5話「罪なき花に蛇は忍ぶ」前編
次の日の朝。
「ニーナ、起きてください! こんな時に何寝坊してるんですか!」
目が覚めると私の視界には、前日の拳闘の傷がまだ少し残るイリスの顔面が大迫力で映っていた。
「あ……? イリス? あれ? 私何して……」
「エルザがいなくなったんですよ!」
「える、ざ……」
そして、寝起きでぼーっとした私の脳内が、エルザという単語を認識した所で急速に覚醒し、昨日意識を失う直前の記憶が戻ってくる。
エルザが、ピシウスの使い魔に誑かされて出奔した事を。
「そうだエルザ! エルザが街に!」
「だからそのエルザがいなくなったって、今言ったでしょう!」
「そうなんだよ! ピシウスがエルザの右耳で首都にダンケルドが潜んでて!」
「ニーナ落ち着いて、言動が支離滅裂です!」
「なーに人の部屋で痴話喧嘩しとるんじゃお前ら、せめて議論をせんかアホ!」
そして私の肩をガタガタ揺らすイリスの後ろには、ドワーフの頭領フレズョーブルの姿もあった。
「フレズのおっさん大変だ! エルザが神器を倒しに一人で行っちまったんだ!」
「私達に毒を盛ったみたいで、二人とも見事に眠らされてしまったようで、止められませんでした!」
「あれ、お前もなの!?」
「だから急いで追いかけませんと! ほら、早く!」
「あーあーもう一旦落ち着け、二人していっぺんに喚くな、まずは俺にもわかるように説明しろ」
「で、でも急がないと……」
「あの獣人の嬢ちゃんがいなくなった、お前たちはそれを追いかけたい、そこは分かった、で、その先、砂漠で遭難するようなお前らだけで、土地勘のあるあの獣人の嬢ちゃんを追いかけるなんて現実的に可能なのか? お前らはどう思う?」
「う、それは……」
確かに、私達がいくら逆立ちしたって、そんな事は不可能だ。
「……頭領の助けは必須、ですね」
「だろ?」
私達の現状をあらためて突きつけられると途端に、頭に向かって上っていった血がすっと下がっていくのを感じた。
まずは、頭領に話をしないと、私達は何も始められない。
「ならまずは私から、昨日会ったことを話します」
「……じゃあその後は私が」
こうしてイリスと二人で昨日の夜に起きた事を話す事になった。
イリスがエルザに毒を盛られて意識を失った事。
そしてその後私とエルザが頭領の部屋で会話した一部始終、特にピシウスの使い魔に誑かされたエルザの言葉、「首都ハストルドに神器がある」という言葉を頭領に伝える。
「と、いうわけなんだ」
「ふむ、人間の街に神器があって、獣人の嬢ちゃんはそれを探しに行った、か……」
「真偽はともかく、私達は何よりもまずエルザを放っておけねえ、急いで追いかけなきゃ」
「そうか、わかった、ならまず最初に一つ報告しておく」
「報告?」
「俺達ドワーフの基地は昨日の夜にも他にいくつかあの火の鳥に襲われたが、その襲われた地点は人間に伝えた場所だけだったんだ、俺達しか知らない秘密の地下区画には一度もあれは襲ってきていない」
それって、つまり……
「人間が、呪いと結託して何かしてる、のか?」
「そこまでは断言できねえよ、何も証拠はねぇし人間の街だってちゃんと襲われているみたいだからな、ただ、行く前に耳に入れておいて欲しい情報ってだけだ」
「なるほど、とりあえず覚えておきましょう」
その情報は有用な物だった。
ただ同時に、エルザを誑かした悪魔の言葉が、いよいよ真実味を帯びてきて逆に私を苛立たせる物でもあった。
もしそれが本当なら、神器の所有者が人間の街に潜んでいるなら、そして人間の街を襲っていないのなら。
獣人とドワーフを襲ったのは、魔王の呪いのせいなんかじゃなく所有者本人の意思でやってる事になるじゃないか。
もし、そうならば今度の敵は……
「さて、そこから先は自分の目で確かめましょう、確証のない悪魔の戯言に右往左往するのは、それこそバカバカしいですから」
「う……」
そんな私の苛立ちを悟ったか、イリスに思いっきり釘を刺された!
「そ、そうだな、そんなのバカのする事だよなー、あはは……」
「よし、嬢ちゃん達も落ち着いたようだし、それじゃ二人ともちょっと待ってろ、今いい物持ってくるから」
「いい物?」
そして私達の説明を聞き、概ねの状況を理解したらしき頭領は、今度はなにやら部屋の隅に置かれた机の中を探し始めた。
「な、なんなんだ? いい物って言われると逆に怖いぞ?」
「まぁまぁ、頭領さんの協力は不可欠ですから、待ちましょう」
「不安だ……」
そのまま一分程の時間が経過し、やがて。
「それじゃ嬢ちゃん、これを持っていけ」
頭領は雑多な机の中から何やら手のひらに簡単に収まる小さな金属製の物体を一つ取り出し、イリスに投げ渡した。
「なんだこれ?」
「鍵……ですか?」
「そいつがありゃ砂漠でも迷う事なんてまずねえからな」
「いや鍵で迷わないってどういう事だよ……」
「頭領、報告だ!」
渡されたカギに対し私達二人の頭上に多量の疑問符が浮かぶ中、部屋の外から作業着姿のドワーフが頭領の部屋に飛び込んできた。
「機体の調整完了したぜ、例のアレ、いつでも動かせる!」
「おぉ丁度いいタイミングだ! 嬢ちゃん、付き人君、こっち来い!」
「ああもう話がどんどんおっさんのペースで進んでいく……」
「まぁまぁ、あの人アレで色々ちゃんと考える人ですから」
「本当にぃ……?」
「何してんだ? あの獣人の嬢ちゃん追わなきゃなんだろ? ぼさっとしてないで急いだ急いだ!」
「あ、こら! 押すなよ、押さなくても行くよ、危ねぇな転ぶだろ!?」
頭領と作業着のドワーフに背中をつつかれ急かされ、私達は追い立てられるように部屋を後にする事になった。
そうして頭領たちに背中を押される中、広い邸宅をひたすら下へ下へと数分ほど歩き。
「よし、着いたぞ」
「うわぁ何ここ、広っ」
「この都市最大の工房だ、俺らドワーフの技術の最先端がここに集まってる」
頭領たちに連れて来られたのは、サーカステントが10や20は入りそうな巨大な地下空間であった。
百に迫る数の作業員ドワーフ達の声が何重にも響くその空間は、多量の鉄と機械油、それと何か燃料のような匂いが満ちていて、それでいてどことなく故郷ラナトゥスの練兵場を思い出すぴりっとした緊張感が張り巡らされていた。
何に使うか分からない絡繰り、砂漠で見た人形に似たなんらかの部品、火を噴き上げる円筒、雑多に散らばるそれら機械とそれを弄る作業員達は、なんだか練兵場の上官と訓練兵達の関係に似ている気がする。
「さ、その鍵の使い道はこの奥、鉄騎竜の格納庫だ、もう少し歩くぞ」
「鉄……騎竜?」
「見ればわかる」
そんな忙しない空間をさらに歩いていくと、やがて長く続く柵で区切られた一際大きい作業場が待っていた。
そして、その作業場で扱われていた機械は……
「何これ」
「見りゃあ分かるだろ! 有人飛行魔導機さ!」
「ゆ、ゆうじんひこう……なんだって?」
そこには大きな円筒に二枚の羽根と車輪をつけた、謎の巨大機械が横わたっていた。
鉄騎竜、と聞いたから金属でできた飛竜でもいるのかと思ったが肩透かしだ。
こんなのただのガラクタではないか……
「うおおおお!? これはまさか4年前の大戦で試作されていた飛行機シーワードE.Iじゃないですか! 完成してたんですか!」
が、私の横で突如、聖女様はそのガラクタを見て興奮し始めた。
まるで好みの玩具をみつけた子供のようにはしゃぎ始めた!
「イリス……? 急に早口でどうした?」
「何って飛行機ですよ飛行機! 空を飛ぶんです!」
「え、空を……? 竜でもないのに? 魔力も全然感じないのに?」
「そうだ、コイツはドワーフの技術の粋を集めた傑作さ、これに乗ればハストルドまでひとっ飛びだ」
「操縦系統は!? 操縦系統は4年前と変わってませんか!? それなら私でも動かせますよ!? というか動かしましょう! 飛びましょう! 鳥になりましょう!」
「い、イリスさん……?」
「はっはっは! そう興奮すんな、改良で変わった部分も含めて今説明してやっから」
どうも私にはよくわからんがイリスには垂涎物の機械らしい。
イリスは頭領から一通り説明を受けた後、もう我慢できぬとばかりに、空を飛ぶらしいその鉄の塊にすぐさま乗り込んだ。
席に座りベルトを締め、そして後ろの席を指差し、私に「ここ、空いてるぜ?」と手招きする。
「さぁ何やってるんですか? 貴女も早く乗って!」
「なぁ……これに絶対に乗らなきゃダメ?」
「昨日の夜に発ったエルザに追いつくなら絶対にこれの力が必要です! だから、私達は、空を飛ぶべきです!」
聖女様は鼻息を荒くしこちらを誘う。
が、しかし、いやだ、乗りたくない、コイツの操縦する鉄の塊で空を飛ぶとか不安しかない!
飛ぶわけないし! 仮に飛んだとしても絶対墜落する!
「なぁ地上を走るっぽい機械とかも途中にあったと思うけど、そっちじゃダメか?」
「土地勘のない私達にそんなものあっても宝の持ち腐れですよ! 空からなら方角さえわかれば迷いようもありません! さあぐずってないで乗って乗って!」
「やだぁ……絶対危ないってコレ……!」
「おいなんだぁ付き人君、俺らの機械が信用できないってか?」
「こいつが操縦してるってのが怖いんだよ!!」
私とイリスの間には現在、そこそこの信頼関係が築かれつつある。
が、しかし! 信用と信頼というものは別物なのだ!
今私のイリスに対する信用は、命を預けるに足るほどではない!
「仕方ないでしょうこれ二人しか乗れないんですから、それに大丈夫ですよ、私4年前に試作品をいやという程墜落させてきましたから! 安全な墜落方法なら体で覚えてます、大丈夫です!」
「なぁそれ自分で言ってて気付かねえの!? 大丈夫な要素どこにある!?」
「おいおい付き人君よ、いつまでグズグズしてんだ、今更臆病風に吹かれたか? 仲間の命がかかってんだろ?」
「そうだけど、でもそれとこれとは話が」
「あぁもう、まどろっこしい! おめえら、手伝え!」
「あ? 何す、やめっ、馬鹿!? ふざけんな放せっ、~~~~!?」
未知の機械に身の危険を感じ躊躇する私を軟弱者であると受け取ったか。
頭領は周囲の作業員に号令、あっという間に屈強なドワーフ達が私を囲み、あれよという間に両手に縄、口に猿轡、手も足も口も出ぬ完全拘束。
そしてそのまま無理やり席に放り込んでしまった!
「行ってこい嬢ちゃん、ハストルドのロン毛王子にあったら顔面に一発かましてこいよな!」
「了解です!」
「~~~ッ! ~~~~ッ!」
「管制塔、滑走路準備は?」
「全て完了、エレベーターと天井も開放済みです」
「視界阻害用魔術も問題なし、敵に位置を知られる心配もありません」
「良し!」
機械の席に上下逆さに突っ込まれた体を藻掻き足掻いてどうにか起こすと、いつの間にか鉄騎竜の正面に立ち塞がっていた作業場の壁と天井が開き大口を開け、太陽光が差し込む地上へと繋がる長い長い一本道が現れていた。
「もういつでも飛べるぞ嬢ちゃん、覚悟が出来たらキーを回せ!」
「では行ってきます頭領さん」
「おう、行ってこい!」
「~~~ッ!? ~~~ッ!?」
イリスがカギを回すと鉄の騎竜が身震いと共に大きく吠えた。
機体後方の配管から蒸気が噴き出し、両翼の下にくっついていた謎の絡繰りが激しく回転を始め、同時に機械の騎竜が前進を始める。
「それでは付き人君、快適な空の旅をどうぞお楽しみやがれ」
「----ッ””!!」
去り際に放たれたフレズのおっさんの軽口に、「いつか絶対ぶっ殺す」と返すと同時に。
機械の飛竜は離陸し、両手足を拘束された私を乗せて飛び立った。
ぐんぐんと速度を上げるその鉄の塊はあっという間に滑走路を飛び立ち、干天の砂海の空を1000m程の高度を維持し時速約70㎞/hの速度で目的地へと向かって飛んで行く。
普通の騎乗用小型竜とは異なり、機械の力で飛ぶそれは私にとっては全く未知のもので。
揺れは少なく、鼻をつまみたくなる竜の口臭も漂って来ず、魔力による酔いも無ければ操縦席のガラスカバーのおかげで迫りくる風圧も低減される。
私の知る空を飛ぶ事とは全く真逆のそれは、この18年生きていた私の常識にはあまりに受け入れがたく、気付けば私の体は目の前に広がる現実を拒絶し、意識の遮断という自己保護機能の使用を甘んじて受け入れていた。
つまり私は、空を飛んでいる間、恐怖のあまり気絶していたのであった。
……
……そして。
「師曰く空とは人や魔の領分にあらず、竜や鳥の領分であるからして……」
「ニーナ~、そろそろ起きてください~? 昼食前に二度寝とはいい御身分ですね~?」
「その区分けを侵す事いと愚……はっ!?」
「……どんな夢見てたんですか」
イリスの声で意識を取り戻すと、その鉄の竜はカンカン照りの空の元、陽光照り返す砂の海へと無事着地していた。
太陽の傾きからして、およそ30分ほど私は気絶していたようだ。
「そ、走馬灯が見えた……死ぬかと思った……生きた心地がしねえ……」
「かつて戦場を馳せた魔王軍幹部のセリフとは思えませんね、最初から最後まで安定したフライトでしたのに」
「こんな風に他人に命を握られたのは始めてなんだよ! 寿命縮んだわ!」
「んもー、もうちょっと私のこと信用してくださいよ、私達は仲間なんですから」
「今回のはそれとこれとは別な話だろうが!」
イリスとぎゃーぎゃー騒ぎながら手足の拘束を外し、鉄騎竜の後部座席から這々の体でどうにか抜け出すと。
鉄の竜からぽてりと落ちた私の正面方向、数m先。
砂漠の中に屹立する、巨大な城塞都市の城壁が視界に広がっていた。
「ま、何にせよ無事到着です」
「これが、首都ハストルド……」
4年前まで戦争をしていた、というのがよくわかる。
大小さまざまな真新しい傷があちこちに見え隠れする、10m近い高さの巨大な城壁が私達の前に聳え立っていた。
「しかし不思議だな、こんな砂の上に城壁って作れるのか……」
「砂漠って一括りに言っても色々ありますからね、場所さえ選べばピラミッドだって建てられるくらいには下が安定してるところだってありますよ」
「ふーん」
気になって少し砂を掘ってみる。
イリスの言葉通り砂を軽く掘るとすぐに頑丈な地層にぶち当たった。
これならどれだけデカい物を建てたって安定しそうだ。
「なるほど?」
「さ、観光しに来たわけじゃありませんし、すぐ中へ向かいましょう」
「あっはい……」
イリスに急かされその後を追い、城壁をぐるりと回って正門を探し砂上を歩く。
そして5分ほど歩くとやがて、大きな門の前へと到着した。
「……何か変ですね、門番が居ません」
「それになんか焦げ臭いぞ」
首都ハストルドの正門前は人っ子一人いない無人の門であった。
門は無防備にも開け放たれ、門兵もおらず、出入りする行商人や旅人の姿も無い。
それに何かが燃えているような匂いも漂っている。
まさか、ここも魔王の呪いの被害に遭ったのか。
そんな予想が頭をよぎるが、続くイリスの言葉でそれはすぐさま否定された。
「まぁ呪いとは多分違いますよ、それだと空から見ただけで異変に気付くでしょうから」
「そうなのか、私は気絶してたから見れてねえんだよな」
「大丈夫です私はばっちり見てました、神器で滅ぼされた様子はありませんでしたから安心してください」
「ふーん」
「とりあえず中に入って情報を集めましょう、魔王の呪いだけじゃなくてエルザの捜索が重要事項なんですから」
「……そうだな」
街に入るとまず最初に、乱立する石造りの建物群とその間を縫うように生える背の高いヤシの木が視界に入って来た。
そしてそんな街並みで暮らす住人達は、私とイリスの姿を見ると話しかける前にどこか怯えたような表情でそそくさと自分の家へ引っ込んでしまう。
「……あまり歓迎されてないみたいですね」
「どうする? 無理矢理首根っこ掴んでインタビューでもしようか?」
「ダメですよ、絶対やっちゃダメですからね!」
「じゃあどっか店の人にでも聞いてみるか、流石に商人なら金積めば話すだろ」
「まぁそれなら、アリですね」
場所を変え正門前から街の中へと歩を進めると、2~3分歩くだけですぐに中心街らしき賑わいが顔を出す。
ファルシスの国では絹織物が盛んで、立ち並ぶ店頭にはまず行商人に向けた高級織物がとくに目を引いた。
そして次点でロバや馬の育成も力を入れているのか、生活に利用する以外にも売り物として陳列される家畜達が多かった。
余所者であり商人ではない私達にはこの中心街でもあまりいい顔はされなかったが、それでも商魂たくましい商人達は相応の金額を積むことで苦い顔を破顔させ固い口を滑らかに開き始める。
聞き込みをしてみると焦げ臭さの理由はすぐに判明した。
どうも火事が起きていたらしい。
貴族の館から火事が起こり、その火が延焼しているのだとか。
「神器の炎とは、やはり違うみたいですね」
情報を集め、火中の貴族の館前までさっそく向かってみる。
中心街から東へ5分ほど歩いていくとその現場はすぐに見つかった。
2~3階建ての建物が並ぶ東側区域の中、一際目立つ5階建ての邸宅が激しい炎と共に黒々とした煙を上げていた。
火事の勢いそのものは激しいが、神器の火と比較すると月とすっぽんと言わざるを得ない。
「確かにこの火は別物だな、規模が弱すぎる」
「エルザの故郷やドワーフの居住地はもっとひどい有様でしたからね……」
しかし、そうなると別な可能性が浮上してくる。
「まさかこの火事、エルザの仕業じゃ」
「流石にそんなわけありませんよ、まさかまさか、あはは……」
街に入る前とは別の嫌な予感が二人の間に流れ始めた。
腹いせに、或いは神器の所有者を炙りだすために、無差別に火をつけて回っている、なんて事も……
「……!」
そんな事を考え始めた矢先。
火事に群がる野次馬の間を抜けるように、怪しい人影が延焼した家の近くから飛び出し街の中央へと駆けて行った。
「イリス、見たか?」
「はい、少しですけど、今の人影は……」
姿は一瞬しか見えなかったが、それでもその人影が獣人の姿であるのはわかった。
「エルザ……か?」
「ニーナ、追って! 私は鳥を使って空から追います!」
「ッ! 分かった!」
首都東側区域、石材の高層建築が所狭しと立ち並ぶその区域を浅く積もる砂をかき分けながら駆け抜ける。
火事現場から逃げるように去っていくその怪しい人影が私の数m先を人間離れした速度で逃げていった。
砂に足を取られながらもどうにか食らいつき追いかけるが、怪しい人影は砂場に慣れているのか距離は中々縮まらない。
ハストルドの建物の並びは、ドワーフの整然とした都市とはかけ離れた、雑多な建物の乱立であった。
曲がり角を一つ越える度に視界が遮られ、その度に人影が消えこちらの足は止まる。
そして幾度目かの曲がり角。
「やばっ、見失ったか!?」
ついに完全に撒かれてしまう。
「いや、待て、足跡を追えば!」
それでもどうにか脳みそを総動員し、追跡を続行。
砂に残った足跡を追いかけ一際大きな建物の角を曲がる。
すると、そこには大きく距離を放し、勝利を確信するかのように速度を緩める謎の人影。
「流石に、もう無理か……?」
だが、諦めかけたその時。
「そこまでです! 通しませんよ!」
「ッ!? 鳥が喋った!?」
「よくやったイリス!」
イリスの鳥がちょうど逃亡者の逃げ道を塞いだ。
その隙をついて、全力疾走、そのまま背中にタックルし押し倒す。
腕を拘束した上で逃亡者の顔を拝む。
「……」
「エルザ……」
出会いたくない顔がそこにあった。
「ぜひぃ、はひぃ……や、やっと追いつきました……遠くまで行きすぎですよ二人とも……」
「……」
「……」
イリスの合流を確認しつつ、じっとエルザの言葉を待つが。
私の股下でついに抵抗を止めたエルザは、どれだけ待っても何も言葉を発しない。
果たして、私は、なんと言葉をかければいいのか……
「ねぇエルザ、あの火事、貴女に関係あるんですか?」
「お前いきなりそこ聞く!?」
そんな膠着状態を打破したのは、空気を読む気のない聖女様であった。
「エルザを信じるなら逆に真っ先に聞くべきでしょう!」
「それにしたって聞き方とか……」
「違う、あれは私じゃない」
そして、私の不安をよそにエルザはついに言葉を発した。
「でも分かった、ピシウスの言葉は正しかった、ウチの故郷を焼いたのはフリントだ、領主の息子フリント・ゲータだ! この街の火もただの自作自演だ! アイツの火が! ウチの全てを!」
「え、エルザ一旦、落ち着いて」
「ニーナ! わかったら離して! ウチはあの王子を殺さないといけないの!」
ダメだ、興奮してこれ以上話せる状態じゃない。
「ど、どうしようイリス……流石にこのままにしておくわけには」
「仕方ありませんね、おらぁ!」
「あぎゃ!?」
乱心に困惑する私をよそに、イリスは興奮するエルザの頭を思いっきりひっ叩いた!
イリスの殴打を受けたエルザは激しく痙攣した後、一瞬で昏倒し意識を失ってしまう!
「な、何してんのお前!?」
「興奮しすぎてまともに話せる状態じゃなかったですし、それに顔色からして寝不足なようでしたから、少し眠っててもらおうかと」
「だからって気絶するまで殴るか普通!?」
「大丈夫ですよ、殴ったのではなく魔法で眠らせただけですから」
「ほ、本当に……? ただ殴ったようにしか見えなかったんだけど」
「大丈夫ですよ、5分もすれば効果が切れてすぐ起きますよ、今は寝かせてあげましょう」
色々言いたいことはあったが、エルザはイリスの言うようにすやすや眠っている。
確かに、殴打による気絶とは少し違う様子だ。
私も人間の使う魔法に詳しいわけではないし是非を問うのは一旦置いておいていいか。
「それにエルザの言っていたことも気になりますからね」
「領主の息子がエルザの故郷を焼いた、か」
その言葉が本当なら、魔王の呪いを受けた神器ダンケルドの燭台はそのフリントって奴が持っているのだろうけど。
しかしそうなると今度は新たな疑問が生まれる。
「ならそいつはどうやって神器を手に入れたんだ? あの強烈な炎を使う神器を、どうやって……」
「この国の領主ゲータ家は代々神器を継いでいて、前回のフェリクス家のように神器にまつわる炎の魔法を得意としています、普通の人よりは可能性があるかと」
「え? だったらもう確定じゃないか?」
「ですが、その技術体系はゲータ家だけでなく、ゲータ家と神器を奪い合い継承者を輩出したこともあるレングモルト家にも継がれています」
「レングモルト?」
「フレズョーブルさん……つまり、ドワーフの頭領さんの家系です」
なるほど、だとするともしかしたら、あのおっさんが実はすでにこっそり神器を確保していて……なんて可能性も無くはないのか。
「それと、セウェルス家もです、この国には神器に対抗できる魔法と神器所持の資格を継ぐ者達が三家も存在するんです」
「セウェルスって、確かエルザの家……」
「つまり今の段階で確定した情報なんて一つありません、だからまずは、前回の神器と同じように、私達の目で、耳で、情報を集め調査を始めましょう」
「そうか、いや……そうだよな」
エルザの行動はピシウスの甘言によって引き起こされたものだ、つい1時間ほど前に言われた言葉を思い出す。
そんな甘言に私達まで惑わされる必要はない。
確かな事は、ちゃんと自分自身で確かめなければ。
「じゃあまずはどこから調べよう?」
「そうですね、次はそこを考え……」
「おや、おやおやまさか、貴女方はもしや」
「え?」
しかし、私とイリスの議論が結論へと至った、その時。
私達の後方から声がかかった。
「イリス・ブルトゥス様、そしてマティアス様ではありませんか、こんなところで会えるとはまた奇遇な」
振り返るとそこには煌びやかな服に身を包んだ中性的な顔立ちの成人男性がいた。
「なぁイリス、まさかアイツって……」
「はい、間違いありません」
「お久しぶりです和平の英雄、聖女イリス様、部下が目撃したと聞きもしやと思ったのですが、よもやこのような場所でお会いできるとは」
「彼はこの国の王子、領主の息子フリント・ムツェンクス・ゲータです」
エルザが狂乱しながら犯人だと叫んだ、火中の男がそこにいた。
「初めましてマティアス様、どうぞよろしくお願いしまっぐ! 痛ぁ!? ひたが! 舌が!」
思いっきり舌を噛んで悶える、間抜けな姿の男がそこに居た……