2話「そしてエドガーになる」後編
よく晴れた朝、ルメニアの街。
大陸中央部のだだっ広い内海の側にこれでもかと建物を建て並べられたその街は、城壁の代わりに水堀や水路で囲われた天然の要塞であった。
水と商人の街と称されたその街は朝早くから多くの旅人や船が行き交い、そして多くの露店や商人が彼らを出迎えている。
まるでこの街の数㎞先で宙に浮く海(魔王の呪い)なんて無かったかのように、そこには平和な街の光景が広がっていた。
「おい見ろよ、肉だ肉! でっかい肉が切り落とし! なあアレ買おうぜエドガー!」
「……勇者様」
そしてこの街の景色は私にとって初めて尽くしの光景であった。
人間が平和に暮らしている光景、そして人間が商う見た事もない品物の数々。
ラナトゥスとは全く違う、太陽の下で活動する生命の輝き。
「なぁなぁ、アレってもしかして噂に聞く大道芸人かエドガー?」
「マティアス様」
「じゃあもしかしてあの建物ってサーカスなのかエドガー!? なぁアレ入ってみようぜエドガー!!」
「マティアス」
「なんだよエド、がっ!?」
「ちょっとお話良いですか?」
「す、すいまひぇんへした、調子乗ってまひた、許ひてくだひゃい……」
そしてそんな光景にはしゃぐ私に怒ったか。
エドガー、もとい聖女様は私の頬を引っ掴み路地裏へと連れこんでいく。
「お、怒ってる? 怒ってるのか? いや、待て言わなくていい、怒ってる、断言する、お前は怒っている! ごめんなさい! すいませんでした!」
「マティアス様、なんで私が怒っているか分かります?」
「悪かったよ、わた……あ、いや、俺、仕事忘れてはしゃいでたよ」
人通りの多かった大通りとはうって変わり、ルメニアの路地裏は暗くじめじめとしていてラナトゥスによく似ていた。
聖女様に胸ぐらを掴まれている状況でなければ、とても落ち着く場所となっていただろう。
「俺、未知の景色で完全に舞い上がっててさ」
「そっちじゃありませんよ! なんですかさっきから私の事エドガー、エドガーって! 私の名前はイリス・ブルトゥスです!!」
「いやだって、街に来る前お前の事エドガーだと思えって……」
「だからそれは言葉の綾だってその時言ったでしょうが! 貴女のその部下、頭脳労働担当ゴブリンのように私にも頼れという意味で言ったんです!」
「……ごめん、聞いてなかったわ」
「でしょうね!? そうでなかったらとんだ性悪ですよ!?」
「わかったよ、悪かったよ腹黒、次からは気を付ける」
「腹黒呼びも禁止です!!」
聖女様は、こめかみを抑え大きなため息をつきながら言葉を続ける。
「なんですか、普通にイリスと呼べばいいじゃないですか! なんなんですか? 私の事嫌いですか!?」
「嫌いって言うかその、敵同士だし……」
「今は味方だってさっきも言ったでしょうが!? 私達は仲間、共に同じ目標を掲げる相棒、同じ釜の飯を食う戦友! どぅーゆーあんだすたん!?」
聖女様は先ほどよりやたらと仲間である事を強調してくる、が。
私の側からしたら指輪への誓約で無理やり従わされてるだけなのだ。
とても仲間だとか相棒だとかいう気にはなれない。
どちらかと言えば奴隷とご主人様くらいの間柄だ。
私と聖女様の関係はつまるところその程度。
仲間などとは到底呼べないのだが、それを口にすると聖女様の怒りが苛烈になりそうなので黙って従うしかない。
俗に言う詰みである。
「わ、悪かったよ、い……イリ、ス……」
「なんでそんなモジモジしながら言うんですか、普通に言えばいいでしょう」
「……」
「……」
「……そんな事より魔王の呪いだろ、早く領主の館に行こうぜ」
「あー逃げた! 魔王軍幹部ニーナ・ラナトゥスともあろうお方が困難に背を向けましたね!!」
「私はニーナ何某じゃありませーん、勇者マティアスでーす、聖剣の継承者デース」
「はー! そういう事言っちゃいますか!? あぁそうですか、いいですよ、そっちがその気ならこっちだって考えが……」
いよいよ対話は決裂し、私と腹黒の間に闘争の匂いがちらつき始めた。
が、しかし、その時。
「……」
「……ん? おいどうした腹黒ー?」
腹黒聖女様が袖を捲りファイティングポーズをとりかけた所で、私の後方へと視線を向けたまま急に固まった。
まるで石化の魔法にでもかかったかのように急に固まった。
「……」
「なんで、いや、まさか……」
嫌な予感がして聖女様が向ける視線の先を追ってみると。
そこには。
「あ、やべっ」
身なりのいい背広姿の老人が立っていた。
路地裏の出口、大通りへの通り道に、老人が立っていた。
私達のいる場所からそこまで立ち塞がる物はなく風通しもいいい。
つまり。
今の話、聞かれてた。
私が魔王軍幹部ニーナ・ラナトゥスであるという話、聞かれていた!
「お、おいヤベぇぞ腹黒、今の話聞かれて……」
「黙ってなさいお馬鹿! 適当に流しておけばただの冗談で済むんですから!」
「聖女イリス・ブルトゥス様、そして聖剣の継承者、魔王軍幹部ニーナ・ラナトゥス様、ご両名のお名前、こちらで間違いありませんね?」
騒ぐ私達を遮るように身なりのいい老人が口を開く。
手遅れであった。
バレていた。
私の正体、思いっきりバレていた!
「わたくしフェリクス家筆頭執事ラエルテスと申します」
「執事って、それもフェリクスって、ここの領主の執事って、事……?」
「えぇその通りでございます」
つまり、知られてはいけない者に私の正体を知られてしまった。
という事か!?
「あぁあぁ、もう駄目です、おしまいです、全部バレてしまいました……!!」
「おいどうすんだよ、おい、どうすんだよコレ!?」
「ご安心ください、お二方が聖剣に滅ぼされたタスリエの街で何をしたのかは、すでに当家の間者にて確認済みですので」
「え? 確認済み?」
つまり、私達が街に来る前からもうバレていたわけか?
「あぁなんだ良かった、私達がヘマしたわけじゃねえのか」
「全然良くねえですよ!? このままじゃフェリクス家の協力を得られないじゃないですか!」
「え、そうなの!?」
「そうですな、魔王軍幹部が、それもラナトゥス家の者がフェリクス家の敷居を跨ぐなど到底看過できる事態ではありません」
そういえば街に来る前、ラナトゥスとフェリクスは敵国だとか言っていた。
こんなんじゃ協力なんて到底得られないか。
……つまり、当初の予定が破綻したことが確定した。
マズい、このままだと夜伽一直線だ
マズいマズいマズい、何とかしなくては!
「な、なぁ執事さん、私に問題があるってんならせめてコイツだけでも何とかならないか? アンタらだってあの魔王の呪いと神器はなんとかしなきゃだろ?」
「そうですね、フェリクス家としても魔王の呪いは喫緊の課題です、が」
執事はそこで一区切り入れ。
「だからこそ、アレはフェリクス家だけで解決します」
柔らかな物腰で、しかし毅然と執事は答えた。
私達に対する拒絶の意思を。
「協力は不要という事ですか」
「……アンタらだけでって、そんな事できんのか?」
「現に呪いはフェリクス家長男ダニエル様の魔術にて抑え込まれ静止しています」
「え、マジで……?」
「この街の平穏な状況そのものがその証拠となるかと」
言われて裏路地の外へと目を向ける。
大通りから聞こえる雑踏の声が路地裏にまで響いている、私達が通った時と同じ平穏そのものだ。
なるほど、街が平静そのものなのも、神器が浮いたまま街に向かってくる様子が無いのも、長男ダニエルとやらが頑張ってる結果か。
ならば確かに、私達みたいな怪しいやつらの協力など不要、という主張も納得だ。
「このまま当家の魔術師達によって呪いの解析が進めば、当主ハンフリーの救出も叶うやもしれませんし、余計な手出しは無用にお願いしたい」
「なるほど、そういう事なら……」
「待ってください、救出? いま救出と言いましたか?」
しかし私一人が執事の言葉に納得しかけた所で。
聖女様が執事の言葉を遮り突っかかる。
「えぇ当然、あの神器とそれを操るハンフリー様の様相を見れば、最初に思いつくのはそれでしょう」
「すでに死んでいる人間を、どう救出するというのですか」
見た事ない剣幕でイリス・ブルトゥスは老人へと食い下がる。
どうしたのだろう、様子がおかしい。
「彼らは私の目の前で魔王の呪いに侵され死んでいきました、今あそこに残っているのは、魔王に亡骸を弄ばれているだけの、ただの呪いなんですよ!」
「我々はそれを直接見たわけではありませんから」
「当の目撃者の言葉を信用できないと?」
「少なくとも貴女は一つ虚偽の報告を広めましたな、聖剣の勇者が健在であると」
「うっ……そ、それは」
しかし、執事に指さされ、痛いところを突かれて聖女様は押し黙った。
「それに我々が不審に思う点はもう一つ、貴女の父上も魔王の呪いに襲われた神器所持者の一人であったはず、ならば貴女がすべきことは他家へのお節介よりも、まずご自身の父上の救出ではないのですか?」
「……それは違います、違うんです、私は」
「信用しろというのも無理からぬ事だと理解していただけるかと、わたくしから貴女方に伝えられる事は以上です」
「待ってください! 話はまだ」
「当家にお越しいただいても門前払いになりますので、その点あしからず、では失礼いたします」
老人はそう言うと一礼の後、聖女様の制止も聞かず去っていった。
物腰そのものは柔らかだが断固たる拒絶の意思表示がそこにはあった。
「協力を得るとかは無理そうだな、これ」
「うぅ、そんな……」
「でもさぁ、さっきの執事の言葉も一理あるんじゃないか?」
「貴女まで何を……!」
「おまえのお父様も、あんな風になってるんだろ? ならまず最初にそっち行った方がいいんじゃないのか?」
よくよく考えれば当然の話だった。
女神の神器というのは、一部の例外を除いて高位貴族の当主達によって代々継承されている物だ。
そして聖女イリス・ジルヴェス・ブルトゥスは七大貴族の跡取り娘。
ならばその親は神器の継承者であり、という事はつまり魔王討伐の戦いに参加し呪いを受け人類を滅ぼす災厄と化しているという事。
この聖女様がまず最優先で向かうべきはそちらじゃないのか。
「私だって、本音を言えば全てを投げ捨て今すぐ父上の所へ行きたいですよ」
「じゃあなんで?」
「託されたんです、ハンフリーおじさまに、息子を頼むと」
「お、おじさまって……あのあそこで浮いてる神器の? ハンフリー・フェリクス?」
「ええ、そうです」
街の外に浮かぶ巨大な海を見ながら聖女様は語る。
「それにおじさまだけじゃありません、魔王討伐の瞬間、呪いが発現したその時、私の目の前で無残に死に絶え変わっていく仲間達から託されたんです、未来を頼むと、家族を頼むと、世界をどうか魔族の手に渡さないでくれと、八人の英雄達から私は託されたんです」
……魔王軍幹部の前でそれを言うかよ、と口に出しそうになって慌てて控える。
違う、今の私はただの死にぞこないの使い走りなのだ。
「元」魔王軍幹部なのだ。
私に口を挟む権利はない。
「私は遺志を託されました、故に呪いの解決を他人に押し付けて他所へ進むなんてできません」
そしてなるほど、この腹黒聖女様の言い分はよく分かった。
故人からの遺言を託されたから、引くに引けないという事だろう。
「でもよぉだからってフェリクスさん家から協力は得られそうもないぞ? それに呪いも抑えられてるみたいだし、一旦後回しにして後日また来るとかでいいんじゃないのか?」
「魔王の呪いが、そんな簡単に抑えられるとは思えません」
「それ根拠あんの?」
「魔王との戦いに立ち会った、経験則です!」
「根拠としては薄くね……?」
「きっとわざと抑えられている振りをして、その裏には恐ろしい策が……!」
ダメだコイツ、完全に自分の考えに固執してしまっている。
何が「私の事はエドガーだと思いなさい」だ。
頭脳労働担当の風上に置けない直情ぶりだ。
これじゃ私が聖女様の抑えに回らなければならない、エドガーの役割を担わなければならないじゃないか!
「なぁおい落ち着けよ、な? そもそも私達この街の魔術師がどんな実力かも知らねえんだし……」
「こうなったら! ブルトゥス家の権威をフル活用し! 力尽くにでも従わせるしかありません!」
「いや流石に駄目だろそれは!? 家名に泥を塗る気かよお前!?」
跡取り娘が家の権力を振り回し好き放題、なんてどう考えても末代までの恥だ。
後に続く家がある人間が、やるべき事じゃない。
「私の家なんてどうでもいんです、それよりも仲間から託された事を、私が、私が何とかしないと……! たとえ一人でも……!」
焦ってるのか怒ってるのか、それとも精神錯乱の魔法でも喰らったのかは知らないが、今のこの腹黒聖女が冷静であるとはとても思えなかった。
ならば、強引にでも止めるしかないか。
遠い昔、私が怒り狂って作戦を無視しようとした時、私の部下が止めてくれた方法を、今ここで使うしかない!
「分かったイリス、私も協力する」
「え?」
「フェリクス家の奴ら適当にぶっ殺して脅して、こっちの言う事聞かせよう」
「え? え!? そ、そこまでする必要は流石に……!?」
「でもこうした方が権力だなんだを振りかざすより速く終わるだろ」
「そこまでしなくても! えーっと、えーっと……そう! フェリクス家当主を抑えれば済む話ですから!」
よし、引っかかった、聖女様の興味を惹けた。
このテンパり聖女様にまず思考を巡らせる事に成功した。
大抵の奴は自分よりさらにイカれた奴が出てくれば冷静になるのだ。
そいつをどうにかしないと、と思考を巡らせるのだ。
経験が生きた!
「人殺しなんてしなくても! 当主を抑えれば済むんです! 落ち着いてください!」
「じゃあ当主って誰だよ? 1週間前までは神器の所有者が当主だった、でも、じゃあ今は?」
「え? そ、それは……」
「魔王の呪いは息子が抑えてるらしいが、なら国政も順当に息子が継いでるのか? それとも別な誰かが代理で担ってるのか?」
「う……そういえば、今のフェリクス家の内情、私よく知りません」
「じゃあお前はまず、そこから調べる事から始めるべきじゃないのか?」
「むむむ、なるほど確かに……」
聖女様の語気が目に見えて弱まり始めた。
冷静に思考を巡らせ始めた証拠だ。
よし、上手くいった!
さすがだ私! 頑張ったぞ私!
そしてありがとう、今は亡き我が部下達よ!
「お前の知り合いに誰かここの国に詳しい奴とか知らないか? ほら、ブルトゥス家のスパイとか、そういうの」
「それならちょうど一人この街に潜伏させていますね」
「おぉ良いじゃねえかじゃあそれだ、まずはソイツに会って話を聞きに行こう、どこにいる?」
「この裏路地のすぐ近くに根城があったはずですけど……」
「けど……?」
しかしここで、なにやら不穏な空気を醸しながら。
聖女様は訝しむようにこちらを眺めた。
「貴女何か、変ですね」
「へ、変って何が」
「らしくないというか、行動が賢すぎるというか、何か企んでませんか?」
げ!?
マズい、気付かれたか?
このままじゃまたあの錯乱が再点火しかねない!
何とかごまかさないと!
「な、なな、何を根拠にそんな事!? 私はお前の言動に当然しかるべき疑問と解決法を示しただけだが!?」
「ぷっ……ふふっ……」
「な、何がおかしい!?」
「……あははは! ごめんなさい、貴女今までにないすっごい真面目な顔で、私、冷静に、あはははっ!」
「はぁ!? なんだそれ!?」
「ありがとうニーナ」
唐突に。
そう言って聖女様は頭を下げた。
「少し頭に血が上っていましたが、おかげで冷静になれました、感謝します」
イリスは素直に感謝を告げた。
こいつに出会って数日、初めての事であった。
「……」
釈然とはしないが、完全に冷静になった事は確かなようだ。
少しほっとした。
……ほっとした?
何故だ、私はコイツの困る顔が見たいと望んだのではなかったのか。
これじゃ私がこいつの部下みたいじゃないか。
何をやっているんだ私は。
「まぁ冷静になって考えると、やり口は少し下手くそだった気もしますが……」
「……はっ、そんな言い方するならもう助けてやんねーよバーカバーカ」
「あぁやっぱり、私の事を思っての行動なんですね、重ね重ねありがとうございます」
「は、はぁ!? 全然そんな事ありませんけど!? 敵の事助けるとかあり得ないんですけど!?」
「じゃあ私もさっきの感謝は撤回します、ばーか、うんこ」
「おい前半はともかく最後の暴言は絶対要らねえだろ!? なんで言った!?」
なんなんだこの聖女様ぜんぜん聖女らしくない!
一体全体こんな傍若無人女を聖女様と最初に呼んだはどこのどいつなんだ!?
もういい、やっぱりこいつは敵だ、仲間なんかじゃない!
二度と敬称なんて付けて呼ぶものか!
下品に呼び捨てにしてやる!
「さ、それより我が家の間者の根城はこっちですついてきてくださいニーナ」
「あーもう、はいはい好きにしろ糞イリスめ」
私の内心の愚痴まで悟ったか、聖女様は私の手を取り逃がさないようとっ捕まえると、肩に風切り路地裏の先導を始めた。
汚物が散らばり浮浪者がたむろする狭い路地を、なんのためらいもなくすいすい進む。
本当にこの聖女、聖女らしくない。
そんな事を思いつつ裏通りのじめじめとした狭い道を歩いていると。
すぐ近く、と言うだけあって。
5分とかからず目的地へはすぐにたどり着いた。
「着きました、ここに我が家の放った間者が居るはずです」
「ふーん、いかにも隠れ家、って感じの建物だな」
大通りのすぐ裏側。
大きな店と店の間に隠れるように一件、小さな建物がそこにあった。
「よし、入ろうぜ」
「あ、ダメですよ、アポイントもとらずに来てるんですから、まずは符丁で味方であることを告げないと」
しかしドアノブに手をかけ扉を開けようとした矢先、イリスに服を引っ張られ止められた。
「えー、めんどくせえなぁ」
「ちょと待ってくださいね、今間者用の符丁表を探しますので……」
……
……
……そうして大人しくドアの前で懐を探るイリスを待っていると。
ふと、室内から異様な匂いが漂ってくるのを私の鼻が嗅ぎ取った。
異様な匂い、平穏な街には似つかない匂い。
そして、戦場ではとても嗅ぎ慣れた匂い。
つまり、多量に流された血の匂い。
「ダメだ、やっぱり待ってる時間ない、急がねぇとこれヤバイぞ」
「え、何がですか」
「もういい、開ける!」
「待ってください符丁を確認してからでないと……」
「そんな場合じゃねえって!」
イリスの制止を無視し、急いでドアを蹴り開けるとそこには。
「ッ!」
「そ、そんな……!」
多量の血を流して倒れている男性の姿があった。
腹部を爪か牙のような物で引き裂かれ、頭部には小さな穴が開き絶命している、中年男性の死体がそこにあった。
「おいイリス何なんだよこれ、なんでこいつ死んでんだ、なんでこんな誰かに殺されたような死に方で」
「落ち着いてニーナ、今少し考えてます」
「いやでも」
「これは、人間が犯人って感じななさそうです」
「あ? じゃあ誰なんだよ犯人」
「傷口からして犯人は魔物、或いは魔族、だと思います」
突然の惨状に息を乱しながらも、聖女様は正確に情報を抽出する。
「魔族が犯人、って事は魔王の呪いに味方してる奴ってことか?」
「可能性は高いかと」
「じゃあアレか、今回私達の敵は魔王の呪いだけじゃないって事か」
「……そうなりますね」
「つまり結論として? 頼りになりそうな協力者は死んで、当主代理は協力拒否、敵は複数で規模不明、こんな状況であの馬鹿みたいな力を持つ呪いの神器と戦えってか?」
「そうです、それでもやらなきゃいけません、やるしかないんですよ」
「はぁ、そうかよ、そうですか、あぁもう、やりゃあいいんだろ、畜生……」
こうして、魔王の呪いとの戦いの火蓋は。
絶望的な状況の中、大きな街の片隅の小さな家の中で、ひっそりと切って落とされたのであった。