1回戦
高校時代に出会ったゴキブリとの攻防戦
ゴキブリは俺の天敵だ。
見るだけで叩き潰したい衝動を抑えられない。
なによりもゴキブリと同じ空間にいることに虫唾が走る。
見つけたら即行排除だ。
命を粗末にするな?
ごもっとも。異論はない。
だが俺のゴキブリ事情にそんなのは関係ない。
嫌いなものは嫌いだ。苦手なものは苦手だ。ゴキブリ嫌いなのは俺の一つのステータスなのだ。その思考を変えろと言われても断じて無理だ。
俺に見つかったが最後。そのゴキブリは天が地獄に召されることになるだろう。
俺の視界にまがまがしい黒い物体が通り過ぎていく様が映る。
見つけたからには排除せねばなるまい。
俺の体が反射的に動き出す。古新聞、古本、ちらしなどその場にある叩き潰せるものを武器とする。
ゴキブリ退治のための現代文明には頼らない。
それが俺のゴキブリ退治のやり方だ。
◇ ◇ ◇
戦場と化したのは二階の俺の部屋だ。
勉強に一段落が付いて背伸びをして天井を見上げた時だ。視界を空飛ぶ黒い物体が横断していった。
一目見ただけでわかる。
奴はゴキブリだ。間違いない。
部屋は明るいが時間的には夜だ。ゴキブリは夜行性と聞くが、時間帯が夜でもこんな明るい場所で活動するのかとゴキブリの生態系について考えを改めさせる光景だった。
奴が飛んで行った先はカーテン裏だとわかっている。
読もうとして読んでない昨日の新聞と読み飽きた古本を手に標的が潜んでいるであろうカーテン裏を覗き込む。
いない。
どうやらすでに移動したようだった。
ゴキブリの危険察知能力は何度戦っても本当に凄まじいものを感じる。
部屋の片隅に追い込んだと思っていても蛻の殻だったということは少なくない。
舌打ちをしつつもゴキブリの捜索を続行する。
カーテンの下にはベッド、そしてそれにつながるようにテレビ台が配置されている。隠れながら移動するには充分の範囲が確保されている。厄介だ。
そして何よりも恐れているのはクローゼットの存在だ。
このクローゼットはスライド式のドアの下に僅かながらに隙間ができていて、薄っぺらいゴキブリには入られてしまう可能性がある。
入ってしまったら長期戦は免れない。明日は中間試験が控えているのである。ゴキブリごときに睡眠時間を削られて試験中に集中力を保てなくなるのは勘弁したいところだ。
だがゴキブリとひとつ同じ屋根の下で一夜を過ごすのはもっとよろしくない。それだけはなんとしても回避せねばならない。
ベッド下の荷物をずらしながらゴキブリを暗所から引きずり出そうと試みる。
出てこない。
もしベッド下にいればゴキブリがあわててカサカサ這い出てくる様子が拝めたはずだった。
テレビ台下の僅かな隙間も覗いてみる。暗くて中の様子はよくわからない。
1メートル定規を使って刺激してみるが出てくるのは埃だけだった。不意にくしゃみが出る。
どうやらベッド下にもテレビ台下にもいないらしい。
そうすると最悪の事態を想定してしまう。クローゼットの中に潜入されたのだと。
クローゼットの中はあらゆる俺の所有物が入り混じる魔の巣窟だ。できれば開けたくないし、ゴキブリにとっては最高の隠れ家になるだろう。
ゴキブリを叩き潰すためには開かなければならないのだろう。
恐る恐るクローゼットの扉に手をかけた時だった。
俺の接近を察知したのかゴキブリが4本の脚を忙しなく動かして神速のごとく逃げていく。
逃がさん。
逃げるゴキブリの背中に向かって本を投げつける。
床に叩きつけた音が部屋の中に響く。
しかしゴキブリは間一髪凶器から逃れて今度は箪笥の裏に潜み込んだ。
流石に俺の天敵だ。しぶとい。
だが俺とてその程度の失敗では屈しない。
ゴキブリを箪笥裏から引きずり出すために箪笥を揺らす。
箪笥上に置いてある小物が落ちてしまい、どかす作業から始める。
軽くなった箪笥をずらすが出てこない。
箪笥の隣には勉強机がある。おそらく箪笥の上を片付けている間にその裏に移ってしまったのだろう。
こればかりは動かすことも揺らすこともできない。
本棚も兼ねているために総重量は半端ない。
安易に揺らせば本は落ちるわ片付けは面倒になるわでそれはそれで勘弁しておきたいところだ。
だが長期戦になろうともゴキブリを討つまでは俺の安眠は確保できない。
少なからず箪笥と勉強机の裏に潜んでいることは間違いないはずなのだ。
ここである作戦を試みてみる。
ゴキブリが這い出てくる可能性があるとすれば勉強机の端の隙間と箪笥と勉強机の間の隙間、そして箪笥の端の隙間の三か所と予想できる。二つの出口を封鎖してしまえば残る一つからいずれ出てくるのはないだろうか。
作戦を実行する。
二つの出口を本で塞いで残り一つの箪笥の端の出口を監視する。
待つこと10分。
間抜けなゴキブリが監視されている出口からのこのこと這い出してきた。
油断はできない。一歩間違えばまた逃げられてしまう。
確実に叩けるところまでじっと待つ。
ゴキブリがそろそろと移動していく。
そしてその時が来た。
思い切り新聞を持つ手を振る。床を叩きつける音が家中に響く。
だが逸早く危険を感じたゴキブリがまたしても箪笥裏に逃げ込んでしまった。
すると母親が眠たげな目を擦りながら起きてきた。床を叩いた音で起きてしまったらしい。
何事かと問われて堂々とゴキブリ退治中と答えた。
真顔で答える俺に呆れた顔で引き返して寝室に戻って行った。
ただうるさくしてしまったことには反省した。後悔はしていない。
ゴキブリとの睨み合いを再開する。
今度はそんなに待たされなかった。
ゴキブリが再び同じ隙間から這い出てきた。
もうどこに行かせん。
隙間から出てきたところをすぐに叩きつけた。
簡単に避けられるが退路は断つことに成功した。ゴキブリには広い場所を移動せざるを得ない。
それこそ待っていたシチュエーションだ。
あわてて暗所を求めて走るゴキブリを追撃する。
右手には対蜚蠊駆除特化型新聞紙を装備している。
これで決めてやる。
剣道で鍛えた(関係ないと思うが)一刀入魂した一振りをゴキブリに向かって放つ。
パァン。
清々しい音が響き渡る。
辺りにゴキブリは見当たらない。逃げられた様子はない。
確認のために新聞の裏を恐る恐る覗いてみる。
ただでさえ薄い胴体が叩かれたおかげでさらに薄くなっていた。羽が真横に展開し、損傷の少ない長い触手はふらふらと揺れていた。
ついにやった。
ゴキブリ討伐完了。
これで俺の安眠が確保された。
内心ほっとしていたら寝室にいる母親がうるさいと怒っていた。
少々驚いたが、さっさと戦場の後処理を済ますことにした。
叩き潰したせいで床にはゴキブリに付着していた汚れが付いてしまっていた。
ゴキブリをティッシュで包んで袋に入れて縛る。ゴミ箱に入れればゴキブリの処理は終わりだ。
あとは消毒液をゴキブリが潰れた場所に吹きつけて雑巾で拭いたら処理完了だ。手を石鹸たっぷりで隅々まで洗う。普段そんなに手洗いしない自分がこの時になると随分と神経質になる。
これでいつもの我が家に戻ったのだ。
達成感が全身に染み渡る。
不意に欠伸が出る。
時計を見たらいつの間にか一時間以上経過していた。中間試験当日午前1時に差し掛かろうとしていた。
内心まずいと思いながらもさっさと支度を済ませてベッドに潜り込んだ。
目を瞑るが眠れる雰囲気ではなかった。ゴキブリを討伐した熱がまだ冷めていなかったのだ。
そんな俺の様子を知らずに時間は過ぎていく。
その日の試験で眠気が最大の難関だったことは言うまでもない。
再びゴキブリと相見えることになるのはもう少し後の話だ。
読んでいただきありがとうございます。
ゴキブリ嫌いな私がゴキブリを退治するという実体験を基にして少し面白味を付けて書いてみました。
みなさんはゴキブリを見つけたらどうしますか?
私は作品通り叩き潰さないと気が済みません。でないと他のことに集中できなくなる有様です。
正直なにこの人って言われても仕方ない気がします。
この作品はふと思い出して書いてみたので、連載ということにしてますが、私のもうひとつの作品である「Last Bullet」の方に力を注いでいるのでこっちの次話を投稿するのはだいぶ後になるかもしれません。
それでもふとした時に書いて更新するかもしれませんが、私の気まぐれだと思って優しく流していただければ幸いです。