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中学一年時の九月のある夕暮れ、真央はその文房具店のゲーム機で、延々と「ザ・キング・オブ・ファイターズ」をやっていた。
その夏の初めに付き合いだした私と真央は、吹奏楽部の練習帰りに一緒に自転車で下校するようになった。その、毎夕の下校を二人で行うことと、携帯のメールとたまにする電話、それが私と真央の交際の全てだった。
「商店街の文房具屋にちょっと寄ってっていい?」
その日の帰り際真央がそう私に言い出して、私は断る理由もなく、彼と二人きりだと未だ赤くなる顔をぶんぶん縦に振った。真央は私と到底釣り合わないイケメンだった。
文房具店に着いて自転車を店の前に停めると、真央はヘルメットを前カゴに放り、私に何も言わずに店頭のゲーム機の円椅子に一人座ってゲームをはじめてしまった。はじめは彼に気を遣って脇からゲームの進捗を興味深げに眺めていた私だったが、無言で格闘ゲームを続けているだけの真央に途中から若干呆れて、そこを離れて店内に入った。
「いやあれは」
後に成人式の同窓会で真央にあの時の心境を聞くと、彼はこう答えた。
「あのゲーム、あの頃得意でさ。良いとこ見せたかったんだよね」
理解できないカッコつけかたで、当時の私にはその気持ちなど分かるはずが無かった。
私は暇つぶしに小学校以来の訪問となる店内を物色した。
店内の入り口の面を除いた三方の壁は商品棚になっており、天井近くまでファンシーな文具が陳列されている。店は奥に長く、中央には棚が三列横に並んでいて、そこにも文具がずらっと置いてあった。白い蛍光灯がそれらを眩しく照らしている。懐かしい、文房具店特有の匂いが漂っていた。
真央のゲームはなかなか終わりそうになかったから、私は棚の文房具を端から端までじっくり見て回っていった。……すると、中央に並んでいる棚の奥、入り口から入って店の左隅の床の上に、ガチャポンのマシンが一台ぽつりと置いてあったのである。
それは棚と壁の間の狭い通路の奥の方を占領する形で置かれていた。店頭に並んでいるガチャポンのマシンは赤色だったが、そのマシンは白色で、店頭のものよりずいぶん大きい。私は気になって近寄ってみた。
プラスチックの縦長の四角形をした機械である。上部は透明で、正面にはガチャポンの商品をPR・説明する紙が内側から貼ってある。横の面からはガチャポンのカプセルがいっぱいに入っているのが見えた。カプセルは非常に大ぶりなもので、ソフトボールに近い大きさがあった。白いカプセルで、中身は見えない。
マシンの下半分は真白な肌をし、正面右側にお札を入れるスリットがあった。「¥1000」スリットの上にそう書かれたシールが貼ってある。そのすぐ下に鉄製のガチャハンドル。正面左側にはカプセルが出てくるのであろう、透明な蓋の付いた取り出し口。
マシンの上部に目を戻して、商品説明の紙――チラシと言えばいいのだろうか――を見ると、
「親父ガチャ 全6種
小さな親父がわんさか!
親父たちが呑む、話す!
これで君も親父の子供
いっぱい愚痴を聴いてもらおう
活動時間5時間~一晩!
1回 2000円」
とPR文句が書かれていた。その文字の周りに、商品である親父の姿と思われるシルエットがいくつか写っている。寝転がって肘枕をしている者、あぐらをかいて酒を飲んでいる者、立って煙草を吸っている者など、四、五種類の親父らしきものが写っているのだった。
(なにこれ)
私はそのガチャポンマシンを見て、じっと固まった。活動時間、と書いてある。最新式のおもちゃだろうか? おもちゃが動いて酒を「呑む」「話す」のだろうか? 愚痴を聴いてくれるというのはちょっといいかも知れない。一回二千円はずいぶん高い……。私はよほど気になって、レジにぼけっと突っ立っている年老いた店主にこのガチャポンがどういうものなのか尋ねてみようかと思った。しかし私は十三歳で、大人に妙に気を使う齢になっており、店主と話すのは気詰まりだった。
「深琴ー。負けた! 行こう」
そこで真央がそう言って店に入ってきて、私は慌ててガチャポンマシンから離れて彼氏の元に向かった。
あのガチャポンはなんなのだろう、といぶかしみながら真央に誘われるままに隣のファミリーマートでガリガリ君を買い、車止めの縁石に二人座って食べた。そうなるとだんだん私の思念は親父ガチャのことから離れて、彼氏の方に向いていった。あたりは真っ暗だった。この日真央はどこかいつもと違った。
「ちょっと、そこの神社に行かない?」
ガリガリ君が無くなったところで、真央がそう言った。その声は僅かに震えているような感じがした。私もつられて声を震わせて、いいよ、と返した。
人気の無い、樹木が生い茂る暗い神社の境内で、私は生まれて初めてキスを受けた。神社では死に遅れた蝉が一匹寂しく鳴いていた。