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9話「人知の及ばぬところ、今まで喰らった命の数」


 日が傾き始め、少し空の色が変わりつつあるルメニアの街。

 厚い雨雲に覆われた街には西側から一筋だけ陽光が差し込み、街の中央をまるでスポットライトのように照らしていた。


 そんな日差しに照らされた領主邸宅前広場、中央部。

 神器を奪い領主の息子を喰らい人類の敵となった龍がそこにいた。

 全身を黒い鱗で覆い、角は赫灼、4mほどの体躯とその倍はあろう大きな翼をはためかせ、龍はそこに佇んでいた。


 そしてその黒き鱗の暴龍によって生み出された透明な水により、ルメニアの街一帯は浸水し水浸しとなっている。

 足首ほどの高さまで満たされた水は酷く冷たく、こちらの動きを鈍らせる意図が透けて見えた。

 接近されるのが嫌か、よほど聖剣が怖いのか。


「随分とまぁ、みみっちく準備してたようだなぁオイ」

「なに、その聖剣の恐ろしさは身に染みてるのでな」


 軽口を叩きながら龍はこちらから距離を取り始める。

 逃がしてなるものかとその後を追うと、龍は大口開けその口腔を青く光らせ迎え撃った。


「不覚はない、二度とその剣を間合いに入れさせはしない」


 青く光る魔力は激しい吹雪となってこちらへ襲い掛かってきた!


「舐めんじゃねぇ、この程度で私が止まるかよ!」


 呪いの海を割った時と同じように、剣で払い切り抜ける。

 白く輝く刀身を振り抜くと共に眼前の景色が両断され、次いで衝撃が走り襲い来る吹雪が消し飛んだ。

 ……が。

 その一瞬の隙に龍の姿が目の前から消えてしまった。


「どこに行っ……上か!」


 龍を見失い戸惑う私の頭上。

 大きな影が落ちてきた。

 つまり何か大きなものが私の頭上にあるという事。


 剣から逃げるなら空、ということか。

 そう思い視線を頭上に上げた私の目に。


「マジかよ……」


 異様な光景が写っていた。


 そこにあったのは3階建ての一軒家ほどの大きさを持つ巨大な氷塊。

 数十トンはあろう質量の暴力が、私めがけ落下してきていた。

 このまま何もしなければ圧死一直線だ。


「マジでお前、この程度で私が倒せると、本気で思ってんのかよアムレード……!」


 手にした剣でその氷塊を真っ二つに両断した。

 数十トンの塊が二つ私を避けて落下し、広場の水を激しく叩きつけ水飛沫を上げる。


 何も特別な事ではない、聖剣の力ですらない。

 この程度の事は少し鍛えた剣士なら誰でもできる事だ。


「そんな事すら分からない程、耄碌してしまったのかお前!」


 落胆と共に、視界を妨げる氷塊をさらに切り崩そうと剣を構えた。

 が……その時。

 空気が揺らぐ音がして手が止まる。


「……ッ!」


 嫌な予感がして体を逸らすと、コンマ1秒前まで私がいた場所に氷でできた刃が通過した。

 氷塊の裏、私の死角から攻撃が飛んできていた。


 不意打ちだ。

 なんて事はない、視界を遮り死角から攻撃するだけ、至って普通の創意工夫。

 人間なら敵を打ち倒す時、誰だってする普通の行為であった。


 ただ、龍がそれをした。

 その事実が脅威であった。


 龍は努力などしない。

 存在しているだけで強者だからだ。

 龍は策を巡らせない。

 その身に宿る力を振るうだけで簡単に敵を倒せるからだ。


 だが、この龍は龍でありながら、神器というさらなる力を手に入れながら。

 それでもなお敵の情報を探り、策を巡らせ、自分に有利な状況を徹底して維持する事に努めていた。


 街を戦場にし聖剣を決して全力で振るわせず、視界を妨げながらヒットアウェイに徹し、攻めに転じる際も無防備な姿は晒さない。

 そうして攻めあぐねている私の足元には冷たい水を敷き、じわじわと体力を奪って確実な勝利を手にしよう、と布石を一つ一つ積み重ねていた。


「おいおい、随分人間らしい事をするじゃねえか、龍め」

「言っただろう? ワシは弱さの良さを知ったとな」

「!」


 独り言をつぶやいたはずなのに、氷塊の裏から応える声がした。

 ……ちょっと恥ずかしい。


「強さに執着しながら怠惰であった過去のワシは、呆気なくマティアスと聖剣に敗れ去った、故に同じ過ちは繰り返さん、全霊をもって貴様を殺す」

「ふーん、それで策をめぐらせて、私に聖剣は振らせねぇって息巻いてるわけだ」


 氷塊を再び斬り開くとその裏に龍は居た。

 しかし龍は再び吹雪を放ち視界から消え、新たに巨大な氷塊を複数生み出しこちらの視界を阻んだ。


 半透明なその氷塊の群れは先の光景を屈折させ右に左にと乱反射し、まるで鏡の迷宮のようにこちらの視界を阻害する。

 氷塊に写るその光景は果たして本当にその先の景色なのか、その先に龍は居るのか、視力での確認はもはや不可能だ。


 己の位置を悟らせず、自身は神器による無尽蔵の魔力を得て、こちらには足元の冷水による体力の消耗を強要する、長期戦による確実な勝利を徹底して狙う腹積もりのようだ。


 焦れて隙を晒せば不意打ちで殺すぞ。

 かといって時間をかければかけるほどお前は弱っていくぞ。

 と、こちらをあざ笑っているかのようだ。


 きっと以前行われたというマティアスとの戦いを参考に策を練ったのだろう。

 わざわざ話しかけてくるのも、敢えて一度姿を晒したのも、おそらく時間稼ぎの一環だ。


 聖剣は完全に対策されている。

 ならばどうやってあの龍を殺すべきか。


「はっ、糞が、舐めてんじゃねえぞボケが!」

  

 私は一考と共に聖剣を鞘に納め、懐からダガーを取り出した。


「何をしている? 神器の無いお前にワシが倒せるとでも?」

「ビビり散らかして聖剣しか見えてねぇお前に教えてやるよ」


 そんな私の行動を嗤うかのように水流の波が現れ襲い掛かってきた。

 民家を軽く呑み込めそうな高波が氷塊を乗り越えこちらに向かって襲い掛かる。


「私はラナトゥス家長女ニーナ・ラナトゥスだ! マティアスでも聖剣の勇者でもねえ!」


 ダガーの一振りでその波を払いながら、全神経を周囲の空気に集中させる。


「勇者も知らねえラナトゥスの剣、喰らって死ねや」


 古今東西、戦争には様々な動物が武器兵器として利用されてきた。

 騎乗用・運搬用の馬に始まり探索用・追跡用の犬や狼、戦闘用・威圧用の猛牛や戦象などは頻繁に人類の戦史へと登場する。

 さらに加えてラナトゥスの周囲には魔物を使役する人間の国家なども存在し、そうでない国でも龍の近縁種である翼竜などは騎乗・兵用問わず用いられてきた歴史がある。


 故にラナトゥスの王族には、それらを速やかに殺害する秘伝の剣技が存在し代々伝えられていた。

 数百年来、脈々と受け継がれた獣殺しのその技術は、人畜問わず滅ぼす猛毒の果実の名と同じ、マンチニールの剣と謳われている。


「……見つけた、そこか」


 龍の呼吸は独特だ。

 それも4mを超える大型龍となれば通常の哺乳類や爬虫類とは大きく異なる。

 気嚢と呼ばれる肺の補助臓器が、骨の中にまで作られるほど全身を埋め尽くしているのだ。


 ラナトゥス家長子に代々継がれる動物ごとの呼吸の違い、そこから生まれる空気の流れの違い、その知識があれば。

 いくら視界を遮ろうと姿を隠すことはできない。


 広場の外、氷塊の群れのさらに奥、街の東側区域、建物の陰に隠れるように龍はこちらの様子を伺っていた。


「ふむ、何を企んでいるかは知らんが、黙って見過ごすほどワシは優しくないぞ」


 龍は位置を見破られたのを悟ったか、氷塊の影や建物の裏の路地を動き回りながらこちらへ攻撃を開始してきた。

 渦を巻く巨大な冷水の竜巻が複数巻き起こりこちらへ向かって迫ってくる。

触れただけで肉が裂けるような、強烈な水流の嵐。


「遅い!」


 その嵐の隙間を縫ってくぐり抜け、そのまま氷塊越しに龍へとダガーの刺突を数発穿ち放った。

 刺突の衝撃は分厚い氷塊を貫き建物を貫通し龍へと届き、その大きな体躯へ針に刺された程度の穴を数か所開けた。


「はっ、それがどうした、ムズ痒いわ!」


 龍は何事も無かったかのように移動を続け、次々と竜巻を生み出していく。

 が。


「……っ!?」


 すぐに動きが鈍り、悶え、苦しみ、移動すらままらない状態となった。


「な、なんだ、毒か!? だが直接触れたわけでは……!?」

「さて、なんでだろうな」


 生物というものは体を動かすために酸素が必要だ、そして体が大きくなればなるほど必要な酸素の量は大きくなる。

 体高4mもの巨躯の龍となれば肺だけでは足りなくなり、気嚢という補助の内臓が必要となるほどに、大量の酸素とそれを効率よく運用する内臓器官が必要だ。


 獣殺しの秘伝マンチニールの剣とは、その酸素の循環器官をいかに効率よく潰すかの知識と技術なのだ。


「地獄でその種明かし、私の父母に聞いてくるといい」


 水流の嵐は止み、龍の抵抗が収まった街の東側区域、最後の障害である氷塊を切り裂き龍への道を切り開く。

 微塵に裂かれた氷の壁の先、大きな塔の根元。

 ほんの小さな刺し傷でまるで毒でも喰らったかのように悶える龍の姿を、ついに視界に捉えた。


「こ、こんな傷だけで、どうして……」


 あとは最後の詰めを、龍の為すであろう最後の抵抗を凌ぎ、終わらせるのだ。

 首を切り落とし腹を掻っ捌いて、ダニエル少年と神器を救出する。


 ……それで終わりだ。


「まだっ、まだだ! 終わってたまるかぁ!!」

「……っ!」


 だが、しかし。

 あと少しで首に刃が届く、そんな距離まで近づいた途端、龍の全身から青く輝く光が放たれた。

 その光の後には、吐いた息が即凍るような強烈な冷気が周囲を包み、とても人体に耐えられる代物ではない尋常ならざる寒さだけが後に残った。


 一瞬で、龍の周囲が氷点下のさらに下、絶対零度の氷の世界へと変わってしまった。

 このまま何もしなければ凍死の未来が待っている!


 逃げる……無理だ、もう足が動かない。

 防ぐ……聖剣で? すでに下がった温度をどうやって斬れって言うんだ!


 油断したわけでは無かった、慢心などありはしなかった。

 ただ、想像力が足りなかった。


 龍という、人類にとって理不尽の塊である生き物が、形振り構わぬ最後の抵抗を試みた時何が起きるか。

 龍という大いなる存在が後先考えず内なる力を放出した時何が起きるのか。

 まさか避ける事も防ぐ事も叶わぬ攻撃が飛んでくるなど想定していなかったのだ。


「諦めてたまるかぁああ!!」


 とても龍の物とは思えない、俗物めいた実に輝かしき命への執着。

 その叫びが聞こえると同時にさらに強烈な光が放たれた。


 悪あがきに構えた聖剣は何の盾にもならず何を斬る事も出来ず、私の体はさらなる極寒の冷気に包まれた。

 龍自身の体が凍結してしまうほどの強烈な冷気が放たれ世界が瞬く間に停止していく。


「は……ははっ、さて……どちら、が、先に、死ぬのか、な……」


 最後の最後で、策も糞もない力押し。

 龍の行った最後の抵抗は、龍すら凍る極寒の中、龍としての生命力を生かした、どちらが先に死ぬかの我慢比べであった。

 その果てにある結果がどうなるかなど赤子でも分かる、龍より先に私が死ぬ。


 私一人、ちっぽけな人間一人の力ではもうどうすることもできない最悪の、そして最善の悪あがきであった。

 剣を振るうだけの私にはもう、ただただ凍っていくだけしかできない。


 暗転していく世界の中でゆっくりと、どうしようもない終わりを私の脳が認識し。

 そして、そんなになってようやく、私の口から言葉がポツリと漏れた。


「あぁ糞っ……死にたくねぇなぁ……」


 恩人に借りを返せぬまま、何も為せずに死んでいく。

 そう思った瞬間。

 "死にたくない"と生まれて初めてそう思った。


「だれか……た、助け……」


 生まれて初めてだった。

 命請いをした、母にすら謝罪される無価値な命なのに。

 助けを請うた、仲間なんていやしないのに。

 なのに。

 なのに。


 必死に藻掻いてどうにか伸ばした、凍り漬けの指の先。

 小鳥が一羽、羽ばたき降りてそこにとまった。


「すいませんニーナ、少し、遅れました」


 聞き慣れた声がした。


「あぁ糞っ……遅ぇよ、馬鹿が」

「誰かさんのおかげで魔力を温存できましたよ、おかげで全力全開フルパワー! かませてやれます!」


 ここ数日、嫌になるほど聞き慣れた、仲間の声がそこにあった。

 そして同時に、強烈な魔力の波動を頭上に感じた。


「私の全力、受け取りなさい!!」

「ん? あれ?」


 強烈な魔力の波動を、私の頭上に感じた。

 龍の上ではなく、私の頭上に!


「い、イリスさん? これ目標間違えて」

「どっせぇえええい!!」

「おごぁ!?」


 次の瞬間、感じた事のない強力なエネルギーが私を襲った。

 そして私の隣に半袖にスカート姿のとても寒そうな服装の聖女様、イリス・ブルトゥスが降り立った。


「大丈夫ですか? 生きてますかニーナ?」

「死んだと思う、イリスに殺されて死んだと思う私」

「そんな口きけるって事は平気ですね」


 気が付けば私を覆う忌まわしき氷は全て溶け、腕も脚も動かせるようになっていた。

 そして私とイリスの周囲だけは、龍の冷気の影響を受けなくなっていた。

 どういう理屈か、どういう魔法が働いた結果なのか、いろいろ問いただしたくはあったが。


「ニーナ、今の私では龍の全力に抗えるのは5秒だけです、時間はありません」

「そうか、ならさっさと終わらせる」


 大事な恩人が作ってくれたこの5秒を無駄にしないために。

 私は何も聞かず凍る龍へと歩み寄り、その首へ目掛け聖剣を振り上げた。


「無粋者、め……一騎打ちの邪魔を、するなど……」

「悪い、いつか地獄で埋め合わせするよ、アムレード」

「……あぁ、糞っ、そうか、これがワシの末路か」


 そして聖剣が振り下ろされ、龍の首が刎ねるその瞬間。


「   」

「……ッ!」


 今際の際に放たれたアムレードの言葉。

 人類が勝利する瞬間、間際の声。


「だったら、なおさら、何でそっち選んだんだよアムレード……」


 龍らしからぬ怨嗟の声。

 まるで人間のような弱弱しい声。

 それを、私は聞かなかったことにした。


 龍の首が落ちると同時に、私たちの周囲の冷気は急速に和らいでいった。

 そして龍の腹の中からダニエル少年と神器が救助されると、龍の体は完全に朽ちて崩れ黒い砂となって消えていった。


 それら全てが終わるまでの間、アムレードの遺した言葉は私の耳にずっと張り付いて離れなかったが、決してその事については考えないようにした。


 勝利したのだ、私達は勝利したのだ。


 だから、私は何も聞いていない。

 聞いた事を覚えていてはいけない。


「もし、龍に生まれていなかったのなら、ワシだって」


 私は何も聞いていないし、その先に続く言葉などは決して考えてはいけない。


 それはきっと呪いの言葉だから。

 誰も幸福になどなりはしない怨嗟の言葉だったから。


 だから、これでいいのだ。


 私が聞かなかった事にするだけで、神器オフィーリアの盃の顛末は喜劇として終わるのだ。





 戦いが終わりすっかり日も落ちたルメニアの街。

 魔王の呪いが去り、神器を狙った龍も打ち倒された水と商人の街。

 そこには歓喜の声が沸き上がっていた。


 龍の死を悼む者など当然、誰一人いなかった。

 それ故に街の住人は誰もが後ろめたくなる事なく幸福を享受していた。


 私は、そうなる結末を選んだ。


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