第四十五話 小休止のお話
川にそのまま顔をつけ、勢い良く水を啜る。
冷たい水が喉を通り過ぎるたびに、自分の体がこんなに熱かったのかと、水とはこんなにうまいものかと改めて思った。
「げ、下品よ。そんな川に顔なんか突っ込んで!手を使って飲みなさいよ」
その声に俺はびしょびしょの顔を上げてソフィリアに忠告した。
「別にそれでもいいが…ちゃんと下流で手を洗ってからにしろよ。
今までゴブリンの死体触ったり、洞窟を歩きまわったりして、俺たちの手はかなり汚れてるからな。
きちんとそう言った事をしないと病気にかかったり、思わぬところから体調を崩す。
体が資本だからな、注意しろよ」
その言葉に、今まさに手で水をすくい上げたソフィリアから悲鳴が上がる。
「ちょ、ちょっと!そう言う事はさっさと言いなさいよ」
そう言うと慌てて手を川に付け擦り始めた。
「おいおい!下流でだ、じゃないと俺が水飲めないだろ」
「フン!良いじゃないそれくらい!もう飲んだんだから、少しは我慢しなさいよ」
相変わらずの傍若無人ぶりに軽くため息をつくと、俺はホブゴブリンが持っていた剣を川に付けた。
ゴブリン達の血ですっかり切れ味が落ちた剣を、丁寧に洗い血を落としていく。
改めて、闘いの際に見る事が出来なかった刀身をじっくりと確認する。
俺が以前買った指輪と同じように魔法陣のようなものが刻まれている。
それは機械の導線のように刀身全体に刻み込まれており、何か法則性があるようだった。
これも、魔力を通すことで何か効果があるのだろうか…
そう思いながら、仕上げに少々アレだが、ゴブリンから剥ぎ取った布でふいて水分を取り除いた。
「…あんたが変わったってのは認めるわ」
ポツリとソフィリアが呟いた。
その言葉に俺はソフィリアの方を見たが、彼女は相変わらず川の方を向いたままだ。
「おう…」
「でも!でも私は全員が全員変われるなんて思わない。
お城に居た時いつも私たちにおべっかばっかり使って、その癖影で悪口ばっかり言ってる商人や貴族があんたみたいに成れるなんて私は思わない」
ソフィリアの言葉に俺は少し驚いていた。
彼女もただわがままを言っているわけではなかったのだ。
“人を視る”それは人が人として生きて行く上で欠かせない大切な能力だ。
「ああ、その通りだ。
俺の言った事を、全部鵜呑みにするなんて馬鹿な事はやめた方がいい。
そんなことをする奴は自分の意思で生きてない、ただの馬鹿だ。」
その言葉にソフィリアが驚いたように振り向いた。
否定されると思ったのだろう。
「え!?そうなの?」
「ああ、俺がダートとして生きてきたように、お前も第四王女として生きてきた経験がある。
それは他の何よりもかけがえのないものだ。
その経験を生かしてこれからを生きて行くんだからな。
だから、他人から言われた事は自分の中で噛み砕いてよく良く考えろ。
言われた事の中で自分の大切だと思う事を見つけるんだ」
俺の言葉に首をひねるソフィリア。
「だから、よくわからないわ、あんたって時々難しい事言うのね。
第四王女とか関係ないって言っておきながら、今度はその経験が役に立つなんて…」
ソフィリアのその言葉に俺は苦笑する。
確かに、言われてみればその通りなのだ。
否定も肯定も出来ないその事がちょっとおかしかった。
「ああ、難しくてすまないな。だけどいずれわかるさ…そう言うものなんだよ」
「ふーん…そんなものなんだ」
そうソフィリアは呟くと今度はモジモジと何か言いにくそうに視線を泳がせた。
「ねえ、あ、あのねアルス…私に魔法を教えてくれない?
私、お勉強ってそんなに真剣にやったことないけど…やってみようかなって思うの」
俺の耳に聞こえてきたその言葉は、とても小さかったが、確かに彼女が前に進んでいると俺に教えていた。
「いいよ。大丈夫だ、必ず出来るさ。その証拠に、ちょっと足出してみろ」
そういうと、俺はソフィリアを川辺に座らせて、足を見る。
外からは何も変化はない、が俺はそっと靴を取る。
「ひゃっ!ちょ、ちょっと何するのよ」
ソフィリアから悲鳴が上がるが気にせずに靴下まで一気に脱がした。
案の定、靴ズレによって踵が真っ赤に腫れている。
俺は懐にあったハンカチを水に浸すと水を適度に絞ってそっと踵に押し当てた。
「っ!」
押し当てた瞬間、ソフィリアの顔が一瞬だけ痛みに歪んだ。
「お前は足の痛みを我慢して此処まで来た。
今まで辛いことから逃げてきたのにそれを我慢して、自分の足で此処まで来たんだ。
勉強だって同じさ。
我慢してやってみれば、案外なんでもないことだったりするもんだ」
そういって、ハンカチを踵から足首まで丁寧に巻き付けた。
「これでよし!しばらくそうしていれば、腫れも引く」
「う、うん…ありがと…」
ソフィリアが何故かこっちを見ようとしないが照れているのだろう。
「とりあえず、魚も焚火もある。飯にするぞ」
「うん!」
俺の声にソフィリアが元気よく頷いた。
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「ふぁ~食った食ったー」
「ちょっとさっきから下品よ。でもお魚がこんなにおいしかったなんて知らなかったわ」
ゴブリン達が刺しっぱなしの魚を、全て平らげた俺たちはようやく落ち着きを取り戻していた。
当面の問題である食糧と水の問題が解決してしまったため、お互い心に余裕が出ていた。
「まあな。出来たては何でもうまいもんだ。自分で作るともっとうまいけどな」
「え!?あんたって料理できたの?」
「ああ…ちなみに得意料理はアルルのパイな」
「アルルのパイ!私大好物なの!」
俺の言葉にソフィリアが嬉しそうに声を上げた。
「そうだな。此処を出たら御馳走してやるよ」
「言ったわね!絶対だからね。約束よ!」
「ああ、約束だ」
そう言ってソフィリアの頭を撫でた。
「ふぁ~私眠くなってきちゃった…」
大きなあくびをしたソフィリアがこちらに寄りかかって来た。
「今のうちに寝ておけ。火の番は俺がしておくから」
「うん…おやすみ…」
「ああ、お休み」
そう囁くと、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。
その声を最後に俺の耳には滝の落ちる音や川のせせらぎしか入ってこない。
完全な自然の音のみの空間になっていた。
焚火の日を見ながら考える。
…ゴブリン達の後始末をどうするかが、これからの課題だな。
そう考え、俺は今自分たちがいる川辺を見渡した。
ゴブリンの首と胴が離れた死体が6体に頭のひしゃげたホブゴブリンが1体、そして逃げて行った残り4匹…彼らが現状の最大の敵ともいえる。
こいつらが持っている荷物をそのまま強奪して行くとしても、それ相応の時間が必要だ。
道具を取捨選択したり、川から水をある程度持っていかなくてはいけないし、魚もいるだろう。
スムーズに行ったとしても、丸々一日は掛かってしまう。
何より、俺たちは衰弱している。
今日はともかくとしても此処にしばらく留まるのであれば、それなりの覚悟がいるだろう。
幸いにもゴブリン達の寝床がある。
それをそのまま使えば、さして苦も無く睡眠を取る事は可能だ。
だが、そこであの4匹と死体が問題になって来る。
死体の匂いは下手をすれば他の魔物を呼び寄せてしまう。
それを此処に…寝床の周辺に放置するのは非常にまずい。
寝ている間に他の魔物が死体に釣られて現れる可能性がある。
そして…それ以上に心配なのが逃げたゴブリンどもだ。
いつ来るかわからない魔物たちよりも、確実に近くに居る事が判明している奴らの方が俺たちの睡眠中を狙って襲ってくる可能性が高い。
それだけは回避しなくてはならない。
「ん…おかあさま…どこ行くの?…」
ふと声がして横を見るとソフィリアがうなされていた。
彼女もこの環境で相当な無理をしている。
「ソフィリア…おい…おい…起きろ!」
「っ! あ…アルス!」
起きた瞬間に俺に抱きつくソフィリア。
「どうした?怖い夢でも見たのか?」
「うん…でも大丈夫、ねぇアルスはどっかに行ったりしないよね?
いつの間にか何処かに居なくなっていたりしないよね?
お母様みたいに何処かに行っちゃったりしないよね?」
震える彼女を安心させようと答えたその時だった。
「ああ、やくそっ…」
パチパチパチ…
洞窟の奥から拍手が聞こえ、見覚えのある男がこちらに歩いてきた。
「いやー!感動的だ!もうお涙頂戴の大感動劇だよね!
お兄さんもう感動しちゃって、吐き気しか出ないよ!
無能とワガママお姫様の傷の舐め合いっ!
反吐が出ちゃうよね~」
見覚えのある男、だが歩いて来る姿は同じだが、雰囲気がまるで違っていた。
「お、お前はロバート?」
俺の戸惑う声に男は笑顔で頷いた。
「そうそう、僕ロバート!っておしいな~今は別人なんだよ。
君にあった前の僕は、トール・ヘパイストスの友人ロバート。
でね、今は王国軍第00部隊、まあ簡単に言うと絵師様専用部隊 通称“アシスタント”所属の“道化”といいます。
よろしくね~アルス君。
ちなみに特技は変装で~す。
そうそう、僕が変装する人は全部実在する人物だよ。
大抵は殺しちゃうけど、本物のロバート君は生きてるから!
あの仕事は特別だから、安心してねアルス君!」
と、軽快な口調でべらべらと喋り続ける目の前の男に俺は愕然としていた。
確かにあの時喋ったロバートは、落ち着きが合って相手の事を思いやる言動をしていた。
それも全てが嘘だったと言うのだろうか。
確かに、目の前の男はロバートだ。
だが、喋り方、態度、雰囲気があの時とは、まるで違っている。
性質の悪い演技じゃないかと思うくらいだ。
態度や雰囲気が違うだけで此処まで違う人間になれてしまうのか…
そんな俺に、冷めた視線で語りかける道化…もといロバート。
「でねぇ…アルス君。
君、ちょっと弱すぎない?
ホブゴブリンくらいサクッと殺して見せようよ?
もっとしっかりしてよー
見ててつまんなーい。
僕、ウジ虫が床を這うの見てると踏みつぶしたくなるタイプなんだ。
こんな感じでさ」
そう言うと見えない何かを引っ張る動作をした。
ゴトゴトと四つの塊が俺達の目の前に落ちてきた。
「キャアア!」
その塊にソフィリアが悲鳴を上げて俺に抱きついた。
それは、逃げて行ったゴブリン達だった。
だがおかしい。
ゴブリン達は致命傷のような傷はおろか、傷一つ見えない。
しかし寝ているわけでもなかった。
見開いたままのその目は、瞳孔の動きさえ感じられずゴブリン達が確かに死んでいる事を示していた。
「こ、こいつら…死んでるのか?」
とゴブリン達のありえない現状に、俺が恐る恐る聞くと、ロバート…道化はニコニコと答えた。
「そうだよ、優秀だよね僕って~
こんなことも魔法とスキルを駆使すれば出来ちゃうんだから。
本ッ当に才能が高くってよかった~
ああっと!でもどうやってるかは秘密だよ。
種も仕掛けも教えちゃったら夢がないでしょ?
あれれー?君には、夢も希望も元々無いんだっけ?
大変だよね~無能って!
アハハハハ!」
そう言うと道化は、ゴブリンに足をかけると一気に踏みつぶした。
「見るな!」
必死に背中にソフィリアを隠し、俺は道化に向き合った。
背中が凍るような怖気を必死に抑え、道化に話しかける。
「何故だ!何故こんな事をする」
そう言うとロバートはにっこり笑った。
目も口も等しく伸びたその顔はまさに“道化”そのものだ。
「だって~君さ。
分かるでしょ?
処分が確実だって…でもまだ足掻いてる。
分かるよ、知ってるよ。
君が何をそんなにこだわってるのか…
でも見ててつまらないからさ~
さっさと歯車進めようと思ってー
まあとっくに回り切って残りあとちょっとだけどさ。
僕、見飽きちゃったし。
でもあの紅い方からのご命令もあるし…
この後、帝国方面での仕事も控えてるんだよね。
だから、そんなウジ虫はさっさとラスボスステージに移動して、足掻く暇なく死んでもらおうと思って…さ」
そう言うと、道化は指をパチンと鳴らした。
すると急速に視界がぼやけ、強烈な眠気が俺を襲った。
「くっ…そ…」
必死にソフィリアの手を握りしめたが、その手の感触さえも俺には曖昧に感じられた。




