1-2
その土曜日、私――佐宗深琴十四歳A型、埼玉県喜乃宮市在住中学二年生帰宅部見た目中の下、ややポチャ――は、前日に得た軍資金を財布に入れ、黄昏の中ひとり家を出た。
私の住んでいた家は「喜乃宮教職員住宅」という公営住宅で、学校の教職員とその家族向けに建てられた、官舎みたいなものだった。
団地を小ぶりにしたような見た目のその住宅の門を出て、私は自転車に乗って住宅街を走った。学校指定のヘルメットは被らなかった。そこから東にある商店街に向かう。住宅街の路地の左右には、個人宅やアパートの他にラーメン屋やせんべい屋(喜乃宮市はせんべいが特産品の一つだ)などがちょこちょこあって、店の灯りをともしている。どこからか金木犀の香りがした。
その日の私の目当ては商店街の文房具店であった。いや、文房具店と言ったが、あれから二十年経った今記憶がややあやふやで、あの店を文房具店と言っていいのかどうか、正確には判断しがたい。
それは商店街の一角、ファミリーマートの隣にたたずむ狭い間口の店で、ガラス戸の向こうの店内には文房具がぎっしり陳列されていたのだから、確かに文房具店だったのには違いない。しかし私がこううだうだ思い返すのには、店の入り口の前にはガチャポンのマシンが数台置かれ、更にその横にはゲームセンターに置いてあるようなゲーム機が一台あって、「ザ・キング・オブ・ファイターズ」という格闘ゲームのデモ映像が画面にずっと流れていたのである。それに店内に並んでいる文房具も、大人が使うようなオフィス文具ではなかった。いかにも子供向けのキャラクターシールだったり当時流行っていた匂いつき練り消しだったりかわいい形の消しゴムだったり、子供の目にきらきら輝くものばかりで、極めつけは廉価なおもちゃまで売っていた。こうなってくるとあの店は文房具店ではなく雑貨屋かおもちゃ屋といった商店に分類される店だったのではないか、と私には思えるのだ。だが確かに店の商品のほとんどは文房具だったはずで、そうなってくるとやはり――、と私の思考は堂々巡りに陥ってくる。
まあ、それは今度あの店に行って確認すればいいことで、とにかく私はあの夕方その文房具店(?)に自転車で向かったのだ。小学生の時はけっこうこの店には足を運んでかわいい文具を買っていた私だったが、中学生になると足は遠のいて、ちょうど一年ほど前に細石真央と部活帰りに寄ったのが中学生時代の唯一の訪問になっていた。
(私にとって中学で一番の良い思い出がきっとあれになるんだろうな)
白い照明を煌々と店の前に照らし出している文房具店にたどり着くと、私は自転車のスタンドを立てて店の前に停め、そうふっと思った。