第四十三話 見える壁と見えない壁のお話
ダッ!!
気付かれないよう無言で、俺はホブゴブリンに向かっていく。
近づきながら手順を整理する。
対多人数戦で最も有利な戦法は、相手のリーダー格を真っ先に倒す事だ。
そして、最大のカギは時間。
短ければ短いほど良い。
理由は簡単、命令する奴をボコボコにすれば、それだけ他の奴らは戸惑う。
いつもなら命令してくれるはずの者が命令できない状況に戸惑うのだ。
その戸惑いが、幾ばくかの時を俺に与えてくれる。
その猶予を利用して、順に戦闘能力の高そうな者、群れの上位の者を潰す。
大勢を相手にするのなら、一人に多くの時間を使う事は出来ない。
一人に多く時間をかければ、たちまち囲まれて袋叩きにあってしまう。
それだけは避けねばならない。
そして、目立ったもの達を潰せば、他の者は自分たちに敵わないと勝手に判断し、相手は戦意を喪失する。
ゴブリンの群れの順位はその戦闘能力の高さで決まるため、ホブゴブリンを屠った後は順番に体の大きなものを刈って行けばいいだろう。
そう考え、なるべく物音を立てずに近づいていく。
奴らが俺に気付くのを少しでも遅らせる。
そのために、打てる手は全てうつ…
「ギュア?」
ゴブリン数体がこちらに気付くも既にホブゴブリンは目と鼻の先だ。
狙うは奴の後頭部、人間型であるならば、最も致命的な部分…
幸いにもホブゴブリンはこちらに気付かない。
狙いを付けて、ポブゴブリンの後頭部に思い切り棍棒を叩きつけた。
「ガァアアア!!」
壮絶な叫びが洞窟中に響き渡りホブゴブリンが倒れた。
周りで騒いでいたゴブリンたちの動きが一瞬で止まる。
群れの最高位の突然の叫びに皆、驚いているのだ。
「うぉおおお!」
俺は躊躇せず、ホブゴブリンの腰にあった剣を引き抜くと、そのままゴブリン達に斬りかかった。
そして一番近いゴブリンの首をはね飛ばす。
思ったよりもずっしりとした剣の重みに腕が悲鳴を上げるが、今はどうでもいい。
俺は2匹目、3匹目と次々にゴブリンを刈っていく。
狙い目は確実に殺せる奴らの細い首筋だ。
ようやく俺を敵と認識しゴブリン達が臨戦態勢になる時には、既に全体の6匹のゴブリンを殺していた。
そこで俺はようやく違和感に気付いた。
…おかしい。なぜこいつらは逃げない?もう俺に勝ち目がない事は分かり切ってるはずだ。
まさかっ!!
「ガァアアア!!」
その声と同時に体が反応し体を捻る、間一髪、俺の横を太い腕が通り過ぎて行く。
俺は慌てて声のする方に視線を向けた。
倒したはずのホブゴブリンが憎々しげな眼でこちらを見ていた。
アイツはまだ死んでいないのだ。
群れはまだ崩壊していない!
こいつを倒さない限り、ゴブリン共が引く事はないのだ。
棍棒で殴っただけで安心してしまった自分のうかつさと、逆に自分が追い詰められてしまった事態に苛立つもすぐに頭を冷やして考える。
此方のアドバンテージは奴の獲物である剣と、素早さ。
奴のアドバンテージはそのパワーとゴブリン達。
圧倒的に此方が不利だった。
奴が一声、ゴブリン達に命じれば、奴らは俺に襲いかかって来る。
そうなれば、俺はゴブリン達を相手にせねばならず、奴に命を刈り取られる。
俺は剣を構え、ホブゴブリンに狙いを定めた。
勝負は一瞬、ゴブリン達が襲ってこないうちに、奴を一撃で仕留めなければならない。
一時でも時間をかければ、後ろのゴブリンに背中を襲われ俺は死ぬ。
時間をかけずにゴブリン達を相手にすれば、ホブゴブリンに背中を襲われ俺は死ぬ。
どちらにしろ死ぬのなら、僅かでも生き残る道を、決死の覚悟で突き進む。
「うぉぉおおお!!」
俺は叫んだ。
今の俺の目にホブゴブリンの体はとても大きく見える。
このとてつもない壁を乗り越えなければならない。
少しでも躊躇したら此方が死ぬ。
だから叫んで少しでも、弱い心…その思いを取り除く。
「ガァァアアア!!」
奴も叫ぶ。
奴が何故叫ぶのは分からない。
だが、奴も突然現れた俺を倒さなければ、群れは崩壊し奴も死ぬ。
お互いに持ったものを賭けて戦う。
その事をお互いに理解しているのだ。
奴が、腕を思い切り振り上げた。
その殴るための予備動作を狙い俺は剣を突き出す。
しかし、一方の手で虚しく剣は弾かれる。
剣を弾かれ無防備になった俺に、決定的な一撃が振り下ろされる。
間に合わないと判断し、俺は剣を手放して、その一撃を回避する。
そして、奴のすぐ横に転がっていた棍棒を掴むと、渾身の一撃を打ちこみ無防備になっている奴の頭部…俺の付けた傷めがけ渾身の力で振り下ろした。
「ギョガァアアアア!!」
今までとは違う耳をつんざくような叫びが洞窟にこだまし、ホブゴブリンが倒れた。
ギャ、ギャア!
リーダーが本当に死んだ事を理解したのだろう。
ゴブリン達が慌てて洞窟の奥に逃げて行く。
奴らの姿が見えなくなった事を確認して、俺はようやくへたり込んだ。
「ハァ、ハァ…こりゃ辛いわ」
今まで我慢していたように息をして、空気を目いっぱい吸い込む。
意識さえしていなかったが、今は洞窟のひんやりと冷たい空気が本当においしい。
むさぼるように、俺は荒い呼吸を繰り返した。
「あ、あんた馬鹿じゃないの?」
首だけ動かして声のする方に視線を向ける。
「もうその言葉は聞いたよ。…今さらどうした?」
「なんで、突っ込んで言ったのよ!あんなの勝ち目ないって分かり切ってたじゃない」
その答えに俺は平然と答える。
「勝算があった。
現に殺したしな。
…生きるためだ。
生きるために互いに闘う。
普段気付かないだけでそんな闘い何処にでもあるんだ。
ただ見えないし感じられないだけでな。
人の間に居ると本当にそう感じる事は少ないが、それでも確実にその闘いはあるんだよ。
それにな…
お前を納得させるには、こいつに勝たなきゃいけなかった」
その言葉にがなぜか赤くなるソフィリア。
「ば、馬鹿じゃない!そんなことのために無茶しなくても…いいのに…」
なぜかブツブツと呟き始めた彼女を放置し、俺は起き上がり川に駆け寄った。
「まあ、言いじゃないか。今はこの勝利を味わおう」
そう言って川の水に口を付けた。




