後には、両手サイズの大きなクリスタルが残された。


 「これは?」


 クロトが拾い上げる。中には青い雷が走っているような、奇妙な紋様が動いている。


 「多分、核になってるクリスタルだと思う。あの姿は、魔力を消費するから。……それ、どうしよう?」


 セイラがクロトを見上げる。


 「いや、どうしようたって。持って帰るしかないだろ。ここに置いたままで解決するようなものじゃないんだろ?」


 魔力が足りず、神獣は実体を持てない。


 誰かが魔力を込めるまで、永遠に。


 魔物とは違う。魔力は時間経過で回復をしない。


 「そうだよね……。うう、神獣のクリスタルか……。とんでもない物拾っちゃったな」


 セイラは項垂れる。


 確かに、神獣のクリスタルというのは、この世界の何よりも価値があるものの一つ。


 売れるのなら、一生どころか、数回生まれ変わっても豪遊出来る程の値が付くだろう。


 だが、実際は売れるものではない。


 其の貴重さからではない。


 そのクリスタルは、選ばれないと使用できないからだ。


 そして、セイラはまだ気づいていない。


 神獣に魔力を流し、それが受け入れられた時点で、彼女がこのクリスタルの保有者になった事を。


 新たな王の誕生は、非常に焦げ臭い、森の中だった。


 その後、嫌がるセイラをクロトが説き伏せ、クロトの魔法で森を脱出することに。


 というより、二人共地理を見失っていたので、現実的な方法がそれしかなかったのだが。


 出発と同時にセイラが盛大な悲鳴を上げ、到着というより不時着の時にセイラを庇い負ったクロトの擦り傷に涙目で怒りながらも、なんとか二人は帰還を果たした。


 夜が明け始めると、コサックの判断で捜索は打ち切り、一旦都市に戻ることに。


 二人の疲弊もそうだが、なによりクロトの怪我が酷かった。


 全身に擦り傷と火傷。手は切り傷で服はボロボロ。


 おまけに回復魔法が効かないと来て、帰らざるを得なかった。


 その帰り道。


 「あ、そう言えば少しだけど回復薬あるよ?」


 セイラが制服の内ポケットから、小さな小瓶を取り出す。


 「え……?いや、大丈夫!怪我はゆっくり直すからさ!」


 クロトは全身の痛みに耐えているが、それでも回復薬を拒否する。


 「ダメ。私の魔力もないし、これ、使わなきゃ。バイ菌とか入ったら、もっと痛むよ?」


 セイラはどこが一番酷いか、確かめるようにクロトの体を見る。


 「いや、本当にそれは勘弁!前使ったとき滅茶苦茶痛かったから!」


 肩の傷の時だ。あれは傷の深さも相当だった故、痛みも尋常ではなかったらしい。


 「もう……。我侭言わない!そもそも、魔法効きにくくなったのに怪我する方が悪いの!」


 セイラはそうして、クロトの火傷痕にそれを塗りつける。


 荷馬車に一瞬だけ、悲鳴が響く。


 「おうおう、こりゃあ将来尻に敷かれるのは目に見えたな……」


 コサックは呆れながらも、都市へと急ぐ。

 

 

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