1 説教親父
埼玉県の端っこにあるその小さな街に、私は一歳になる前から高校卒業時まで住んでいた。
ちっとも有名でなく、こぢんまりしていて、人口減が止まらないささやかな市だったけれど、私は「街」というものは本来ああいうところを指す言葉なのだと思っている。
私鉄の駅が街の中心にあって、そのそばに大きなショッピングストアーが鎮座し、少し離れたところに商店街が伸びている。商店街にはパン屋のパンの焼ける匂いと、肉屋の揚げたてのコロッケの匂いが漂う。他にも街の中心には総合病院と警察署消防署市役所、ちょっと大きな本屋などがあって住民の生活環境が整い、その周囲に住宅地が広がっている。住宅地には小学校と神社と図書館があって、古びた銭湯も煙突を空に伸ばしてきちんと営業されていた。そこから更に街の外れに行くと、辺りは田園となってとろりとした川が一筋流れている。川の土手にはソメイヨシノが植えられて、春には桜祭りと称して屋台がたくさん出店され、花見に来た人々でそれなりににぎわうのだった。
こういった環境がぎゅっとまとまって、狭い範囲で住民が暮らしを完結することができる、それが本来「街」と呼べるものなのだろうと私は考えるわけだ。私は大人になってから東京の高級住宅街にも下町にも、それから栃木の片田舎にも住んだことがある。しかし東京は住宅街なら本当に住宅しか無く、繁華街なら飲食店ばかり、オフィス街にはビルしか無くて、いわゆる「街」らしい街とは言えない気がする。田舎はこの傾向がもっと顕著で、田畑と山林ばかりで車が無ければとても生活できず、「街」ではない。
私は生まれ故郷(正確には生まれたところは別なのだが、こう呼んでもほとんど問題ないだろう)のこの埼玉の街を今でも懐かしく思うし、住んでいた頃から愛してもいた。――話というのは私がこの街の一角で暮していた時の、とある秋の日から始まる。