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逃亡

 

 「クロト!大丈夫!?ねぇ、お願い!」


 セイラの泣き叫ぶような声で、クロトは目を覚ます。


 そうだ、落ちたんだ……と思うと同時に、体には激痛が奔る。


 どうやらそれなりに強く体を打ち付けたらしい。


 「いてて……セイラ、怪我はないか?」


 それでも、平気な顔をして身を起こす。


 二人分の体重を受け止めたのだ。平気なはずはない。


 が、それよりも肩に受けた銃弾が、熱を帯びたように痛い。思わずその部位を手で探る。血は多少出ているようだが、銃弾が貫通した後は見られない。


 「……ごめんね。クリスタルで治療したんだけど、直ぐに壊れちゃった。本当にごめんなさい!私って、本当に馬鹿よね……」


 セイラは泣きながら許しを請う。


 一度魔力を流し込まれたクリスタルは、もうその魔法しか使用できない。

 

 クロトの革靴を使用する事は出来ないのだ。

 

 だからこそ、人は靴や常に身に付ける何かにクリスタルを装飾する。


 セイラの場合はネックレスだ。彼女の首に下げられているはずのクリスタルは、確かにもう無くなっていた。


「大丈夫、まだ動けるさ……」 


 辺りを冷静に見回すと、まだ城門までは距離がある。急がなければならない。


 「行こう。帝国のやつらが来る……」


 そうして、再び魔力をクリスタルに供給しようとする。が、


 「うあっ……!?」


 再び体に走る激痛。特に、撃たれた肩が酷く痛んだ。まるで、体の中を抉るかのように。膝から力が抜け、その場に倒れこむ。


 「クロト!?」


 なんとかそれをセイラが受け止める。しかし、彼女の力では受け止めきれず、彼女も地面に座り込む。


 セイラには見えた。


 クロトの右肩から、明らかに落ちた時のものではない、深い傷があるのを。


 「クロト!これ!」


 セイラはその上の服を開ける。


 そこには、丸い穴があいて、血が溢れてきていた。


 「撃たれたの!?どうしよう、どうしよう……!」


 このままでは、きっと死んでしまう。


 セイラに恐怖の影が宿る。


 クリスタルは無い。自分には何もできない。助けを求めるように辺りを見回しても、誰も助ける人な

ど居はしない。


 「あそこ!クロト、ちょっと待ってて!絶対に、絶対に動かないでね!?」

 

 できる限り優しく、クロトを地面に寝かせ、セイラは民家へ駆け出す。


 その民家は郊外ゆえまだ火が付いておらず、人はいないだろうが完全な形を保っていた。


 扉に鍵は掛かっていない。セイラは躊躇わず、その扉を開ける。


 「ごめんなさい!でも、急いでるんです!」


 そう言って、民家の中を探す。


 他人の家だ。どこに何があるかなどわかるわけもない。だが、民家だからこそ必ずある。セイラはそ

れを必死に探した。


 「あった……!」


 セイラが戸棚から見つけたものは、綺麗な瓶だった。


 瓶の中には液体が詰められており、まだ未開封のようだ。


 ラベルには「強力、安全、回復薬」と貼られている。


 セイラは二本しかないそれを大事に抱え、素早く民家を後に。


 クロトの所へ戻る途中に、人の気配を感じ、やや慎重に。


 「追ってきたの……?クロト、無事でいて……」


 静かにそう願い、今来た道を引き返す。


 幸いにも裏路地の一角に落ちた事と、帝国軍の機動力の無さで、クロトはまだ発見されていないよう

だ。


 自分でも僅かに動いているのか、壁に寄りかかってクロトはセイラを待っていた。


 「クロト!傷見せて。ほら、早く!」


 クロトを抱きかかえるように、右肩の傷を見る。


 赤黒い血は、未だ止めど無く流れている。


 「痛いと思うけど、我慢してね」


 セイラはそう言うと、その瓶の中身を傷口にそっと振りかける。


 「ッ……!」


 その痛みに、クロトはセイラの腰に手を回し、耐えるように力を入れる。


 「ッ……大丈夫、大丈夫だからね」


 その強い力に多少の痛みを感じたが、それでもセイラは優しい口調で語りかける。


 瓶の中身を一つ開けた所で、不思議なことに傷口から流れる血は止まる。


 「これで大丈夫……」


 そう言うと、セイラは緊張が解けたかのように一息つく。


 傷口は塞がりこそしないものの、出血は止まったのか血が溢れる気配はない。


 クロトも力が抜けたかのように、だらりと腕を垂らし、苦しそうに息をしているが、顔色は先ほどとは桁違いに良い。


 セイラが使用した回復薬は、クリスタルの魔法で生み出された特殊な液体である。


 その効果は様々だが、一般的に出回っているのはこの回復薬。


 外傷に即効性の効果があり、擦り傷なら少量で治癒する。


 魔法の回復とは異なりクリスタルを消費しないが、その代償として激しい痛みを伴う。子供が総じて嫌がる薬の一つでもある。


 暫く、と言っても二分程度だろうか。


 痛みも和らいだのか、クロトが声を出す。


 「ごめんな、心配させて……。もう大丈夫だ、行こう」


 そう言って立ち上がるが、やはり足に力は入らないのか、その脚付きは危なげだ。


 「無理しないで……!ほら、肩貸すから」


 セイラは優しく左腕を取って、自らの肩に回す。


 「魔法が使えればいいんだけど、集中出来ない……。全く、何やってんだ、俺は」


 クロトはそう言って自嘲気味に笑う。


 魔法は一定の条件を満たさないと発動しない。


 クロトの魔法は持続性なので、常にそれを頭の片隅で意識する必要がある。


 今のような状態では、一時的に発動した所で直ぐに掻き消えるのが目に見えている。そして、それは非常に危険なことだ。


 「気にしないで。それより、城門に急ごう?」


 二人はゆっくりと、それでも確かに前に進む。


 だが、そんなスピードでは帝国軍に見つかるのは時間の問題でもあった。


 「不味い、帝国軍だ」


 クロトを追ってきたのだろう、三人の帝国軍が見える。


 鎧の金属音は、燃え盛る街の中でも非常に目立つ。先に見つけることは容易かった。


 クロトが気づかれないように確認すると、一人はサーベル。もう二人は銃を持っている。


 しかし、魔法が使えない状態では、この大通りを通るしか外に出る道はないのだ。


 だからこそ、彼らもこの場所に網を張っているのだろうが。


 「ど、どうする?クロト?」


 セイラの目が不安そうに揺れる。


 強攻策は無謀だった。たとえ不意を取れたとしても、この怪我では逃げきれないし、重の的になるだけ。かと言って迂回路はない。手詰まりだった。


 最悪なことに、悩んでいる時間もない。


 帝国軍はその網を広げ、次第にクロト達に近づきつつあった。


 どうする?何か、何かないか?


 それでもクロトは探し続ける。


 そして、通路にある、恐らくは下水パイプに繋がるであろう地下への入口を、見つける事ができた。


 「セイラ、下水パイプだ!そこから出よう!」


 その蓋は先ほどの投石や、建物が崩れた影響で歪み、いつもなら頑丈に塞がれているはずだったが、

少しの力で開けることができた。


 「下水……。し、仕方ないよね」


 少し嫌な顔を見せたセイラだったが、やむを得ず従う。


 「ほら、セイラから先に。俺は蓋を占めなきゃいけないから」


 「う、うん……」


 セイラは渋々、地下への道を降りていく。


 クロトはセイラが降りるのを確認し、さらに帝国軍が迫っていない事をもう一度確認してから、穴に

身を潜め、そして蓋を閉じた。


 「クロトー、暗いよぉ……」


 光の届かない地下は当然暗い。


 それでも道は一本道。二人は足元に気をつけながら、ゆっくりと下る。


 「仕方ないだろ……。その内慣れるさ。それまでの我慢だ」


 下水に降りるときは基本的に灯りを持つか、魔法でクリスタルを光らせる事が基本だ。だが、今は非常時。そんな余裕はない。


 クロトが下を見ると、だがしかし、やや明るくなっている。


 「なんだ?灯りが付いてる」


 セイラもそれに釣られて下を見る。


 「本当。誰かいるのかしら?」


 そんなはずは……、とクロトは思うが、取り敢えず下に降りてみることに。


 下水パイプ。


 この街の生活排水を一手に引き受けるその場所は、当然の如く悪臭で満たされている。

 

 人が通れる程度足場もあり、大人でも通れる程度の広さがある。


 二人がその場所に降り立つと、確かにクリスタルが壁にかけられ、光を放っていた。だが人気はなく、ただただ汚水の流れる音が響くだけだ。


 「……もしかして、ここを使って逃げた人が他にもいるのかしら?」


 セイラは壁にかけられたクリスタルを取る。


 大量の魔力が込められている。クリスタルの大きさも十分だ。


 これもクリスタルの魔法の使い方の一つ。


 簡単な魔法に、それに見合わぬ魔力を注ぎ込む。すると、クリスタルはその魔力を使い切る、またはクリスタル自身が無くなるまで自動的にその魔法を発動し続ける。


 発光や消灯などは持ち主が操作できる。


 これを応用して、自分が使えない魔法を使用できるクリスタルを売っている店なども存在するが、こちらは非常に高価。一般市民が手を出せるものではない。


 ちなみに、夜間の外灯、家庭の灯りなどは全てこれらの技術を応用している。


 「そうかもしれない。なんにせよ、今の俺達には有難いな」


 クロトは下水パイプの先を見る。


 先にここを逃げた人間が、後続してくるだろう人のためを思って配置したのだ。


 その証拠に、地上から降りられる場所には点々と灯りがついている。


 それはつまり、ここからなら脱出することができるという希望の灯火でもあった。


 「早く行こう。流石にあの鎧でここに入ってくることは出来ないだろうけれど、ここには魔物が出る」


 セイラより少し前に出て、クロトは進む。


 回復薬の痛みはもう消えていたが、撃たれた肩はまだ違和感がある。


 当然だろう。今はそれを気にするより、この場所を出るほうが先決だ。


 「う、うん……。それにしても、凄い匂いだよ……」


 セイラは今気づいたかというように、鼻を覆う。


 「それは仕方ないさ……。暫くすれば、だいぶ良くなるはずさ」


 二人は慎重に歩き始める。


 下水路は様々な場所から下水を集め、やがて外へ排出される。


 が、ここに一つの工夫がある。


 下水は、そのまま流せば川を汚染する。


 それは、禁忌だ。


 「見て、スライムよ」


 セイラは下水に向けて、クリスタルの光を当てる。


 そこには、液体が形を作り、蠢いている。


 「襲っては来ないだろうけれど、気をつけて進もう」


 警戒を怠ることなく、クロトは進む。


 このスライムという魔物を発生させるため、この下水道はあるのだ。


 スライムという魔物は、水がある程度の汚れを孕んでいると生まれる。


 そして水中の汚れを餌として、その養分が貯まれば分裂して個体を増やす。


 そして、彼らは糞として、清浄な水を排出するのだ。


 そして、水が清浄になれば、その水に溶けて消えていく。


 それがスライムという魔物。これを利用することによって、街からは余り汚染されない水が排出される仕組みになっている。


 しかし、このスライムという魔物、水中にあるものはなんでも溶かして咀嚼する。


 それは人間といえど同じだ。


 動きは遅いので、無理に仕掛けようと思わなければ戦う必要はないが、一度纏わりつかれれば剥がす頃には皮膚は溶かされているだろう。


 この下水路は、このスライムが大量発生していないか、突然変異を起こしていないか。その確認のために作られている。


 幸いスライム達は水の中の汚れを溶かすのに夢中で、クロト達には寄ってこない。


 しかし、上の影響もあるせいか、スライムは普通より肥大化していると思われた。


 「ねぇ、そう言えば、お父さんとお母さん、無事かなぁ?」


 セイラがなんの気なしに、ポツリと呟く。


 どう答えるべきか?


 クロトは不意に足を止める。セイラも止まる。


 「どうしたの?」


 セイラが尋ねる。


 少なくとも今ここで言うべきことじゃない。


 だけど、嘘を付きたくはなかった。


 「……うん、ごめんね、変なこと聞いちゃって。なんとなくだけど、わかってる。だから、クロトが私を探しに来てくれたんだよね」


 セイラはそう言って、震える手で、クロトの服の裾を掴む。


 クロトが振り返ると、セイラは気丈に笑っていた。


 麻痺している、と言っても良かった。今日は、余りに人が死にすぎて、そして二人はそれを見てしまった。


 「うん。ここから出て、一息ついたら、全て話すよ」


 そう言って、クロトは前を向く。


 そこで、思い切り泣こう。そう誓った。


 セイラも理解しているだろう。


 なぜ、自分の両親ではなく、クロトが自分を探しに来たのかを。


 彼女もまた、誇り高い思想を受け継いだ娘なのだから。


 そこから二人は、言葉少なく、重苦しい空気の下水路を歩く。


 先人の魔力が尽きたのか、周囲に灯りはなくなり、手持ちのクリスタルだけが頼りになっていた。


 そんな時に、変なものが、道をふさいでいることに、クロトは気づく。


 「うん……?」


 それは炎ではない。


 こんな所に燃えるものはない。


 しかし、赤く、透明で、本来は傍を流れている水の中にいるはずだった。


 「赤い、スライム……?」


 それは確かにスライムだった。


 赤くなった液状の体は尚更不気味で、通路を塞ぐように、そして少しづつクロトの方へと躙り寄る。そのスピードは遅いが、それでも普通のスライムより二倍ほど早い。


 「なんだ、コイツ……?」


 クロトはセイラを守るように、一歩下がる。


 セイラはその横から顔を出して、そのスライムを目視した。


 「授業で聞いたことあるよ。スライムって、餌にした物によって色とか変わるんだって。排出するのは水だけど。それで、その色に変わったら、もうそれしか食べないみたい」


 それこそが、スライムの特徴であり、危険性でもある。


 「へぇ、じゃあコイツは赤いものを消化したってことか……。でも、こんな場所に赤いものなんて……」


 クロトがそうして汚水を見れば、すぐ脇のパイプから、時折赤い水が流れている。


 今日は、沢山の人が死んだ。


 そんなときに、大量に下水に流れてくるものといえば。


 「まさか、血……?」


 其の通り。このスライムは、人の血を餌とする。


 そして厄介なことに、彼らはそれを得る方法を本能的に知るのだ。


 人を襲えば、餌が手に入る、と。


 変異したスライムの凶暴性は、通常のそれとは比べ物にならない。何故なら、餌が非常に限定されるからだ。この赤いスライムは、人を襲うことでしか生き延びられない。


 クロトとセイラは、それに気づくと今までより大きく距離を取る。


 「……スライムって、どうやったら倒せるんだ?」


 逃げる幅はない。下水には普通のスライムが蠢いている。


 スライムは全身が消化器官である。餌ではなくても、触れれば全てを溶かす。


 「えっと、スライムは全身消化液で構成されてるから、武器の類は余程大きな物で叩き潰さないと駄目だったかな。倒すっていう感じじゃなくて、小さくして自壊する時間を早めるっていうのが対処法だったような……。あ、あと火が効くみたいだよ」


 スライムが分裂するのには、多量の養分が必要だ。それを強制的に引き起こすことによって、餓死の時間を早める。それが基本的な対処法だ。


 スライムの状態によるが、分裂後すぐ餓死することも多い。故に、攻撃すれば倒せる、と認識されがちなのである。


 「……セイラ、攻撃魔法使えたっけ?」


 クロト頬に、汗が流れる。


 一応、ベルトに刺していたダガーを持ち、牽制をするが、スライムには通じない。知能は低い生き物なのだ。


 「……ううん。残念だけど……」


 セイラは相変わらずクロトの服の裾を掴みながら、さらに一歩下がる。


 火が有効などと言われても、この場所には火種も何もない。


 「……大ピンチ?」


 「……そうみたい」


 二人は少しだけ目を合わせ、気まずそうに笑う。


 魔法には適性がある。


 簡単に言うと、使える魔法と使えない魔法がある。


 クロトが使う魔法は、自らの移動を助けるもの。蹴りや奇襲には応用ができるものの、それ自体で敵を攻撃する魔法ではない。


 加えて、このような狭い場所では、クロトも制御しきる自信はなかった。


 そして、セイラが使う魔法は治癒。クロトより多くの魔法を使える事は使えるが、基本的に相手を傷つける魔法は使えない。


 「戻って別ルートを探そうか?」


 クロトが距離を図りながら提案する。


 「でも、きっとこれじゃあ他の場所にもいるよ。それに、時間が経てば経つほど増えると思う」


 全くその通りだった。変異した数の少ないであろう今こそが最大で、最後のチャンス。


 「やるしかない……って――」


 無茶は承知の上で、進むことを覚悟した時だった。


 今までジリジリと躙り寄るだけだったスライムが、跳ねた。


 クロトの顔付近まで跳ぶその予想外の動きに、クロトは右手のダガーをスライムへと突き出してしま

う。


 やっちまった――。


 クロト後悔の通り、右手はスライムの消化液に包まれる。ダガーの刃など、液状のスライムに通用するはずがないと解っていた。


 そして空かさず消化は始まる。


 「痛ッ!!」


 焼けるような痛みが右手全体に広がる。


 スライムはさらに多くの場所を溶かそうと、ゆっくり右腕を伝い始めた。


 「クロト!」


 セイラがその右腕に付いたスライムを剥がそうと手を伸ばす。


 「触るな!セイラも取り込まれるのがオチだ!」


 クロトはそうして、右腕に付いたスライムを思い切り壁に擦り付ける。


 べちゃり、という音と共に、少量の消化液が飛び散る。そのまま移動し、少しでもその量を減らそうとするが、このままではいつまで経っても引き剥がせない。


 セイラは、それを見ながら必死で考えていた。


 私は、守られてばかりだ――。


 もう何回クロトに助けられただろう。


 私がやったことといえば何だ?


 民家から薬を持ってきただけだ。


 クロトは、私のために銃で撃たれ、そして今も私を助けてくれている。


 私は本当に何もできないのか?


 私は、何のために学校に入っていたんだ?


 考えろ、考えろ、考えろ――。


 私が助けるんだ。今、クロトを助けられるのは私だけだから。


 その時、セイラはクロトのダガーにクリスタルが煌めいているのが見える。どうやらスライムは消化液を人間用に作り替えたらしく、ダガーは劣化していない。


 そして、透明に煌くクリスタルは、まだ魔力が込められていない証拠。


 どうする。イチかバチか、攻撃魔法を試してみようか。


 いや、それじゃあダメ。実習でも、一回も成功したことがない。そんな不安定な考えじゃあ、クロトを助けられない。


 セイラは、スライムについて、学んだこと、知っていることの全てを思い返す。


 彼らが苦手なものは火。でもそれは無理。じゃあ小さくする?どうやって?これも手段がない。倒せ

なくていい。クロトからスライムを引き剥がし、逃げることができればいい。弱らせることができれば――。


 スライムは水だ。彼らの養分はなんだ?汚れだ。ならば、その体積を清潔な水で満たせたらどうなる?


 セイラは、直ぐに行動に移した。


 クロトに駆け寄り、自らスライムの消化液の中に手を入れる。


 「セイラ!?」


 クロトが驚いた声を上げる。


 「――ッ!!」


 消化されるというのは、思ったより痛い。セイラの顔が少し歪むが、それでも彼女は決して逃げない。


 「ダガーをこっちに!」


 クロトより背が低いセイラの手では、クロトの手に持ったダガーに届かない。


 クロトは驚きこそしたものの、セイラの指示に従う。


 動かしづらい消化液の中を、二人は手を重ねるように移動させる。


 クロトの皮膚からは血が出て、消化液の中が僅かに濁り始める。


 急げ、急げ。クロトの血が滲めば滲むほど、こちらは不利になる。


 ようやく二人の手が重なる。


 「クロト、息を止めて!」


 そしてクリスタルに魔力を。


 未熟なセイラには、回復薬など、高度な薬品は生成できない。しかし、水なら。清く、清浄な、水なら出来る。


 初歩中の初歩だ。授業でもやったことがある。


 望むのは、スライムの汚れなど些細な汚れの一部にする、膨大な量の水。


 その魔力にクリスタルが反応したとき、空気は掻き消える。


 二人の手を中心に、水が生まれる。それはスライムを覆い、そして二人の体をもすっぽりと覆う。そしてまだ、増え続ける。


 周囲のスライムをも巻き込んで、それは下水路を覆う、巨大な水壁となった。


 二人は息を止めたまま、只ひたすらに待った。


 赤いスライムは未だ二人の腕に絡みついたまま。


 ダメなの……?


 セイラが願うようにそれを見続ける。魔力は多大に込めたつもりだが、息が持たない。この状態を維持できるのは一分もない。


 それで状況が変わらなければ、二人は死ぬ。スライムにじわりじわりと溶かされ、あとには何も残らない。


 お願い……!私は、まだ生きていたいの!


 我侭かもしれないけど、折角クロトが助けてくれた命だから。


 クロトを、助けたいの!


 セイラは必死に、願い続ける。


 そして、クリスタルの輝きは、その願いを聞き届ける。


 セイラは気がつかないが、ここにもう一つの魔法が発動する。


 魔力の生み出した水の中の異物。それらを須らく清浄な水に還す魔法。


 それは一般的に、誤って毒や有害な物質を食べてしまった人間の体を健全な状態に戻す魔法。


 決して高度な魔法ではない。だが、それを変異した魔物に使用するという例は全く無い。


 生み出した魔法の水は不自然に光を帯びて、スライムを構成する消化液すら只の水に変質させる。


 赤いスライムが次第にその姿を薄れさせ、完全に消え去ると、セイラは魔力を切る。


 大量の水だけがあたりに降り注ぎ、汚水と共に外へ流れていく。


 「ケホッ……!」


 セイラはその場に座り込み、久しぶりの空気を体に供給する。


 「……はは、セイラ、凄いな」


 クロトはまだ息に余裕があったらしく、立ったままだ。セイラに手を差し伸べ、体を起こそうとする。辺りは水が溢れ、汚水が足元まで氾濫している。セイラの服も、少しばかり汚水に浸ってしまった。


 セイラは気づく。クロトの差し出された右手はスライムの消化液でボロボロだ。


 セイラは汚水に浸るのも構わず、その手を両手で包んだ。


 「ごめんね……、ごめんなさい……!」


 なぜセイラが謝るのか、全くもってクロトにはわからない。


 「なんでセイラが謝るのさ。助けてもらったのは俺の方だ。ほら、立って」


 手を無理矢理に引っ張り、セイラを立たせる。


 「今はセイラのお陰でスライムも居なくなったけど、また直ぐに湧き出す。早く脱出しよう」


 クロトはそうして先を促す。


 「うん……。ねぇ、私、役に立ったかな?」


 自信なさげに、セイラはそう尋ねる。


 「そりゃもう。セイラがいなけりゃ餌にされるところだったよ」


 クロトはセイラに笑いかける。


 その笑顔に、セイラも笑う。


 「そっか……」


 私も、クロトを助けることができる。


 それは、彼女の中で何より意味のある事だった。


 クリスタルの魔法は一つにつき一つ。


 その常識を彼女が打ち破ったという認識は全くなかった。


 二人はそれから先を急ぐ。出口は近いのか、汚水特有の臭いは薄れてきていた。


 「そう言えばクロト、そのダガーどうしたの?」


 セイラは気になり、そう尋ねる。少なくとも、以前はこんな武器を持っていなかったのだろう。


 「これ?今年の誕生日プレゼントだったんだってさ。まだ随分先なのにな」


 クロトはそう言って、ダガーを見る。


 透明に輝いていたクリスタルは、セイラの魔力によって青白い光を帯びて輝いていた。


 「……あ、あの……」


 そんな大事なものを使ってしまったのか。セイラはどう声をかけていいかわからずに、もじもじと口を開いては閉じる。


 「ああ、気にしないでいいよ。セイラがこのクリスタルを使ったからこそ、無事でいられるんだ。それに、今の俺には使い道もないしね。どこかの街へ着いたら、外してセイラに上げるよ」


 全く、クロトは本当に強いな。


 セイラは心からそう思う。


 今さっき、悲しいことが一杯起こったはずなのに。


 私が足を止めそうになれば、何時も彼が私の手を引いてくれる。


 見習おう、ではなく。


 隣に並ぼう、と、セイラは思う。


 手を引かれるだけではない。


 私も、共に歩くんだ。


 そう思うと同時に、セイラはクロトの横に並ぼうとする。


 「ちょ、ちょっとセイラ。押さないでよ。タダでさえ狭いのに……。幾分マシになったとは言っても、汚水には落ちたくないでしょ?」


 が、悲しいかな歩幅的に、それは無理があった。


 「……」


 セイラは不満げな顔をクロトに見せながらも、後ろを歩き始める。


 当然だがクロトには、なぜセイラが不満げな顔を見せたのか全くわからない。


 「そう言えば、クロト。ここを出たらどうするの?」


 セイラは、全く考えていなかった。


 帝国軍が攻めて来た以上、ここに戻ってくることは出来ないだろう。二人共、他の都市に行ったこともなければ、頼るツテもない。


 「さあてね……。他の皆は、どこへ逃げるんだろう?」


 セイラはまた、授業で培った知識を総動員する。


 「えーっと、確か、ここから一番近い街は……。西の方向に大きな都市があったと思う。多分、行く途中で小さな街もあると思うよ」


 世界地図はあるが、書かれているのは大都市と主要都市のみ。その近郊の小さな村などは載っていな

い。それでも、地形や大体の場所を把握するには重宝する。


 「それじゃあ、そこに行ってみるか……。お金も食料も無いんじゃ、流石に長旅はできないしな」


 今までの生活には、もう戻れないのだ。


 そんな事を、二人は改めて噛み締める。


 何もかも失った。


 何もかも奪われた。


 これからどうしよう?


 これから何をすべきか?


 そんな不安だけが心に残る。


 だが、二人共同じ気持ちでいた。


 これ以上、何も、誰も失いたくない。


 悲しみは勿論、心の奥底にある。


 けれど、今はその決意が二人の足を動かしていた。


 「……お、出口に着いたみたいだ。足元、気をつけてな」


 排水路の出口は、別段整備されているわけではない。


 湿地に綺麗になった水が流れ、小川となって何処かへ下っていく。


 空はもう暗く、未だクリスタルの灯りを頼りにしなくてはならない。


 石から土に変わる地面には、確かに足跡が点在している。それを追うように、二人は慎重に進んでいった。


 「街が……」


 セイラが街の方を見て、呟く。


 夕焼けが終わったというのに、街は時間が止まったかのようにまだ赤く燃えている。


 城壁越しにでもたやすく想像できるその景色は、正しく絶望そのものだった。


 「……行こう。帝国軍が彷徨いているかもしれない」


 それを背にし、歩きだそうとした、その時。


 「ねぇ、クロト……。あれ、何かしら?」


 セイラが空を見上げる。


 クロトもそれを見る。


 そこには幾つもの球体が空を飛び回り、怒っているかの如く、火花を散らしていた。


 「雷?いや、でも、雲も一つもないしな……」


 空は晴れ渡っている。雨も降らなければ、雷が落ちる要素も全くない。


 さらに言えば、雷が空中を飛び回るなど――。


 そんな事は、魔法でも有りはしない。


 が、セイラは気づく。


 「クロト!急いで離れましょう!」


 あれは非常に危険なものだ。


 そう認識するには十分だった。


 更に言えば、この都市の人間に、共通して植えつけられた認識があるのだ。


 もし、この都市が襲われ、兵士でも太刀打ちできない事態になったとき。


 決して都市の中に隠れず、城壁の外へ逃げるように、と。


 それは当たり前の事だと、誰もが思うだろう。


 しかし、この都市はそれを敢えて徹底させた。


 「セイラ!?どうしたんだ?」


 急ぎセイラの後を追うクロト。


 「あれは王の力、神獣の魔法よ!ここも危ないわ!出来るだけ離れるの!」


 そうして二人が城壁から距離を取った、正にその時だった。



 神の雷が、都市に落ちる。


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