Ⅰ
長年悪魔をやってきて、私を満足できる人間は一人もいなかった。
私は教会に潜む悪魔だ。教会は教会でも、寂びれた教会で、人は一人も住んでいない。邪魔者がいないので、とても快適だ。
でも、退屈でもある。
だから私は、一つの遊びをしている。
「はいいろ様、はいいろ様。どうか私の望みを一つ叶えてください」
そう。私の遊びは、愚かなる子供のたちの望みを叶え、そして砕くということだ。
これは元々、私の友人の悪魔から教わった遊びで、彼がとても楽しいと言っていたので、やってみているわけだ。
彼らの泣き叫ぶ姿はとても愉快である。なんせ、自らが一番望んだことを叶えてもらい気持ちが高ぶっている瞬間、どん底に落とすのだから。
しかし、私はそれを身に感じたことがない。というのも、人間というのは私が思っている以上に複雑な生き物らしい。ゆえに、彼らの望みは私が思うような望みではない。
「はいいろ様、はいいろ様。どうか哀れな私の望みを一つ叶えてください」
さて、流石にずっと放っておくのも悪いかもしれんな。これで帰っていってしまったら、また来るまで待たないといけない。
私は、隠れていた教会の銅像から舞い降りるように彼女の目の前へ降り立つ。悪魔にしては異色な灰色の翼を携えて。
正直な話、その少女の声はとても美しく、透き通っていた。悪魔ながら矛盾した話だが、惹かれて降りてきたのだ。人間はそういう不思議な力を持っているから面白い。
「私が、はいいろ様だ。お前の望みを言え」
さぁ、君の望みを教えてくれ。そして、愉快な愉快な遊びへと発展してくれ。
「はいいろ様。私は……」
しかし、その少女の声は一度そこで途切れる。何かを喉に詰まらせるような、そんな仕草だった。
ぐぅ……。止めずに早く言ってくれないと、もどかしくて死んでしまう。
「早く言いたまえ」
「は、はいっ!?」
私が催促すると、少女は跳ね上がるかのような声を出した。人間はよく解らん。
「わ、私の望みは……この声を消してほしいんです」
少女がおずおずと言った言葉は、そうだった。
私は更によく判らなくなった。少女は少なくとも、私を惹かれさせるほどの美しい声を持っている。しかし、なぜ少女はそれを消してほしいのであろうか。
消すことは簡単だ。悪魔の呪いに不可能はない。私が少女に呪いを与えたら、たちまち話すことが出来なくなるだろう。
しかし、面白くない。なぜなら、彼女の望みは声を消すことなんだから。
このまま消しても、私は愉快な気持ちを味わうことが出来ないかもしれない。人間を絶望させ、そして愉快という快楽を得る。それが私の遊びだ。
ならば、望みの逆をしなければ意味がない。
「少女よ。なぜ君はそれを望む?」
声を消すことの逆。それは、更に声を良くすることだろう。しかし、悪魔である私の呪いをもってしても、彼女の声はこれ以上美しく変わらないだろう。それほど、少女の声は素晴らしい。
ならば、経緯を訊かなければならない。経緯を聞き、そこから彼女を絶望に堕とすことも、一つの手であるからな。
「望んだ、理由ですか……」
彼女は再び躊躇った。何なんだろうか。人間はなぜ躊躇うのだ。はっきり言えば終わるというのに。
「なぜ躊躇う。言ってみたまえ」
面倒くさい生き物だ、人間は。
しかし、その言葉を言っただけで彼女は口を開いた。
「私……この容姿のせいで、友達によく弄られるんです。声はいいのに、外は駄目だなって」
なるほど。しかし、私のような悪魔的視点から見れば、彼女の容姿は特に気になるところはない。
確かに、そばかすがあったりするが、まぁ、酷く醜いわけではない。
しかし、そんな容姿でも少女は弄られるのか……。人間はよく判らん。
「なるほど。だからコンプレックスである、その美しい声を消して、弄られないようにしてほしいんだな」
「はい……」
私がそう訊くと、少女は元気がなさそうにつぶやくように返した。コンプレックスを刺激したのがいけなかったのだろうか。
しかし、そうなるとどうするか。彼女の望まぬことをしなければ、愉快になることはない。しかし、その方法が見つからん。
「うむ……」
ふと思ったことは、逆に少女の容姿を一時的に美しくし、すこしずつ醜く変えていくということだ。しかし、永続的に見なければならないので、その案は却下となる。私も暇ではない。
周りにいる人間を貶めるのも、また一つの手である。容姿を醜くしたら、差もなくなり弄りもなくなるだろう。しかし、それは瞬間的なものであり、尚且つ少女の絶望に歪んだ顔を見ることが出来なくなる。
うーん、どうするべきか……。
「私、このまま大きくなるのでしょうか?」
私が様々な案を練り上げている中、少女は一人つぶやいた。それはまるで、自分自身に言い聞かせているようだった。
「大きくなっても容姿と声のことを弄られ、ずっとこんな気持ちを抱いて生きるんでしょうか?」
その問いは、私には答えることは出来ない。人間の成長は、私たち悪魔にとっては不可解な現象であるからだ。
例えば。醜くて、今にも死にそうな少女が、大人になった途端、美しく周りの人間に生を与えるような人間になることがある。小さい頃、頭が悪くて馬鹿だと罵られていた少年が、大人になり有名な科学者になることもある。
人間の成長は不可思議だ。無限の可能性があり、それを予測することなど不可能だ。
「さぁな。人間は成長すると、何者になるかは判らんからな」
犯罪者が聖職者になることもある。ケーキ好きが、ケーキ嫌いになることもある。
人間は何者にもなれる。しかし、何者にしかなれない。
この少女が声を失ったとしても、彼女自身が美しくなって、また弄られるかもしれない。声を持ち続けたまま、大人になり美しくなるかもしれない。声を失って、容姿もそのままかもしれない。
そんなこと、誰が判るだろうか。少なくとも、悪魔である私に予測など出来ない。
「人は変わろうとする。しかし、そのためには今の自分を受け入れなければならない。受け入れなければ、生きていけない。受け入れなければ、変わることなど出来ない」
ふと、そんな言葉が口から出た。
すると、少女は複雑そうな表情で口を開いた。
「受け入れたら……何か、いいことでもあるのですか?」
その問いに、私は答えることは出来ない。私は人間ではなく、悪魔である。人間のことなど、全く知らん。さっき言った言葉も、ほとんど口からの出任せだ。
私が黙っていると、少女は寂しそうにうつむいた。
「しかし」
しかし、私はそう答えを返す。
うつむいていた少女が私を見た。
「いいことだらけではないだろう。だからといって、全てが悪いわけではない。人は、絶望を覚えながら希望を知っていく者だ」
悪魔ながら、よくこんな口から出任せが出るもんだ、と一人で自嘲した。
しかし、そうするのにもちゃんとした理由がある。
先ほどまで考えていた、少女を絶望させる方法。私は一つの結論に行き着いていた。
それは、このまま成長させることだ。今思えば、少女が弄られている姿なんて見たことがない。それだけを見ても、十分愉快な気持ちになるのではないか。私はそう結論付けたのだ。
長い期間見守らなければならないが、少女が騙されたと理解したときの絶望に歪んだ顔を見るには些細な時間だ。
「そうですか……」
少女は一旦黙った。私の言葉をどう受け止めたかは判らない。
しかし、少女は、
「ありがとうございます」
と、笑顔を向けていた。笑顔を、だ。
なぜだ。なぜ、笑顔を向けられるんだ? 私は少女の望みとは逆の、絶望だらけの道を提示したのだぞ。なぜだ? なぜ、笑顔で私を見る。
少女はそう言って、教会から出て行こうとする。その姿は、新しく前へ踏み出そうとしているように見えた。
私は咄嗟に、彼女を引き止めこう訊いた。
「なぜ、笑えるのだ?」
彼女にとっては、酷く苦しい道のはずだ。絶望だらけの道のはずだ。なのに、なぜそんなに笑えるのだ。
すると、少女は優しく微笑んで、つぶやくように言った。
「なぜって、あなたが私に希望を教えてくれたからですよ。はいいろ様」
少女はそうやって、外と教会を繋ぐ扉を閉めた。
そして、教会は再び静かになった。
愉快ではない。こんなのは愉快でも何でもなかった。
だからと言って、不快、というわけでもない。複雑な気持ちだった。
希望? 確かに私は提示した。しかし、それはあくまで可能性での話であり、絶対にそうなると言う訳ではない。ならばなぜ、あぁやって笑える。なぜ、可能性をそこまで信じられる。
判らない。解らない。人間はわからない。
「ふん……」
ゆえに、面白い。
今回も愉快とまではいかなかった、暇ではなかった。
次回も楽しみにさせてもらおう。なぁ、人間よ。
見てくださって、ありがとうございます
この作品、予定では三部までやらせて頂くつもりでございますが、明らかに、冬の童話祭2012終了日までには終わる感じではありません
よって、冬の童話祭2012が終了した後も更新する予定です
もし、興味を持ってくれる方がいるというなら、どうか最後まで見てください
以上、作者でした