第2話♣再会
俺の目の前に、淡い光を放つ半透明のウィンドウが浮かんできたあの日から、もう一週間が経った。茶屋「葦火」のオープン特需も落ち着いたある日の夕暮れ。会員専用の、一見するとただの壁画にしか見えない入口から、一人の美しい天女が来店した。彼女の注文は「サーロインステーキを弱火でじっくりと」。鉄板焼きでは異例の注文に戸惑う俺に、彼女はそっと囁いた。「あの時、あなたにすくわれすくわれた者です。精霊金魚でーすwヒャッハー」。
「……ステータス、なんてな」
前日の夜。遊び心で呟いた俺の目の前に、淡い光を放つ半透明のウィンドウが浮かび上がった瞬間、心臓が大きく跳ねた。
**【ミズホのステータス】**
好感度: +15
茶屋評判: 微増
常連候補: +3
占い精度: 微増
??: 8%(↓)
(VRゲームの画面かよ……)
俺は思わず、そう呟いた。まさか本当にこんなものが現れるとは。好感度?
なんだか、自分の人生が本当にゲームみたいになってきたと、複雑な気分になった。
しかし、このウィンドウは俺の能力の現れ。
この力で、俺はこの茶屋を守っていくしかない。
それから一週間。
オープン特需もまぁまぁ落ち着き、店は穏やかな営業。
大ノ須の街は相変わらず活気にあふれ、ホログラム広告は「精霊金魚すくい大会、過去最高の盛り上がり!」なんて報じている。
「いらっしゃいませ」
カウンターの鉄板を磨いていた俺は、何気なく顔を上げた。
夕暮れ時、店の奥にある会員専用の入り口が開いたのだ。
そこは、ぱっと見はただの壁に描かれた美しいトリックアートにしか見えない。
満月を背にした天狗が悠然と佇む水墨画風のアートだが、特定のDMや連絡を受け取った者だけが知り得る解除コードで、結界が開き、扉となる仕掛けだ。俺が以前の常連客のために用意した、遊び心溢れるサプライズだった。
入ってきたのは、一人の女性。
しなやかな体つきに、深い水色の着物をまとった、見るからに優雅な天女だ。
髪には睡蓮の花を模した飾りが揺れ、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。俺はそこそこ記憶力には自信がある方だが、どうにも思い出せない顔だった。しかし、あの会員専用の入り口から入ってきたということは、5年前に店を休業する前の、古くからの常連客に違いない。
「いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
俺はいつものように、落ち着いた声で促した。彼女はカウンターの隅の席に静かに座ると、すっと細い指を立てた。
「ええ。では、そちらのサーロインステーキを。……弱火で、じっくりと、お願いします」
(……弱火で、じっくりと?)
鉄板焼きのステーキは、高温で表面を焼き上げ、肉汁を閉じ込めるのが基本中の基本だ。
弱火でじっくり焼く場合鉄板の端で焼こうかな?それとも。
「畏まりました」
しかし、客の要望は絶対だ。
どうしたものかと考えながら、俺は熟成庫から神大牛のA4ランクサーロインを取り出した。
「お客様、もしよろしければ、炭火焼で弱火でじっくりと焼くのはいかがでしょうか? こちらの肉は、炭火の遠赤外線で時間をかけて焼くことで、より一層、旨味が引き出されます」
俺は最善の提案をした。
茶屋の奥には、以前のバーで使っていた小さな炭火焼台が残っている。
彼女は一瞬目を閉じ、それから優雅に頷いた。「ええ、それで♡あなたのお勧めに従います、ミズホさん」
俺は早速、炭火焼台の準備に取り掛かった。
炭に火を入れ、熱が均一になるまで待つ。その間、彼女は精霊の煎茶を静かに啜っていた。その様子はまるで、水面を漂う睡蓮のようだ。
「……あの、お客様」
俺はやはり、彼女のことが気になった。
あの会員専用の入り口から来たというのに、全く思い出せない。
失礼を承知で尋ねる。
「以前から当店をご利用でしたでしょうか? どうにも、俺の記憶にございませんで…」
彼女はゆっくりと煎茶の碗を置き、俺を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、透き通った水の底を覗き込むような、深い青色をしていた。
「ええ、そうですね。あなた様には、深いご縁があります」
彼女は意味深に微笑むと、今度はカウンターの壁に飾られた天狗のお面に視線を移した。そして、もう一度俺を見つめ、静かに、しかしはっきりと告げた。
「……あの時、あなたにすくわれすくわれた者です」
(ダジャレか?)
俺は、炭火の上で肉を焼く手を止めた。
俺が言葉を探している間に、彼女はにこやかに、しかしどこか誇らしげに、両手を広げた。
「私、あなたにすくわれすくわれた*のです! そして、こうして姿を変えて、あなたに会いに来ました。私の名はスイレン。精霊金魚でしたーっ! すくってくれたということは♡家族♡ヒャッハー!」
(何回言うw?)
俺は呆然とした。炭火の上でじっくりと焼けていく神大牛のサーロインの香りが、一瞬にして頭から抜け落ちた。目の前の天女が、まさか俺がすくった精霊金魚だというのか? しかも「ヒャッハー」って、なんだそのテンションは。
スイレンは、俺の驚きを面白がるように、くすくすと笑った。「そんなに驚かなくても、ミズホさん。精霊が姿を変えるなんて、瑞穂国ではよくあることでしょう? 特に大ノ須では、コスプレも日常だって聞きましたし」
(いや、コスプレと精霊が姿を変えるのは全然違うだろ!)
俺は内心でツッコミを入れたが、言葉には出せなかった。あまりにも衝撃的だったからだ。「あのね、あなたにすくわれた時、私の魂に特別な波動が宿ったの。それがきっかけで、もっといろんな世界を見てみたいって思ったのよ。あなたのおかげで、私はこんな姿になれた。だから」
スイレンは、熱い肉汁が滴るサーロインを焼く俺の手元をじっと見つめている。その瞳には、嘘偽りのない純粋な輝きがあった。
「あの精霊金魚が、こんな美人に化けるとはな……」俺は思わず呟いた。
そして、店内に放したはずの精霊金魚が、翌朝には消えていたことを思い出す。
まさか、あの時すでに、彼女は姿を変え始めていたのか?
「まあ、いいさ」
俺は混乱する頭を無理やり落ち着かせた。客は客だ。たとえ元精霊金魚でも、注文は変わらない。炭火でじっくりと焼き上げられたサーロインは、香ばしい匂いをあたりに撒き散らしていた。
炭火で時間をかけて焼かれたサーロインステーキは、外は香ばしく、中は驚くほどジューシーに仕上がっていた。肉を一口大にカットし、皿に盛り付ける。
「どうぞ、スイレンさん。弱火でじっくり、心を込めて焼きました」
スイレンはフォークとナイフを手に取り、肉を口に運んだ。その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれる。「……っ! これは……私の知っている肉とは全く違う……! 旨味が、身体中に染み渡る……!」
彼女は言葉を失ったように、ただ黙々と肉を味わっていた。そして、食べ終えると、満足そうにため息をついた。「ありがとう、ミズホさん。本当に、最高の味でした。あなたにすくわれたのも、この肉を食べるためだったのかもしれないわね、もはや家族なので♡家族からお金取らないわよね♡」
コクリと頷き
俺は、彼女の笑顔を見せ店を出た。
心底面白い。精霊金魚だったという衝撃はまだ残っているが、目の前の客が喜んでくれることが、俺にとっての何よりのご褒美だ。
「まあ、いいさ」ぐったりする身体で、俺は今日の売上をノートに記載し、SNSにも投稿。
夜遅く、店を閉めた俺は、改めてカウンターの壁に飾られた天狗のお面を見つめた。(俺の占いの力とバフ能力、本当に、一体どこまで俺の人生を変えていくんだ?)
ふと遊び心で俺は小さく呟いた。
「ステータス」
その瞬間、俺の目の前、空中に、淡い光を放つ半透明のウィンドウが、静かに浮かび上がった。
【ミズホのステータス】
好感度: +20
茶屋評判: 微増
常連候補: +1
占い精度: 微増
ふむ
俺は静かに頷いた。
ホログラム広告が「海嘯病新薬、未だ有効性低し」と報じる中、遠い海鳴りが聞こえた気がした。