6話「罪なき花に蛇は忍ぶ」中編
「いやぁお恥ずかしい所をお見せしました、どうも僕は昔から失敗ばかりでして」
首都ハストルドの東側区域。
他区域よりも大きい邸宅が立ち並ぶ、おそらくはこの国の高級住宅街。
悪魔に唆され出奔したエルザを見つけた私達の前に、この国の王子フリントが現れた。
エルザが、故郷を焼いた仇であると断言していた男が。
「お久しぶりですフリント王子、4年前の和平合意以来ですね」
「……知り合いかイリス?」
「えぇ、まぁ」
「マティアス様とは初めましてですね、では改めまして自己紹介を、僕はフリント・ゲータ、神器ダンケルドの燭台を代々継承してきた一族でして、ゲータ家と聖女様のブルトゥス家は長年友好関係に……あだ!?」
そんな髪の長い王子は私達に近づこうとして、今度は砂だまりに足を突っ込んで思いっきりすっ転び、顔面を地面へ強打した。
「だ、大丈夫かアンタ?」
「いやはや重ね重ねすみません、お見苦しい所を……」
どうにも間の抜けた奴だ。
こんな奴が凶行の主犯であるとは少々信じがたい。
果たしてエルザの得た情報は正しい情報なのだろうか?
「あぁ、口の中に砂が……はぁ、失礼、申し訳ありませんが、こんな所で立ち話でもなんです、近くに私の所有する空き家がありますので、そちらに場所を移しませんか?」
「……どうする、イリス」
「そうですね、まずエルザを休ませる場所も欲しかったところですし、お言葉に甘えましょう」
イリスは私の股下で寝息をたてているエルザに視線を向け、そして次に私に視線を戻してそう言った。
……その視線にはなんだか、私に向かって「少し落ち着け」「疑いすぎるのもマズい」と諫めるような含みがあった。
「……わかったよ」
「では、私に着いてきてください、大丈夫、すぐ近くですよ」
そうして私達は眠るエルザを背負い王子に先導され、近くの大きな石造りの家に招かれた。
「ここは数年前から空き家でして、ここならお連れの方を介抱出来るかと」
言葉通りその屋敷に人の気配はなく、テーブルや椅子といった最低限の家財すらもない、ただ壁と床と天井だけがある広い空間となっていた。
壁には窓もなく室内はとても暗いので蝋燭が必要ではあるが、しかし確かにここなら、エルザの介抱にはちょうどいい。
「それじゃあどっか適当なところに野営用の寝袋を敷かせてもらうよ」
「なら向かって手前の客間がよろしいかと」
「わかった」
「ところで、お連れの方、様子はいかがですか?」
「あぁ、今はぐっすり寝てるよ」
「そうですか、早く良くなるといいですね」
……この王子、獣人のエルザにも分け隔てなく気配りをしている。
やはりこんな奴が神器で各地を荒らしまわるなんて、あまり考えられない。
流石に疑心暗鬼に陥りすぎたか。
そんな反省が頭にちらつき始める。
「ところで王子、一つ質問が」
「なんです?」
が。
「今倒れている彼女、エリザベスさんから気になる証言がありまして、この子の故郷が、貴方に焼かれた、と」
「……ほう」
こいつやりやがった!
この空気詠み人知らずな聖女様、私達の抱える疑問をストレートに聞いてしまった!
いいのか!?
仮にコイツ犯人だとしても、素直に「はい、そうです」なんて言わないだろ!?
「ただ、私としてはこれは人間同士を仲違いさせるための魔物の策略ではないかと思うのです、たとえば王子の姿を真似した魔物が魔王の呪いに便乗して各地を襲撃してる、とか」
しかし、そこで私はイリスの意図に得心がいった。
ピシウスの話はあえて出さず、何か別な魔物のせいにして王子の返答を伺う作戦なのだ。
これなら王子の反応の次第で色々推測できる。
動揺や焦りといった所作での推測はもちろん、イリスの作り話に便乗し自分の疑いを晴らす、なんて行動をしたならばこの王子の容疑はほぼ確定だ。
さて、王子はどんな風に返すのだろうか……
「なるほど確かにゲータ家は火を自在に操る魔法を扱う、というのは周知の事実です、魔物もそういった情報を利用した策略をするかもしれません、ただ……」
「ただ?」
「少なくともこの街で、私の領内で、そう言った情報は入っておりません、私の偽物とやらがこの街に来たことはないでしょう」
ふむ、それはそれで怪しい発言だ。
エルザが確証を得たのはこの街に来てからだ。
「ですから」
が、私の疑念を打ち払うように。
ロン毛王子は、灯りに使ってる蝋燭の火を倒し、さらに油を撒いて延焼させる。
「お、おい何やってんだ!? それじゃ火事になる……」
そして、そうして広がった火を全て魔法を使って自らの掌に集め、一気に握りつぶした。
倒れた蝋燭も撒かれた油に広がった火も、全てが王子の掌の上で消えてしまった。
「そちらのお嬢さんは、先ほどの火事の現場での私の鎮火作業を見て勘違いしたのではないでしょうか?」
「……なるほど」
「数日前よりこの土地で暴れ始めた魔王の呪い、我が母の持つダンケルドの燭台は数多くの街や集落を襲っています、僕もこの土地の次期領主として何とかしないと、とは思っているのですが力及ばず……」
王子はそのまま話を続ける、イリスの追及にも焦りや緊張といった所作はまったく見せなかった。
やっぱり、この王子は犯人じゃないのか……
「あぁ、そうだ! お役に立てるかは分かりませんが、僕の城に神器に関する資料があるんです、もしかしたら神器を打倒するヒントに繋がるかも」
「え、何それそんな便利なもんあんの?」
「神器は大貴族が代々受け継いできた物ですし、模倣のために無数の研究がなされていますから、その資料はあって当然でしょう」
「このゲータ家にも勿論それはあります、家系の者以外に見せることは禁じられていますが、この国難にあって今更隠していても仕方がありません」
なんだ、やはりこの王子いい奴じゃないか。
危機に際し自国の機密を余所者に開示するなんて、そうそうできるもんじゃない。
「じゃあそれ、早速調べよう! 今の居場所を探す良い情報があるかも!」
「そうですね、そうなんですが……」
「ん?」
しかし、そこで王子は口ごもり……
「あまり大勢の者に見せすぎるというのも問題でして……」
私と、私の背で眠るエルザの方を見て、少し視線を曇らせた。
王家に伝わる秘術を私とエルザに見せる事を、遠回しに牽制しているようであった。
「あーそっか、そりゃそうだよなぁ」
その気持ちはよく分かった。
私の故郷ラナトゥスの武芸に関する資料も、長子以外には見せられない一子相伝の機密資料であった。
代々継いできた神器の模倣に依る秘術もきっと、それと同じくらいの機密であろう。
「ならば、私が一人で行きましょう、ブルトゥス家の家紋に誓って、決して口外は致しません」
「おぉ、聖女様のお言葉であれば我が家の者も納得でしょう」
「え、でも、一人で行くのか? それは……」
「マティアス様はエルザについていてあげてください」
「……まぁ確かに、背負っていくわけにもいかないか」
レイラが途中で目覚めて、王子を殺す、なんて暴れ始めても確かに困る、途中までの同行というのも厳しい。
しかしだからといってエルザを放置する選択肢は最初からない。
となればイリスが単独で向かうしかない。
「荷物もここに置いていきますから、何かあったらこの建物に使いの者を送りますよ」
「ん、そっか」
「では聖女様、参りましょうか」
こちらの話が終わるのを待ってから、王子が指を鳴らす。
すると部下らしき身なりのいい人間達が三人、建物の外から現れイリスとロン毛王子を迎えた。
「さて、また別行動になりますが、いいですかマティアス様」
そして出口へと向かうイリスはくるりと振り返って、私を指差す。
「く・れ・ぐ・れ・も、余計な問題は起こさないように、お願いしますね!」
「わーってる、わかってるよ」
「エルザが起きてもちゃんと抑えてあげてくださいね、それから出来るだけ街は出ないように、それから、それから……」
「わかったって! いいから早く行けって!」
「あの聖女様、そろそろ出発を」
「ほら、ロン毛王子達も困ってんだろうが!」
「……本当に面倒事は起こしちゃダメですからね!」
そう言ってイリスはまだまだ小言を言い足りなさそうな様子で王子達に連れられ建物を出ていった。
数秒後には、何一つ家財のないうっすらと床に砂の積もる空き家に、私と昏倒中のエルザだけが残される。
窓のない、蝋燭の灯りだけが頼りのこの空き部屋に、静けさが再び蘇った。
「ったく、アイツは私の事なんだと思ってんだ」
「ん……あれ、ここどこ……?」
「あ、エルザ起きた?」
そして、王子達が去って10分ほどした後、用意した寝床で横たわっていたエルザが意識を取り戻した。
「えーっと、とりあえず大丈夫か? すぐ暴れたりとかしないか?」
「……あぁ、そっか」
目の下にくっきりとクマをつくったエルザは、周囲を見渡し、そして私を見て、おおよその状況を理解したようだ。
「ウチ、結局何もできなかったんだ……」
眠らされる前の狂気はだいぶ薄れていたものの、その眼には変わらずあのロン毛王子への激しい憎悪を抱えていた。
「せっかくあの王子の尻尾掴んだのに……」
「尻尾……? ピシウスの言葉以外にも、何か証拠掴んだのか?」
「ニーナには、教えたくない」
「なんで!?」
「だって、そしたらニーナもアイツに襲われるから」
「……」
なるほど、わざわざ私やイリスに毒を盛ってまで一人で仇討ちに行ったのはそういう理由か。
なんと友達思いな事だろう。
「この復讐は、ウチの復讐だから、だから二人には関係ないんだよ……!」
復讐に駆られていても、エルザは出会った時と変わらない、敵にしたくない、優しいエルザのままだった。
……しかし、だからこそ、残念だ。
その思いは無駄になってしまった。
「向こうもそう思っててくれたら良かったんだけどなぁ」
「……?」
私はエルザのすぐ後ろにある、窓のない壁をじっと見据えながら呟いた。
こちらに悟られぬよう足音を殺し、動きと共に揺れる金属の音を何か布のような物で隠す何者かがそこにいた。
どう考えても敵だ、敵がこの空き家の外にいる。
それが王子の手の者なのか、そうでないのかは知らないが。
「敵さんは私ごと殺す気だよ、エルザ、もう関係ないとか言ってられない」
「え」
「頭を下げろ、来るぞ」
「来るって何が……ぐぇ!?」
エルザの頭を片手で無理矢理床へと下ろし、同時に私も体を低く伏せて"それ"に備える。
そして。
次の瞬間、斬撃が1秒前まで私達の首が存在した場所を通過した。
「え!?」
「壁越しに暗殺か、中々腕が立つようじゃあねえか、お前!」
分厚い石の壁を貫いて、暗殺者の刃が空き家の乾燥した空気をかき混ぜる。
そしてさらに3本、石の壁に白刃が閃き壁を崩し、その来訪者の姿が露になった。
私達の前に現れた招かれざる客は、全身を黒い布で覆い一切の肌を出さず、右腕から下がる白い刃だけを外気に露出させていた。
身長も、体重も、男か女かもわからない。
こちらにわかるのは、ただ、そいつが戦士である事だけ。
「まさか殺し屋!?」
「エルザ、腕に自信が無いなら下がってろ、腕に自信があるならなおさら下がってろ」
「え、え、でも」
「私の獲物だ、邪魔すんな」
エルザに警告するとともに、懐に仕舞いこんだダガーに手をかける。
今私と暗殺者の間にあるのは、ただ闘争だけだ。
ここ最近ずっと、私の知る常識とは違う事ばかりでフラストレーションが溜まりっぱなしだった。
思うようにいかない事ばかりだった、失敗ばっかりだった。
でも今ここは、ここだけは勝手知ったる私の場所だ、顔も名前も知らない奴と殺意を向け合う私のもう一つの故郷だ。
私が誰かの役に立てる、唯一の場所だ!
「さぁ、やろうか」
「俺の刃を見て笑うか、気狂いめ……」
私の言葉を受けて、敵からは吐き捨てるような言葉と共に白刃が飛んできた。
1mに届くか届かないかの長さの曲刀が、一直線にこちらへ飛来する。
ラナトゥスでは見ない剣であった。
剣筋も読みにくく、そして速い。
しかし、だからこそ。
「昨日のあの剣には、及ばねえなッ!」
「!?」
白刃が二つ煌いた。
同時に、金属同士のかち合う音、肉と骨の裂ける音、二つの音が空き家に響く。
そして。
こちらの首に迫りくる曲刀は、私の短剣に阻まれあらぬ方向へと飛んで行った。
その持ち主の右手首と一緒に、鮮血をまき散らしながら。
「……ッ!」
利き腕を失ったその来訪者は、それでもなお残った左手で懐の凶器を繰り出そうとする、が。
「さて、お前はどこの雇われモンだ? 素直に言えば命まではとらねえけど、どうする?」
「……」
それより先に私のダガーが首元に宛がわれ、そこで抵抗を止めた。
「さあ話せよ、お前の雇い主は、あのロン毛王子か、それともまさかフレズのおっさんか? 或いはまさかまさかの第三勢力……」
「悪いが、口を割るくらいなら死を選ぶ、殺せ」
「そう言われて殺す馬鹿がどこにいると思う?」
「……所詮は小娘か」
「え? あっ!!」
さてどうやって情報を引き出そうかと思案し始めた私の一瞬の隙を、そいつは見逃さなかった。
なんとその暗殺者は、喉元に宛がわれた私の短剣に自分から突っ込み、喉を掻き斬ったのだ。
再び肉と骨が裂ける音が響き、鮮血が舞い、そしてその戦士は苦悶の声一つ上げずにそのまま死んだ。
「やられた……コイツのが一枚上手だったか」
中々に主人思いな戦士であった。
結局何一つ情報を得られなかった。
「悪いエルザ、なんも情報引き出せなかった」
「何で謝るのさ、ウチ一人じゃそもそも死んでたんだし……」
が、おかげでエルザと分け隔てられていた心の断絶は、少し縮まったようであった。
怪我の功名というべきかなんというか、何れにせよ、これはチャンスだ。
ここで押せば、エルザを味方にできる!
「でもまあこうなったら私もエルザも一蓮托生、共に同じ敵を追う仲間って訳だな!」
「え?」
「だって私も殺されかけたしー? このままじっとしてたらまた何か来るだろうしー?」
「それは……」
「というわけだから、エルザ! 一緒に調査に行こう!」
「……うぅ、でも」
「嫌だって言ったら、こっそり後を追うから」
「ストーカー宣言!? ダメだよ犯罪だよ!?」
言葉を重ねれば重ねる程、エルザとの壁が少しづつ無くなっていくのを感じる。
エルザの元々の性格が、そもそも他者を拒絶し遠ざけるなんて行動に向いていないのだろう。
「そ、それにほら! イリス様は絶対なんか問題起こすなって釘刺してるよね? ニーナの性格的に!」
「なんで知ってんの……」
「ほら、やっぱり!」
「いやでも、"待ってて"って言われたんじゃなくて"エルザについてて"って言われたし、私がお前を追っかけている分には問題ないわけだし!」
「大分詭弁じゃない……!?」
「なので私から、エルザに提案です!」
「だいぶ強引!?」
「一緒にあのロン毛王子の城に、忍び込もう」
「城に……?」
そこで、最後の押し込みをかける事にした。
「正直私の持つ情報だけで見てもあのロン毛王子はかーなーり怪しい、あの王子の用意した空き家に、あの王子がいなくなってから暗殺者が来た、って時点でな、神器に絡んでる確率は高そうだ、でもまだ半信半疑」
「……」
「だけどニーナの持ってる情報も大分怪しい、発端が悪魔の甘言だし、その後に集めた情報も主観が強いだろうし」
「そんな……そんな事は……!」
「だから、一緒に城に行こう、そんで確かめよう、集めた情報が第三者が見ても真実だってわかるために」
「……それに何の意味があるのさ」
「あの王子を処刑台に立たせようぜ」
その提案は、きっとエルザが気に入ると確信していたから。
私は駄目押しの一手として、利用することにした。
「もしエルザの復讐が上手くいったとしても、理由はどうあれ王位継承者を殺した逆賊だ、エルザだけじゃなく、獣人全体が貶められるかも知らない」
「……ッ」
「でも王子が法律で処されるなら、そうはならないだろう?」
処刑する側ではなく、処刑される側として、憎しみの目を向けられた者の顛末をよく知っているから。
私自身が同じ経験をしたからこそ、この説得は必ず成功すると確信していた。
「どうだろうエルザ、私の提案、受けてくれるかな?」
「……」
故郷を奪われ家族を奪われ、復讐の炎に燃えるエルザは、少しだけ考え、そして。
「わかった、行こう」
私の提案に同意した。
長い長い遠回りを経てようやく、私とエルザは、同じ目的を共有したのだ。
……数分後。
正午手前、快晴の首都ハストルドに二つの影が走った。
影が向かうは首都北方に聳えるハザーク城。
代々ダンケルドの燭台を継承しその神の炎の技術を受け継ぐゲータ家、その居城が、二つの影の目的であった。