漆黒のクリスタル
「うー……ん?」
クロトは何かに揺すられている感覚を覚え、目を開ける。
「クロト、目が覚めたの?」
その言葉はセイラの物だ。
「なんでセイラがここに……?」
目を開ければ、セイラの顔が見える。
よく見れば、景色が違う。
自分の家じゃない。寝ている場所もベッドじゃない。
それで、クロトは現実に帰ってくる。
「ここは!?あの後、俺達は一体……?」
帝国軍が襲ってきて、下水路を通って逃げたことは覚えている。
そこでセイラが急にクロトの手を引いて走り出す。そして視界が白く変わって、そこからクロト記憶は途絶えている。
「見たほうが早いわ。ほら、あっち」
どうやら何かの荷馬車に乗せられているようだ。
セイラは何も積まれていない荷馬車の、布を開ける。
そこには、ただ広い平野があるだけだった。
「……あっちって、何もないじゃないか」
クロトが寝ぼけ眼を擦っても、そこには何もありはしない。
「……あったんだよ。私たちの街が、あそこに」
セイラは悲しそうな目で、それを見ていた。
「……そんな、嘘だろ?帝国軍がやったのか?」
「ううん、たぶんクルツ様だと思う。街一つ吹き飛ばすなんて、神獣の力じゃないと無理だもの」
クロトも、都市に王が住んでいる事は知っているが、ここまで強力な魔法を使うとは知らなかった。
「こんな事ができるなら、なんで最初から戦わなかったんだ!大勢の人が助かったかもしれないのに!」
怒りに燃えるクロトだが、セイラは首を振る。
「出来なかったの。少しだけ、聞いたことがあるわ。クルツ様の神獣の力は強力で、街ごと壊してしまう。私たち以外にも、きっと下水路を通って逃げた人たちはいるわ。でも、クルツ様が攻撃すればその通路ごと吹き飛んでしまう。だから、皆が逃げた事が確認できるまで、クルツ様も動けなかったのよ」
クロトにも、それは解る。
だが、もっとなんとか出来なかったのか?そう思わざるを得ないのだ。
力なく項垂れるクロト。
「……悲しいね」
セイラはそう、優しく言葉にした。
「……そうだね」
クロトも、今は何もない景色を見る。
一晩で、全てが消えた。
そこから言葉もなく、二人は、声を上げて泣いた。
やがて泣き疲れた頃、クロトの思考は未来へと向かい出す。
最優先事項は、セイラを守ること。
これはセイラの父に頼まれたのだ。絶対に守らなくてはならない。
そんな中、荷馬車の操者が話しかける。
「なんと言えばいいのかわからんが……。元気だしな、お二人さん。あんな中でも生き延びられたんだ。神様の思し召しだ」
空気を読んで、黙っていたのか、それとも本当にかける言葉がなかったのか。
クロトとセイラは、荷馬車の前の方に。
そこには大量の荷物が積まれ、わざわざこの場所を二人のために開けてくれたのだということをクロ
トは理解する。
「おっちゃん、助けてくれて有難うな」
クロトは努めて明るく、お礼をする。
「いや、当然のことよ。オレザノに朝一番で付くはずだったんだがな。荷を下ろすどころか、増やすとは思わなかったぜ。後、俺の名前はコサックだ」
コサックは小太りした中年の男だ。姿の割には眩しい笑顔を見せる、
どうやら商業の荷馬車らしい。
馬車というが、手綱をつけているのは馬ではない。
グラスコという、カエルによく似た魔物だ。
この魔物は珍しく草食で、ある地域に生える草しか食べない。
そして非常に警戒心が薄く、人にも危害を加えない。人間がその草を与えてやると、割と簡単に懐き、その四足の馬力、豊富な体力から、運搬の手段として重宝されている。
大きな蛙が牛のように走る姿は子供が泣くほど怖いし、移動速度は早いが凄く揺れる。
グラスコ商会という集団もある程、この世界ではメジャーな魔物である。
「今は引き返してる最中なのか?」
グラスコは良く懐いているようで、一心不乱に走り続ける。十分に餌を与えれば、三日ほど走り続けられるそうだ。
「其の通り。向かってるのはヘイリルガーデンだ。まだ時間はある。ゆっくり休みな」
ヘイリルガーデン。
オレザノから西に、グラスコなら一日で付く都市。徒歩だと五日はかかる。
「俺達以外に、逃げた人は居なかったのか?」
御者は首を振る。
「俺が着いた頃には誰もいなかったな。そもそも、皆夜には逃げたんだろ?お前らは、早朝にぶっ倒れてたのをたまたま見つけたんだ。もう何処かに移動しているんじゃあないのか?」
「流石にヘイリルガーデンまで徒歩で行くってことは無いと思うよ。皆、南か北の方向に行ったんじゃないかな。そこなら小さな街が沢山あるしね」
セイラが横から口を出す
どうやらクロト達は最後尾を走っていたらしい。
あの少し遅かったら、都市の崩壊に巻き込まれていたかもしれない。
「まあ、仕方ないか……。で、セイラ、そのヘイリルなんとかってのは、どんな街なんだ?」
クロトは学校に行っていない分、知識が足りない。他の街に行ったこともない。
「ヘイリルガーデンはね、魔法研究の盛んな都市なの。クリスタルの使い道や、魔法医療が最先端。街灯なんかのクリスタルの使い方も、そこで編み出されたんだよ」
「あと王もいるぜ。魔法研究の第一人者だ。オレザノとはだいぶ雰囲気が違うが、こっちもいい都市だ。オレザノの事はもう知ってるかわからんが、事情を話せばきっと力になってくれるさ」
二人の話を聞き、クロトはふーん、と相槌を返す。
「直ぐには着かないんだろ?」
「そうだな。このペースなら夜更けか、明日の早朝には着くだろうな」
コサックはそう返す。簡単に操縦しているようだが、これが非常に難しいのだ。
「……なんだか、やることが無いと落ち着かないな」
日々仕事に追われ、忙しなく都市を飛び回って来たクロトにとって、乗り物に乗っているだけ、という状況は非常に耐え難かった。
「クロトは落ち着きがないから……。ほら、ゆっくり休める時に休まないと。これからどうなるかもわからないんだから」
セイラがクスクスと笑う。
この先への不安など、微塵もないかのように。
「うーん、でも体を動かしてないとな……?」
腕を回すと、右肩に僅かな違和感。
あぁ、そう言えば銃で撃たれたんだっけ。
今更ながら、そう思い返す。
「どうしたの?どこか痛む?」
セイラが心配そうにこちらを見る。気づくと、スライムにやられた手も元に戻っている。
「いや、大丈夫。怪我はセイラが治してくれたの?」
セイラは頷く。
「うん、コサックさんがクリスタルを分けてくれたの。上手くできたかどうか、ちょっと自信ないけど……」
クロトは他の部位を確認する。
「大丈夫さ。心配ないよ」
クロトは笑顔でそう答える。
今からいく都市は幸運にも医療が進んでいるらしい。
そこで弾を取ってもらおう。流石に魔法の力じゃこれはどうしようもないし。
そうしてクロトは敢えて、その事をセイラには言わなかった。
クロトはそうして、体を横たえる。
気絶していたとは言え、流石に体は痛い。
セイラは端の方で、座っていた。
「セイラも横になったらいいじゃん。魔法を使って治療もしてくれたんだろ?」
スペースは狭いが、二人が横になる程度の幅はなんとかある。
しかしセイラは首を振り、決してクロトの傍に寄ろうとはしなかった。
「ほ、ほら、私の服汚水に浸ってるし……。お風呂にも入ってないし、汗臭いし……。と、とにかくいいよ!クロトは横になってて!」
そう言われれば、素直に横になれないのがクロトなのだ。
「大丈夫、もう下水の匂いなんてしないって――」
そう言って、セイラに鼻を近づけようとするクロト。
「ダメ!絶対ダメ!こっち来ないで!こないでったら!」
しかし、そのあまりの拒絶っぷりに流石にクロトを顔を引っ込める。
「なんだよ……。セイラも疲れてるんだ。休める時に休めよ?」
「わ、わかってる!わかってるから!」
その焦り様に首を傾げながら、クロトは再び体を横たえる。
「……若いねぇ」
コサックがそう呟くと、グラスコは唸り声を上げて走り続けた。
その後も無事に進路を駆け抜け、グラスコとコサックの休憩も挟んで、都市に着いたのは翌日の昼前。
激しい揺れで結局寄り添う様に寝ていた二人だが、セイラがそれに気づき、悲鳴を上げ、それに反応したグラスコが勝手に走り出すなどというハプニングも途中にあり、予定からはだいぶ遅れてしまっていた。
ヘイリルガーデンという都市は、街を囲う壁がある事はオレザノと同様だが、城ではなく大規模な魔法の研究施設が存在する。
堅牢な外壁には蔦がびっしりと生え、頑張れば登れなくもないな、とクロトは感じた。
「ようこそお二人さん。これがヘイリルガーデンだ。俺の生まれ故郷ではないが、硬いことはいいっこなしってな」
コサックは盛大に笑いながら叫ぶ。
「でかい建物が多いな……。外からでもわかる」
城壁を超えて、幾つかの建物がその一部を晒していた。
「すごい都市……」
クロトとセイラは、荷馬車の中からそれを見上げていた。
クロトとセイラの心には、少しだけ、浮き立つ物があった。
あんな事があってまだ間もないし、二人は決して言葉に出さないが。
それでも、彼らは二人でいることで、悲しみを乗り越えようとしているのかもしれなかった。少なくとも二人の瞳は、悲しみだけに囚われてはいない。
「南口が一番でかい門になる。そこからじゃなきゃグラスコは入れないからな。もう少し眺めてな!」
コサックの言葉に頷き、ただ一心に都市を見る。
ここからだ。全てをここから始めるんだ。
二人共、そんな思いで。
南門には多少の行列ができている。どうやら街の人間が検問を敷いているらしい。
「行列とはな……。まあ、近くであんな事があれば慎重にもなるか……」
この世界の物流に制限はないし、この場所に拠点がある荷馬車ならば通行証が与えられている。検問自体は珍しくはないが、行列ができることは稀なのだろう。
「何、心配することはねぇさ。直ぐに街に入れる」
この荷馬車に食料しか積んでいない事は二人も知っている。
大人しく列が消化されるのを待つ。
意外にも早く、人の列は街へと入っていく。
武装、と言っても金属鎧ではなく、革鎧と短剣を装備した男が四人、南門を受け持っているようだ。
「待たせてしまって済まないな。だが、街の中へ入れるために、少し確認しなきゃならんことがあるんだ」
順番が来ると、三人は一応荷馬車から降りる。
「いや、荷馬車は大丈夫だ。グラスゴ商会の物だろ?今回の検問は少し違うんだ」
「なんだよ、じゃあ何を見るんだ?」
コサックは不思議そうに尋ねる。
「魔法を使えるかどうか、だ。それさえ確認できれば、入って構わない」
「そんな事か……。ほらよっ、っと」
コサックはそう言って、懐からクリスタルを出し、それを光らせる。夜間用の物だろう。
「手間取らせて済まない。どうにも、咎落ちの奴らが動き出したようでな。奴らを中に入れるわけに
はいかんのだ。見た目ではわからないからな」
「咎落ちが……?じゃあ、真逆オレザノは咎落ちの奴らに襲われたってことか?」
コサックが驚いて大声を出すと、兵士はそれを諌める。
「あんた、オレザノに行ってきたのか?まあ、それはいい。オレザノの事は今は伏せてある。悪戯に不安を煽りたくはないからな。中に入っても他言無用で頼むぞ」
「酷いもんだったぜ。後ろの二人はなんとかあそこから逃げ出した二人だ。よくしてやってくれよ」
コサックが兵士にそう念を押す。
「……そうか、君たちはオレザノの……。済まないが、念の為確認をさせてもらうが、いいかな?」
その哀れみの視線というか、そんな視線を浴びるのは予想していたが、然程いいものでもない事をクロトは知った。
「いいよ。どんな魔法でもいいんだろ?」
クロトがそう聞くと、兵士は頷く。
「ほら、セイラ。これ、使いなよ」
クロトはそうして、自らのダガーをセイラに手渡す。
「セイラが使うのは回復魔法だけど、今は怪我もしてないしね。このクリスタルなら、前に水を出しただろ?」
「うん、有難う、クロト」
セイラはその短剣を丁寧に受け取り、そして両手で柄を持ち、クリスタルに微量の魔力を流す。
ダガーの前方に、手のひら大の水の球体が生じる。
「結構です」
兵士がそう言うと、その球体は地面に落ち、水の跡を作る。
「最後は俺ね」
クロトがそう言い、革靴のつま先で地面を蹴る。やる気十分、今まで動けなかった分を発散するかのように、魔力を流す。
すると、激痛が、クロトの体全体を這いずり回る。
「――カハッ……ッ!」
あまりの痛みに声が出ない。
激痛の発生源はどうやら肩の傷のようで、クロトは無意識的にその場所を手で抑えようと、腕を伸ばす。
「クロト!?どうしたの!?痛いの!?」
セイラは素早くクロトが撃たれた場所を覗く。
セイラも、クロトが撃たれた事を気にしてはいた。回復薬で応急手当はしたが、自然治癒を待っていいものではない。傷が開いたのかもしれない。そう思っていた。
「――なに、これ……」
セイラは絶句した。
クロトの右肩、銃弾が彼の皮膚を貫いた、その場所から。
まるで小さな角のように。
黒いクリスタルが、生えていた。
それに合わせて周囲の皮膚すら浅黒く変異している。
セイラは、恐る恐るそのクリスタルに触れる。
人の体には有り得ない、筋肉とも違う無機質な硬さが指に伝わる。
周囲の皮膚は普段と同じ柔らかさだが、明らかに病気や怪我の影響でなる色ではなかった。
「どうした?怪我してるのか?」
そして何より不運なことに、ここの兵士は知っている。
「これは……黒い、クリスタル……?」
クルツ王が死の間際、密偵に手渡した漆黒のクリスタルは、その解明のためこの都市に保管されている。
そして、咎落ちは、黒いクリスタルを使う、と、ここの兵士は知っている。
「と、咎落ちか!?」
兵士が慌ててクリスタルを取り出し、クロトを魔法で捕縛しにかかる。
使用する魔法は風。
クロトのように運動を助けるのではなく、相手を縛る風。
体を地面に押し付ける、地に縛るように魔法を展開する。
クロトの激痛は続く。兵士の魔法ではない。自らの体内の、それから生まれる痛み。
「タ、スケ……」
押し付けられる重圧。体に流れる痛み。
痛い。辛い。動けない。助けてくれ。誰でもいい。なんとかしてくれ――。
クロトがそう願うとき、黒いクリスタルが、鈍く輝き出す。
「よし、このまま――」
魔法による捕縛が成功したと、兵士たちはクロトを取り囲む。
と、その時。
「――なんてこった」
押し付けられる重圧。常人ならば腕を動かせもしない程の上からの風圧の中、むくり、とクロトは立ち上がる。
「魔力を上げろ!」
「もう最大だ!これ以上は無理だ!」
「咎落ちに魔法は効かないということだったが、本当だったか……」
兵士たちは驚愕の眼差しで、クロトを見ていた。
しかし、踏み込めない。この魔法は自分たちにも通用する。今魔力の効果範囲に入れば、自分が地面に埋まることになる。
「どうする?武器で気絶させるか?」
クロトはじわりじわりと、術者の方へと近づいてくる。
「いや、完全ではないが、効いているようだ。ここは任せ――」
全ての言葉を吐き終える前に、クロトの手が兵士の口を塞ぐ。
両頬を片手で塞ぎ、兵士を見上げる。
この少年、何処にこんな力が――?
それは大人の兵士が、片手で持ち上げられるかのような。
そんな、異常な力だった。
「……」
クロトは、その兵士を見上げる。
その瞳は、真紅に燃え、何かが宿っているように、その兵士には見えた。
あまりの出来事に、兵士は魔法を解く。
魔法が解けたその瞬間、クロトは膝から折れ、地面に横たわる。
「……た、助かった……?」
まるで殺されかけたかのように、兵士は膝をつく。腰が抜けているのだろう、立ち上がれない。
「と、とにかく捕えろ!」
残りの兵士達に連れられ、クロトは運ばれていく。
「お、おい、ちょっと待てよ!嬢ちゃんの連れだぞ!?」
コサックがどうしたらいいのかわからず、セイラと兵士を交互に見る。
セイラはただ呆然としていたが、やがて地面に崩れ落ち、ただ、涙を一筋流した。