10話「Dear my friend」
街を覆う雨雲は通り過ぎ、夜空に星が瞬き始めた夜の入り。
水と商人の街と称されたルメニアの街では、煌びやかな祭りが開かれていた。
魔王の呪いが打ち払われ、領主と神器を狙った龍が討伐された事を祝う祭であった。
そして街の中心、領主の館ではどこから沸いたのか身なりのいい貴族達が集まり、私とイリスを取り囲んだ。
貴族共は。
やれ「マティアス様の武勇はかねがね」だの。
やれ「此度はマティアス様の戦いに助力できず申し訳ない」だの。
やれ「どうかうちの娘と婚約を」だの、だの、だの。
蛆蠅の如く鬱陶しく纏わりついて、私の事を私の弟の名で呼び喚き散らす。
イリスには「これも勇者のフリの一環ですから、周辺諸国への宣伝のため、我慢して付き合ってください」と頼まれたのだが。
あまりにも息苦しくて窮屈で。
気が付けば私は領主の館から抜け出し夜の街を夢遊病者のようにフラフラと徘徊していた。
「はぁ……無理、もう無理……冬の荒海の船上戦の方がまだマシだぞ、糞っ……」
とにかく必死で逃げだして。
「あれ、ここは……」
そして気付けば無意識のうちに、見覚えのある店の前へと私は立っていた。
龍が、アムレードが、この街で一番美味い甘味と称した店。
凍結果糖なる物を扱うらしい店であり、そして結局入る事は叶わなかった店だった。
「……はぁ、なんでここに来ちまうかなぁ」
看板を見ると、店名はホラティオというらしい。
店の入り口には相も変わらず張り紙がしてあり休業中であることを知らせている。
何とはなしに店のドアを軽く叩き、ドアノブを回し、店員の不在と施錠を確認する。
「まぁ入れるわけねぇよな」
絶対に入る事は不可能である事を確認後、謎の疲労感と共に店の近くのベンチに腰を下ろした。
「……何やってんだろうな、私は」
考えないようにしていたのに。
考えないようにすればするほど、アムレードの言葉が蘇る。
誰にも伝えないようにと隠そうとすればするほど、脳裏に今際の言葉が浮かんで離れない。
アムレードと私の間に、さして友情や親愛の情があったわけではない。
ただほんの少し、重ねてしまうだけだ。
私よりも強くて、なのに私に非があるはずの事に対しに私に向かって謝った姿を、私の母と。
そして、人と魔の狭間でどちらを選ぶべきか悩む姿を、今日までの私と。
もしかしたら、彼女との間には友情を育めたのではないかと。
彼女の選択に手を差し伸べる事は出来たのではないかと、そんな者を私は傍観し斬ってしまったのかと。
そんな思いがいつまでもモヤモヤと、暑い夏の日の霧のように不快に纏わりついて離れない。
この心の奥のモヤモヤは、もしや一生抱えていくものなのだろうか。
「おや、こんな所にいたのですか」
「……!」
そんな悩みをどうしていいか分からず途方に暮れ、仕方なく夜空を見上げていると、遠くから声がした。
「誰だ」
まさか、貴族連中がこんなところまで追ってきたのか!?
「そう警戒なさらずに、僕です、ダニエル・フェリクスです」
「あぁなんだお前か……」
その声の主は、この国の新領主、神器の新たなる継承者。
まだ二次性徴も迎えていない、少年とも少女ともつかない幼い姿の新領主、ダニエル少年であった。
彼は龍に食われ腹の中で数分過ごしていたというのに、救出されてすぐ領主としての仕事に復帰していた。
なんともタフな少年だ。
「しかしいいのかお前? 祭りの主役が抜け出しちまって」
「そういう貴女こそ、難敵を打ち払いし聖剣の勇者が、こんな街外れにいるじゃないですか」
「私は良いんだよ所詮部外者だからな、でもお前は違うだろ、今日から新領主になんだろ? あのパーティのメインはそっちだろ?」
「まぁそれはそうなんですけど、でもだからこそ、ここに来たと言いますか……」
「ん? なんだよ歯切れの悪い言い方だな?」
新領主の少年はなんともバツの悪そうな顔で視線を逸らした。
何を隠しているのだろう、聞いてみようか。
と、口を開きかけた所で一つ。
忘れ物を思い出した。
懐にしまっていた赤い花、カランコエの花。
この新領主の父親から渡された花の事を。
「そうだちょうどいいや、お前に聞きたいことがあったんだ」
「なんです?」
「これ、お前のお父様から預かってきた、お前に渡しとく」
「父さんから……?」
私は預かっていたカランコエの花を懐から取り出しダニエル少年に渡した。
「なんか家族の約束……? がどうとか言ってて、詳しい事は"ダニエルに聞け"以外はなんも聞いてない」
「あぁ……約束、ですか」
「何で魔王の呪いに抗えるんだ、って聞いたらこれ渡されたよ、お前、なんかわかるか?」
「まったく困った父さんです、こんな小さな約束、まだ覚えていたなんて」
少年は花を受け取った後、少し俯き黙り、そして空を見上げた。
「……大事な花なのか」
「大事……ってほどでもないですけど」
「あー、思い出したくない事なら無理に話さなくてもいいぞ?」
「いえ大丈夫です、それほど大した事でもありませんから」
そう言うと少年は夜空へ向けた視線を戻しこちらに向き直った。
「この花は何年か前、遠く南からやってきた商人が持ってきた花なんです」
「やっぱりこの辺に咲く花じゃないんだな」
「僕はこの花がすごく気に入って、どうやって育てればいいか知りたくて、でも母さんから花を愛でるなんて女々しいからやめなさいって怒られて」
なるほど、私にも同じ経験がある。
5歳の頃に隠して育てていた花を捨てられた。
他者の命を奪う戦士が、するべき事ではない、と。
「でもその時父さんが言ったんです、"いいじゃないか花、冠婚葬祭どこでも必要になる商機の塊だ"って」
「なんじゃそりゃ、情緒のかけらもねえな」
「えぇまったく、でもそれを聞いた母さんは考えを改めて、以降は花の事を商人に調べたりしても怒らなくなったんです」
「……そうか」
「だからこの花を見たら、その時の事を思い出せっていう約束の花なんです、もしも喧嘩した時、家族が離れ離れになった時、この花を見て思い出そうって」
「ふーん、なるほど……」
「きっと母さんも忘れてるくらい、実につまらない、小さな約束ですよ」
話そのものは、ダニエル少年の言う通り、そこまで特別な事じゃない普通の話であった。
ただ、魔王の呪いを経験した私には、このエピソードと魔王の呪いに耐えたハンフリー・フェリクスの関係性が少しだけ繋がった気がした。
魔王の呪いに蝕まれる中で、肌身離さず所持していたカランコエの花を通じて明確に外部との繋がりを作ったのだ。
だから彼は耐えられた。
私には、そして私の父母にはそれが無かったから耐えられなかった。
私が魔王の呪いを受けそれでもなお今生きているのは、イリスが無理やり繋がりを作ったからだ。
手を差し伸べてもらったからだ。
そう思った途端、アムレードの今際の言葉が頭の中をよぎった。
もしも、アムレードが、龍でなければ。
外との繋がりが、苦悩の中で寄り添えるきっかけがあったなら。
「……どうされました? 顔色が優れないようですが」
「悪ぃ、なんでもないよ」
「あ、もしかして、今回の戦いで誰か……」
「…………そうだけど」
おい察しろよ、空気を!?
そこは察した上で追及しない流れだろ!?
「あぁ、やはり、そうでしたか、でしたら僕が力になりますよ」
もしかしてこいつ、父親に似て情緒感覚バグってるな?
そうなんだなお前!?
「ふむ、様子から察するに心の整理が中々つかないようですかね」
しかもここからさらにズカズカ入ってくるか!?
デリカシーって言葉知ってるかお前!?
「それでしたら僕の父さんが生前話していた事が役に立つかと思います、ぜひお役にたててくだされば」
トドメにこの流れで亡くなった父親の話を出すのはやめてくれよ!
文句言い辛いだろうが……っ!
「父が生前言っていたんです、死者に対する最高の手向けは、悲しみではなく感謝だと、好みの劇作家の言葉を借りパクして吹聴してました」
そして伝えられた内容が何とも言い難い!
そんな英雄のダメ親父的な一面を伝えられてどうしろってんだ!
「父の行動自体は褒められたものではありませんが、でもその言葉自体は、生者が死者へと関わる方法としては、きっと最善だと思うんです」
「死者と、関わる……」
「もし、貴女がその死者との別れに、どう区切りをつけていいか分からなかったら試してみてください、哀悼ではなく感謝を、祈りと共に」
「祈り……」
感謝の祈り。
どこかで聞いた気がして記憶を探り、そして思い出した。
そうだ、間者のおっちゃんだ。
イリスが捧げていた祈りは、感謝のそれであった。
死してなお情報を繋げた忠義の徒への、感謝を伝える祈り。
「そうか……だから人間は祈るんだな、今はもういない人に、ありがとうって伝えるために」
「えぇ、僕も、そうして前に進むつもりです、このルメニアの国を父から継いでいく者として」
神器を受け継ぎその手にしたからであろうか。
ダニエル・フェリクスは、いつの間にやら少年から領主へと変わっていた
姿形は同じでも、中身は昼間出会った少年とは別人であった。
「それでは今度は僕から、ここに来た本題を」
そんな領主様は、ベンチから立ち上がると大きく一礼した。
「聖剣の継承者マティアス殿、此度の故国への助力、深く感謝申し上げます」
もはやそこに幼子の雰囲気は欠片もなく。
人の上に立つ者としての、威厳、風格が備わっていた。
「我らフェリクス家一同、いずれ貴女が苦難に見舞われた際は全力で支えさえていただく所存です、貴女が人類の味方である限りは」
「人類の味方である限りは、か、そうだな、ありがたく肝に銘じておくよ」
「では、伝えるべき事は伝えましたので僕はこれで邸宅へ戻ります、マティアス様、どうか貴女に良き未来があらん事を」
小さな領主、ダニエル・フェリクスはそう言って街の中央方向へと去っていった。
本当にただ言いたいことだけ言って、さっさと帰ってしまった。
ふてぶてしいと言うべきか、図々しいと言うべきか。
「強ぇなぁ、アイツ」
腕っぷしとは別のベクトルで、彼は私よりよっぽど強いのだと確信せざるを得なかった。
私より幼い身でありながら彼は肉親との別れを済ませ、意思を継ぎ、その重責に耐え己の役目を果たそうと努めていた。
私は。
私は、肉親の死はおろか、殺めた敵との決別すら碌にできでいないというのに……
「あー!! いたーー!!!」
自己嫌悪と共に再び空を見上げた所で、今度は聞き慣れた声が私の耳に届いた。
「こんな所にいやがりました! よくもまぁ、あれだけ釘を刺したのに逃げられましたね、まったく!」
「誰だ」と問うまでもなかった。
私の恩人、そして、私の仲間、イリス・ブルトゥスの声であった。
「うるさいなぁ、そんな叫ばなくても聞こえるよ」
「これが叫ばずにいられますか! 貴女が会場を出てからの小一時間、私がどれだけフォローに奔走したと思っているんですか!!」
そして顔を見るまでも無かった。
聖女イリス・ブルトゥスは烈火の如く怒りを爆発させていた。
「わ、悪かったよ……でも、本当にああいう場は苦手でさ……」
「……あれ、どうしました? 随分元気が無いようですけど」
が、顔を見あわせた途端、イリスはその怒りをすぼめてしまった。
「何かあったんですか?」
「なんだよ、怒ってんじゃないのかよ」
「そりゃあ貴女が万全の状態ならそうしてましたけど、そんな顔されてたら怒り辛いですよ」
「私、そんなに顔に出てるか? そんなに分かりやすい顔してるか?」
「ええ、すごく」
かつて、部下や親戚からはよく「何を考えているか分からない」「シンプルに怖い」とポーカーフェイスっぷりを褒められていたのだが、どうも今の私は違うらしい。
……それだけ私は弱っている、という事だろうか。
「まぁ別になんでも無……くはないけど、でも、できれば迂闊に話さないほうがいい話でさ」
「何を言っているんですか! 情報はきちんと共有しましょう! 私達は仲間、共に同じ目標を掲げる相棒、同じ釜の飯を食う戦友なのですから! ほら、リピートアフターミー! ウィーアーバディー!」
「いや、恥ずいからやんねぇよ……」
「お? 仲間であることは否定しないんですね!?」
「……まぁ、流石にな」
「えぇ……? ここで何も言ってこないなんて、本当に重症ですねニーナ、何があったんですか?」
ついには心配までされてしまった。
さすがにこれ以上意地を張っても惨めなだけだ。
話すしか、無いか。
「アムレードがさ、首切られる直前に言ったんだ、もし龍にさえ生まれなかったら、って……」
「……まぁ、それは」
「その先に続く言葉を想像したら、怖くてさ、きっとそれはこの世を呪う言葉だと思うからさ」
「しかし、貴女魔族の将兵だったのでしょう? 今まで散々敵兵を斬ってきたでしょうに、今になってどうして」
「友達を斬ったのは初めてだったから、いや、友達になれると思った奴を斬ったのは、初めてだったから……」
「……そうですか」
案の定、話を聞いたイリスは俯いて黙ってしまった。
ホレ見ろ、折角の祝勝ムードが台無しになってしまっただろう。
やっぱり言うべきじゃなかったじゃないか。
そんな言葉が口から出かかった。
が、その時。
「……あぁ、しかし、そうですか、ならば私が代わりに言ってあげましょう」
「え、言うって何を」
「もし龍に生まれなかったなら、ワシはお前達の仲間になりたかった、ってアムちゃんは言おうとしてたんですよ!」
「あーーー! 馬鹿! なんで言っちゃうんだよ!? ギリギリなんとか、めでたしめでたしで終わる話だったのに、これじゃモヤモヤしたまま終わるだろ!」
「モヤモヤなんてしません!」
イリスは断言した。
私がいくら悩んでも不可能だと思った事なのに。
「あのままアムちゃんを斬らなければこの国は滅んでいました! ダニエル君も死んじゃいます! だからニーナのした事は最善の行動でした!」
「いや、でも」
「まずは貴女が貴女自身を褒めなきゃダメです! 私のした事は最善の行動です! はい、復唱!」
「……そんなの、だって」
「噛みますよ、指」
「私のしたことは最善の行動です」
「よろしい!」
無茶苦茶だ……
横暴が過ぎる……
「そしてもう一つ!」
「まだあんの……?」
「アムちゃんが私達と共に歩みたかった、という思いも、無かったことにしたらダメです、考えないようになんてしたら、それこそあの子が浮かばれません」
「……」
アムレードは確かに悩んでいた、龍になるか、龍としての自分を捨て人として新たに生きるかを。
サーカスで私に話したあの内容は、きっと嘘じゃなかった。
だからこそ私は、あの龍と、友になりたかったのだから。
「そんなアムちゃんが人と共に歩まず龍であることを選んだ理由は、人間である私達にはわかりません、それこそ人知の及ばぬところでしょうから」
「……」
「故に、貴女がするべき事は一つ、偉大なる龍アムレードの思いを継ぐ事です、継いだ思いを背負って生きていく事です、それはあの子の思いを見聞きし知っている貴女にしか出来ない事です」
「……っ」
「それでももし、重くて一人で抱えきれないとなったらその時は、私に話してください、分かち合いましょう、支え合いましょう、仲間なんですから」
暴力暴言は茶飯事なくせに。
服や肌にいくら泥を被ろうと無頓着なくせに。
今、私の目の前にいるイリス・ジルヴェス・ブルトゥスの様相は、まぎれもなく聖女のそれであった。
「……分かったよ降参だ、私一人じゃ辛いから、全部話すよ、話さなかったことも、全部」
「えぇ、聞きます」
「でもその前に一つ教えて欲しいんだ」
そんな聖女だからこそ、私はこんな提案をしてしまった。
魔族の戦士には決して不要な教えを。
私は生まれて初めて人に請うた。
「祈り方を教えてくれ、人間の祈りの作法を、亡くなった者達に捧げるために」
「っ! いいでしょう教えましょう! ささ、何でも聞いてくださいよ!」
夜空に星が瞬くルメニアの街。
夜通し響く祭りの喧騒の輪に、鎮魂の声が一つ加わった。
「あー、あともう一個さ」
「なんです?」
「……やっぱり、いいや」
「なんですか、そんな事を言われたら気になるじゃないですか」
「いや、だって、分かりきった事を言うなとか言われそうでさ」
「言いませんよそんな事」
今日この日、神器オフィーリアの呪いの討滅は終結した。
この結末が悲劇なのか喜劇なのかは、立場によって解釈が分かれるだろう。
けれど。
「まぁだからその、なんだよ……言いたい事ってのはその、凄く短い話でさ、出来るなら生きてる時に言っておきたい事でさ」
私の勇者としての人生は、聖女の仲間としての人生は。
今日この日より間違いなく、喜劇として最初の一歩を踏み出したのであった。
「ありがとうイリス、それと……これからもよろしくお願いします」
「えぇ、もちろんですニーナ」
いつか地獄で友と逢うその日には、せめて笑い合える話を持って行ってやろう。
そう心に決めた。
それが今回の戦いの、私にとっての結末であった。
私は今日、聖女イリスと友達になった。
7つの呪いのうちの1つ、ルメニア国の神器はこうして決着と相成った。
ここまでの読了ありがとうございました。これにて1章終了です。
この後の2章も毎日投稿の予定でしたが、ブクマ評価ptが振るわなかったのですべて破棄して書き直すことにしました。
なので次回投稿は2/1です、本当にごめんなさい。