第五十話 龍との邂逅のお話
目の前に現れた黒い龍は、音一つたたせずに優雅に降り立つとじっくりと俺を覗きこんだ。
「まさか、我が娘がやられるとは思わなんだわ。
だが倒したのがお前のような奴なら、納得すると言うものよ」
その言葉と恐ろしいくらいの圧力を感じさせる龍に俺は平静を装って話しかける。
正直立っているのもつらいが、それは奴が手加減をしてくれているからだろう。
目の前の生物が本気を出せば俺は蟻の如く潰される。
そんな圧倒的な何かを目の前の龍は放っていた。
「はじめまして、ヴァルヴァデ。
おとぎ話でしか聞いたことない悪龍を、この目で見る事が出来て光栄だ」
その言葉にヴァルヴァデは目を細め呟いた。
「まあ、やせ我慢にしては上出来というところね…
先程の闘争、中々だったわ。
貴様の戯言は見事、我が娘の逆鱗に触れた。
触れてその先、なぶり殺しにすると読んだ貴様の勝ちよ。
実に貴様らしい。
使えるものは何でも使い生きのびる…
だけどその泥臭さのおかげで貴様は生きている。
闘争は生き残った者が全て。
死ねば何も残らない。
全く驚きね。
お前ほどの矛盾がその年まで生きてこれたとは…まさに奇跡よ」
褒めているのか貶しているのか分からないが、そんな事お構いなしに俺は目の前の龍をよく観察した。
白い竜が思念のようなもので話しかけるのに対し、この龍はしっかりと人語を発音している。
竜と人は本来、声帯からして、声を真似ると言うのは難しい。
これも数百年を生きた龍であるから出来る技なのだろう。
<すみません…母上…>
弱弱しく呟く竜は、以前のような荒々しさはもうなかった。
「いいわ、お前は正しい。
あの闘争で、お前はただ真っ直ぐだった。
竜族として正しい姿よ。
ただ、それはこのダート相手には愚か過ぎる。
彼は人であり、心ある者の“心”を揺さぶる言葉を紡ぐ」
そう言って竜は俺に視線を移した。
あの竜との時と同じ心を覗かれるような怖気を感じる。
だが、もう驚かない。
今度はじっとヴァルヴァデの瞳を睨み返した。
「…なぜなら、彼は前世でひどい仕打ちを受けた。
その時の理想の欲しかった言葉…
絶望という孤独の中で他者から一番欲しかった言葉…
それが今の彼が呟く言葉。
それは裏を返せば、一番欲しくない言葉も分かってしまうということ。
心あるものを操るには十分すぎる」
龍が何処か悲しそうに呟くが、俺は全く気にしない。
何でもない事のように、俺は呟いた。
「別にいいだろ。
俺がどんな言葉を吐こうがそれは俺の自由だ。
ヴァルヴァデ…俺の心を覗き見ても、嫌な思いをするだけだ。
それと、白い竜…名前は分からないが先程の非礼はすまない。
お前の事を愚弄する気はなかった。
だが、時間を稼がねば、蟲は育たず俺は喰われて、お前は発症し死を迎えていた。
だから時間が欲しかったんだ。
それに…俺もまだ死ねない」
そこまで言って、俺は思い返す。
まだ、俺にはやらないといけない事が残っている。
<よい…だが何故、我を助けた…母上が来る前に我を殺しても、母はお前たちを救っただろうに…>
俺は首を振った。
「お前が言った事だ。
俺は他者を助けずにはいられない。
確かにお前が言った気持ちも嘘じゃない。
だけど…その大半はその先が見えるからだ。
疎外された者の末路を俺は知ってる。
それを見たくないだけだ。
お前を助けたのは、別に大した理由はない。
ファルデロが殺された時、確かにお前を殺そうと思った。
だが、それは誰かを救う事を望み、死んだファルデロの意思に反する。
助けるなら、助けられる奴全員を助けたい。
それにその方が、お前が悔しがるだろ?
俺は俺を蔑む奴の悔しがる顔が見たいんだ。
それだけさ」
俺の言葉に竜は何処か納得したような溜息をもらした。
<ふ、完敗だ。訂正しよう。貴様は我よりも強者だ。その心、その在り様、全て我を凌駕している>
その言葉に俺は、けだるそうに首を振った。
皆一様に勘違いをしている。
そしてこの竜はもっとも重要な事に気付いていない。
「そんなことはない、俺は矮小だ。
それを知ってる。
知ってる事で乗り越えられるものもある。
もう、お前は俺より強い。
次に闘えば俺の言葉はお前に通じず、俺は引き裂かれるだろう。
だから気にするな。
お前は俺を喰い殺せなかったから強くなったんだ」
それを聞いた竜はどこか可笑しそうに納得した。
こいつはこの戦いを経験して、まさに竜自身が望んだとおり強くなったのだ。
<そうか…敵を殺さずに強くなる方法があったとは思わなんだ。
この世界はまだまだ我の思いもよらぬ事がたくさんあるのだな…>
その言葉に俺は素直にうなずいた。
「ああ、この世界は広い。
それに最初から…生まれた瞬間から、偉い奴や偉大な奴は居ないさ。
その生を歩むことで自然とそうなって行くんだよ」
俺の言葉にヴァルヴァデから、耐えられる程度の殺意が飛んでくる。
言いたかった事を全て言われ、悔しいのだろう。
「全く…
母である私がかけるべき言葉すら奪ってしまうなんて。
本当に憎たらしいダートね。
だけど…今回は許してあげる。
お前には私よりも強大な敵が待っているのだから…」
そこまで言って龍は、わざとらしく今思い出したかのように付け足した。
「そうそう、一つ良い事を教えるわ。
現在、龍痕街から近い場所に、沢山の人の群れ…軍隊というのかしら?
それが押し寄せているわ…原因は間違いなく貴方達ね。
私たちはもう此処を離れるけど、貴方はどうするの?
別にいいのよ?
貴方が考えている通りの事がこの先待ち受けている…
貴方があの娘と共に行けば、間違いなく貴方は死ぬ。
あの歪みきった乙女に貴方は嬲り殺しにされる。
でも私の娘の命を助けた貴方なら、別に逃がしても構わないわよ?」
俺の心を読んだ、ヴァルヴァデの言葉に俺は迷わず首を振った。
もし、俺がこの先死ぬような事があったとしても、俺は覚悟を決めている。
そして、俺の考えた通りなら、俺の死ぬ意味は確かにあるのだ。
それが分かっただけでも俺は、目の前の悪龍に感謝したいくらいだった。
「ヴァルヴァデありがとう。
…それで良いんだ」
俺の言葉に、龍は見極めるかのように目を細めた。
「本当に?
命が惜しくないのかしら?
誰だって死にたくないわ。
例えば一度死を経験している貴方でも、それは変わらないのではなくて?
貴方は前世とは違い、間違いなくこの生を謳歌している。
それは、人の心を読む事が出来る、私たち竜族だからこそわかること。
周りから見れば貴方は、辛く苦しい生を生きている。
でもそんな貴方の心は孤独や痛みに苛まれる事はあっても、いつもある面において満たされている。
その満たされた生を守りたくないのかしら?」
その俺の心を揺さぶる質問に、俺は答える。
いまさらだが、こいつもこいつで性格が悪すぎだ。
「質問が多いぞ…ヴァルヴァデ
俺は完璧じゃない。
幸せが何かも分からない。
だから自分の中で出来る範囲でいつも満足を求めてきた。
それは、今でも変わることなく俺の生き方として存在する。
そして、その満足する仮定の先に死が待っていようと、俺は変わらず突き進むだけだ」
「本当に、面白い人間ね。
いいわ…気に入った」
そう言うと、龍は一声鳴いた。
すると、一匹の竜が空から舞い降りてきた。
良く見ると竜よりは小型で種族も違うように見える。
たぶん、同じ竜族に属する下位の竜なのだろう。
「この者に乗れば、貴方達が最初に居た草原に出れる。
後は貴方が一番分かっているはずよ」
その言葉に俺は素直に感謝の言葉を告げる。
「ああ、ありがとう。
ついでに牢にいた人間も逃がしてやってくれないか?」
その言葉に、ヴァルヴァデは面白そうに呟いた。
「そうね。あとのあの牢には、現時点で貴方より強い者はいないもの…
そのような者たちに興味はないわ」
そこまで呟いたヴァルヴァデは翼を大きく広げた。
「行きなさい…心の強者。
貴方にはまだやる事が残っているわ」
「言われずともそうするさ」
そういうと俺は、飛竜に飛び乗りソフィリアの居る牢まで飛び上がった。




