2話「聖女と呪いのガリアルダ」
地下牢より連れ出されてからおよそ1時間。
月明かりが煌々と頭上を照らす森の中、私は腹黒聖女に手を引かれながら黙々と走っていた。
衣類も身だしなみも牢に囚われた時のまま、髪はぼさぼさ、服はボロ布一枚のみ、そんな状態で私は森の中を走っていた。
死刑囚を脱走させるのだから悠長に着替えをする余裕なんて無い。
そういった理屈はよくわかる、よくわかるがしかし。
ボロ布一枚纏っただけのあちこち素肌が見える姿で走る今の私はまるで露出狂だ。
つまり今の状態、とても恥ずかしい。
「なぁおいどこに行くんだ? まさかこのまま街に行くとか言わねえよな?」
「よくわかりましたね、まず一度近くの街に寄るつもりです」
「え? まさかさっきの街に……?」
「いいえ、あの街とは別の大きな街です」
「はぁ、マジかよ……」
どこかに移動用の馬車とか旅の準備とか、そういう用意が隠してあるのかと期待していたがどうも違うらしい。
つまり私はこんな露出狂のような姿のまま街へ繰り出さなければならないのか。
だったらなおの事、この状態はなんとかしなくては。
「それならせめて上着とか欲しいんだけど、外套くらいは持ってねえの?」
「その必要はありません」
「んなわけあるかよ! 今の私、裸同然だぞ!?」
「大丈夫です、今から行く街には人間がいませんから」
「人がいない……? どういう事だ?」
「行けばわかります」
そこで腹黒聖女は会話を打ち切って黙ってしまった。
どういう事だ、意味が分からない、ちゃんと説明しろ。
そんな抗議の言葉が私の喉から出かかったところで……
「見えました、目的の街タスリエです」
私達は気付けば森を抜け、開けた場所へと躍り出ていた。
そこは高い丘の上。
そして丘の麓の平地には広く大きな街。
目的の街らしき情景が私の視界一面に広がっていた。
石畳が全体に敷かれ城壁に囲われたその街には、窮屈そうにみっしりと建てられた煉瓦の家が数多く並んでいる。
規模で言うなら街と言うより都市と言うのが正しいか。
そして大きな都市だからか、時刻は深夜3時頃であるというのに、街全体が松明の明かりに照らされ明るい光を放っていた。
松明が街全体で灯されている。
それはつまり、明かりを必要とする人間が大勢いるという事。
先ほどの聖女様の言葉とは相反する状況だ。
「おい嘘つき、どう考えてもいるだろ住人が、さてはアレか? 異教徒は人間じゃないとかそういうアレかお前?」
「……」
私は抗議の意を誠心誠意伝えたが。
腹黒聖女様はいたく軽蔑するような眼差しを向けた後。
吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「……今ここで説明してもどうせ信じないでしょうし、自分の目で確かめるのがよろしいかと」
「おい、おまえ今"めんどくせぇな"とか思っただろ、今の一瞬の間は絶対それだろ!?」
「いいから確かめに行けと言ってるでしょう、さっさと行きなさい、ボケ、死ね」
「死ね!?」
「失礼、口が滑りました」
「せめて言い間違えましたとか誤魔化せよ!?」
聖女様のとても淑女らしからぬ口調に、私は反論する気力すら奪われてしまった。
呆れて物が言えない、と言い換えてもいい。
「……あぁもう分かったよ、行くよ、行きますよ! この格好で街、行くから! だからせめて説明はしておいてくれよ!」
「はぁ、仕方ありませんね」
「なんでそんな嫌そうなんだよ……協力して貰おうって気概はないのかよお前」
「わかりました、では少しだけお話しましょう、事の発端は今から一週間前に遡ります」
「……私がお前らに捕まってからすぐの話か」
「その日、勇者マティアス様とその軍勢が魔王城を攻略し魔王を打ち倒しました」
聖女様の話を聞きながら、丘の脇に据えられていた街道を発見しそこを進む。
街道の終点、長い下り坂の先、城壁に囲われた街の入り口はすぐに見えてきた。
大きな門、かんぬきが掛かりしっかり閉じられた両開きの扉、松明を掲げる番兵。
街の入り口手前には至って普通な夜間警備体制がそこにあった。
あれのどこが「人間がいない」街なのだろう。
どう考えても人の住む街だが……
「勇者様は確かに魔王を打ち倒しました、ただ、魔王は死に際に呪いを残したのです」
「呪い? 呪いってどんな……うわっ馬鹿、押すなよ危ねぇな!?」
「だからそれをあの街へ行き、貴女の眼で直接確かめろと言っているのです、そうすれば人類滅亡の危機も、貴女が勇者を騙らねばならない理由も、全て理解できるはずです」
疑問に足を止めた私の背中を腹黒聖女はぐいぐい押しこみ、私達は嫌が応にも門へと近づいていく。
そして門に備えていた番兵も不審な動きをする私達に気付いたか、剣呑とした雰囲気を纏いながらこちらへ近づいてくる。
「あぁもう糞ッ! やっぱり普通にいるじゃんか、人が!」
「……」
なんてこった恥ずかしい、こんな裸同然の姿をよそ様に見られるなんて。
私の脳内はそんな淑女の思考が9割方を占めていた、が。
「……ん? あれ?」
番兵との距離が近づくにつれ、私の思考は武人の思考へと変わっていく。
一歩また一歩と近づく毎にその番兵の異常な状態がよく見えてきたのだ。
番兵の顔は、右側半分がまるで硫酸でもかけられたかのように溶けていた。
目はうつろで焦点は定まらず、鎧の隙間から見える肉は所々こそげ落ちて骨が剥き出しになっている。
そして特筆すべきはその口の端、人間の指らしきものが口の端からはみ出している事だ。
人の指が彼の口内にある。
では、その指が元々付いていた手は、腕は、体は?
考えるまでもない、腹の中だ。
番兵は屍鬼と化していた。
それも人を喰う類の悪質極まりない屍鬼。
なるほど魔王の呪いとはこれか、人間がいない街とはこの事か。
つまり街の人間は皆、魔王の呪いでこうなってしまったわけだ。
腹黒聖女様に背を押されるがまま進むこと数秒、番兵の鼻息が聞こえてくるほどの距離に近づいてきた。
焦点の定まらない目でこちらに向かう番兵は長剣を鞘から抜き上段に構え、いよいよ臨戦態勢へと入る。
マズい。
このままだと私達の行く末はあの番兵の腹の中だ。
「おい腹黒、なんか武器ないか武器」
「生憎、短めのダガーが一本だけです」
「よし十分だ、それでいい、よこせ」
後ろの聖女様から刃渡り10㎝ほどのダガーを受け取るのと、屍鬼と化した番兵が長剣を振り上げこちらへ襲い掛かるのとがほぼ同時であった。
「しかし、そんな短剣で大丈夫ですか? 私も加勢を……」
屍鬼の振り上げるのっそりとした長剣の動きが、剣閃の瞬間一気に機敏となり襲い掛かる!
「邪魔すんな、黙って見てろ」
聖女様に釘を刺しながら、上段から襲い来る長剣を受け取ったダガーで受け流し地面へと叩きつける。
同時に長剣を逸らした力をそのまま乗せて、屍鬼の喉元へとダガーを振るう。
刃物と刃物のかち合う甲高い音、地に叩きつけられた刃物の鈍い音、屍鬼の喉元に刺さる刃物の湿った音。
三つの刃音がほぼ同時に響いた後。
鮮血と共に屍鬼の首は綺麗に斬り飛ばされ地に落ちる。
頭部を失った屍鬼は足の力が抜けそのまま地面へ倒れこみ、そして二度と動き出す事はなかった。
「ほれみろ、私一人で十分だったろ」
「おぉ流石です、剣の技量は一流ですね」
「技量"は"とは何だよ、私は生まれも育ちも一流のラナトゥス家長女ですが?」
「はいはい、ニーナ・ラナトゥスはそうですね、でも今の貴女は勇者マティアスなので貧民の生まれなんですよ」
「……」
「この街にもう人間はいませんが、だからと言ってどこで誰が聞き耳立てているかは分かりません、勇者のフリは常に心掛けてください、いいですね?」
そういえばそうだった。
人類は滅亡の危機に瀕していて、勇者の偽物が必要。
だから殺し合った間柄の私をこの腹黒聖女は地下牢から連れ出し、その代価として偽勇者になれと命令した、という話だった。
……うん。
人類の危機に関しては今のでよく分かった。
人が屍鬼になってしまう魔王の呪い、それが悪さしてるのだろう。
そこはよく分かった。
だがしかし、私が勇者の名を騙る必要がある、という点はいまだ理由不明だ。
その行動にどんな意味があるのだろう……?
「さぁどうしました勇者様、早く街の中に入りましょう」
考えている間に腹黒聖女はさっさと街の門へと手をかけていた。
門のかんぬきを開け、その扉を開こうとしていた。
ん? 扉を開ける?
いや待て、何をしているんだこいつは?
「おい待てよお前、まさか街の中に入るつもりかよ?」
「当然です、そのためにこの街に来たとさっき言ったでしょう」
「いやいや駄目だろ、お前が言ったんだろこの街には人間はいないって、じゃあ街の中がどうなってるのかなんて……!」
「えぇ、もちろん存じております」
私の制止を振り切り腹黒聖女は街の門を開け放った。
門の先、街の中には、互いに互いの肉を喰らい合う屍鬼達の姿。
そして飛び散った屍鬼の体液を浴び真っ赤に染まる石造りの建物群、広がる血と臓物、漂う腐肉の生暖かい匂い、まさに地獄のような様相が広がっていた。
「街の中は屍鬼と化した住人でいっぱいです、ですから、行きましょう」
「マジで言ってんのかよお前……」
「もちろんです、事前に街の中はすでに調査済みですから」
「事前にすでに?」
「い、いちいち揚げ足とらないでもらえますか! それよりアレ、重要なのはアレです!」
そう強く語ると、聖女様は街の中心部にある、ひときわ大きな建造物を指差した。
「この街をこのような惨状にしてしまった根源は、あそこにあります」
聖女様の指を追って私も視線をそちらへ向けると、その建物の全貌が見えてくる。
それは高さ15mほど、横幅20m前後、奥行きは80mを越えようかという大きな教会であった。
加えて、外見で特筆すべきは屋根上に据えられた大きな鐘。
大人7~8人は中に入れそうな巨大なその鐘は、月明りを受け輝き遠くからでもわかるほどに……
「ッ!!」
「おや、どうされました?」
そして教会の鐘付近の屋根の上。
私の視線がその一帯を彷徨っていたその時。
私の眼に"ソイツ"の姿がはっきりと写った。
身長は170cmに届かない小柄な体格、髪はブロンドのショートヘア。
手には赤黒く輝く長剣が握られ。
全身を覆う薄汚れた衣類は数多の返り血を浴びて黒ずんでいる。
「あぁなるほど、そういえば彼は、貴女にとって親の仇でしたね」
私と互角に斬り合った強者、勇者マティアスの姿がそこにあった。
「あれが魔王の魔術を受け、人類へ呪いを振りまく元凶です」
「……」
「あれを倒して貴女が勇者マティアスを名乗るのです、そうすれば、貴女の生命と衣食を我がブルトゥス家が保証しましょう」
全身の血が沸き筋肉が歓喜の声を上げる私を尻目に。
腹黒聖女の透き通る声が屍鬼の蔓延る街に響く。
牢の中、死の間際、心の底から望んだ復讐の機会は、こんなにもすぐ私に舞い降りた。