3話「偽物勇者のプレリュード」
屍鬼が蔓延る街の中心。
高さ15mはあろう大きな教会の屋根の上。
そいつは居た。
「あれを倒して貴女が勇者マティアスを名乗るのです、そうすれば、貴女の生命と衣食は我がブルトゥス家が保証しましょう」
心の底から再戦を願った、強者の姿がそこにあった。
勇者マティアスがそこにいた。
何がどうなってこの状況を産んだのか知らないが、もうそんなのはどうでもいい。
望んでいた再戦の機会が、私の前に転がってきたのだ。
あれが、あれだけが今、私の生きる理由だ!
「ははっ、感謝するぜ聖女様よぉ、こんなすぐアイツと戦わせてくれるなん、うぎっ!? なんで止めんだ!? つーか服引っ張んな! 見えるだろ! 色々!」
「落ち着いてください、あれに向かう前にまずは状況の説明です、彼の持つ剣が見えますか?」
「あ? 剣がなんだよ?」
「あの剣が魔王の魔術を受け変質してしまった元凶、勇者様を呪いの媒介人と変えこの街を滅ぼしてしまった呪いの根源です」
腹黒聖女様の言葉を受けて、屋根の上の勇者を注視してみる。
その手に握られていた剣は、以前一騎打ちの際に勇者が振るった物と同じ剣だった。
銘は知らないが恐ろしい切れ味で、鉄の鎧を紙のように切り捨てた名剣であったのをよく覚えている。
「あれは元々は人類の味方をしていた女神様の神器、そして今は魔王の呪いを受け世界を滅ぼさんとする忌器の一つ、聖剣コリオレイナスです」
「へぇ」
「いくら年月が経とうと錆びず壊れず、どんな物質も両断してしまう至高の剣、いくつもの先遣隊があの剣に屠られ屍鬼の仲間と化してしまいました」
「……そいつは良いな」
「え?」
なるほど、敵は勇者に聖剣、私は長い投獄により満身創痍で武器は短剣一本。
私が捕らえられたあの日、マティアスと一騎打ちをしたあの日と条件はほぼ同じだ。
心が躍った。
あの戦いが、またできる!
今度こそ戦いの中で私は……!
「……おそらく親の仇を前にして憤っておられるのでしょうけれど、どうか冷静に、向こうはまだこちらに気付いておりません、ですから今のうちに作戦を」
「うるさい、もう行く、お前は今度こそ一騎打ちの邪魔するなよ」
「え? あ、ちょっと!?」
もう辛抱たまらず聖女様の制止を振り切り、私はちっぽけなダガーを構えて駆け出した。
「待ってください、確実を期すためには二人で……あ、このアホ! 待てって言ってるでしょうが!!」
まさかこんなに早く再戦の機会を得られるとは!!
立ちはだかる道中の邪魔な屍鬼どもを切り捨てながら、街の中央にある巨大な教会へと一気に駆け寄り登る。
「ははは、まさか、まさか、まさか!」
教会の壁を駆け登り空を舞い、一直線に屋根上の人影へと飛び込んだ。
上方に月、下方に勇者と教会の鐘。
今の私は遥か上空。
奴の上を取った状態、つまり好機だ。
そのまま落下の勢いをダガーに乗せ力いっぱい振り下ろす。
白く光る剣閃が勇者へと襲い掛かる!
「ッ!」
が、月明りを受け赤く輝く神話の長剣によりダガーの一撃は容易く防がれた。
さらにその長剣は返す刃、捩じるような動きでこちらの首を取りに来る。
非効率的な動きに見えるのに気付けば致命打が目の前に迫る、手練手管な実践剣術の動きであった。
大きく上半身を後ろにそらし長剣の初撃を躱すが、体勢を立て直す暇なく赤く輝く追撃の剣閃が目前に迫っていた。
私が両親から学んだ伝統剣術とは真逆の粗野な剣筋。
夜盗や野伏が使う、室内や山間部でよく用いられる剣技だ。
間違いない、間違いない、間違いない!
この剣捌きはあの日戦った勇者マティアスの物だ!
「悪党でも神に祈ってみるもんだなぁオイ!」
体勢を崩したこちらに容赦なく放たれる長剣の連撃を、不安定な体勢のまま強引に後ろに跳ねて躱しながら。
手に持つ短剣を逆手に持ち変え反撃の準備を整える。
「決着つけようぜ、なあ! お前もあれじゃ勝った気しねえだろ、なあ! そうだろうマティアぁあス!!」
どうにか剣戟を捌き距離を取って体勢を整えると。
ちょうどその時、夜空の月が雲に隠れ視界が悪くなった。
その間の僅かな隙を逃さず、最短でこちらに向かう赤黒い聖剣の煌きが視界に写る。
月明りの消えた暗夜の中。
地上の松明の灯りだけがわずかに届く教会の屋根の上。
こちらに迫り斬りかかる勇者と、それを迎え撃つ私。
死に物狂いで取ったはずの距離は一瞬で詰められた。
互いの吐息が感じられるほどに近づき、剣と剣が交錯する。
そして。
時間が凝縮して、瞬間。
赤と白の刃が二つ煌いた。
「……嘘だろ」
一瞬の静寂の後、血飛沫が舞い。
「弱すぎる……!」
雌雄は決した。
マティアスの首が胴を離れ、屋根へと落ちた。
聖剣を振るっていたマティアスは、たった数度切り結んだだけで、私の短剣により首を斬り落とされあっけなく死んでしまった。
そのまま様子を伺ってみるが、先ほどの屍鬼と同じく、首を落とされただけで、もう二度と、動くことはなかった。
「おかしいだろ、マティアスがこんなに弱いはずがない!」
以前戦った勇者マティアスは、こちらの剣閃を幾度となく防ぎ躱し斬り返し夜が明けるまでずっと殺し合ってくれたというのに。
薄皮一枚で命を繋ぐあのやり取りが、そしてその先にある決着が私は欲しいのに。
勇者は呆気なく死んでしまった。
腹黒聖女がさっき、魔王の呪いがどうかと言っていたがそのせいなのか?
「ぜぇ……ぜぇ……ちょっと、人の話は最後、まで、ぜひぃ……」
あまりに呆気なく終わった復讐に呆然としていると。
聖女様が息を切らしながらずいぶん遅れて屋根の上にやってきた。
ちょうどいい。
とにかく、確かめなくては。
「おい、なぁ、これがマティアスとか嘘だよな? 実は偽物だったとか」
「ま、間違いありませんよ、この人は勇者マティアスで、魔王を討伐した英雄です……はぁ、ひぃ……」
聖女様に嘘をついている様子はなかった。
信じたくはないけれど、私の目の前に横たわる死体と聖剣が、現実である事は確かなようだ。
どうか生き返ってくれないかと祈ってみるが、祈りが届くことは永劫にない。
「先ほど申し上げたように、勇者マティアス様が魔王の死に際の呪いを受け人類の脅威となった事も本当です、なので貴女には勇者の代役を」
「……じゃあ、もう、いいよ」
「は?」
故郷を失くし家族を喪くし戦友を亡くし、唯一私に残っていた再戦の願い、人生でやり残した宿敵との決着。
その願いは中途半端なまま消えて無くなってしまった。
「ちょ、ちょっと? あの? もしもしニーナ・ラナトゥスさん?」
ただ勇者に勝ったのでは意味がない。
万全の勇者との決着、あの日つけられなかった決着をきちんと果たしてこそ、私の未練は消え去るのだ。
それなのに……
「こんなんじゃ、もう生きてても仕方がねぇよ」
「な、何言ってるんですか!? 生きて勇者の代役するのが死刑から助ける条件で」
「じゃあ殺してくれ、死刑でも何でもいいから」
「こっちの都合無視して貴女だけで自己完結してるんじゃねえですよ、このアホ! うんこ!」
聖女様は怒り心頭で抗議し始めた。
そりゃそうだ、私が死ねばあの牢から助け出した労力は無駄になるのだから。
でも仕方ないのだ。
私はもう、疲れた、生きるのが嫌になってしまった。
「悪かったよ、お前がやらないなら自分で自分の腹を切る、だから、見るの嫌ならあっち向いて……痛ぁ!?」
「こっちの話を、聞けッ!!」
「痛ッッ!? バカ、やめろ指を嚙むな!! 痛ッ、ごめんなさいごめんなさい聞きます、話聞きますから指噛まないで!!」
腹を斬ろうとダガーを構えた矢先、聖女様は突如私の人差し指を思いっきり噛み始めた!
なんで、とか、どうして、とか頭の中で浮かぶ疑問が全て痛みに塗り替わる!
とにかく今は、指が痛い!
「誠に申し訳ありませんでしたイリス様! 不肖ニーナ・ラナトゥス謹んでお詫び申し上げます!」
ひたすら謝り倒し、どうにか機嫌を直してもらい聖女様へ再び話を伺う事にする。
じゃないと、指が噛み千切られる!
「鎮まり給え! 何卒、お許し下され! 聞きますから! 話、何でも聞きますから!」
「………………嘘偽りはありませんか?」
「ないない! 何でも聞く!」
「……ならばいいでしょう」
どうにか要望は通り、聖女様の口はこちらの人差し指を離しようやく痛みから解放される。
よかった、たすかった、そんな安堵の言葉が思わず口をつく。
……が、歯形が残り少し血が滲む指に息を吹きかけながら少しづつ落ち着いてくると、途端に後悔に襲われた。
何をやってるんだ私は。
もう死んでしまおうなんて思っていたのに、指の痛み一つで簡単にその意思を撤回してしまった。
その上、一騎打ちの邪魔をした諸悪の根源に私は頭を下げてしまっている。
痛みに耐える訓練なんて死ぬほどこなしたはずなのに、それがまともに出来なくなるほどに私は錯乱していた。
本当に私は、一体何をやって……
「ちょっと! 本当に聞く気あるんですか!? また噛みますよ!?」
「わーっ! わかってるって、聞いてる! 聞いてますから! どうぞお話ください!」
そんな心の迷いを見透かしたか聖女様が怒号を飛ばす。
もう何なんだよコイツ、意味わかんねぇよぉ……
「ではまず最初の命令です、ニーナ・ラナトゥス」
「はいはい何ですか、何でも聞きま……え? 待って、命令?」
「えぇそうです命令です」
「いや、何でも話を聞くって言ったけどそういう意味じゃ……!!」
「聖剣を拾ってください」
「ま、待て、落ち着け、話し合おう」
「いいから拾う!」
「は、はい……」
決死の抗議も空しく私は聖女様の圧に負け、しぶしぶ勇者の死体の傍に落ちていた聖剣を拾う。
数分前まで聖剣から発していた赤黒い光は、所有者が死亡したからかすでに消えていた。
人間を屍鬼へと変える魔王の呪いはもう影も形も見られなかった。
赤から一転し白く輝くその聖剣の全長は1mに届くかどうか。
重さは2㎏ほどで振り心地も一般的なロングソードと大きく変わらない。
「聖剣は重くありませんか? 手に持ったことで体調に変化は?」
「軽いし、特に不調とかもないけど」
「そうですか、ではやはり、調査結果は正しかったわけですね」
「……何だよ調査って、剣一本拾う事になんの意味があるってんだよ」
「貴女が、勇者マティアスの姉である、という事に確証が得られました」
「ふーん私がマティアスの姉ねぇ」
……姉?
は?
「今、なんて言った?」
「貴女が、勇者マティアスの姉である、と言いました」
「んな馬鹿な!?」
私に兄弟はいない、一人っ子だ。
絶対にそんな事あるはずがない!
「その聖剣、神器コリオレイナスの直剣は、何の不都合なく所持できるのは特定の血筋の人間だけです、なので間違いありませんよ」
「……そんな話あるかよ」
「マジです」
「じゃあお前が持ったらどうなるんだよ」
「試してみますか?」
そんなまさか、ありえない、と聖女様に聖剣を渡してみると。
聖剣はものすごい勢いで聖女様の手を離れ落下し、屋根を陥没させめり込んだ。
10㎏20㎏どころじゃない数100㎏級の重さがある物体の落ち方だ。
私がさっき拾った時はそんな重さ感じなかったのに。
「……マジかよ」
「勇者様との血縁がある人間は教会の確認する限り貴女を除いて全て死亡しています、なので貴女以外に勇者の代役は不可能です、貴女しかいません、だから死なれたら困ります」
「いや、だからって姉はないだろ姉は、実は遠縁の親戚とかの可能性も……」
「証拠が欲しいですか?」
落ちた聖剣を拾いなおしていると、今度は聖女様がなにやら紙束を取り出した。
「……何だよそれ」
「貴女と勇者様を取り上げた産婆が、二人をいったい誰の腹から取り上げたかの調書です、見たいですか?」
「いや、いい、やめとく、見たくない」
この腹黒聖女が私を姉と断定した以上、そこに書かれているのはきっと、碌でもない事だけだ。
きっとそれは私を不幸にすることはあっても、幸福にすることはない。
「しかしこれで事情は理解できたでしょうニーナ・ラナトゥス、偽の勇者、聖剣を携えた戦士、その役割が可能なのは世界にただ一人! 貴女しかいないのです!」
「……確かに、お前の事情は分かったよ、でも」
私にそれを了承する理由はどこにも……
「んもー、じゃあ何があれば協力してくれるんですか! お金ですか!? それとも男ですか!?」
「いや、そういうんじゃなくて……」
「……ま、まさか女? そっちの趣味が!?」
「無い無い」
「んーと、えーっと、それじゃあ他に……あ! お菓子の山とか!」
「そんなんで誰がやる気出すんだよ」
それはただ単にこの腹黒聖女様が欲しい物なのではないだろうか?
「じゃあもう無理ですお手上げです! 貴女は何が欲しいんですか! さあ言いなさい! 命令です!」
「さっきまで死のうとしてた人間にそんなこと言われても……」
「ならば噛みます」
「わーっ! 待て待て! 考える! 今考えるから!」
困った。
正直言って特に欲しい物なんて無かった。
「えーっと、うーんと……」
「まさか、まだ死のうとか考えてるんですか?」
「いや、そう言うのとは違くて」
欲しい物なんて今の自分には無い、それは間違いない。
ただ、この幼稚な聖女様と話しているうちに。
このまますっぱり腹を切って死のうという気持ちはすっかり失せてしまっていた。
ほんの一週間前に互いに殺し合った間柄、お互いにとって多くの仲間を殺し合った仇敵。
そんな関係の聖女イリス・ブルトゥスが今、私をどうにか生かそう、仲間にしよう、と無い知恵絞って唸っている。
それが何だか面白くて、この先この口汚い聖女様がどう私を生かそうとするのかを私はもう少し見ていたくなっていた。
「……じゃあそうだな、国をくれ」
「国、ですか?」
故に私はこのような迂闊な発言をしてしまった。
「それもただの国じゃない、お前ん所のブルトゥス家の治める国、ディクタトル全域だ」
「ほほう、私の家の治める国を、ですか」
「ああそうだ」
「七大貴族でも一番大きい領土の国を、欲しいというのですか」
「そうだよ、出来るのか?」
到底受け入れられはしない要求で、少し困らせてみたくなったのだ。
そんな事はできない、別な願いにしてくれ、と言わせてみたくなったのだ。
我ながら意地が悪いとは思うが、思いつく欲しい物なんて、もう私にはそれしか残っていなかったのだから仕方あるまい。
考えた末に出た結論、私の欲しい物。
それはこの聖女様の困った顔が見たい、という意地悪。
「……そんな事でいいんですか」
「え?」
そんな考えが、私の終わりの始まりであった。
「え? 待って、そんな事って、え!?」
「じゃあコレをどうぞ」
「あ、どうも……って何これ、指輪?」
予想外の快諾で困惑し呆然としている隙に。
腹黒聖女は私の薬指に指輪を一つ、すっと通した。
「はいそうです指輪です、婚約指輪です」
「ふーん、婚約指輪……」
「いやぁそちらから提案してくれるなんて手間が省けて助かりました、これで契約も完全に済みましたよ」
「…………婚約ぅ!?」
渡された指輪の意味を理解すると同時に、鋼鉄製の指輪ががっしりと左手の薬指に嵌り固定された。
外そうと引っ張ってみるが、まったく外れる気配がない!
「な、なんでっ、おまっ、はぁ!?」
「だって貴女が言ったんじゃないですか、ディクタトルの国が欲しいって」
「そうだけど、この指輪と何の関係が!」
「私との婚約が、最短かつ最も角が立たない国の手に入れ方ですからね」
「……え?」
それは、つまり?
「私、イリス・ブルトゥスは、ディクタトル国王の長女、そしてブルトゥスの神器の時期継承者にして王位継承順位第一位なのですから」
なるほど、この聖女様は一国のお姫様でもあったわけだ。
それと結婚すればその国が労せず手に入るというわけだ、なるほど、なるほど……なるほど?
いや、待て! それ以前の問題だろう!
「で、でも、私は女だし! 女同士で結婚って、貴族としてどうなん」
「今の貴女は聖剣の勇者マティアスじゃないですか」
「……え、いや、それは」
「魔王討伐の英雄と教会の聖女の婚約、対面上は何の問題もありませんよ」
「で、でも」
「むしろこの婚約で勇者が偽物であるという事実がより偽装しやすくなります、一石二鳥です!」
あぁ、ヤバイ!
向こうにとってのメリットが多すぎる!
困らせるどころか喜ばせる提案だ!
しかもこのままでは女同士で婚約させられる!
な、なんとか別案を出さなければ!!
「こ、婚約破棄とかは……」
「認めませーん、契約はもう完了でーす」
「け、契約……?」
さっきからこの腹黒聖女がしきりに口にする契約という言葉。
そこに何か嫌な予感がして、私は私の左手を急いで確認した。
気付けば左手の薬指の指輪がぼんやりと緑色に光っていた。
「なぁ、もしかしてこの指輪、なんか魔術的な何かしらがある、とか……?」
「えぇ勿論、なにせこの大陸を牛耳る七大貴族の婚約指輪ですから」
そう言って腹黒聖女様は私の顔を見上げると。
年相応の悪戯っぽい笑顔でこう言った。
「腹を切って自殺する程度で逃れられるとは思わないでくださいね?」
またもや嫌な予感がして、今度は先ほど噛まれた右手の人差し指を急いで確認する。
腹黒聖女に噛まれ血が滲んでいたはずの人差し指が、気付けばもう塞がっていた。
傷が、治っている。
あぁなんてこった。
ちょっとやそっとじゃ死なせてもくれないのか!?
やばいやばいやばい。
誰か、誰か助けてくれる人は!
私の代わりに婚約を肩代わりしてくれる奴は……
……錯乱しながら辺りを見回して、ちょうど条件に当てはまる人間が視界に入った!
そうだ、コイツがいた!
「マティああああス!! 生き返れぇ! 今すぐぅ!!」
勇者の死体に急いで駆け寄る。
私の左手で淡く光る指輪をどうにか近づけて蘇生を試みる!
が、勇者の首なし死体はうんともすんとも言わない。
それどころか、死体は全身がどんどん黒い砂と化して崩れていき、夜の街へと散っていく。
魔王の呪いが消えたからだろうか。
これではきっと、あと30分と経たぬうちに完全に消滅し、その死を知るのは私と聖女様だけとなってしまうだろう。
おのれ愚弟め、勇者マティアスめ、姉より先に死んだ姉不幸者め!
私にこんな面倒を押し付けるなんて!!
まるきり逆恨みなのはわかっているが、それでも愚痴らずにはいられなかっ……
「さぁ勇者様」
「ひぃ?!」
そんな私の肩に腹黒聖女は手を乗せた。
「いつまでもここに居ても仕方ありません、次の目的地へ向かいましょう」
「も、目的地って、どこに……」
まさか、結婚式場……!?
「実は勇者様と同じように、魔王の呪いを受けて人類を滅ぼさんとする神器の所有者があと7人います」
「へぇ魔王の呪いがあと7人も……7人も!?」
「えぇ、かつて人類を救った彼らが今度は人類を脅かすことで、人類同士の内紛が頻発しています、貴女が神器の勇者としてこの混乱を平定するまでその婚約指輪は外れませんからね」
「お、おまっ、勝手にこんなん着けた癖に、ふざっけっ……」
「もしもそれが上手くいかなければ、お母様かお爺様あたりから世継ぎを作れとせがまれるかもしれませんね」
「~~~~ッ!」
世継ぎを、作る……?
つまり、こんな糞聖女と同衾!?
親の仇と一つ屋根の下!?
いや、絶対に嫌!
たとえ世界が終わったとしてもお断りだ!
「もちろん私だってそんなのお断りです、ですから勇者様、婚約破棄目指して人類救済、がんばっていきましょう」
「畜生ぉ……畜生ぉおお……!」
こうして私の勇者として生きる第二の人生は、私の左手で光る婚約指輪、腹黒聖女との望まぬ婚約から始まった。
世界を救い婚約破棄するのが先か、女同士の夜伽を無理矢理させられるのが先か。
世にもおぞましいチキンレースがこうして始まったのであった。