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ハロウィン

作者: 佐藤瑞枝

 十月最後の月曜日。めぐとちえみがおそろいのブレスレットをつけてきた。ハロウィンの、黒猫の飾りがついたオレンジ色のブレスレット。


「昨日買ったんだ」

「ねー」


 そう言って、ふたりはブレスレットをつけた手と手をつなぎ大きくふった。


 ずきん。


 感じたことのない痛みが走り、半歩うしろにさがっていた。そのまま振り向き、逃げるように走った。


「アヤ」

「どうしたの?」


 ふたりがさけぶのが聞こえた。


 なんで。どうして。日曜日のショッピング。わたしだけ誘われなかった。

 走って、走って、どうにかなっちゃいそうだ。


 学校と反対方向に走って行くわたしのことを不思議そうな顔で見た子はいたけれど、誰も声はかけてくれなかった。

 家に飛び込み、二階の部屋へ駆け込んだ。


「アヤ?」

「具合悪いの? 病院行く?」


 ママの声。

 うるさいっ。うるさいっ、うるさいっ。


 ベッドにもぐり、布団をかぶる。静かになって、ようやく息ができるようになった。涙が一気にあふれてきた。


 めぐもちえみも大嫌い。

 ひとりじゃ学校へ行けないわたしはもっと嫌い。



「来ると思ってた」


 声がして、びっくりして起き上がる。

 目の前に、少女が立っていた。ボサボサのオレンジ色の長い髪。薄汚れた黄色のワンピース。腕に抱いた黒猫の毛もやっぱり濡れたようにボサボサで、ほつれたワンピースの裾から伸びた少女の細い枝みたいな脚の先は、裸足だ。


「ようこそ。こっち側の世界へ」


 笑みを浮かべた少女の銀歯がキラリと光り、背筋が凍った。


 灰色の壁に囲まれた部屋。わたしのじゃない。ここはどこ? 絵筆を何度も洗ったバケツの水をひっくり返したような鈍色の床。

 折れたビニール傘、ふちのかけたカップやソーサー、片方だけのエナメルの靴、プラスチックのじょうろに耳かけの曲がったメガネ。

 そこらじゅうに、がらくたが散らばっている。


 パニックになった。


「心配しないで。みんな、アヤの仲間だから」


 どうしてわたしの名前を知っているのだろう。


「あなたは誰?」


 わたしが聞いても、少女はただ意地悪くニヤリと笑っただけ。


「知ってるくせに」


 わたしは、この少女にどこかで会ったことがあるのだろうか。


 抱いていた黒猫を足元におろし、少女がわたしに近づいてくる。散らばったものたちが、突然息を吹き返したように動き出し、ぐるぐると宙を舞った。少女がそっと手を伸ばし、渦の中から拾いあげたもの。両手にすっぽりおさまるサイズの円盤のような何か。


 鏡だった。


「見て」


 そう言って、少女は鏡を差し出したけれど、ひび割れているし、だいいち曇っていて何も見えない。


「ちゃんと見て。目をそらしちゃだめ」


 おそるおそる鏡に手を伸ばし、ブラウスの袖でぬぐった。

 もう一度、鏡をのぞく。


 映っていたのは教室だった。めぐとちえみが楽しそうに笑っている。おそろいのブレスレットをクラスの子にじまんしている。わたしのことなんて、忘れたみたいにはしゃいでいる。


 おなかの底からふつふつと熱い塊がこみあげてきた。

 ふたりとも大嫌い。


「ねえ、こらしめてやろうよ」

「今日はハロウィンなんだから」


 少女が楽し気に言う。黒猫が、わたしのそばにやってきた。しっぽを空に向け、背中をぐうっと高くして、わたしの脚にすり寄ってくる。ぞわぞわした。


 胸の中でくすぶっていた何かが、弾けた気がした。


「なくせばいいんだ」


 そう言っていた。言うつもりなんてこれっぽっちもなかったのに、勝手に言葉がこぼれたみたいだった。


「ちえみに、ブレスレットをなくしてほしい」

「めぐが怒って、ふたりとも絶交すればいい」


「いいね。その調子」

 少女がわたしの肩をたたく。


 鏡の中で、めぐたちがけんかをはじめた。ちえみがブレスレットをなくしたことがわかったからだ。


「どうしてなくすの」

「友情のしるしだったのに」

「ちえみはブレスレットなんて、大事じゃなかったんだ」

「きっと最初からどうでもよかったんだよね」


 めぐは怒ってまくしたて、ちえみがあやまっても許さなかった。しまいには、ちえみに絶交を言い渡した。


 わたしの思い通りになった。


 信じられず、こわくなった。一方で、すっと胸がすくような愉快な気持ちが身体じゅうを駆け巡り、酔いしれた。ふたりがけんかしたことをいい気味だと思う。


「やっぱ、アヤは見込みあるよ」


 三日月みたいに少女が笑って、銀歯を光らせた。



 気づいたら、ランドセルを背負って、いつもの道を歩いていた。オレンジ色の髪の少女も黒猫もいない。


「アヤ、おはよう」

 よく知った声がして、ふりむくとめぐがいた。

「あ、おはよう」

「宿題やってきた?」

「え? 宿題なんてあった?」

「やだ、国語の宿題、昨日出たじゃん」


 わたしは混乱した。今日が何日なのかもわからない。めぐの腕にブレスレットはないから、きっと十月三十一日ではないいつかだ。


 その時、わたしたちの脇を小走りで通り過ぎていった女の子。ちえみだ。ランドセルで身体を隠すようにしていたけれど、バレバレだった。「絶交」という二文字が頭をよぎった。


「けんかしてるの?」

 まさかとは思ったけれど、めぐに聞いてみた。

「いいの、いいの。行こっ、アヤ」


 めぐが、わたしの手をぎゅっとつかんだ。

 そのまま急に走り出したので、めぐに引っ張られたわたしはよろよろ転びそうになった。めぐがわたしを見て、ぷっと吹き出したので、思わずわたしも笑ってしまった。

 ふたりで手をつなぎ、学校まで走った。わたしたちは、笑い病にかかったみたいに、顔を見合わせては笑って、このまま死んじゃうんじゃないかと思うほど笑いが止まらなかった。


 隅っこの席にひとりぽつんと座っていたちえみと目が合うまでは。


 休み時間も、給食を食べる時も、理科室に移動するときも、ちえみはひとりだった。わたしがそう願ったから? 胸がちくりと痛んだけれど、すぐにあれは夢の中のことだったと思い直す。オレンジ色の髪の少女も黒猫も実際に存在しない。めぐとちえみが絶交は、ふたりがしたことで、わたしのせいじゃない。



 けれど、次の日。

 職員室に学級日誌を届け、教室にもどったら空気が一変していた。めぐとちえみがふたりしてわたしのことをにらんでいた。


「サイテー」

「ちえみのブレスレット盗ったの、アヤでしょ。ほんとサイテー」

「もう友だちじゃないから」

「行こっ、ちえみ」


 どういうこと? わたしが盗んだって。足元からさあっと波が引いていくような感じがした。ふたりがどんどん遠くなる。


「お帰り」


 オレンジ色の髪の少女が立っていた。


「お帰り」


 少女がもう一度そう言って、わたしはまた夢の中の、こっち側の世界へ来てしまったのだとわかった。黒猫がわたしの足にまとわりついて、ひたすら鼻をこすりつけている。あっち側のにおいがするのかもしれない。


 少女が差し出す鏡をのぞいた。

 誰もいない教室で、ちえみとめぐが話していた。


「きっと、アヤだよ。あの子が盗んだんだよ」

「マジ?」

「あの子、あたしたちがおそろいで買ったの、すごくうらやましそうにしてたし、あの日だって、機嫌悪くしてひとりで帰っちゃったじゃん」

「ほんとだ」

「ほんっと、いやな子。なんで人のもの盗ったりするんだろ」

「ちっとも似合わないのに」

「ほんと」


 顔をあげ、手鏡を少女につき返した。


「わたし、ブレスレットなんか盗ってない」


 ひどい。ちえみの嘘つき。

 ちえみなんて、消えちゃえばいい。

 めぐだって。

 いっそふたりとも、消えちゃえばいいんだ。


「いいね。その調子」


 オレンジ色の髪の少女が言った。キラリと銀歯が光る。


「消しちゃいなよ」

「アヤならできる」


 少女の言葉に、わたしはうなずいていた。風が生まれ、足元のがらくたがカラカラと音を立ててまわった。黒猫が、ぶるっと震えてわたしの両足に顔を押し込んでくる。みるみるうちに風は強くなり、嵐になった。

 がらくたどうしが宙に舞い、トンカンぶつかり合う音がした。あぶない。思わずかがんで目をつぶる。

 少女が高らかに笑う声が聞こえた。


 わたしは教室にいた。間取りも、壁に貼ってある時間割表も、全部よく知っているのに、クラスメイトの顔がわからない。めぐはどこにいるのだろう。ちえみは。

 次は体育だ。ロッカーに体操着をとりにいき、着替える。名前もわからないクラスメイトはみなそれぞれおしゃべりに夢中で、わたしに話しかけてくれる子はいない。


「二人一組になってください」


 グラウンドで先生が言う。どうしよう。まわりの子たちがどんどん二人組になっていく。みんながくっついていくのに、わたしだけがはじきだされていく。早く誰かを見つけないと、ひとりぼっちになってしまう。そんなの、いやだ。


「アヤ」


 声がしてふりむく。オレンジ色の髪の少女がわたしに手を差しのべている。誰も顔がわからないクラスの中で、たったひとり、知っている少女。


「二人一組になれましたか」


 先生が、もう一度叫ぶのが聞こえた。どうしよう。早くしなきゃ。


 オレンジ色の髪の少女に、そっと手をのばす。

 指先が触れた。

「アヤ」


 背中から声をかけられて振り向いた。顔の見えないクラスメイトの輪郭がだんだんと濃くなっていく。もうひとりの少女は、ちえみだ。


「アヤ」


 オレンジ色の髪の少女がわたしを呼んでいる。

 ちがう。この子じゃない。


 あの時、声をかけてくれたのは。

 はじめてのクラス替え。仲良しのめぐとはなれてしまって、誰とも組めなかった体育の時間。わたしに声をかけてくれたのは、ちえみだ。


「アヤ」

「あたしたち、友だちでしょ」


 オレンジ色の髪の少女が指先を絡めてくる。その手をふりはらった時、わたしは思い出した。少女は、もうひとりのわたしだ。


「あなたとは、組まない」


 はっきりとそう言い、わたしはちえみのもとへ走った。

 突然、肌を刺すような風が吹き、オレンジ色の髪の少女が苦し気な悲鳴をあげた。



 気づいたら、わたしはベッドにいた。目覚まし時計は七時三分。いけない。急がないと遅刻する。あわてて飛び起き、卵かけごはんをかきこんで家を出る。


 通りに出ると、めぐとちえみと合流した。ふたりともおそろいのブレスレットをつけていた。


「昨日買ったんだ」

「ねー」


 そう言って、ふたりはブレスレットをつけた手と手をつなぎ大きくふった。


「すてき。ふたりとも似合ってるよ」


 今度こそ言おうと思っていたことをわたしは言った。


「アヤもそう思う?」


 ちえみが満面の笑みを浮かべた。


「でしょー」


 めぐがブレスレットを太陽にかざす。きらきら光ってまぶしい。


「三人で手つなごう」


 ちえみがそう言って、ふたりがわたしをはさんで一列になった。そのまま手をつないで歩く。わたしの右腕と左腕でおそろいのブレスレットがくるくるまわる。飾りの黒猫が楽しそうに踊っているみたいだ。

 十月最後の月曜日。はしゃぎながら歩くわたしたちをふりかえりながら、クラスメイトが笑いながら何人も通り過ぎて行った。


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