第1章:深海の診療所(タツノオトシゴ)
ざぶん… ぽとり… くるり…
潮の流れが静かに診療所の壁を撫でる。
そこは、深海にぽつんと灯る場所――ダイオウイカ先生の診療所。
ふわりと触腕を巻きながら、先生は今日もカルテの棚の前に佇んでいる。
じっと音も立てず、でも確かに「誰かの心」を待っていた。
そのとき、そより…と訪れたのはタツノオトシゴの患者。
小さなヒレをふるわせながら、ゆっくりと先生の前まで泳いできた。
「先生…背中が重くて、深く息ができないようなんです。」
その声は小さく、けれど沈むほど真っ直ぐだった。
ダイオウイカ先生は、すぅ…と触腕を伸ばし、胸のあたりに吸盤をそっと添える。
ぴとん… とくん… 胸の鼓動が、静かに響いてきた。
「小さな体に大きなものを抱えると、潮に逆らっているような感覚になるんです。
でもね…あなたが沈まずにここまで来たことが、すでに強さの証です。」
タツノオトシゴはふるふる…と身体を震わせながら、そっと眼を閉じた。
その姿は、“ほんの少し誰かに聞いてもらえた”心の形だった。
先生はカルテにさらさら…と診察記録を書き、棚の奥に静かにしまった。
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今日の診察記録。
その最後の行に、こう書かれていた――
『小さな体でも、背負えるものは大きい』
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