病院にて ―― 薪と嫉妬と記念撮影
1. 助手席の不機嫌
窓の外を流れる景色は、あゆにとって見慣れたはずの大阪の街並みだ。しかし、助手席に座る彼女の口角は、ヘコんだアルミ缶のように歪んでいた。
「お爺ちゃん、マジでさ……。我が家の『心配させないために連絡しないシステム』、いい加減バグってると思わない?」
ハンドルを握る祖父は、正面を見据えたままぴくりとも動かない。久しぶりに帰省した孫に会えて、内心では「お食い初めの鯛」のような顔をしたいはずなのだが、持ち前の意固地さがそれを許さない。
「会えると思って帰ってきたのに、お婆ちゃんが入院中なんて。寂しすぎるでしょ!」
「……しゃあないやろ。うちの家訓や」
「どんな家訓よ」
「あゆの曾曾祖父さんの孫がな、『目ん玉飛び出た』いう慣用句を真に受けて、会社の大事な会議を放り出して帰ってきよったんや。それ以来、入院ぐらいでガタガタ騒がない決まりになったんや」
「それ、お爺ちゃんのせいやん! どんだけ騒いだのよ!」
あゆの鋭いツッコミを、祖父はとぼけ顔で受け流す。
「まあまあ。お前が会いたい言うから連れてったるんや。感謝せえ」
「お爺ちゃんだって会いたいくせに。何日ぶり? お婆ちゃんに会うの」
「覚えとらん! 爺さんだって山に柴刈りに行ったり、五右衛門風呂沸かしたり、忙しゅうしてんねん!」
「昔話かーい!」
あゆは窓の外を見やり、鼻で笑った。
「でも、それが現実なんだよね。ウチ、太陽光パネルで勝手にお湯が沸くのに、わざわざ毎日二箇所でお風呂沸かしてるもんね。『お爺さんは山に柴刈りに』行って、薪で炊いたお湯に入りたいんだもんねっ」
「……そーや。それがええんや」
「お父さんは健康に良いってフォローしてたけど、夕方にはぬるくなる時間に炊いちゃうから、今なんてお婆ちゃんいなくて三人しかいないのに、非効率の極みだよね!」
嫌味の波状攻撃に、祖父がようやく顔をしかめた。
「わし、さっきからひどく皮肉言われとる気がするんやけど……」
「そんなことないよ~」
あゆは手を横に振りながら、わざとらしい笑顔を浮かべた。
「あ、そういえばさ。祖父母参観で民芸品作ったとき。お爺ちゃん、先生に感想聞かれて、いつもの関西弁じゃなくて、めっちゃ難しい言葉で話してたよね。小学生は引いてたけど、実はちょっとカッコよかったよ」
「おっ、おう……」
あゆが横目で盗み見ると、祖父の耳たぶが朱色に染まっている。
「あの時の記事、今でも家に飾ってあるもんね」
「おう。あれは婆さんの意志やからな」
「あの時から確信してるよ。『爺ちゃんは外面がいい』って!」
祖父がハンドルを握ったまま、物理的にズッコケそうになった。
「ワシャ、孫が小学生の頃から外面がいい思われてんのか」
「いいことだよ、外面。身内がイキってるのが一番恥ずかしいもん。外面、大事!」
祖父は小さく頷き、病院の駐車場に車を滑り込ませた。
2. 談話室の異変
病院の談話室に足を踏み入れた瞬間、あゆは圧倒された。
そこには、入院中とは思えないほど活気に満ちたコミュニティが出来上がっていた。その中心にいるのは、もちろん祖母のさゆだ。
「あらー! あゆちゃん! 帰ってたの!?」
さゆが花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる。
「もー、お婆ちゃんまで内緒にしてるんだから……」
「仕方ないのよ。私のお母さんのお母さんが、危篤と持ち直しを百回以上繰り返したせいで、帰省し続けた孫が破産しかけたんだから。以来、死んでから報告が義務なの」
「その孫って私のことだよね!? 私、これから破産する予言受けてるの?」
あゆが肩をすくめていると、さゆの周りを取り囲んでいた三人の老紳士たちが、一斉に身を乗り出してきた。
「あら、さゆさんのお孫さん?」と、血気盛んな猿久さん。
「さゆさんに似て小柄だねぇ」と、好奇心旺盛な犬馬さん。
「東京からわざわざ? 偉いねぇ」と、ナルシスト気味な雉歩さん。
完全に「さゆファンクラブ」の様相である。その光景を見た瞬間、隣に立つ祖父の空気が一変した。
「……フンッ!!」
「おっ、お爺ちゃんがイキってる。恥ずっ」
あゆの囁きも聞こえないのか、祖父はあからさまに不機嫌なオーラを撒き散らし、無言で談話室を後にした。
3. 嫉妬の五右衛門風呂
「お爺ちゃん、待ってよ!」
病室に戻った祖父は、もはや隠そうともしない苛立ちを全身から放っていた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃんのコミュ力なんて今に始まったことじゃないでしょ」
「だから何や!」
「明らか“にぃ”、イライラしてますけど~」
あゆは独特のイントネーションで祖父を煽る。
「そもそも“にぃ”、お爺ちゃんああいう時こそ、外面よく『家内がお世話になってます』って言うタイプなの“にぃ”……」
二人の声が重なった。
「「外面がいいから」」
「うるさい! 孫みたいなこと言うな!」
「孫だよ! ……いよいよヤバいね。お爺ちゃん、焼きもち焼くとこんなに人格変わるんだ」
「焼きもち? 焼いた餅みたいなこと言うな!!」
そこへ、談話室の片付けを終えたさゆが戻ってきた。
「お待たせ。明日の誕生日会の飾り付けをしてたの」
「お婆ちゃん、お疲れ様。今月は何回ケーキ食べた?」
あゆの問いに、さゆは「ええと……」と考え込む。
すかさず祖父が冷たく言い放った。
「覚えてないのか。情けないねぇ」
「じゃあ、お爺ちゃんは今月何回お見舞いに来たの?」
あゆのカウンターに、祖父が絶句する。さゆが助け舟を出した。
「お爺ちゃん、毎日来てくれてるよ」
「やっぱり! 山に柴刈りに行き、五右衛門風呂を沸かす多忙な合間を縫っての毎日のお見舞い、ご苦労様でございます!」
「くっ……」
祖父が唇を噛み締めたその時、さゆがふわりと微笑んだ。
「お爺さん、いつもありがとう。離れて暮らすのは寂しいけど、毎日来てくれるから嬉しいわ。早くお爺さんが沸かした五右衛門風呂に入りたい」
その無防備で愛らしい言葉に、祖父の目が一瞬でキラキラと輝き出す。
「……一緒に?」
「言ってない」
さゆの即答に、あゆは天井を仰いだ。
「あー、私、ちょっと売店行ってくるわ」
二人が見つめ合う甘い空気に耐えきれず、あゆが部屋を出ようとしたその時――。
「随分、楽しそうやな」
猿久、犬馬、雉歩の「ファンクラブ」三人が、病室の入り口に立ちはだかった。
祖父の体が、怒りでピキリとフリーズする。
「さゆさん、写真撮るよ。退院する人がいるから。談話室、来てな」
三人はそう言い残して去っていった。
あゆは、石像のように固まった祖父の目の前で、生存確認のように手を振った。
「お爺ちゃん、記念撮影だって。いいよね? お婆ちゃん、行ってきなよ!」
あゆがさゆの肩を叩くと同時に、祖父の手もさゆの肩に置かれた。一瞬、引き止めるのかと思いきや――。
祖父はさゆを優しく静止させると、そのまま自分一人で猛烈な早足で歩き出し、三人の男たちの後を追った。
「待てコラ! 集合写真なら、わしも写るぞ!!」
病室に残されたあゆとさゆの声が重なった。
「「なんでだよ!!」」




