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1話「辛苦も労苦も燃えに燃える」


 ルメニア国の神器を制圧し1週間後。

 私達は次なる神器の目撃情報を受け、進路を西に取りひたすら歩いていた。


 目指す場所はルメニアの隣国にあたる火と砂の国、ファルシス国の首都ハストルド。

 いくつも連なる高山地帯を抜けステップ気候の草原を歩き、道中の村々で物資を購入し補給しながら。

 私とイリスは国境を越え数百㎞先にある首都を目指し二人旅を続けていた。


「あぁあぁあ……もう無理ぃ……死ぬぅ……」

「……いちいち叫ばないでください、こっちまで気が滅入ります」


 しかしそんな私達を待ち受けていたのは、岩と砂、そして乾いた風だけが吹きすさぶ死の土地であった。


 国境を越えて六日。

 高く日が昇った正午過ぎ。


 天気:快晴。

 現在地:不明。


「み……水、もう無いのかイリス……」

「さっき渡したので全部です……」


 我々が訪れたファルシスの国は、ルメニア国とは打って変わり高温と乾燥が酷い砂漠地域であった。

 水場は限られ体を休める村や街も極めて少ない、それゆえに旅の道中は厳しく険しい物だった。


 ……とはいえ、私とイリスは腐っても元魔王軍幹部と勇者パーティの聖女様。

 そんな二人の旅なのだから、事前に多めに水と食料を備える、くらいの知恵はきちんとつけていた。

 事前準備は万端だった。

 万端の、はずだった。


 ただ、一つ大きなトラブルに見舞われてしまったのだ。

 道に迷った、という、実にシンプルで、実に致命的なトラブルに。


「こんな事なら地図は複数枚買っておくべきでした……」

「一個だけでいいって思うだろうよぉ……誰だってさぁ……」

「貴女に文句言ってるわけじゃないですよ……」


 この国に入る際に地図はきちんと確保していた。

 途中の村々まではその地図の通りに確かに存在し、水や食料の補給は滞りなく行えていたのだ。


 しかし砂漠地帯の旅路が六日を越えたあたりで問題が発生した。

 村と村の間の補給地、地図に記されているはずの水場がどこにも無かったのだ。


 もしかして地図が間違っていたのか?

 それとも私達がルートを間違えたのか?


 疑心が二人の間に流れ、一度来た道を戻ろうと進路を変え、そして歩けど歩けど見た事のない景色が続いているのに気づき、はて今歩いている道は地図のどの位置なのだろう、と思った時にはもう手遅れであった。

 少し道を外れただけで、見える景色がまるっきり変わってしまった。

 地図にない地形、見覚えのない岩の群れ、遠くに見えるは知らない山の形、迷わないようにと念のために置いておいた小石の目印は一向に見つからない。


「はぁ、こんな事なら案内人を雇うべきだったな」

「でも魔王の呪いとの戦闘に巻き込むわけにもいきませんよ……」


 自然の驚異を舐めた結果であった。

 地図一枚あれば何とかなると、土地勘も無い極地に素人二人で挑んだ結果であった。


「イリス、鳥は飛ばせるか?」

「もう飛ばしてます、地図にあるような地形は全然ありません」

「そっかぁ……」


 万事休すであった。

 このままでは私達は死ぬ、それも遭難の果ての衰弱死という実に不名誉な死。 

 現在気温は40℃を越える酷暑だというのに、背中に嫌な悪寒が走り始めた。


「あー! 弱気になるな私! なんとかなる、なんとかなる!」

「ニーナ無駄に叫ばないでください、体力の無駄です」

「うおおおおお! 諦めなければ不可能なんて……!!」

 

 人っ子一人いない砂漠地帯、現在地は分からず水の備蓄も無くなった。

 そんな極限状態に発狂しそうになる精神を、どうにか紛らわせようと私は叫び始める。


「ん? あれ?」


 ……すると、その時。


「なぁイリス、もしかしてアレ人影じゃないか!?」


 私の視界に岩と砂以外の何かが入ってきた。

 二本足で砂漠を歩く高さ180㎝ほどの黒い影が映ったのだ!


「なぁアレ、幻覚じゃないよな? ほら、アレ! 西の方角!」


 高く昇った太陽の進行方向。

 私の両目にはたしかに二足歩行の黒い影が見えていた。


 もしやこの土地に住む住人ではなかろうか。

 つまり近くに村や街があるのでは。


 そんな希望が途端に湧き上がる……!


「あぁアレですか、あれはドワーフの作った鉄人形ですね」

「……え、何それ」


 しかしそんな淡い希望はイリスの言葉で露と消えた。


「この国は4年ほど前まで戦争していて、その時に使われた兵器がまだ各地に放置されてるんです」


 少しづつこちらに近づいてくるその人影が、段々とその姿を現してくる。

 イリスの言う通りそれは人ではなく、鉄で作られた真っ黒な人形であった。


「なんだよ、ぬか喜びかよぉ……」


 ブチ上がった私のテンションが一気に地の底まで落ちていった。

 思わずその場にへたり込んでしまう。


「でもまぁ落ち着いたのならちょうどいいです、一度ルートの探索は諦めて近くの岩陰で少し休みますか」

「え、諦めんの!?」

「これ以上この暑さの中アテもなく歩いても消耗するだけですから、せめて夜になってから動くことにしましょう」

「……あぁ、なるほど、それもそうだな」


 私は頭上で憎らしく輝く太陽を眺め、次に遠くに見える人形を眺め、そして最後に汗すら流れなくなった今の私の現状に大きくため息をつき、その後イリスの提案に理があると判断し素直に従う事にした。

 近場の大岩を利用して天幕を張りテントを設営、簡易的な拠点を造りどうにか焦った心と体を落ち着ける。


「よし、設営完了です! いやー疲れました……」

「あぁしんどい、喉乾いた、水飲みたい……」

「それを言葉にするのやめましょう、自覚してより水が欲しくなります」

「んー、じゃあアレだ、話を変えよう、たとえばさっきの話の続きとか」

「さっきの話、ですか?」

「ほら、ドワーフの作った……なんだっけ」

「鉄人形」

「そう、それ、戦争で使ったって言ったけど魔物と戦うためか? この地方に魔族が攻めた話は聞いたことなかったんだけど」


 今私達がいる場所、岩と砂が国土の大半を占めるファルシス国は、魔族にとって住みにくく攻める価値のない不毛地帯だ。

 知性のない魔獣が迷い込むことはあっても、知性ある魔族による組織だった侵攻なんて聞いた事が無い。


「それでしたら、ドワーフが戦った相手は魔物じゃありません、同じ国に住む獣人や人間を殺すためです」

「え」

「数年前までこの国は、住人同士で殺し合ってたんです」

「うへぇ、マジかぁ……」

「まあでもそれも4年前までの話です、今は戦争も終わり和平も結ばれてますから、安心してください」

「ふーん」


 大陸全土では魔族による人類への侵攻が数十年単位で続いていたというのに、この砂漠の人間達はその間も人間同士で争っていたのか。


 部外者の私としては不毛の二文字以外に表す言葉が見つからない。

 きっとここの住人達にしか分からない戦う理由があるのだろうけど、だとしても。


「……とか言ってたらその戦争の主役、鉄人形さんがこちらに来ましたね」

「え、マジで?」


 無駄話をしている間に、先ほど遠くに見かけた鉄人形がさらに距離を詰め私達の設営した簡易テントへと近づいてきていた。


 体高180㎝前後、二足二腕で頭は一つ、バケツ状の頭部らしき場所には目のような窪みの部位が一つだけ存在し、間接まわりに内部ケーブルの露出が見られる以外は全身がプレートアーマーじみた黒い鉄板に覆われ、姿形は全体的に鎧を着た人間のそれに近いようだ。

 鎧武者に似た姿をしたその鉄の塊は、重そうな体を引き摺りながらフラフラと砂の海を歩き、私達の簡易テントに向かって歩いてくる。


「だ、大丈夫なのかアレ?」

「あの感じだと命令もなくただ回遊しているだけみたいですので、害はありませんよ」

「ホントにぃ……?」


 武器の類は持っていないようだが、2m近いその鉄の塊が拳を握って殴るだけで、大抵の人間にとっては脅威となるだろう。

 もし、近づいただけでそれが襲ってくるようなら、流石に今のうちに排除した方がいいと思うのだが。


「大丈夫ですよ回遊中の人形は安全です、私は何年か前にもこの国に来てますが、その時だってああいう人形に襲われた事はありません」

「……そんなこと言われてもなあ」

「じゃあ石でも投げて確かめます? ちょうどいいのがここに有りますよ」

「おぉ、準備良いな」


 早速イリスから石を受け取り、軽く人形の方向へと投げてみる。

 石は狙い通り狙い人形のすぐ近くに落下した。

 砂を軽く巻き上げて地面に落ち、人形には掠りもしない。


「さあどうですこれで安心でしょう? この程度の事でドワーフの鉄人形が襲ってくることは有り得……」


 だがイリスの言とは裏腹に、石が巻き上げた砂が人形に触れたその時、のそのそと歩く鉄人形の動きが止まった。

 その後カタカタと頭部だけがゆっくりと回転し、目らしき窪みがこちらを捉え赤く発光を始める。


「あ、あれ……?」


 そして石を投げた私を認識したその人形は、突如全身から刃物を飛び出させた。

 人形はまるで扉を開けたアイアンメイデンのような姿へと変貌し、私へ抱き着こうとその両腕を広げ飛び掛かってくる!


「うわああああ! 襲ってくるじゃんか嘘つきぃ!!」

「あれぇ!? 何でこの程度で戦闘状態に!?」


 こちらへ飛び掛かってくる人形の攻撃を横っ飛びに躱しながら、懐のダガーを抜き反撃の準備を整える。


 人形は私達の設営したテントに突っ込み資材をまき散らしながら岩に衝突。

 一方こちらは態勢十分、反撃は可能だ。


 ……が、しかし、この後どうしよう。

 動く鉄の塊なんて斬った事ないぞ!?


「おいニーナ、どうすんだよコレどうすんだよ!?」

「どうしてこんなにセーフティが緩い……? もしかして神器が暴れてるから……?」

「考察は良いよ! 先に弱点とか教えろよ!?」

「流石にわかりません、弱点なんて広まってたらこの兵器は戦争に使われてませんよ」

「あー、そうですか! じゃあ自分で探すよ!」 


 迫りくる刃物の抱擁を躱しテントから飛び出て砂の海に着地した私を、鉄人形は相も変わらず頭部の目らしき部位で私を睨み一直線に飛び掛かってくる。

 "赤く発光する単眼でこちらを睨みつけ"、全身の刃を広げこちらに迫りくるその黒い鉄の様相はまるで大口を開け砂の海を泳ぐサメのようだ!


「ん? 睨んで、くる?」 


 しかしそこで閃いた。

 わざわざ睨んでくるという事はつまり、赤く光るその部位は人間の目と同じ役割を果たしている、という事だ。

 なるほど、ならば話は簡単だ。


 こちらが観察を終えるのと、迫りくる人形の腕が私を射程圏に収めるのとがほぼ同時であった。

 匂いを嗅げるほどにまで私の眼前に迫った黒い刃物の塊が、熱い抱擁を交わそうと腕を閉じ始める。


 その恐るべき刃物の殺到を、私は飛び跳ね越えるように上へ躱しながら、すれ違いざまに赤く光る単眼へとダガーを突き立てた。


 ダガーは想像よりも簡単に赤く発光する単眼へと飲み込まれる。

 ガラス状のその眼は思ったよりも脆く、そしてその奥にある頭部の中心にはなにやら繊維じみた柔らかい物が多数集結していた。


 壊れたら困る物の匂いがプンプンしている。


「なんだ、人間とそう変わらないじゃんか、お前」


 そのまま刺さったダガーに体重をかけ首を()し折りねじ切って背中を蹴飛ばすと、人形は大きな音を立てて砂の海へと倒れこんだ。


 そしてその後わずかに痙攣した後、もう二度と動くことはなかった。

 恐ろしい見た目の割には実に呆気ない幕切れであった。


「ふぅ……なんだ、大したことねえじゃねえか、焦っただろうがこの野郎」


 死んだふりの可能性も警戒して軽く蹴ったり関節に刃物を差し込んだりしてみるが、やはり人形は動かない。

 首がねじ切られただけで止まってしまうとはなんとも肩透かしだ、所詮は使い古しの廃棄品という事か。


「おーし終わった終わった、あー無駄に疲れた……」

「待ってくださいニーナ、この人形はただの斥候ですまだ気を抜かないで、必ず近くにセットで本命がいます」

「……あ? 本命?」


 イリスに言われ周囲を見渡すが、私達を取り巻く岩と砂だらけの死の景色は360度どこまでも異常無し、人形の残骸と私達以外には何もない。 

 いっそ異常があって、この人形の主が水と食料をもって現れてくれた方がありがたいなぁ、くらいの心持ちである程だ。


「ここから見渡す限りじゃ何もいねえよ?」

「地上じゃありません、この人形の本命は……地下です!」

「え、地下って砂の中に何、うわぁ!?」


 私が疑念を言い終えるより先に、足元の砂中から巨大な影が現れた。

 先程襲ってきた人形の倍以上の巨大な人形が、砂の中から飛び出したのだ!


「わぁああ!? 何か来た!?」

「これはドワーフの戦略自動兵器ヘカティアル! 特殊な磁鉄鉱で作られたその全長4m、総重量1t、最大出力はなんと30万馬力!」

「性能の話とかどうでもいいよ!?」


 イリスの言葉通り、3階建て家屋程の巨大な黒鉄の塊が多量の砂を巻き上げ私に向かって襲い掛かってきた。

 先程の人形と同じように全身を鎧のような鉄板で覆い、頭部はバケツのような赤く光る単眼、刃物を露出させていないのが唯一の違いだが、この巨体にはその必要も無いのだろう。


「それより弱点だよ弱点! アレ弱点とか無ぇの!?」

「弱点は分かりませんが、あの兵器最大の特徴は磁力操作能力です、気を付けて……うひゃぁ!?」


 イリスの解説が終わるよりも先に巨大人形の攻撃が始まった。

 丸太のような人形の両腕が赤く発光し、強烈な引力を放ち始めたのだ。

 その両腕に吸い込まれるように、私の手の中のダガーが引っ張られ始める。


「くっ……これは、磁力か!?」

「だから今そう言ったでしょう!?」


 言っている間に人形の磁力がさらに増し、強烈な引力が渦を巻いて襲ってくる!

 私の手の中のダガーだけに留まらず、ズボンや服のベルト、ブーツの留め具、テントに置いた荷物の鞄の金具までもがその引力に惹かれていき。

 そしてついには私達の体すらも浮き巨大人形へと吸い込まれていく!


「……ッ!」

「うひゃあ!?」


 宙に浮いた私達の体は身動きもとれず猛スピードで人形へと飛んでいく、向かう先には動く巨大な鉄の塊、手に持つダガーなんかでは対処不能だ。

 このままでは私もイリスも死が待つばかり。

 

「……使うしかないか」


 私は背に抱えた長剣へと手を伸ばした。

 人の体が浮くほどの強烈な磁力の中で、身動ぎ一つしない不思議な材質のその剣。

 使い手の技量などお構いなしにあらゆるものを切り裂くその剣の、鯉口を斬って刀身を白日に晒す。


「いくぞ、コリオレイナス」


 神話に(うた)われるその剣が、私の手により鞘から放たれ今その役割を全うしようと顕現する。


 が、その時!


「うげっ!?」

「ふぎゃ!? あ、あれ……? 磁力が止まった?」

 

 今度は突如として、巨大人形から放たれた磁力が止まってしまった。

 磁力に引かれていた私達の体も同時に浮力を失い砂の海へと投げ出され沈没、口と鼻の中に思いっきり砂が入り込んでしまう。

 振り抜こうとした聖剣もあらぬ方向を向いたまま空を切り、神話の剣にあるまじき間抜け面を晒してしまった。

 

「なんなんだよもぉ!」


 もしやこちらの脅威を悟った巨大人形が磁力を停止させたのか。

 そう考え急いで砂の中から顔を出し様子を伺うが……


「あれ、人形も止まってる……?」


 つい数秒前まで殺意を露にしていた巨大人形も停止していた。

 まるで時間でも止まってしまったかのように、こちらに向かって磁力を飛ばしたポーズのまま固まってしまって動かない。


「おいコレ何なんだイリス? これもあの人形の機能か?」

「わかりません、一体どうして……」

「おーい! おーい大丈夫かー!?」

「え?」

「誰!? 人!?」


 そして何が何やら分からず混乱する私達の耳に、私達以外の第三者の声が届き始めた。


「人間さーん、大丈夫かー!?」


 声のする方へと視線を向けると。

 人形がやって来たのと逆の方角、東の方向から、誰かが走ってきているのが見えた。


 声の主のその姿はどうやら若い獣人の女性のようであった。

 身長170㎝前後、赤毛のショートカットで服装はクロップドジャケットとロングパンツ、種族は人8割猫2割程の獣人の女性。


挿絵(By みてみん)


 そんな女性がこちらに向かって走ってきていた。


「もしかして、アンタがこの人形止めてくれたのか? でもどうやって?」

「ん? それならほら、これドワーフから貰った緊急停止ボタン、この辺に住んでる奴ならみんな持ってるんよ」

「なるほど、すみません助かりました……けど、ええっと、貴女はどちら様で?」

「ウチはこの近くの街に住んでるエリザベス・マクダネルって言い……」

「え、街!?」


 この人が誰なのか、そもそも敵なのか味方なのか、この人を信用してもいいのだろうか、疑問は山積みであったのだが。

 それら全てどうでもよくなるくらい、聞き捨てならない言葉が彼女から放たれた。


「街! マジで?! どこ!? それどこ!?」

「うわなに、そんな食い気味に……」

「ニーナ、落ち着いて」

「私達今ちょうど遭難してたところなんだよ!!」

「え、遭難……? あ、そうか、人間ってこんな所でも遭難できるんだ……」

「そうなんだよ大変だったんだよ! もう私達ここで惨めに死ぬのかと!」

「えーっと、じゃあ、とりあえず、水とか要る……?」

「水!!」


 そして、さらに私の脳を刺激する物体が彼女から差し出され、もはやこの女性が何者かなんてどうでもよくなった。

 水、水だ、革袋に入った300mlほどの水だ!

 つい数秒前まで喉から手が出るほど欲しがっていた水を、この女性は"どうぞ"と差し出してきたのだ!


「いいの!? ありがとう! いただきます!」

「ちょ、ちょっとニーナ、いくらなんでもそれは図々しい……」

「そんな気にしないでいいよ、ちょっとひとっ走りすればまた汲んで来れるし、ほらそっちの人間さんもどうぞ?」

「……そ、そう言う事なら私も、いただきます」


 私もイリスも、もはや理性は効かず、彼女が差し出してきた水を疑いもせずに飲み干した。

 実はこの人、魔王の呪いに与する敵なんじゃないか、とか、実はこの水に毒が、とか、そんな事前に考慮すべきあれやこれやはもう頭の中から吹き飛んでいた。


「あー!! 生き返ったぁ!!」

「本当に助かりました、ありがとうございます」

「いやいや、ウチはそんな大した事してないよ」


 自覚は無かったのだが、どうやら私達はそれくらい追い詰められていたようだ。

 一度水を得て、心と体が落ち着いて、そこまで経過してようやく自分の無警戒さを自覚し始めた。


 知らない人の差し出した水を、何も考えずに飲んじゃった。


 ……まあいいか。

 このまま水飲まなきゃ死ぬんだし、どこかに案内してもらえなきゃ遭難して死ぬ。

 たとえ敵だったとしても信頼するより他ない。


「しかしアンタ……あ、いや、エリザベスさんだっけ?」

「そんなかしこまらなくても、エルザでいいよ」

「うん、じゃあ、エルザは何でこんな所に? 何で私達を助けてくれたんだ?」

「あぁそれはね、ウチらの街の近くに人間がいるって報告があったから様子を見に来たんだ」


 そう言うとエルザは私達から少し目を逸らし、砂漠の果ての地平線を見ながら続ける。


「この国の人間と獣人とドワーフは最近まで殺し合いしてた、ってのは知ってる?」

「うん、まぁそれくらいは」

「4年前に和平は結ばれて戦争は終わったけど、でも禍根がすぐに消えるわけじゃないからさ、獣人の街に人間が近寄ってきたら、警戒しなきゃなんだよ」

「……なるほど」


 つまり、この女性が私達に近づいてきた目的は……


「だからまぁウチは立場上、怪しい人間がいたら捕まえて色々聞かなきゃなんだよね」

「エルザは街の自警団とかそういう職の人なのか?」

「うん、そうなんだよ、それも結構上の役職でさ」

「それじゃあ……」

「あ! でもでも、そんなに警戒しないで! 別にとっ捕まえて拷問してやる、とかそう言うのじゃないんだよ! そりゃあ私も人間とは色々あったし殺し殺されもした過去はあるけど、じゃあまた戦争がしたいのか、って言われたら絶対にNO! だからね!」

「え? あ……はい」

「だからまずは自己紹介! 君達の名前から教えて欲しいなって、そんでウマが合ったら友達になろう! どうだい!」

「「……」」


 余りに早口で捲し立てながら必死に話すエルザの様子を見て、私もイリスも思わず沈黙してしまった。


 自分の街に近づく怪しい他種族の余所者、横柄な態度で尋問したって仕方ないだろうに。

 エルザはどうにか剣呑な雰囲気にはしたくないと、努めて明るく振る舞っていた。


「エルザさんって、いい人なんですねぇ」

「なるよぉ……友達なるよエルザぁ……!」

「え、え、なんでそうなる!?」


 この獣人の女性エルザは、私達の敵ではない。

 仮にそうであったとしても、敵にはしたくない人だった。

 

「なあイリス、こうなったら街までエルザに案内してもらわないか?」

「いや、人間がウチらの街に入るのはちょっと……」

「じゃあせめて別な街でいいから!」

「……まぁ、道案内くらいなら?」

「ほらほら! 折角だし厄介になろうぜ!」


 イリスは魔王の呪いに他者を巻き込むことに否定的であったが、こんな状況ではそうも言ってられない。

 ならばこの信頼できそうなエルザに頼ってしまおう。


 そう考え私はイリスの説得を試みることにした。


「巻き込むのが嫌ってんなら、何かあったら私が守るからさ!」

「あの……人間さん達、何の話してるん?」


 だが。


「……ッ!?」

「おい、イリス? 聞いてんのか?」

「ていうか、そうだ本題! そろそろ二人の名前を……」

「待って、何か、来る」

「え?」

 

 3人各々が好き放題自分の言いたい事を言い合う中。

 イリスは私達の言葉を無視し突如空を見上げ、そしてじっと固まってしまった。


「おい何だよ、まさか今度は空から人形が! とかそういうアレか!?」

「違います、神器です」

「え」

「空に……神器が、魔王の呪いが、空に!」


 イリスの言葉につられて空を見上げると、青かったはずの満天の空を、突如として真っ赤に覆いつくす炎、炎、炎。

 四荒八極を覆いつくす炎の翼が突如現れ、世界全てを焼き尽くそうかという勢いで燃え盛っていた。


「え、え、何アレ? 人間さん、何アレ!?」

「まさか、アレって」

「はい、私達が探していた神器、ダンケルドの燭台です」


 前回戦った神器と同じ、バカげた規模の事象がそこに存在した。


「しかしあの炎は何で急に? まさかいきなりこっちに来るとか言わないよな?」

「魔力の流れ方としておそらくは、私達の数㎞前方にそびえるあの大きな山の近くを狙ってると思われます」

「え、山……?」

「……つまり私達を狙っているわけでは無いのか」

「こちらへの影響と言ったら精々余波が届く程度でしょう」


 余波は届く。

 ……何だか嫌な予感がした。


「なぁ、多分なんだけど、身を隠した方がいいよなこれ」

「そうですね、今回の神器は文字通り神の炎を操る神器ですので、余波だけでも死にかねないかと」

「よしじゃあエルザも! 一旦岩陰に身を隠せ、多分ヤバい事が起こる!」

「……で、でも」


 ひとまず一緒に避難を促すが、エルザは空の炎を見て呆然と固まってしまっていた。

 流石にいきなりあんなのを見たら仕方ない、仕方ないがしかし、このままでは何が起こるか分からない。


「岩陰に防護の結界を展開します、皆、出来るだけ身を寄せて……」

「でも、あそこには!」

「エルザさん!? どこに行く気ですか!?」


 そしてエルザは何やら呟きながら神の炎が狙う山へとフラフラ向かい始めた。

 混乱しているのか、それとも恐怖故か、少なくとも正気ではなさそうだ。


「あぁもう仕方ない! ゴメンなエルザ、無理やり引っ張るぞ!」

「あっ……!」


 私はそんなエルザの手を無理矢理掴んで引っぱり、イリスの待つ岩陰へと走った。

 それと同時に空を覆う炎の翼が一気に凝縮され一筋の流星となり落下する。


「ニーナ、早く!」


 イリスの作った防壁の中に急いで飛び込み身を寄せ合って、目を瞑り衝撃に備えた。

 防壁が完全に閉じ周囲からの音がふっと消える。


 そして数秒後。


 爆炎が世界を撫でた。

 全身を揺らす激しい振動と閉じた瞼越しにも感じる強烈な閃光、魔術の防壁越しでも衣類が焦げ付くほどの高熱が私達へと襲い掛かる。


 そのまま無限にも思えるような1分足らずの衝撃が続き、そしてそれらが収まる頃。

 もう終わったか、と恐る恐る目を開けてみると。


 ……そこには焦熱地獄のような様相が広がっていた。


 私達を守っていた大岩は激しく赤熱して崩れかけており、砂漠の砂は所々ガラス状に変化し赤々とした炎を宿している。

 そしてすぐ近くに停止していたドワーフの巨大兵器に至っては、完全に溶けてぐつぐつと煮えたつ液体金属と化していた。


 ほんの一瞬で、辺りの様子は見るも無残に変えられていたのであった。


「おいおいマジかよ、こんだけ離れててこの熱かよ……」


 余りの規模の炎に思わずため息が出た。

 どうやら今回は、正常に稼働している呪いの神器と一戦交える必要がある、という事が嫌という程に理解させられた。


「ねえ、何、これ」

「怖えのは分かるけど大丈夫だ落ち着こうエルザ、私達と一緒にいれば大丈夫だから」

「違う、違うの、今の炎、ウチの街の方向から……」

「え」


 炎が落ちた付近にエルザの街があった。

 つまり、あの炎はそこを狙って放たれたのか。

 ん、待てよ……だとするとまさか、エルザの故郷は、今、目の前で。


「確かめなきゃ」

「おい待て、気持ちは分かるが、今防壁から出たら火傷する……あっ!」

「……行っちゃいましたね」


 私の制止を振り切り、防壁の外に未だ漂う爆風の余熱すらも無視して、エルザは炎が落ちた方角へと走って行ってしまった。


「どうしますニーナ」

「決まってんだろ、追いかけよう」


 遠くなっていくエルザの背を追って私達も走り出す。

 吸い込むだけで肺が火傷しそうな空気の中、それでもどうにか東へ東へと走り走って。


 そして数分後。


 エルザに追いついた私達の目に飛び込んできた光景は、あまりにも直視に耐えかねる酷い現実であった。


 何もかも焼き払われ炭と灰だけになった獣人の街。

 かつてその街の住人であったであろう黒こげの煤。

 そして、親しい者達を喪った少女の慟哭。


 誰も、その光景に何も言えぬまま。

 こうして今回の呪われた神器との戦いは、酷く残酷な幕を開けたのであった。


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