第十九話 老害のお話
そこは自治州の粋を集めて作られた場所。
そこは自治州に住む人間にとってあこがれの場所。
そこに入ることは自治州の負うすべての責任とすべての栄誉を得る場所だった。
その中心にある巨大な円卓も、そしてそこに並べられた椅子もすべて自治州の責任を象徴したものであるはずだった。
その上に腰かける者たち以外は。
「これで、一つ片が付きましたな」
「ああ、議長閣下の忘れ形見もいなくなり、我が自治州は王国の加護を受け更なる発展を遂げるであろう」
「そして我々の懐も潤うというものですな!」
「まったくです!
小娘の体一つでこの自治州の安全が…ひいては我々が安泰に暮らして行けるなら安いものです」
「よかったのではないですか?
たかが議長の娘と言うだけで民衆から“姫”などと呼ばれていては、我々も苦労させられるというもの。
ただの顔が小奇麗なだけの娘には、早々にご退場いただけて清々しましたな」
「どうせあの性格です。
嫁の貰い手のない娘の未来を作ってやったと思えば、我々も枕を高くして寝られるものですよ」
「ふむ、知らぬのか?
相手はかの有名な“肉狂”カニバリズムの権化で自分の侍女たちを食らい悦に至る狂人ですぞ?今頃は、かの狂人の腹の中で静かに眠っていることでしょう」
「しかし、みなさん演技がお上手ですな。
皆の総意を伝えた時のあの小娘の表情たるや、なかなか拝めるものではありません」
自治州の頭脳たる部屋で笑うその無粋な笑い声は、突然開け放たれたドアの音にすべてかき消された。
「た、大変です。
姫が、エリーナ様が戻ってきましたぁ!」
その声に、円卓に座っていた老人たちは互いに顔を見合わせた。
「な、なんだと!?
しっかりとナナ殿をつけ、護衛もそれなりに用意し万全の態勢で送り出したはず!
一体何があったのだ!」
「詳しいことはわかりません。
ですが、盗賊に襲われたようで、姫様以外全員死亡したと…」
「ば、馬鹿な。
では、姫様自身はどうやってお戻りになったというのだ!?」
「近くを通っていた商隊に助けられ、命からがら逃げかえってきたそうです」
「では約定は?
約定はどうなる!?
彼の王国が我らを保護し、ともに帝国の脅威を退けるとの約定はどうなるのだ!?
我々はここに、自治州の脳たる賢人会議を存続させなければならぬ義務があるのだぞ!」
勢いで議員たる老人に質問され、伝令の男はいったん間を置き静かに告げた。
「お、おそらくは…
約定はなかったことになるかと…」
「こ、こうしてはおれん!
わ、私は急用ができました。
皆、済まぬが、あとことは頼みましたぞ!」
「冗談ではない!
ワシも急用だ!こんなところにいる場合ではないのだ!」
「ぬ、抜け駆けはなしにしていただきたい!」
ぞろぞろと、部屋から出ていく老人たちを無機質に見つめる。
誰も彼もが自分たちの事を見ていた。
やがて円卓がもぬけの空になった時、もう一度部屋を見渡した。
「ふーん。こんなものか…
わかったでしょお姫様。
さっきからそのドアの前に隠れてないで出てきてくださいよ。
あなたの故郷はあなたを切り捨てて隷属の道を選んだんですよ」
「う、嘘だ…こんなこと」
そうつぶやきながらドアの隅に小さく丸まっていた少女は、蒼白な表情で佇んでいた。
「それで、どうします?
こっちは、あなたの言うとおり証拠を見せましたよ。
今回、あなたが自治州に帰還した事で、本当に裏で結ばれていた約定は破棄されるかわかりません。
ですが、誤報と判断ができるまでたぶん自分たちの家に引きこもっていつでも逃げれるようにする気ですよ。
あの老害共。
…今度は、あなたが示す番だ。
俺を雇うか、それとも今からその“肉狂”さんの元へ行きますか?」
あの馬車で言い聞かせた証拠を見事に見せてやった。
これで彼女の選択は一つに絞られるはず…
「…くよ」
「えっ?」
しかし、エリーナの口から発せられた言葉は俺には予想外だった。
「賢人会議で決まったことは…絶対だ。
僕は今からでも、彼の方のところへ行くよ」
あれだけの証拠を突きつけたにもかかわらずまだ、盲目的に従う姿に俺は声を荒げた。
「はぁ?
お前わかってるのか?
死ににいくようなものなんだぞ!
お前も見ただろ?
襲撃を手配したのは、明らかに肉狂の差し金だ!
もう、無意味なんだよ。
初めからドローも何もない。
負けるか、死ぬかの糞選択しか残ってなくてどうしてそれを選択できるんだ?」
「で、でも自治州は存続される。
僕は父が守ろうとしたこの州を守ることを…」
「バカか!
守れないんだよ。
いいか?
支配構造が変わるということは、ここは実質消えてなくなるんだ!」
俺は叫んで、先ほどまで老害たちが座っていたであろう円卓を指差した。
なぜ、あそこまで言われていてその通りに従うのか、その姿に昔の自分を見た気がして無性にイライラした。
「この円卓がまさにそうなる。
この円卓で開かられていた意思決定は、相談となり、レグルニアの顔色をうかがうただの一地方に格下げだ。
今の糞共は生き残ってもいずれは消される。
そんなことがわからないあんたじゃないだろ?」
「だ、だけど…」
俺は、説得の方法を間違えたのかもしれない。
目の前の女は、こんな簡単な決断も下せなかった。
いや、下したくないように思えた。
「ぼ、僕は、自分の身一つでこの苦難を乗り切れるのなら…」
「それは、誰の言葉なんだ?
あの糞爺どもの誰かが言った言葉なんだろ?
それは誰の耳にも残らない。
誰からも相手にされない。
お前がそれを望んでいるなら俺はもう何も言わないよ。
せいぜい食い物となって食われてろ!」
無性にイライラした。
頭の冷静な部分でその原因を考える。
目の前こいつは最初から意思がない。
自分で考えようとしない。
目の前の道が、いかに暗く冷たくそしてその先が自分の死に直結していても歩みを止めるという選択肢がない。
もしかしたら、何とかなるかもしれない…
自治州が存続されるのなら…
そんな甘い考えが目の前の道を安全と認識させているのかもしれない。
どっちにしろ、歩みだしたら止まらないのだ。
「そ、そんな…そんな言い方しなくてもいいじゃないか!
僕は、もう決めたんだぞ!
君に言われなくても、僕は“肉狂”さんのところに今からでも行くさ!」
だれもいない円卓でそう叫んだエリーナに俺は見下すような目でにらみつけた。
あの円卓の老人よりも脆弱な目の前の娘の方がよほど害悪だ。
「バカか!
お前がつらくて聞きたくないことを今言わなきゃ誰が言うんだ?
あの老人たちはお前を犠牲にするために、優しい声と言葉を選んでお前の耳元で紡いだだろ?
<大丈夫ですよ姫様>
<あなたは自治州の姫として立派に責任を果たし幸せになりますよ>
<つらい気持ちは皆同じです>
<我らはいつでも姫様とともに!>
反吐がでるね!
自分の身をたかがこんな小娘に守ってもらわなければいけない屑どもの戯言だ!
いいか?
誰もお前なんて見てない。
誰もがお前についてる利権を視てる。
お前の体についた価値、お前の地位についた価値…
お前自身なんてこれっぽっちも見てないんだ。
そしてもっとも気に入らないのが…それがわからないわけじゃないのに従っている屑みたいなお前の根性。
わかってても頼られるのがうれしくてうれしくてしょうがないんだ。
自治州の責任ある立場として行動できるのがそんなにうれしいのか!?
アホらしい!」
目の前の少女はボーイッシュに整えたつややかな髪に涙を張り付かせひどい表情で叫んだ。
「ど、どうして!
どうして賢人会議の決定を…この自治州を担ってきた人間をそんな風に言えるんだ?
君の言った通り戻らなければよかった…
僕は、もう決めたんだ。
これから一生、日陰で暗い所に居続けるとしても、自治州のためにすべてをなげうつ覚悟を!
だから…」
やけになって、走り出そうとするエリーナを止めようと腕をつかんだその時、そいつは現れた。
「残念ながら…それはできません」
声がした方振り向くと、そこには自治州の州軍服を着た男がぽつんと立っていた。
特徴に残らない一般的な衛兵を装ってはいたが、唯一首に特徴的な刺青をしていた。
赤い翼の刺青を。




