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第一話

 この都市の象徴、水銀重工のビル。この都市の支配者は誰であるか示すかのごとく悠然と聳え立っている。私は自室の窓から、その建物を見上げていた。室内の静けさとは対照的に、街は喧騒に満ちている――


 時刻は夜。街は様々な色のネオンに彩られているが、その建物はネオンの極彩色を意に返さず漆黒だ。ネオンの反射さえ許さないという傲慢さは、その建物の主の性格をそのまま表しているように私には思えた。


 一見すると巨大な空洞のようなそれは、私にとっては誘蛾灯。この都市は金と権力と暴力に魅入られた害虫たちの掃溜め。そして、この私も誘蛾灯に魅入られた害虫の一匹に過ぎないのだろう。


 私のこの肉体は、水銀重工に縛り付けられている。私以外の社員たちも、水銀重工からは離れられない各々の理由があり、だからこそ切られないように必死にしがみつこうとする。そういうこともあって、都市のスラム街に住む者たちは、水銀重工の社員たちを鎖に繋がれた犬だと揶揄する。


 我ながら、彼らと同意見だ。彼らも彼らで徒党を組み、時には騙し合い、時には協力しあう。私は、そんな彼らの享楽的な生き方は嫌いではないと思っている。この都市では、強者になれなければ、体を売るか、物乞いになるか、あるいは屍体か。選択せざるを得ないのだ。


 無駄な思考はここで止めよう。これから仕事だ。


 私は待ち合わせ場所である、水銀重工のビルの前に向かった。が、そこには私が伝え聞いた特徴を持つ人物はいない。


「フユノ…センパイだっけ?」


 不意に背後から声をかけられ、反射的に振り向く。路肩に停まった黒い車の運転席の窓が開いていて、中から無造作な金髪と、碧い目がこちらを覗いていた。男は何の警戒もなく、軽く顎を上げて言った。


「シドニー・チェンバーレイン。多分、今日の相棒だ」


「えっと」


 自己紹介なんて、いつぶりだったか。春。たしか、新入社員が入ってきたときに一度あった。それ以来だろうか――いや、違う。たぶん、あれは名簿で済んだ。じゃあ、声に出して名乗ったのは……。


「もしかして間違えた?ごめんなさい」


白波冬乃しらなみふゆのです」


「ごめん、もう一回いい?」


 声が小さかったかもしれない。けれど――その言い方が、妙に鼻についた。


「白波・冬乃!」


 思ったより声が大きくなった。


 シドニーは少しだけ目を丸くしたが、すぐに表情を緩めた。


「ごめん。怒らせたかったんじゃないんだ。……冗談のつもりだった」


 言い訳じみていない、妙に落ち着いた口調だった。


 シドニーは胸ポケットに手を入れ、社員証を取り出してこちらに見せた。黒地に銀のロゴ。水銀重工の正式な発行物。


「ほら、ちゃんと社員。仲間だからさ。認証してくれ」


 不思議だった。シドニーが乗っている車は確かに水銀重工の所有物だ。本来、その車に乗っている時点で彼は水銀重工の社員であることは証明されている。それでも彼はわざわざ社員証を見せてきた。……理由が分からなかった。ただ心のどこかがザラついた。


「わ、わかった」


 なんて声を掛ければ良かったのか、なんて反応すればよかったのか、分からなかった。私は持っている端末で、シドニーの照合を済ませた。シドニーは助手席の扉を開け、車に乗るよう促した。


 シドニーは右手を差し出した。


「さっきのは大人気なかった。……仕切り直そう」


 私はその手を握り返した。私の手よりも全然暖かかった。


 言葉を交わすでもなく、私はそのまま車に乗った。ドアが閉まり、車内の静けさに包まれる。エンジンが静かに駆動し、車は動き出した。


 助手席の窓から見えるのは、明かりの乏しい半ばゴーストタウンと化した東京。かつて栄えたビル群は黒い影と化している。割れた窓、崩れた歩道、壁に残る古い広告の痕跡。車が進むたび、道路の継ぎ目を越える衝撃が微かに響く。この道はかつて高速道路だったはずだが、最後に整備されたのはいつだろうか。ひび割れたアスファルトの隙間からは雑草が顔を出し、崩れたガードレールが無造作に転がっている。


 ふと窓の外に目を凝らす。ビルの隙間を抜ける風が、木々を揺らしていた。人影はない。時刻は午後8時。寒空の下、車内にはエンジンの低い唸りだけが響いていた。


 ふと運転席に視線を向ける。シドニー・チェンバーレイン。短く無造作な金髪。目元には目立つ隈。碧色の瞳。彼の服装は着古したパーカーにデニム。どこかほつれていたが、動きやすそうではあった。私は窓の外に目を戻し、ぼそりとつぶやく。


「普段からそんな服装をしてるんでしょう? 今回の仕事にはピッタリだと思うけど」


「まあ、たしかに」


 シドニーの服は、着られなくなるまで使うつもりなのだろう。


「そっちはなんで会社員みたいな服装なんだ? 今回の仕事には不向きじゃないか?」


 シドニーが指摘する。私は何気なくジャケットの裾を引っ張り、視線を下げる。ワイシャツ、黒のスラックス、ローヒールの黒いパンプス。確かに、動きやすいとは言えない格好だった。でも、会社員の仕事といえばスーツ。ぼんやりと、そんな考えが頭の隅にあった。別に決まりがあるわけじゃない。それでも、この服を選んだのは、そうするのが「普通」だと思ったから。会社に属する以上、そういうものだと。


 視線を戻すと、シドニーがこちらを見ていた。何か言いたげに口を開きかけるが、結局、言葉にはせずにハンドルを軽く叩く。


「そうかもね」


 私がそう返すと、シドニーは小さく鼻を鳴らし、それ以上は何も言わなかった。


 私たちの目的地は、水銀重工の社員が立ち寄ったとされる場所。その痕跡が途絶えた最後の場所。


 車が静かに止まった。目的地から1kmほど離れた場所だ。私は足元のトランクケースを片手に持ち、もう片方の手で車のドアを開ける。夜の冷気が肌を刺した。路面には無数のひび割れ。シドニーも同じタイミングで出た。


「ところで、そのでかいトランクケースには何が入ってる?」


 歩き始めて数分、少し後ろからシドニーの声。


「着替え」


「スーツでも入っているのか?」


「そんなところ」


 シドニーは「だろうな」とでも言いたげにため息をつき、それ以上は聞いてこなかった。


 沈黙のまま進み、やがて目的の建物が見えてくる。外装は剥がれ落ち、窓からは微かな光が漏れ、壁面のいたるところにグラフィティ。敷地のフェンスは錆びつき、門扉は半開きになっている。


「正面、監視カメラが動いてるな」


 シドニーがぼそりと呟く。


「裏から行くか?」


「正面から」


「だと思ったよ」


 シドニーは呆れたように吐き捨てる。


 私はトランクケースの持ち手のセンサーに触れる。瞬間、トランクケースが展開する。その最中、トランクケースが弾け、部品が連鎖するように組み上がり、私の全身を駆け抜け、装甲へと変わる。最後に少しだけ飛び、着地の瞬間足のパーツがカチリと嵌った。特殊強化装甲・昏霜。


「なんだそれ」


 シドニーが目を丸くして言う。


「スーツだって言ったでしょ」


「俺の分は?」


「会社に行って」


 昏霜を纏ってから代体(オルター)の気配が伝わってくる。私は同時に建物から出てくるそいつを待った。


「騒々しいな。静かに出来ないのか?」


 ドアが静かに開いた。軍服をまとった男が、こちらを見下ろすように立っている。


 私は代体(オルター)の気配を感じた。だが、現れたのはインプラントの痕跡もないただの人間だった。シドニーの方に目を向ける。唖然としていた。軍服の男から目が釘付けになったかのように離せないでいる。


 私は再度軍服の男に視線を戻す。


「……どこかで見たような?」


 記憶の底を手で掬うように言葉を紡ごうとする。けれど、どこかに引っかかるだけで形にならない。私は慎重に言葉を口にした。


「自称・日本国総督、首藤陽赫。で、合ってる?」


「総督?そんな肩書は、私が望んだものではないよ」


 声に怒気はなかった。ただ、こちらを試すような声音。赫陽はわずかに肩をすくめ、まるで他人の噂でも話しているかのように続けた。


「ただ……私のもとに人々が集まり、そう呼ぶようになっただけだ」


「へぇ。どっちでも、変わらないと思うけど」


 少し強めに返したつもりだった。けれど、相手の態度は微動だにしない。


「さて、お嬢さんは何用で?」


 声の端に、“会話の主導権はこちらだ”という自覚が滲んでいた。けれど私は一歩も引かない。――そのはずだった。


「あんたが出てきた建物に、うちの社員がいるらしいんだけど。……連れてきてくれない?」


 陽赫は首を傾けて、芝居がかった嘆息を漏らす。


「社員?……ふむ。構わんよ。建物内を自由に物色してくれたまえ。ただし、先ほどから殺気立てているアイツに――一撃でも入れることが出来たら、だがね」


 そう言って赫陽は屋根を指差す。だが、そこに人影は――


 空気が裂けた。


 次の瞬間、音よりも速く“何か”が突っ込んでくる。わずかな風圧が装甲を通じて肌を打った。反射で身を沈め、拳を握る。訓練で叩き込まれた通りに、体が勝手に動いた。全身の動きが、研ぎ澄まされた直感に従って展開された。


 衝突。


 拳が敵の装甲に叩きつけられる。鉄塊がぶつかるような衝撃が走る。私は力を受け流そうとしたが、その瞬間、相手の動きがわずかに逸れた。空中で身を捩り、まるでこちらの狙いを見透かしたように、体勢を崩すことなく着地する。


「腹に膝蹴りでも入れてやろうと思ったのに」


 男は距離を取ったまま、薄く笑った。


「フハ。あれをいなそうとするとはな……」


 赫陽の心底愉快そうな笑い声が空間に染み込むように響いた。私の言葉に、赫陽は笑ったまま肩越しに呼びかけた。


「豪徳寺。あのお嬢さんはお前より強いぞ。どうする?」


「総督、あいつはお嬢さんじゃないですよ。バケモノです」


 獰猛な笑みと共に、豪徳寺は踵を返して陽赫の背後へと下がった。そのやり取りに、私は言葉にできない感覚を覚えていた。わずかに引っかかる。何かが、噛み合わない。けれど、それが何なのかは、まだ分からない。


「総督、ここは撤退しましょう」


「ああ、ではなお嬢さん。あとそこで呆けていると危ないぞ。この建物は爆発するかもしれん」


 豪徳寺が赫陽を脇に抱えて走り出した。それを見て、私もシドニーの元へ駆け出した。


「見たか?首藤赫陽だ!やばいって」


「やばいのはこれから!」


 私はシドニーの足に腕を通し、もう片方の手で背中を支える。この体勢が一番運びやすそうだった。


「ちょっと待って、なんで俺、抱えられてんの?」


「走るからしっかり掴まって」


「いや、おしえ」


「お願いだから言うこと聞いて」


 シドニーは渋々といった感じで私の首に手を回す。私は全速力で車の元へ走る。背後で、建物が爆ぜた。空気を裂く轟音が、足元まで追いかけてくる。シドニーは何かを言っているが断片的にしか聞き取れなかった。

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