第三十六話 言葉の闘いのお話
カルヴァを追って入った部屋は、椅子、小さなテーブルと、とてもこじんまりとした台所だった。
とても元貴族が済んでいるとは思えない部屋だ。
「それで、話とはなんですか?」
俺はカルヴァを追って部屋に入るなりそう切り出した。
相手は俺をあまり好いてはいない。
それはそれで好都合というものだ。
俺がカルヴァの相手をしている間に、クーノ達が金槌をルオの思うように修復してもらい、トール先生に渡せばいい。
それで、後は二人の問題だ。
気持ちが解決してくれる…はずだ。
そう思い俺は目の前の相手…カルヴァに集中した。
しかし、当のカルヴァはゆっくりとした動作でお茶を淹れている。
その動作はとてもスムーズで淀みない。
やがて、ティーカップを二つお盆に載せてこちらに来ると
「何時までぼさっと立っている気だ? 立ち話ではお互い腹を割って話せないだろ。そこに座りなさい」
と昼間の教室の罵声が嘘のように俺に座るよう求めた。
「…ではお言葉に甘えて」
俺は若干拍子抜けしながらも椅子についた。
「単刀直入に聞くが…なぜそこまでするのかね」
「簡単な事です。俺はトール先生に恩がある…だからそれを返したいだけです。
無関係な第三者が言うようで恐縮なのですが、トール先生を許してあげては頂けないのですか?」
俺は、一つ一つの言葉を選び慎重に口に出していく。
「それは出来ない」
そう、きっぱりとカルヴァは呟いた。
その言葉は声量は小さかったもののハッキリと聞こえた。
「私は彼を許すことはできない。逆にお前に聞くが、お前はマルクを…今まで自分を蔑んでいた者たちを許せるかね?」
「そ、それは…」
俺は突然の切り返しに戸惑ってしまった。
良く頭の中で整理をして、自分の気持ちは言葉に載せた。
「別に…問題…ないと思います…」
「本当に?彼らが常に自分の周りにいたとしても?
常に教室に行けば笑顔で話しかけられ、休みの日は共に何かに興じる事が出来るのかね?相手が笑いかけたら、それに屈託なく笑い返す事が出来るのか?
…私は出来ない、どうしてもチラつく…憎しみが理性を崩す」
俺はその言葉にもう一度振り返った。
確かに、俺が元の世界で死んでいなければ、その後も陥れた奴らと付き合う事になっただろう。
だが…
「全てを忘れることはできません、ただ…終わった事だと割り切る事は出来ると思います」
俺は住み分けさえできてくれればいい。
俺と衝突せず、隣の住人のように距離を取ってくれれば俺は何も言わない。
たまに憎しみが湧く事もあるだろう。
だが、それ以上に終わった事だと割り切ってしまえば…その人間の苦しむ顔が見れたなら俺は満足だ。
「そうか…だが、私は彼を許さない。たとえ不可抗力だとしても、それをナルが望んでいたとしても許すわけにはいかない」
「それじゃあ…」
「だが、二人が結婚する事は別に良いと思っている」
「は?」
俺はその答えに思わず間抜けな声を出していた。
どういうことだろうか?
何が違うのだろう?
「まず勘違いしてもらっては困るが、私はあの男を信用しておる。アイツほど娘の事を考える男を他に知らんし、アイツにならとも思う。…理性ではな」
そう絞りだした表情は苦悶の表情を浮かべていた。
「娘が幸せになるのは構わない。それは私も賛成だ。だが奴を前にするとどうしてもダメだ。苦い記憶と共に憎しみがよみがえる。
…なぜこの事をお前に話すかわかるか?」
そう、自分で用意した紅茶には手もつけず、カルヴァは俺の目を見た。
「…いいえ、よくわかりません」
俺の返答に、カルヴァは表情を変えることなく淡々と言葉を紡いだ。
「お前にこの事を話すのはお前が私と同じだからだ。
他の生徒は皆、家がある…帰る場所がある。
だがお前は違う。
ダートという烙印を押され、帰る場所すら存在しない世界で、それでもその中で立ち続ける事しかできないその状況が、私が同じと感じる理由だ。
私が彼を…トールを拒み続ければ、娘は私の前からトールと共に消えるだろう。
あれは亡き妻に似て、自分の道を選べる女だ…誰を愛するか自分で決められる女だからな。
その後、私に待っているのは何だと思う?
孤独だ。
お前と同じな。
お前もあのような綺麗所の女子たちに囲まれているが、心は別の所にあるだろう?
お前は確かに癒されている、今は孤独ではないからな。
だが、お前が振り向かないと分かった時、あの子たちはお前の前から姿を消すぞ。
あのマルクを陥れた、聡明なお前なら分かるはずだ。
人は見返りを求めてしまう。
私の見立てだが…
クーノは、お前と同じ孤独感を埋めたい、お前に認められたい。
アロワは、自分を認めてくれる存在が欲しい。
フランソワは、自分の騎士が認めた男を見てみたい。
いや…あの娘はもっと雑か…自分の騎士を取られたくない、初めて意識した異性。
そんな所だろう…。
癒されたい。
寂しさを忘れたい。
笑いたい。
充足感が欲しい。
支配欲を満たしたい。
色々なものを知らず知らずに他人に求める。
それに、ただ気付かないだけだ」
そこまで言い切ったカルヴァはようやく紅茶に口を付けた。
その淡々とした物言いに俺は手が震えるのが分かった…震えを抑えるために唾を飲み込む。上手く飲み込めない…のどがカラカラになっている事に今さらながら気づいた。
カルヴァは…カルヴァ先生は俺のもっとも柔らかい部分を突いてきた。
崩れそうになる心を抑え、考えて考えて考え続けた。
カルヴァ先生の娘さん…ルオさんをしっかりと見たわけではないが、良くできた人だと思う。
トール先生と結婚すればガンガン引っ張って行くタイプのいい奥さんになるだろう。
でも、その幸せな姿、追い求める理想に親であるカルヴァ先生が必ず入っているかと言われれば分からない。
それがこの人には恐ろしいに違いない。
元貴族だったと言うならなおさらだろう。
そこまで考えて俺は今いるこの部屋を眺めた。
もう完全に庶民の家だ。
貴族からすれば、みすぼらし家だろう。
そんな家に一人住み続ける、たった一人だ。
俺はやっとこの人がふだん大きな声を出すのか分かった気がした。
虚勢を張り続けていなければ、常に周りを威圧していなければ不安なのだ。
貴族という安定から、亡き娘…ナルを助けるため資材の全てをなげうった男。
たぶんその事に後悔はないだろう。
だが、その後に待っている孤独は必ずこの男に致命傷を与えるに足る十分な力を秘めていた。
でも俺は言わなければいけない。
先生が言った事…俺の周りにいる彼女たちの気持ちは本人たちしか分からない。
だから、先生が言った事も全て推測にすぎない…すぎないんだ。
「でも先生、子はいつか親から飛び立たなくてはいけない。それは先生も分かるはずです」
「お前に何が分かる?娘のために貴族の資格さえ売った。私には娘が…娘たちが全てなのだ!その思いに娘たちは応え真っ直ぐに育ってくれた。
なぜあの子にルオと名付けたかわかるか?
血のつながらない姉…ナルに少し手も繋がりを持たせたかった。
そう思って…そう願って妻と共にルオと名前を付けた。
今でも娘たちのためなら全てを捨てる覚悟がある。
だが…そんな覚悟をしていても、納得できない事くらい出来てしまうんだ!」
カルヴァ先生の反論は最後には叫びに変わっていた。
「だからです! 俺は貴方の娘とは全く逆の環境で育ちました。全て親に見放された環境で見守っていてくれたのはメイさん…家のメイドだけです。
それでも育ちました。
そんな奴ですら、生きていけるんです。
ましてやルオさんなら、なおさらですよ。
貴方がトール先生を許せないのはわかります。
でも、それでも孤独の辛さに比べれば、よほど楽なものではないんですか?」
そう、俺が呟くと、カルヴァは諦めたような、苦い表情をして呟いた。
「ああ…だから私はお前が嫌いなんだ。
お前のように子供の姿で大人の思考を持つ奴がな。
あの教室の中でお前だけが大人…自分の意志で全てを捨て、望むものを手に入れ、独り立っている。
子供相手なら簡単だ、大人の力でねじ伏せられる。
だが大人を相手にするのは同じ大人の理論が必要だ、苦い苦い苦しみを味合わなくてはならん。
だから私はお前をダートと蔑む…それしかお前をねじ伏せる術を知らないからな」
その意外な言葉を聞いて、俺は一瞬だけ思考が停止した。
本当に意外だった、まさかそこまで評価されているとは思わなかった。
その言葉に…素直に評価された事に、俺の心は不謹慎にも喜んでいた。
貴族という安定を捨て、娘たちのためだけに行動してきた男の言葉は俺にとって十分すぎるものだったからだ。
「…そんな…俺はそんな立派な人間ではないですよ」
そう声を絞り出すと、次の言葉を考える。
この人を相手にするのは俺も精神的にズタボロにならなければならないと、今さらながら自覚した。
よりによって、一番痛いところを突かれた後で気付くとは飛んだお笑い草だった。
「先生の考え通り、独りで立つ…自立をしているのが大人なら俺は…まだ子供です。
親の…ランダル家のお金で学院に行かせてもらい、父の言葉“相応しい結果を残さなければ追放”という言葉に今もビクビクしていますよ。
その先に…退学した後に、何が待っているのか何時…野垂れ死ぬのか、怖くて怖くて仕方ないんです。
先生…貴方は立派な人だ。
辛いことも苦しい事も全て飲み込んで、娘のために尽くしてきた貴方なら、今度も娘のために飲み込めるはずだ。
その事を皆、称えるでしょう。
ナルさんだって、笑顔で迎えるでしょう。
新しい事を受け入れることは辛いかもしれない。
でも人間いつまでも怒り続けるなんて器用な事は出来ないですよ」
そこまで言い切って、俺は今まで努力し続けてきた日々を思い返した。
確かに、辛い事…苦しい事を糧にして頑張っていたが、決してそれだけで此処まで来れたわけではない。
時には疲れて投げ出したくなったことだって一度や二度じゃない。
それでも頑張れたのは、憎しみだけではなかったからだ。
勉強や運動するたびに僅かだが出来たのだ。
工夫して練習し続ければ、本当に少しずつだが上達した。
その事に心躍った。
自分はやればできる…できるのだと。
こんな俺でも出来るのだと。
「蔑まれてきた俺が言うんです…間違いないと思いますよ」
と自分の心のままに言葉を吐きだす。
この男を納得させるには、俺をさらけ出さなければいけない。
俺の言葉についにカルヴァはすがるような声を出した、もうお互い限界が近い。
俺は論理で、カルヴァは感情論で武装し、互いの痛いところを抉り続けた。
「…分かった。私が負けを認めよう。だが、お前は言ったな! 自分より、しっかりしているナルなら出来ると!なら、その言葉を証明して見せてみろ!親の愛を受けず育ったお前が、他の者たちより出来る事を私に証明して見せてくれ!
私がトールを受け入れ、ナルと向き合えるだけの証拠を提示してくれ!」
「わかりました。俺に出来る事なら…」
お互いの腹を割り、お互いの傷に塩を塗りながら話しをしてきたが、もうお互いに残っているのは意地しかなかった。
「お前の前にはこれから先、困難な状況が待ち構えるだろう。
糞のような現実と闘うだろう。
自分のため…いや、お前が闘うのはほとんどが他人のためか…その時に決して諦めないと誓え!
諦めずに闘い続けると!
それが出来るなら私はお前を見て、全てを飲み込もう。
私と同じであるお前が他者を助け続けるのなら…私はそれに倣い、トールを認めよう…私の想いを飲み込もう!これからも娘の幸せのために飲み続けよう!」
その言葉の重みに唇が震えた。
言いたい…俺はそんなでかい存在なんかじゃない。
マルクの事だって、ただただ火の粉を払っただけですと。
でも、それを言えば、何もない…できない自分に、いじめられていたあの頃の自分に戻ってしまうかもしれない。
そんなことはごめんだ。
俺は俺の前に立ちふさがる困難を、蔑む奴らを許さない。
「わかりました。貴方に後押しが必要なら…俺は皆の幸せを願い、その試練をクリアして見せますよ」
俺に何の見返りも期待せずに便宜を図る人は少ない。
だからこそ、そんな人たちを幸せにしたい。
その気持ちを確かめるように俺はそう宣言した。
言葉のみの闘いが終わり、部屋を出た俺は満身創痍だった。
壁に寄りかかった俺の耳に2階からは女性たちの姦しい笑い声が聞こえてきた。
今回は俺のみが頑張ればいい事だ。
彼女たちならもう予定していた事を終え、残りを”女性同士の秘密の会話”に費やしているだろう。
もう俺が出る幕ではない。
俺はゆっくりとした足取りで寮に向かった。
先程はもう我慢比べだった。
お互い精神的にボロボロの中、先に条件を提示したのはカルヴァだった。
後は俺が条件を飲めばいい。
もし俺がその条件に従い、死んだとしてもカルヴァはトール先生を許し、娘のために飲み込み続けるだろう。
そうなれば最終的に俺の望む結果が出来上がる。
その利己的な計算に嫌気がさしたが、それでも俺は前を向いた。
もう誓ってしまったのだ。
いまさら後に引くなんて恰好悪い真似をするわけにはいかなかった。




